漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

最近読んだ本と、しりあがり寿「回転展」

2016年08月26日 | 読書録

 前回の更新から、気がついたら、一月以上も空いてしまっている。億劫に感じることが増えるのは、あんまり良いことではないなあ。
 でも、本はなんとなく読んでいる。最近読んだ小説本はといえば……


1.「九百人のお祖母さん」 R・A・ラファティ著 浅倉久志訳 ハヤカワ文庫SF 早川書房刊

2.「世界が終わる前に BISビブリオバトル部」 山本弘著 東京創元社刊

3.「人造人間キカイダー The Novel 」 松岡圭佑著 角川文庫 角川書店刊
 
4.「きみの血を」 シオドア・スタージョン著 山本光伸訳 ハヤカワ文庫NV 早川書房刊

5.「パルプ」 チャールズ・ブコウスキー著 柴田元幸訳 新潮文庫 新潮社刊

6.「こなもん屋うま子」 田中啓文著 実業之日本社文庫 実業之日本社刊

7.「さよならアリアドネ」 宮地昌幸著 ハヤカワ文庫JA 早川書房刊

8.「土漠の花」 月村了衛著 幻冬舎刊

9.「ギケイキ:千年の流転」 町田康著 河出書房新社刊

10.「サマー/タイム/トラベラー 全二巻」 新城カズマ著 ハヤカワ文庫JA 早川書房刊

11.「スーパーカンヌ」 J.G.バラード著 小山太一訳 新潮社刊 

12.「ゴールデンフライヤーズ奇談」 J.S. レ・ファニュ著 室谷洋三訳 福武文庫 福武書店刊

13.「みんなの怪盗ルパン」  小林 泰三, 近藤 史恵 藤野 恵美 , 真山 仁 , 湊 かなえ 著 ポプラ社刊

 
 という感じか。もしかしたたら、読んでいて忘れているのもあるかもしれない。

 2は、ビブリオバトル部シリーズの三作目。このシリーズ、出るとつい読んでしまうのだけれど、なんだか読みながらちょっとだけ恥ずかしい気分になるのは、相変わらず。3は、2の中で言及されていた作品。もともとは子供向けの特撮ヒーローものだが、なかなか説得力のある肉付けがされている。とはいえ、平井和正の「8マン」から「サイボーグブルース」ほどの飛躍はない。松岡圭佑だけあって、さすがに小説として安定した作品だけれど、どちらかといえばオタクをニヤリとさせるようなものでもあるので、キカイダーファンでなければちょっときついかもしれない。逆に、キカイダーファンにはたまらない作品かも。
 6は「UMAハンター馬子」シリーズのスピンオフ作品。こなもん(粉もん)ならなんでもできるという幻の店を舞台に、ちょっとした人間ドラマが展開される連作短編集。気楽に、面白く読める。13も、ルパンシリーズのパスティーシュを集めた企画物の短編集で、好きな人には楽しめそう。装丁がポプラ社のルパンシリーズものとそっくりになっているのがミソ。
 7は、高野史子の短編漫画「棒がいっぽん」へのオマージュとさえ言えそうな長編作品。あとがきで著者自ら、その影響をはっきりと述べてはいたが、途中、まんま「棒がいっぽん」だったのには、さすがに苦笑した。ちょっと変わったタイムトラベルもの。タイムトラベルものは、タイムパラドックスの処理の問題があるため、ある程度きちんとしたタイムトラベルのルールを設定する必要があるが、この作品の中でも一応のルールは決められている。ただし、結構それが曖昧。最終的には、女は怖いという結論に落ち着いてしまう。
 タイムトラベルものといえば、10もそう。9も、もしかしたらちょっとそんな感じかもしれない。10は、ライトノベルとSFジュブナイルの中間くらいに位置しそうな、「夏と少女」を扱った青春小説。語り口がひたすらセンチメンタルで、ちょっとクドいような気がするほどだが、キラキラとした懐かしさを感じることは確か。9は町田康による「義経記」。自由すぎる義経の語り口が魅力。冒頭の文章は、こうである。「かつてハルク・ホーガンという人気レスラーが居たが私など、その名を聞くたびにハルク判官と瞬間的に頭の中で変換してしまう」。もちろん、義経の独白。強烈な書き出しである。もしかしたらちょっとタイムトラベルものかもしれないと書いたのは、先ほどの冒頭の文章でもわかるように、どうやらこの作品の語り手である義経は、現代から過去の自分について書いているように思われるからである。
 11は、バラードのSF長編。コカイン・ナイトに続いて発表された作品だが、この二作、似ている。というより、バラードの作品が、どれもどこか似ているというべきなのか。バラードという人の作品は、三部作を構成する傾向にあるが、これも「コカイン・ナイト」「スーパー・カンヌ」「千年紀の民」という「病理社会の心理学三部作」を構成しているらしい。社会的成功者たちのための、ほとんど人間性を排除しているかのような美しい街と、その背後にある野生。狂気を飼いならすための安全弁としての暴力。テーマとしてはそんな感じ。「千年紀の民」は未読。
 暴力といえば、4はちょっと変わった吸血鬼テーマの傑作。吸血鬼というイメージにつきまとうロマンティックな要素はなく、異常心理を扱っている。
 特に印象に残ったのは、1、5、8、12。
 1のラファティは、本は数冊持っているものの、なんときちんと読んだのは初めて。要するに、長い間積読になっていた一冊。サンリオSF文庫の「イースターワインに到着」の中で、大森望さんが「史上最高のSF作家といえばラファティしかいない」とまで断言しているだけあって、ちょっと他ではなかなか読めないような変わった作品が目白押しの短編集だった。これまで読んでこなかったのがもったいないと思ったほど、突き抜けた天才的作家。筒井康隆や吾妻ひでおの作品が好きなら、きっと気に入るはず。
 5は最近復刊した作品の旧版。ブコウスキーも積読になっていて、初めてきちんと読んだが、こちらも突き抜けた天才作家である。タイトルからもわかるように、ものすごく安っぽい設定のもと、グダグダに物語が進んでゆくのだけれど、めっぽう面白い。一応は探偵小説だが、最低の探偵である(人間としても)。なのに、ラストにはちょっとしんみりしてしまう。ちょっとヴォネガットの「タイタンの妖女」を思い出した。まあ、作品としてはそちらのほうがより名作ではあるけれども、こちらも確実に琴線に触れる。
 8は、安定した面白さの月村作品。集団的自衛権を認めるという憲法解釈がされたことで、この小説の中の登場人物のように、人を殺したり、戦死したりする自衛官がこの先出てくることだろう。
 12はレ・ファニュの中編。280ページほどあるが、大長編が多い著者にしてみれば、このくらいの長さは中編としか呼びようがないだろう。もっとも、これはもともと架空の街「ゴールデン・フライヤーズ」を舞台にした3つの作品をまとめて「ゴールデン・フライヤーズ奇談」として出版されたものの一つらしい。正直、物語としてはちょっと破綻しているところもあって、クライマックスのあたりでちょっと戸惑うし、完成度は決して高くないが、にも関わらず贅沢な怪奇小説を読んでいるような不思議な魅力がある。「ワイルダーの手」に一度挫折したぼくも、これを読んだことで、もう一度挑戦してもいいかなという気になった。

 それはそうと、先日ふと気が向いて、練馬美術館で開催されているしりあがり寿の「回転展」を観に出かけた。
 展示は大きく分けて、生原稿の部屋、動画の部屋、回転の部屋と分かれている。わかりやすいのは生原稿の部屋で、これまでの作品の原稿がいろいろと展示されている。これは、ファンならば間違いなく楽しめるだろう。問題なのは回転の部屋。ともかく、なにもかもが回っている。入り口には定期的に回るやかんがまず置いてあり、回っている間は、「芸術」というネオンサインが点灯する。しりあがり氏によると、止まっているやかんにはやかんとしての利用価値があるが、回っているやかんにはやかんとしての実用性がなくなっており、したがって芸術作品なのだということ。別の部屋には、ありとあらゆるゴミが回転していた。
 要するに茶化しているわけだけど、しりあがり寿のすごいところは、全力でやるところ。花瓶を描いた同じ静物画がたくさん回転している部屋があるけれど、あれ、複製とかじゃなくて、全部描いている。この労力を使うあたり、現代美術を茶化しつつ、敬意を払っている感じがする。思いついたことは、ためらわずに形にする。成功するか失敗するかは、考えない。このエネルギーこそが、しりあがり寿の得体の知れない世界を形作っているのだろう。