漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 



 
 今日は天気も良かったので、江ノ島まで散歩。
 鵠沼海岸で海を踏みつつ。

 江ノ島は、さすがにゴールデンウィークだけあって、凄いひとで。
 それで、岩屋へ行くのはやめて、反対側の釜の口へ。

 写真は長磯あたり。
 これも江ノ島の姿です。
 潮の状態如何では入れない場所なので、さすがにこちらは人も少ない。上手い具合に、潮の引いている時間帯だったので、龍窟と呼ばれる場所まで行く事も出来た。磯遊びも、楽しめた。
 



 


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「コンタクト」
ロバート・ゼメキス監督

を観た。
なかなか面白かった。

 脚本やキャスティングには、結構問題はある気もするけれど、それでも僕には面白い映画だった。観ながらわくわくしたし、もしやり直せるなら、僕も科学者を目指したかったなと素直に思った。
 この映画の肝は、コンタクトを実際に取るまでの道のりだと思う。研究者が純粋な研究をするだけでは駄目で、決して折れない強い意志をもちながら、いろいろな「人間」との関わりを持ち、その末にようやく願いが成し遂げられるという、その過程こそが重要なのだといいたいのだろう。だからこそ、ワームホールへ突入してから先のことはかなりおざなりというか、ストーリー的に無理があるし、ステレオタイプで、穴だらけになっている。
 それでも原作者であるカール・セイガンの強い「思い」は伝わるし、だからこそ取ってつけたような恋愛の話も、日本人にはどうでもいいような宗教の話も、ついでに言うなら、日本に対する「ちょっとこれはどうかと思うなあ」というような扱いも、最後のオチになっている18時間分の記録があったという部分、それは最初に点検するだろ普通という突っ込みも、すべて「ちゃら」に出来た。

 この映画を見ようと思ったのは、実は今

「松井教授の東大駒場講義録―地球、生命、文明の普遍性を宇宙に探る」
 松井孝典著
 集英社新書

を読んでいて、ふと、そういえばまだ「コンタクト」見ていなかったなと思い出したからだ。
 松井教授の本は、講義という性格上できるだけ噛み砕いてはいるようだけれど、それでも正直かなり難しい部分もある。しかし、相当面白いので、オススメです。
 

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***

 二人が結婚して、長い年月が流れ、五十年が過ぎた。
 「過ぎてしまえばあっという間でしたね」と杏子は言った。大樹は杏子の手を握った。
 杏子は病床にあった。
 手術を間近に控えていたが、成功する見込みは殆どなかった。
 
 二人の間には、結局、子供が授かることはなかった。最初に出来た子供は、三ヶ月目にあっけなく流産してしまった。また作ればいいと大樹は杏子を励ましたが、その後は結局、杏子が妊娠することはなかった。
 結婚してから五年が経った、二人が二十五歳の時のこと、養鶏場の跡地はニュータウンとして再開発されることとなった。大樹はその話を聞いた時、いくら反対したところで無駄だということはすぐにわかったから、せめてあの樫の木だけでもと考え、交渉の末に、工事の着工前に樫の木を切り倒し、その木材を貰う権利を手に入れた。地元の大工ということで、その辺りの交渉はそれほど問題なくできたのだ。
 大樹は切り倒した樫を丁寧に断裁し、自宅の倉庫に保管した。
 樫の木の彫像は、二人が結婚した頃から急速に木との一体化が進み、再開発の話が来た頃にはもう半ば以上、幹の中に飲み込まれてしまっていた。とはいえ、最初、木を断裁する事には抵抗があった。顔や乳房はまだはっきりと見て取ることが出来たし、だから、まるで人の体を切り刻むようだという気持ちが、大樹の頭をよぎって仕方がなかったからだ。だがそんな感情に流されていては、木はただ失われてしまうだけだ。そう思い切って、木に刃を入れたとき、血でも噴出してくるのではないかという気がしたが、勿論そんなことはあるはずはなかった。木は木として切り倒され、悲鳴の一つも聞こはしなかった。大樹はそれから、木を丸太のまま幾つかに断裁した。断裁する時、木の根元の部分は、なるだけ大きく残すように気をつけた。仕事を終えて、断裁した木を家に運び込んだ時、杏子は無言だった。大樹も何と声をかけていいのか分からなかった。大樹は木を納屋に仕舞い込んだ。そして納屋の隅に、木の根元の部分を、彫像の顔をこちらに向けて立てかけた。そして長い間見詰めていた。
 ようやく大樹が納屋を出たとき、外には杏子がいた。杏子は大樹の脇を通って、するりと納屋の中に入った。大樹も彼女の後を追って、もう一度納屋の中に入った。そして並んで木を眺めた。大樹はふと思った。いつのまにか杏子は、この彫像と同じくらいの年齢になっているのだなと。そう思って改めて見ると、杏子と彫像の顔は、今こそ瓜二つのように見えた。
 随分して、杏子は大樹に「ありがとう」と言った。とても小さな声だった。大樹は頷いた。それから二人は辺りが暗くなって、もう納屋の中が殆ど見えなくなるまでそこで過ごした。


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先日アップした「海の来る日」に手を入れたものです。

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 杏子は長い話を終えた。二人はいつしか校舎の階段に並んで腰掛けていた。階段は雨ざらしだったが、校舎のおかげで日陰になっていたから、涼しかった。だが、二人とも長い間日向にいたから、かなり汗をかいていた。大樹は杏子を見た。黒い髪の先が、汗で頬に張り付いていたし、大きな花の模様が幾つもプリントされているシャツも濡れていた。
 「それで」と大樹は杏子から目を逸らして、言った。「それからずっとここには時々来ているのか?」
 「ううん」と杏子は言った。「ここに来るのは、久しぶり。思春期を迎えた頃から、だんだんとここに来ようという気持ちもなくなったの。来なくなったのは、ここで怖い目に会いかけたからなんだけど、実際のところ、それはきっかけに過ぎない気がする。子供が親から離れてゆく。それと同じことが起こっただけなんだと思う。もちろん、時々は気になるけれど、それだけだったわ」
 「だったら、もしかしたら、俺の方がよく来ているのかもしれないな」大樹は言った。「なんだかわからないけど、無性に気になる時がある。それで、毎年何度かは必ずここへ来ていた。吉野とは違う意味だと思うけど、俺も落ち着いた気分になるんだ。ただ単に、誰もいない場所だからかもしれないけどね」
 杏子は黙っていた。
 「それから、これも気のせいかもしれないが、俺が初めてこの場所であの木に触れたとき、声を聞いた気がするんだ」
 「声?」
 「そう、『声』だよ。でも、それははっきりと俺に伝わった気がするんだが、今ここで『何と言ったのか』と聞かれても、分からないんだ。自分の深い所では理解しているのは分かるんだ。だけど、理解しているのは俺の無意識の部分らしい。だから、意識的にその言葉を思い出して話そうとしても、分からない。言っている意味が良く分からないだろうけど、実際そうとしか表現できない。もどかしいけどね。……まあでも、もしかしたら全部気のせいかもしれない。結局、よくわからないんだな」
 二人は暫く黙っていた。二人の沈黙を、何種類もの蝉の声が埋めていた。
 「実は私、山本君がここに時々来ているのを知っていたわ」随分してから、杏子がぽつりと言った。
 大樹は「そうか」と言って、頷いた。

 その日を境に、杏子と大樹の間は急速に近くなった。
 二人は時々揃ってこの場所を訪れるようになった。二人にとって、その場所は特別な場所だった。
 大樹が初めて杏子を抱いたのも、小学校の教室の中だった。杏子を後ろから抱きながら、顔を上げると、向こうに柔らかく揺れている樫の木を見たことは、大樹には忘れ難かった。
 三年が過ぎた時、杏子は妊娠し、二人は結婚した。


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 最初は、空耳だと思ったらしいわ。そうでなければ、幽霊か。それはそうよね。見捨てられた廃校に、赤ん坊の鳴き声なんてするわけなんてないもの。でも父は幽霊なんてものを全く信じない人だったから、怖がる母を制して、声のする場所を探し始めたの。そして、私を見つけた。どれだけ驚いたか、とても言葉にはできないと、母は私に言ったわ。
 私は衰弱していたらしいけど、でも、長い間そうして放って置かれたにしては、比較的健康だったらしいわ。両親が私を運び込んだ病院の先生も、これならすぐにでも退院できるでしょうと請け負ってくれた。両親はほっとして、それから二人で話しあい、しばらくはこの子の実の親を捜すが、もし見つからなかったら、自分たちの子供として育てようと決めたの。
 結局、実の親の手がかりは何も見つからなかった。それで、母は私を『木が産んだ子供』だと考えることにしたの。私が棄てられていたのは樫の木の根元だけれど、その樫には、誰が彫ったのか分からない不思議な彫像があったから、きっとあの彫像の子供なんだって。
 父もその意見に賛成だった。子供のいない二人に授かった子供なら、そう考える方がいい。そう思ったのね。もちろん二人とも、本当はそんなことは信じてはいなかったけれど。
 私は二人の本当の子供として成長したわ。それを疑った事なんて、あの夜まで一度だってなかった。でもあの夜を境に、何かが少し変わってしまった。父と母は相変わらず父と母だったけれど、一度知ってしまったことは、もう二度と元には戻らない。普段忘れていても、ふとした時に思い出して、塞いだ気持ちになることがあったの。
 ある日、私は両親に泣いて頼んだの。一度だけでもいいから、その木を見たいって。最初は嫌な顔をされたけど、結局、それで納得するなら一度だけということで、連れて行ってくれることになったの。それで、父の運転する車に乗って、この場所にやって来たわ。
 彫像を見たとき、私は懐かしくて息が止まるかと思った。物心がついてからは初めて見るはずなのに、何故だか懐かしかったわ。でも私は何でもない風に装っていた。子供心に、両親に悪いと思ったから。でも両親は、驚いたようだった。私にではなく、その木の彫像に。なぜなら、久々に見るその彫像の顔が、思っていた以上に私に似ていたから。
 私達三人はそれほど長い時間ここにはいなかった。私が『もういい』と言ったので、引き上げたの。両親は、これで得心したようだと胸を撫で下ろしたそう。でも私はそれからは一人でこっそりと、何度もここへ通ったわ。何かが心の中に溜まってくると、ここに足を運ばずにはいられなかったの。ここに来て、木に触れているだけで、何日も泣いた後のようにすっと心が晴れて、穏やかになれた」

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 「私はこの木の根元に横たわっていたの」と杏子は語り始めた。「勿論そんなことは覚えていないわ。ただ泣くことしかできない赤ん坊だったから。銀色の花の刺繍の入ったお包みに包まれて。高く泣いたり、低く泣いたり、不思議な泣き方だったと聞いたわ。
 「聞いたのはずっと後になってから。でも、私はまだ五歳の時にはもうそのことを知っていた。偶然耳にしたのよ。夜中に、トイレに行こうと起きた時、居間から何人もの大人の声が聞こえたわ。皆で集まって、宴会をしていたのね。とても楽しそうな声で、冬だったから廊下は寒かったけれど、あの中は暖かそうだなあって、私は思ったわ。でも、見つかったら怒られるかと思って、そっと聞き耳を立てていたの。廊下には、鍋の匂いが漂っていて、私は途端に空腹を覚えたわ。どうしよう、そっと目が醒めたと言って部屋に入ってゆこうか。そんなことを考えたわ。
 そのとき、誰かが私の名前を口にするのを聞いたの。最初は、何の話をしているのかわからなかったわ。でも、私は気が付くと体を固くしていた。
 父が言った。『ええ、とてもよい子に育っていて有難いことです』
 誰かの声がした。『運の強い子だろうしね。そうじゃなきゃ、生きていない』
 『まったく』他の誰かの声だ。『幾ら春とはいえ、あんな場所に棄てられていたんじゃ、誰も気が付かなくても仕方ないことだったんだから。』
 『きっとあの子が私達を呼んでいたんですよ』母の声だった。『子供ができない私達に神様が授けてくださった。それ以外に考えられないんですよ、私は今でも』
 私は体が震えてたまらなかった。ショックという言葉では表現できないほど、打ちのめされた気分になった。私はその場で気を失い、次に気が付くと、目の前に両親の顔があったわ。
 両親は目に涙を溜めていた。それから夜が明けるまで、母は私を抱えていたわ」
 大樹は杏子の言葉に耳を傾けていた。大樹はかつて父が「杏子ちゃんも本当は行かないほうがいいんだ」と大樹に吐き棄てるように言った事を思い出した。その時のことが、ずっと忘れられないでいたのだが、今それが何故だか分かる気がした。きっと父はその時、杏子の家にいたのだ。根拠はなかったが、大樹は確信していた。
 「両親は、包み隠さず私に全てを話してくれたわ。そのおかげで、私は随分気分が楽になったように感じた。もし両親がそこで別の対応をしようとしていたら、私はもっと傷ついていたと思う。でも、自分でも不思議なほど、それから先は、両親のことを両親として受け入れて行けた。
 私についての話は、こういうことだった。
 私は赤ん坊の時、この木の根元に横たわっていたの。そして、木には艶かしい人の彫像があった。見つけたのは、両親だった。二人はこの小学校の卒業生で、結婚して五年になるのに、子供がどうしてもできなかった。そのせいで夫婦の仲もどこかギクシャクとし始めていたらしいわ。でも、そうした関係を見直そうと、二人で通っていたこの小学校へ散歩に出かけることにしたの。そして、私を見つけた。

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 大樹は余りにも驚いたので、すぐには声が出なかった。他の誰がいても、それほどまでには動揺しなかっただろう。一番見つかりたくない人に見つかってしまった。そんな気持ちだった。杏子は少し足を止めていたが、思い切ったように、こちらへ向かって歩き始めた。
 「吉野」吉野というのは、杏子の苗字だ。随分してから、大樹は言った。「何でここに?」
 「山本くんを追いかけてきたのよ」杏子が言った。山本というのは、もちろん大樹の苗字だ。「道の入り口で見かけたから」
 「そうか」大樹は言った。それから、しばらくはどちらも黙っていた。
 「ここへはよく来るの?」杏子が言った。
 「いや、でも、たまに」
 「そう」
 「最近はあまり来てなかった」
 「そう」杏子は樫の木を見て、それから大樹に言った。「水をあげてくれていたのね」
 大樹は頷いた。
 「ありがとう」杏子は言った。
 風が吹いた。蝉の声が揺れ、どこからか、蜜のような香りが漂ってきた気がした。
 それから時間をかけて、大樹はここへ自分来るようになった経緯を話し始めた。杏子を追ってここへ初めて来た時のこと、それからも何度かここへ足を運んだこと、それらを最初から正直に。自分が杏子を好きである以上、彼女がどう感じるかはわからないが、隠しても仕方がないと思った。
 話を最後まで聞いた杏子は、驚いたようだったが、それでも悪くは感じなかったようで、嫌われても仕方がないと思っていた大樹は少し安心した。
 やがて杏子は、大樹の正直さに報いるかのように、自分と樫の木についての話を始めた。

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 ジョニー・デップの「ネバーランド」を観た。
 実はそれほどは期待していなかったのだが、かなり面白かった。考えてみれば、ジョニー・デップ主演の映画は大抵面白く観ている気がする。相性がいいのかもしれない。

 ところでこの数ヶ月、実は密かにマイ・ブームになっているものがあって、それはかつて土曜ワイド劇場でやっていた、天知茂主演の「江戸川乱歩の『美女シリーズ』」。
 まだ子供だった頃、リアルタイムでもたまに見ていたのだが、今見るともう、これはなんというか、いかがわしさが甘い芳香すら放っていて、たまらないものがある。毎週ではないのだが、土曜日の夜に、子供を寝かした後、妻と二人で大笑いしながらDVDを見ている。これだけ突っ込める場所があると、突っ込みがいもあるというもの。週末のストレス解消に最適。脚本も役者もいい味です。
 まだそれほど本数は観ていないのだが、今のところベストは「大時計の美女・・・江戸川乱歩の『幽霊塔』」。冒頭から飛ばしすぎ。のけぞりました。


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アスファルトの道路はひび割れ、その隙間から雑草が伸びていた。大樹は先を急ぎ、間もなく養鶏場に辿り着いた。
 誰の姿もない。風も、全くない。しんとしたロータリーには、あちらこちらに錆びた空き缶などのゴミが転がり、それを雑草が包んでいた。集会場の窓はもう全て割られ、壁にはスプレーの落書きがある。典型的な廃墟の光景だった。大樹は煙草を棄て、足でしっかりと火をもみ消した。そして小学校への道へ向かった。
 細い道には、蜘蛛の巣が縦横に張り巡らされていた。大樹は蜘蛛が嫌いだったので多少ひるんだが、それでも長い木の棒を探し出してきて、巣を払いながら進んだ。道の脇には、ヨウシュヤマゴボウの葡萄めいた実があちらこちらにぶら下がっていた。毒のある実だが、子供の頃はよく擂り潰して遊んだものだった。
 小学校の門は、いつのまにか鎖でしっかりと封鎖されていた。だが門は低かったし、そんなものは殆ど何でもなかった。大樹は門に攀じ登り、その上から空を見上げた。空がいつもよりもずっと高く見えた。
 小学校は、思ったほど変わっていなかった。多少古くはなったが、落書きなどもない。ロータリーの惨状からすると、考えられないほどだった。この場所が、自分と杏子以外の人間から意識されないという魔法でもかけられているかのようだと大樹は思った。それはただの思いつきだが、歩いていると、やはりそれは本当なのではないかと思えてくるような、そんな思い付きだった。
 大樹は小学校の校舎を回りこみ、何度となく通った樫の木へ向かった。木はそこに相変わらずあって、辺りはひっそりとしていた。
 彫像はもう、ほとんど木と一体化していた。そっと手を伸ばしても、もう全く柔らかさは感じなかった。周りから包み込まれるように、次第に木の奥へ埋没しつつあった。その柔らかい首のラインも、もう半ば見えなかった。顔はまだなんとか分かるが、それでも瞼の奥の瞳はすでにあやふやになっていた。かつては何かを語ろうと震えているように見えた唇も、柔らかく微笑むばかりで、無口だった。大樹はじっと佇んでいた。悲しいのか何なのか、自分でもわからなかったが、この彫像がもうまもなく消えて行くのだという事は分かった。しばらくそうして彼女を見詰めていたが、大樹は踵を返して、水を汲みに行った。水道からは、驚く事に、まだ水が出た。大樹は杏子が隠してあったバケツに水を満たすと、樫の元に行き、これだけ暑いと逆効果かなとも思いながら、それでもとりあえずはと水を遣った。そして、それを終えてしまうともう、何もする事を思いつけなかった。
 その時、明らかな人の気配を感じた。大樹は振り返った。
 杏子だった。

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「ノーストリリア―人類補完機構 」
 コードウェイナー・スミス著
ハヤカワ文庫SF

読了。

 コードウェイナー・スミスも、恥ずかしながら、初めて読んだ。
 彼の唯一の長編ということだが、古典として残るのは確実。懐が深い。
 あらすじは、僕が書くこともなく、この小説の冒頭に要約されていた。

「お話は簡単だ。むかし、ひとりの少年が地球という惑星を買い取った。痛い教訓だった。あんなことは一度あっただけ。二度と起こらないように、われわれは手を打った。少年は地球へやってきて、なみはずれた冒険を重ねたすえに、自分の欲しいものを手に入れ、無事に帰ることが出来た。お話はそれだけだ。」

 「ノーストリリア」読了の勢いで、

「レフト・アローン」
藤崎慎吾 著
ハヤカワ文庫JA

を読み始める。短編集。

 しかし、一作目の表題作で挫折しかける。サイボーグに改造された少年が戦うというこの作品。こういう小説は、SFには多いけど、苦手なんだよなあと思いながら。でも、最後の作品が画家田中一村を題材にしているということで、とりあえずそれだけは読もうとした。
 タイトルは「星窪」。これは、悪くなかった。鉱物の量子テレポートというアイデア。やっぱり他のも読んでみよう。

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 数日前から、無性にコクトー・ツインズを聴きたくなっていた。
 理由は別にないのだが、時々そういうことがある。コクトー・ツインズは、好きは好きだが、凄く好きなバンドというほどではなく、昔からよく知ってはいるが、数本のカセットテープしか持っていなかった。だが、一時はよく聴いたそれらのカセットも、既にどこかへ行ってしまっている。このバンドも、やはりワンアンドオンリーだから、好きとか嫌いとかはともかく、聴きたくなると替えはきかないわけだ。彼らが影響を受けたというスージー&バンシーズとも違うし、エンヤのようなヒーリング系の音楽とも違う。例えるなら、暗闇で光る鉱物から出ている放射線のような音楽か。

 で、高田馬場のTSUTAYAで、「TREASURE」を借りてきた(ついでに、この前shuさんに教えていただいた「つぶやき岩の秘密」をリクエストしてきた。『リクエストには100%答えます』ということだが、果たして?)。買おうとまでは思わなかった。今、聞きながらこれを書いている。懐かしき4ADの名盤。

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***

 それから十年が経った。
 大樹は養鶏場へ向かう山道を歩いていた。夏の盛りの頃で、油蝉の声が辺りに姦しく響いていた。
 道は、この十年で随分廃れてしまっていた。十年前は、まだもう少しましだったが、今はもう、荒れ放題の獣道のようだった。それでもまだ、時々は通る車もあるから、辛うじて道は道として残っていた。そうでなければ、この道はとっくに草に覆われて消えてしまっていただろう。
 大樹は初めて杏子を追ってこの道を辿った時のことを思い出していた。
 あれは明るい春の午後だったと思った。あの時に見た、木蓮の花が道に散っていた光景が、鮮やかに瞼の裏に浮かんでくる。学校の帰り道、せっせと歩く杏子を見て、何となく後を追った。そして、この道を辿って、棄てられた養鶏場まで行ったのだ。それは余りに鮮やかで、まるで昨日の事のようだった。
 大樹はあれからも何度もこの道を辿っていた。だが、憑かれたようにこの道を一人で進んで行く杏子を、まるで密偵のように追いかけたあの午後のことは、忘れ難かった。
 あの日から先も、杏子がやはり一人でこの道へ向かう姿を、大樹は何度となく見かけた。そのたびに、大樹は杏子のことが気にかかった。というのも、廃墟にはありがちなことだが、あの場所にはたちの悪い連中が出入りしているらしいということを耳にしていたからだった。数年を待たずして道の入り口は簡単な柵で閉鎖され、バイクでは簡単には出入りできなくなったが、入り込もうとすれば幾らでも入り込めたから、実際にどの程度の効果があったのかはわからない。杏子はある時期からあの場所には行かなくなったが、大樹が後に聞いたところでは、一度怖い目にあったからだという。四年生の夏のこと、一人で養鶏所に向かったのだが、そこには数台のバイクが停まっていて、ざわざわとした人の気配を感じた。慌てた杏子は、見つからないように祈りながら、必死になって引き返した。身に危険はなかったとはいえ、余りの怖さに、あそこに行くのはもう二度と嫌だと思ったらしい。
 大樹は、杏子とは別に、あれからも何度か一人で養鶏場への道を辿った。
 それほど頻繁にではない。一年に一度か二度くらいの頻度に過ぎなかった。そして朽ちた小学校に向かった。
 幸い、大樹は杏子のような目には会った事がなかった。誰かがごく最近その場所にいたという形跡なら、あちらこちらで目にしたが、実際に人に出くわしたということは一度もない。もっとも、大樹は誰かに出くわすという事をそれほど怖いとは思っていなかったのだが。
 あの木の根元にある人型は、大樹が訪れる度に、次第に本当の木に近づいてゆくようだった。まるで、木の胎に飲み込まれてゆくようだった。初めてそれに触れたときに感じた柔らかさも、次第に遠ざかっていった。
 最後に見たのは、もう三年も前のことだと大樹は思った。今はどうなっているのだろう。
 気にはなるが、考えたくないような気もした。大樹は煙草をくわえた。
 大樹は中学校を出た後、進学せずに大工の見習いとして働き始め、既に二年が過ぎていた。もともと器用なたちで、しかも熱心に仕事をこなしていたから、大樹の大工としての腕前はもう、相当なものになっていた。親方からも随分可愛がられていた。大樹は、このまま大工になるつもりでいた。


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 そのことがはっきりと分かったとき、大樹はほとんど逃げ出しそうになった。しかし、昨日の杏子の姿がさっと脳裏に浮かんで、踏みとどまった。男の自分が女の杏子よりも意気地が無いというのは、我慢がならなかったのだ。それに、もしあれが何か恐ろしいものだったとしたら、今日、杏子は学校に来れたはずはないじゃないかとも思った。
 そうだ、杏子は今日学校に来ていた。今日一日、大樹は杏子とは一言も話をしていないけれど、普段と変わった様子には見えなかった。それで、ほっとしたが、同時に拍子抜けした気分にもなったのだ。
 だから、何でもないはずだ。大樹は自分に言い聞かせた。そして足を進めた。
 いよいよ木に近づくと、それが何なのか、はっきりと分かるようになった。どうみても、裸の女性だった。なるほど、確かに木の幹に半ば埋もれ、その中に溶け込むように一体化してはいるが、その肌の色がどことなくピンクがかって見える辺り、余りにも生々しくて、もしその表面のうっすらとした木目のようなものがなければ、とても彫像のようには見えない。目鼻ははっきりとしているし、首から肩にかけてのラインは滑らかで、柔らかそうな乳房にはきちんと乳首までついている。それらの部分には、命のあるもののみが持っている芳香が宿っているようだった。大樹は、何かいけないものを見ているような気がして、どきどきした。
 大樹は、柔らかく傾げたその顔に見覚えがあるような気がしたが、間もなく、杏子に似ているのだと思った。しかし不思議な気はしなかった。至極当然であるような気がした。大樹はその「彫像」の間近までやって来ると、屈みこんでじっと顔を覗き込んだ。半ば閉じられた瞼の奥には、確かに丸い瞳があった。それは黒くて、滑らかだった。じっと見ていると怖くなってくるほどだった。
 大樹はそれから、恐る恐る手を乳房に伸ばした。喉が渇いて、心臓がどきどきと鳴った。下腹部に、強い尿意のようなものを感じた。やがて指先が乳房に触れ、手のひらが触れた。
 大樹は小さく叫んで、思わず手を引いた。その奇妙な柔らかさに驚いたのだ。とても木の肌ではなかった。大樹は恐る恐るもう一度手を伸ばし、今度はしっかりと乳房を掴んだ。その柔らかさは、人の肌の柔らかさとは全く違うが、強い弾力性があった。何に例えればよいのか、これまでに触った事のないような、奇妙な柔らかさだと思った。大樹は自分が掴んでいる乳房をじっと見詰めた。乳房を彩っている木の文様は、よく見ると、這う血管のようでもある。
 大樹は確信していた。この女性は彫像なんかではなく、杏子の母親なのだ。
 手のひらの向こうから、彼女が確かにそう語るのを感じた。

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