「憑かれた女」 デヴィッド・リンゼイ著 中村保男訳
サンリオSF文庫 サンリオ刊
を再読する。
初読は高校三年生の頃だったと思うから、だいたい33年ぶりくらいの再読。正直、あまり内容は覚えていなかったのだが、初めて読んだとき、途中までは面白かったのだが、なんだか最後のほうが消化不良になったという印象があって、それがどうしても引っかかっていて、いつかまた読みなおそうとずっと思っていた。その時には、まさか再読が三十年以上も先になるとは、思ってもみなかったけれど。
ストーリー自体は、さほど複雑ではない。歴史が6世紀まで遡るという、由緒あるランヒル・コート館という邸宅を舞台にした、一種のラヴ・ストーリーである。一種の、と書いたのは、果たしてこれが本当にラヴ・ストーリーなのか、それともゴースト・ストーリーなのか、はっきりとは判断がつかないからである。
以下、かなり詳細なあらすじ。思いっきりネタバレしてます。
物語の主人公はイズベルという女性。人目を惹くような美人ではないが、人を惹きつける魅力のある人物。彼女はマーシャルという、様々な面に於いて申し分ないと思われる男性と婚約をしている。あるときマーシャルが、サセックスにある古い屋敷を買うつもりはないかと、養母であるイズベルの叔母ムーアに持ちかける。ムーアが晩年を過ごすための家を探していることを知っていたマーシャルが、伴侶を亡くして広すぎる邸宅を売ろうかと思案していたジャッジという人物と知り合い、良さそうな話だと考えて、持ちかけたのだった。しかしその屋敷にはただひとつ、奇妙な噂があった。「イーストルーム」と呼ばれる離れの最上階の部屋に、時々上へと伸びる階段が現れるのだという。とりあえず見学だけでもしようと言うマーシャルに、イズベルはいまひとつ気乗りしないままついて行く。屋敷につくと、アメリカからやってきたという先客が、ピアノで不思議な旋律を奏でるところに出くわす。問題の「イーストルーム」には鍵がかかっていて入れなかったうえ、屋敷にはいい印象を受けなかったイズベルとムーアだったが、その旋律には心を動かされる。後になって、偶然再会したそのアメリカ人から、ランヒル・コートの伝説について聞かされる。彼によると、「イーストルーム」のある棟は別名「ウルフの塔」と呼ばれており、それはその塔を建設した初代のウルフ氏にちなんだ名前だという。その場所はもともとトロールたちが狩りを楽しんでいた土地で、そこに強引に建物を建てたものだから、トロールたちはその最上階の部屋をそっくりと持ち去り、同時にウルフ氏も姿を消したという伝説にちなんでそう呼ばれているということだった。
後日、マーシャルは「イーストルーム」の鍵を借りてきて、もういちど屋敷へゆこうとイズベルを誘う。しぶしぶ付いて行った彼女だったが、屋敷の入り口で気分が悪くなり、大広間で休むことにして、「イーストルーム」にはマーシャルと管理人だけで行ってもらうことにする。そうして休んでいると、ふとその部屋に、確かにさっきはなかったはずの階段があることに気がつく。彼女はその階段を上ってみる。するとその上には小さな明るい部屋があり、自分の上ってきた以外の三方の壁にはそれぞれひとつずつドアがあった。それぞれのドアが、それぞれの秘密を隠しているということを感じた彼女だったが、思い切って左手にあるドアを開いたところ、そこにはやはり小さな部屋があって、壁にひとつの卵型の鏡がかかっていた。その鏡を覗き込むと、自分の姿が映ったが、その姿が、どこか別の自分のように見えた。その部屋にかかっていたカーテンをひくと、後ろには下りの階段があり、降りていったところ、もとの広間に戻った。そのとき、イズベルはその階段の上で何があったのか、まったく思い出せないことに気づく。
そのことがあってから、乗り気ではなかったはずのイズベルは屋敷にとりつかれたように、どうしてもそこを手に入れたいと考えるようになる。ところが売り主のジャッジ氏は、やはり屋敷を売ることはやめることにしたと言い出した。ジャッジ氏は初老の男性である。イズベルはマーシャルには内緒で、ジャッジ氏と直接会ったりしながら交渉するが、なかなか首を縦には振らない。イズベルは、ついには半ば誘惑に近いような危うい状態での交渉を行おうとさえする。それに対して、ジャッジはイズベルに惹かれながらも、あくまでも紳士として対峙し、ついにはその熱意に折れて、「無条件で」屋敷を売りましょうと彼女に告げる。その話が行われたのは、ジャッジらと屋敷へのピクニックへと出かけたときであったが、その直後、彼女はやはり気分が悪くなり、広間で休むことになる。その間、ジャッジは他の客とともにイーストルームへと出かける。一人になったイズベルは、やはりあの階段が突然現れたことに気づく。階段を登ってゆくと、見覚えのある小部屋に出た。そうして今度は、真ん中の扉を開いてみたところ、そこにジャッジがいることに驚く。どうしてここへ、と尋ねる彼女に、ジャッジは、自分はイーストルームにいたのだが、戸締まりをしようと振り返ったとき、階段が現れたことに気付いたので上ってみたのだと答えた。どうやらふたりは、別々の階段を通って、同じ部屋へとやってきたらしかった。その部屋の中では、ジャッジはとても若く、魅力的に見え、彼女は、自分たちが互いに惹かれ合っていることに気づく。
部屋を出て、そこでも記憶をなくした後でも、ふたりは次第に親密になってゆくが、自分の気持ちを吐露するイズベルに対して、ジャッジはあくまでも紳士的な態度を崩そうとはしない。やがて、ジャッジとの結婚をたくらんでいると思しきリッチボロウという女性に扇動されて、三たびあの部屋に入った二人は、今度は、もっとも謎めいていると本能的に感じていた右側の扉を開く。そこには、やはり小部屋があるのだが、驚くべきことは、その部屋の窓から眺められる光景は、見たこともないような春の田園風景であった。そしてその光景の中には、小川のほとりに、一人の男性の姿があった。ふたりは、あの男性こそ行方知らずとなったウルフ氏ではないかと話す。しかし、いくら呼んでもその男はこちらに気づく様子はない。その場所に行く手立てもない二人は、やがて互いの相手に対する思いを語る。ジャッジは、紳士的な態度は崩さないものの、イズベルの気持ちを受け入れると告げる。そうして階段を降りたところ、リッチボロウは体調の悪さを訴える。
後日、リッチボロウの宿泊しているホテルを訪ねたイズベルは、彼女が突然亡くなった聞かされ、同時に、ジャッジからの手紙を受け取る。そこには、もう会わない方がいいだろうという、別れの言葉が書かれてあった。ショックを受けた彼女だったが、ホテルを出たところで、死んだはずのリッチボロウがタクシーに乗り込むところを目にする。彼女は慌てて車を手配し、ランヒル・コートへと向かう。ランヒル・コートに憑いたイズベルは、庭にジャッジの姿をみつける。ジャッジもイズベルをみつけ、驚くが、話しているうちに、奇妙なことが判明する。イズベルは霧に包まれた場所にいるというのに、ジャッジは春の田園風景の中にいるというのだ。ジャッジによると、彼は以前二人で入った右側の部屋の窓から田園の中へと降りたのだという。つまり二人には互いに違う光景が見えており、同じ場所でありながら、違う場所に存在しているということになる。想像することで、イズベルにもジャッジの目に映る光景が見えるようになり、互いに喜び合う二人だが、話をしているうちに、ふと我に返ったかのように、イズベルの気持ちがジャッジから離れる。そして、再びイズベルの周りには霧が立ち込め始める。気を失う寸前、最後に目にしたのは、ジャッジがあの男の顔を覗き込み、倒れる場面だった。
二人の逢引と思われても仕方のない行動が、やがてマーシャルの耳に入る。そして、イーストルームで死んでいるジャッジの姿も発見される。婚約は解消されるが、物語の最後では、再び元のさやに収まることが暗示される。
味も素っ気もない書き方のあらすじになってしまったが、ストーリー自体はだいたいこんな感じ。結局のところ、部屋の謎も、田園風景の中にたったひとりでいた男の謎も、全く明らかにならないまま物語は終わってしまう。それどころか、イズベルとジャッジの互いに惹かれ合う気持ちも、それが屋敷のせいだったのか、それとも魂がひかれ合っていたのか、わからないままである。題材自体が面白いだけに、どこか勿体無い感じはしてしまう。非常に魅力的なあの謎の部屋のことや、窓の外に広がる世界について、もっと話を膨らませて欲しかったと思うのは、決してぼくだけではないはず(それをしないから、いいんじゃないか、と言われてしまうかもしれないが)。
この作品で最大の謎は、おそらく、ジャッジが窓の外にいた男性の顔を見た直後に死んでしまったということだろうと思う。彼はいったい、何を目にしたのか。あの男性は、いったい誰なのか。流れ的には、おそらく初代のウルフ氏であると考えるべきなのだろうが、じゃあなぜジャッジはウルフ氏と顔を合わせた途端、死ななければならなかったのか。これはおそらく、その直前にイズベルの気持ちがジャッジから離れたこととある程度関係があるのだろうが、そこのところが上手く説明出来ない。なので、やはり謎として残ってしまう。いくつかヒントとなるものは、ないわけではない。
例えば、物語の最初の方で、屋敷の管理人をしている女性プライディがマーシャルに向かって言った台詞。「あなたみたいな殿方なら、この家のどこへ行っても構わないんです。なにも見えず、んばにも聞こえませんから、別に害はないんです。ところが、女の人の神経となると話は別です。おかしな旅を始める人は、帰りたいと思っても帰れない場合があるわけでしてね」
果たして、この小説は幽霊屋敷ものなのだろうか?ぼくにはどうもそうは思えなくて、じゃあ何なのかと言われれば、多分何かの入り口のようなものなのではないか、としか答えられない。面白い本なのかと問われれば、途中までは面白いけれど、と言葉を濁さざるを得ない気がするが、印象には残る。というわけで、三十年以上経っても、やはり同じような印象を抱きながら、読み終えた。