漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




 今日は夜の九時から、吉祥寺のディスク・ユニオンであがた森魚さんのインストア・ライブがあるというので、出かけた。
 「少年歳時記」という、谷内六郎さんの絵に曲をつけたアルバムの、再発記念ライブということである。
 雨の中だったが、観客は、百人以上は確実にいた。あがたさん自身も、思った以上に集まったと思ったらしく、ちょっと感激していたようだ。
 夜のインストアライブということで、全部で一時間弱程度だったが、ゲストもいたりして、充実したものだった。「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」(歌詞にネモ船長やノーチラス号が出てくる、自伝的な曲)などを演奏。終了後、「Taruphology」というアルバムを購入し、サインを頂いた。

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 ドチザメ。
 体長は、1.2メートルくらい。



 歯は結構鋭いけれども、よほどのことがない限り、まず咬まれたりはしない。普段はじっとしている、大人しい鮫。
 ずっと近づいて、しつこく見ていると、やがてめんどくさそうに泳ぎ去ってゆくタイプ。浅瀬でも、よく見かける。

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 今日は仕事が休みだったので、個人的な海開きにした。
 三浦市浜諸磯へ向かう。
 でも、海には着いたものの、曇っていて、肌寒い。
 参ったなあと思いつつ、ウェットスーツの下にさらに一枚ショートタッパーを着込んで海に入る。水が冷たいが、さすがに二枚着ていると随分違う。

 写真はサメジマオトメウミウシ。鮮やかな青さが目を引くウミウシだが、これではよく分かりませんね。ごめんなさい。なにせ小さいもので(一センチくらい)、波に弄ばれながらだとなかなか上手く撮れない。本当なら、捕まえて、浅瀬で撮影するのがいいのだろうな。でも、かわいそうだし、いちいち浅瀬まで戻るのも面倒だった。

 午後も深くなってから、日が出てきて、ちょっと一休みのつもりでウェットスーツを半分脱いで岩場に横になったら、30分ほど眠ってしまった。おかげで胸を日焼けしてしまう。背中は白いので、ちょっと恥ずかしい。

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「巨匠とマルガリータ」 ミハイル・ブルガーコフ著
水野忠夫訳
池澤夏樹個人編集 世界文学全集
河出書房新社刊

を読了。

 ずっと読もう読もうと、それこそ高校生の頃から思っていた作品。新訳を機会に、ようやく読んだ。
 ストーンズの歌にも影響を与えた、ロシア文学の異色作として有名な作品である。ロシア文学ということで、多少読みにくいのかなと思っていたが、全くそういうことはなく、ぐいぐいと読める。ストーリー的には、クリスチャンであるほうがより楽しめるのかもしれないが、たとえそうでなくとも、十分に堪能できる。読んでいる間、ずっと別の次元にいるかのような浮遊感を味わえる。魅力的な場面やオブジェが満載の、風刺に満ちた物語だった。

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 最近は、長く放置していたホームページ内の「The Borderland」というコンテンツの方を、ちょこちょこといじっていて、それだけで手一杯になり、こちらの更新は滞っていました。サイトの更新って、時間がかかりますね。だからついブログばっかりになっていたのですが、それだけだと形にもなりにくいし、ということで。
 一日って、本当に短いですね。

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「パフューム ある人殺しの物語」
トム・ティクヴァ監督

を観た。

 原作は知っているのだけれど、すばらしい映画だったと思う。
 特に映像が濃密でよかった。

 今日は雨。
 

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 先日、自転車で多摩川までポタリングした時、通りかかった公園で目にしたたこの滑り台。
 そうえいば最近見ない気がする。子供の頃には、近所にもこうしたたこの滑り台があって、ひんやりした石の肌触りが好きだったのだけれど。
 そんなことを思いつつ、ふと調べて見ると、やっぱりいるんですね、「滑り台マニア」。特に、やっぱり「たこの滑り台」
 そうそう、タイヤで作った怪獣なんていうのも、懐かしいですね。

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「パンク侍、斬られて候」 町田康著
角川文庫 角川書店刊

を読む。

 大抵の本は何でも読む僕が、余程のことがない限り絶対読まない小説ジャンルというのがあって、ひとつがハーレクイン・ロマンス、もうひとつが時代小説。でも、これは時代小説とは違う。じゃあ何かといえば、ちょっと、しりあがり寿のマンガに似ている気がする。訳の分からない小説なのだが、面白い。面白くて、時々はっとするけれど、何だかわからないことも確か。そんな小説。

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 昨夜は、久々に「さかな」のライブを見に出かけた。
 ワンマンライヴだったが、二時間半の長丁場。何曲くらいやったんだろう。結構人が入っていて、立ち見だったので、ちょっと疲れた。年だなあ。終わったあと、西脇さんにちょっと挨拶して帰ってきた。

 今日は海に行こうかとも思ったのだが、行きそびれて、多摩川までママチャリでポタリング。最近、ポタリングをすることが多い。
 多摩川では、ペットボトルで作った簡易筏を浮かべている人がいて、木切れで舵を取っていた。なかなか面白そう。危なっかしいのも、いい感じ。

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 ビリジャンという色の名前を始めて聞いた時の奇妙な感じは忘れられない、と彼はビリジャンの2オンスチューブを手にして言った。あれは幼稚園の時だった。十二色入りの水彩絵具を開いて、一つ一つの色の名前を確認した。あの頃はまだチューブがアルミだったな。何度も使っていると、次第に劣化して、絵具が横から出てきたりした。今では大抵、ラミネートのチューブだから、そういうこともなくなったが。
 絵具は、白がひとつだけ大きくて、後は小さなチューブだった。大抵の色の名前は、なんとなく理解できたのだが、ひとつだけ、どうしても不思議だった色の名前があった。それがビリジャンだ。子供の目には、ただの緑にしか映らなかった。どうしても緑とかグリーンじゃだめで、ビリジャンなのか、理解できなかった。だから余計に、ビリジャンという色が強く印象付けられたんだろう。だが、実際ビリジャンという色は、緑色の基本となる色だ。混じりけのない、深く冷たい緑。だが、この色をそのまま使うことは難しい。緑という色彩は、とても複雑な色彩だからだ。
 
 あれは初めてビリジャンという色彩の名前を知ってから、それほど経っていない頃だったと思う。僕は一人で山道を歩いていた。山道とは言っても、近所の山で、高いわけでも深いわけでもない。ただ、やたらと鬱蒼とした林があるだけだ。春先には、おじいさんらに連れられて、山菜を採りに出かけたこともあった。そういう山だ。
 山道は、その先の町へと続いていた。だから、子供一人で歩いているといっても、それほど不思議なことじゃない。ただ、それほど人の通らない道なので、寂しく、好んで通ろうとはしない道だというだけだ。道はいつもしっとりと濡れているようだったし、苔の匂いも辺りには満ちていた。空を見上げても、高い樹の向こうにしか空は見えない。歩いていて、足首を羊歯が撫でるのも、ちょっと気味が悪く感じたものだった。
 ともかくその時僕はその道を歩いていたのだ。どうしてそんな道を歩いていたのか、僕は思い出せないのだが、ちょっとした冒険気分だったのかもしれない。初夏がもうすぐやってくるという時期で、新緑が瑞々しかった。
 あれは山道の中ほどに差し掛かった頃だったか、小さな唸るような声を耳にして僕は足を止めた。全身の毛が逆立つような感じがしたのを覚えている。それでも目を凝らして前を見詰めると、樹の根元辺りに人影を見た。心臓が大きく打ったが、足がすくんで動けない。だが、すぐ次の瞬間、その人影は女性であることがわかった。見たことのない人だったが、まだ若い女性で、樹にもたれかかって小さく唸っている。息が荒い。どうしたのだろうと僕はそっと近づいていった。まだわずかに警戒をしていたのだ。だが、すぐ近くに寄ったとき、その女性は僕を見て、言った。
 ああ、ぼく、お願いしたいんだけど、どうか誰か大人の人を呼んできてくれないかしら。子供が生まれそうなの。
 僕は驚いてじっと彼女を見た。確かに彼女のお腹が、ぷっくりと膨らんでいる。僕は頷くと、急いで走った。よく分からないながらも、一刻を争うんだと、真剣に思ったんだ。
 森を抜けて、僕は最初に目にした人にそのことを話した。それからどうなったのか、僕は知らない。多分、無事だっただろうと思う。ほんの小さな出来事かもしれないが、忘れられない出来事だった。
 だが、今でも忘れられないのは、膨らんだ女性の腹と、あのときの森の、鮮やかなビリジャンで塗られたような色彩と、そして鼻を突くような青い匂いなのだ。


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「天涯の砦」 小川一水著
ハヤカワJコレクション 早川書房刊

を読む。

 パニックSFものというか、極限状況からの脱出ものというか、ともかく相当面白い。夢中になって、一気に読んだ。このままハリウッドで映画化できそうだ。ストーリーは単純なのに、そのくらい見せ場が多い。
 こういうものを読むと、やっぱり僕はハードSFが好きなんだなと思う。SF小説は、やっぱりSFでしかできないものが、醍醐味があって面白い気がする。一般的には、どうしても受けが悪いだろうけれども。。。
 
 このところ、すっかり読書ブログになっている。
 読書は、移動中やちょっとした空いた時間を逃さずするので、結構出来てしまう。それで、つい読書録ばかりが増える。
 この数日、ホジスンのファンサイトの方に手をちょっと入れたりしているせいもあるが、創作をするにはちょっと余裕がないのが困りものだ。そういうのは、気持ちの切り替えなんだろうけれども。

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「雷の季節の終わりに」 恒川 光太郎著 角川書店刊

を読む。

 「夜市」の作家による、処女長編。
 この世界に寄り添うようにして存在する町という設定は、前二作と似ている。あるいは、巨大なひとつの物語なのかもしれない。
 こうした作品は、僕も書きたくなるので、好きである。とても親しめる。ただ、この長編に関して言えば、後半ちょっときれいに纏め過ぎの感もなくはなかった。

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「乱離骨灰鬼胎草」 野坂昭如著
福武書店刊

を読む。

 表題作は殊に、呆気にとられるほど凄い話。反原発小説の極点。というよりも、懲りない人間に対する警鐘か。
 野坂昭如は、存命している作家の中では最もかっこいい作家の一人だと思っている。それに、僕が一番好きなミュージシャンである、ルー・リードともちょっと似たところがあるとも昔から思っている。ちょっとデタラメなところや、人をからかってニヤニヤしてそうなところもひっくるめて、納得させてしまう辺りも共通した資質だ。
 ところで、you tubeに、野坂昭如の歌う自作の歌「マリリンモンロー・ノー・リターン」があった。うーん。やっぱりかっこいいなあ。

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「ゴリオ爺さん」 オノレ・ド・バルザック著 平岡篤頼訳
新潮文庫 新潮社刊

 を読む。

 これまで古典をあまりに読んできていないので、これではいけないだろうなあと思い、最近まとめて読もうとしている。とはいえ、図書館から借りてはきたものの、放り投げたものも多数。

 「ゴリオ爺さん」は、人間喜劇の核となる作品だというのは知っていた。だが、これまで読んだことはなかった。今回読んでみて、確かに力強い作品だとは思ったが、後味の悪い作品であることも確かだった。普通なら、ゴリオ爺さんに同情すべきなのだろうが、この年になってしまうと、一方的にそれもできない。あきらかに、気の毒には違いないにも関わらず、である。つまりは、そういう部分が、「悲劇」ではなく「喜劇」と総称されるゆえんなのだろう。
 ところで、この作品に出てきた人物で最も魅力的だったヴォートランは、ほとんど活躍をしないままあっけなく退場してしまうが、後の作品でも要となる人物として何度も登場するらしい。こうしたやりかたも、バルザックの作品が人気を得た秘密なのだろう。

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 今日は横浜へ。
 ちょうど開港祭をやっていて(第149回とのこと。来年は区切りの年だから、規模ももっと大きくなるだろう)、街は賑わっていた。久々のすっきりとした晴れの一日だったから、それもあるのかもしれない。
 パシフィコ横浜のアフリカン・フェアを覗いたあと、街を闊歩。
 港に実習船海王丸が停泊していて、日本丸とともに総帆展帆を行っていた。
 写真は日本丸で、畳帆中のもの。総帆展帆は、訓練を受けたボランティアで行っているというということで、結構危ない作業だろうが、女性もかなりいた。
 本当は海王丸の船内見学をしたかったのだが、一般公開は明日とのことで、タイミングが合わず、残念。
 赤レンガ倉庫前広場では、なぜかサンバをやっていた。

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