漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

黒い郵便船

2005年03月30日 | 読書録
美しい小説:4

「黒い郵便船」
別役実著

劇作家として有名な別役実氏の、初期長編。
この本は、高校の時に理系に進んだ友人から借りて読んだ。
他の、別役氏の短編集二冊と一緒に。
短編はどれも面白かったけれど、この長編には、衝撃を受けた。
淋しく、けれどもどこか安らかな午睡の中に溶けて行くような作品。
「ニライカナイ」という言葉も、この作品ではじめて知った。
ちなみに、この本は三一書房から出ていて、サブタイトルが「別役実童話集」となっている。本の大半がこの長編だが、ほかにも教科書に採録されていた「空中ブランコ乗りのキキ」や、後に連作短編集として、まりのるうにい氏の装丁で出版された「X氏」のシリーズも一作、収録されている。

火垂るの墓

2005年03月28日 | 読書録
<本当に怖い小説のアンソロジー:5>

火垂るの墓
野坂昭如著

こういう作品を怪奇小説と呼ぶのは間違っているというのは分かっているが、敢えて取り上げたい。戦争の悲惨さを描いた作品として、これは際立っていると思うから、こっそりとこうしたアンソロジーに混ぜ込んでみたいのだ。
宮崎駿の手でアニメにもなっているが、ぜひ原作を読んでもらいたいと思う。


ところで、昨日の日曜日には、車で買い物に出かけたついでに、ふと思いついて、ちょっと光が丘公園にまで足を伸ばしました。近いと言えば近い公園のはずなのでしょうが、なかなか機会がなければ行くこともない場所なので、行くのは初めてでした。
地図では妙に広い公園という印象があったのですが、実際かなり広い公園で、スポーツ施設が充実していました。驚いたのは、園内でバードウォッチングができるということ。望遠鏡を備えた、野外のウオッチングスペースがあるのです。しかも、無料で利用できます。実際のところ、園内に作った箱庭のような池を見ることができるだけだから、それほど多くの種類の鳥を見ることができるわけではないのですが、それでも子供たちにはお勧めです。

ハモニカ横丁

2005年03月24日 | 雑記
吉祥寺に住むようになって、もう十年以上になる。
これほど長く住むことになるとは思わなかったが、すっかり腰を落ち着けてしまった感じだ。
吉祥寺を離れる時は、東京を離れる時。
吉祥寺に住み始めて五年くらい経った頃には、漠然とそんな風に考えるようになっていた。
最近は、そろそろ吉祥寺から出てもいいかもしれないと思うようになった。
それは、東京から出てもいいかな、という気持ちなのかもしれない。

とはいえ、僕は吉祥寺という街が好きだ。
自他ともに認める引越し魔だった僕が、これだけ長く腰を落ち着けているのだから、それは間違いない。吉祥寺という街は、多分東京で一番住みやすい街のひとつなんじゃないか。栄えている街なのに、息苦しくならないというのは、本当にすごいことだと思う。欠点があるとしたら、吉祥寺で住んでいる限り、そこで全て完結してしまうという点くらいか。渋谷や新宿に出てゆく意味が、ほとんど見当たらなくなるのだ。

ところで、上の画像は吉祥寺の駅前にある「ハーモニカ横丁」の、朝の写真だ。色目を、やや「あざとい」感じに加工してあるが、先日撮ったものである。ここには、よく黒い猫がいて、絵になるのだが、このときは残念ながら見当たらなかった。
吉祥寺は、この十年で少しずつ変わった。
まず、昔ながらの小売店が減った。代わりに、つまらないフランチャイズの店がずいぶんと増えた。サブカルチャーの牙城だった吉祥寺も、その地位を隣の西荻窪に譲りつつある。
そうした中で、「ハーモニカ横丁」は不思議な変化を始めている。
昔ながらの古くて汚い店に代わって、若い人の経営する個性的な店がものすごいペースで増えている。僕がよく通っていた「美舟」のような居酒屋は、そのうちなくなってしまうのだろうか。そんなふうにも思える勢いである。

江ノ島水族館

2005年03月22日 | 三浦半島・湘南逍遥
一昨日の日曜日、新江ノ島水族館へ行ってきました。
実は、新江ノ島水族館へ行くのは初めてだったのです。
江ノ島にはもう数え切れないくらいに行っているのですが、水族館へは、機会を逃していたというか、まあ別にいいかという気持ちがあったからというか、行きそびれていました。
ニューオープンしてから、評判がいいというのは知っていたのです。
派手ではないけれど、丁寧な水族館だと。
でも人も多いようだったし、目の前に江ノ島が見えているとそちらに足が向くしで、行かないままになっていました。それが今回行こうという気になったのは、天気が今ひとつすっきりとしないという事情がありました。前日から、「明日は湘南へ行こう」という気分だったし、少しくらい雲が多いからといって、今更湘南行きを取りやめる気にはならなかったのです。少し考えた挙句、せっかくだから、以前から娘も行きたがっていた水族館へ行くことに決めました。
江ノ島水族館を訪れた印象は、公営のものではないからやや入館料は高いものの、好感の持てるものでした。派手さはないけれども、「見せる」ということに丁寧です。相模湾などの海中を思わせる大水槽は、僕にはとても興味深かったです。
ところで、この水族館の「ウリ」の一つがクラゲの展示です。
一つの部屋を設けて、クラゲが沢山飼育されています。
エチゼンクラゲやカツオノエボシのような巨大なクラゲがいなかったのが残念ですが、クラゲを幻想的に見せる演出は、心憎いものがありました。
水族館では、イルカのショーなども見ることが出来ますが、これはイルカの、それぞれの個性が見える、楽しいものでした。イルカは「魚ではなく哺乳類だ」と、再認識できます。

ヴァーミリオン・サンズ

2005年03月18日 | 読書録
美しい小説:3

ヴァーミリオン・サンズ
J.G.バラード著

バラードと言えば、今ではSFというジャンルを越えて評価される、現代文学作家というイメージがある。一時期は「ウィリアム・バローズという作家をカルトにした預言者」のような扱いをされたこともあったが、僕にはバラードとバローズの資質は全く別のものに思える。バラードは、むしろポール・ボウルズに近いというのが、僕の印象である。
それはともかく、バラードの代表作をひとつだけ挙げろと言われれば、結構迷うのではないかと思う。
SFというジャンルを押し上げた傑作「結晶世界」は間違いなく候補だろう。それに、テクノロジー三部作の中でも最もカルトで、クローネンバーグによって映画化もされた作品「クラッシュ」を挙げたいという人もいるだろう。また、スピルバーグによって映画化された、自伝的作品「太陽の帝国」がいいという人もいるに違いない。
だが、僕がバラードの作品の中で最も好きなのは、デビュー作となった「プリマ・ベラドンナ」から始まる連作「ヴァーミリオン・サンズ」である。
打ち捨てられつつある、倦怠感が漂う砂漠のリゾート、「ヴァーミリオン・サンズ」。
この連作には、バラードの全てがあると思う。
僕は思うのだが、最近作の「コカイン・ナイト」などの諸作は、どこか「ヴァーミリオン・サンズ」を思い起こさせる。「風にさよならをいおう」でヴァーミリオン・サンズに別れを告げたバラードは、長い時を経て、再びこの懐かしい架空のリゾートへ回帰しつつあるのだろうか。

大きなかに

2005年03月17日 | 読書録
<本当に怖い小説のアンソロジー:4>
これ以降、カテゴリー「怪奇小説アンソロジー」には、本文中に、上記のように番号を振ることにします。変化に乏しい毎日なので、ことさら日記として公開するようなことも少なく、自ずと本などの話になります。


「大きなかに」
小川未明著

小川未明の小説は、怖い話が多いので、どれにしようかとも思ったのだが、全く何の説明もつかないという怖さが秀逸なので、この作品を選ぶことにした。
例えば「赤い蝋燭と人魚」や「金の輪」といった有名な作品も確かに怖いのだが、どこか理解できる。また、「火を点ず」のような作品も、子供の犯罪をそのまま取り上げているという怖さがあるが、それはやはり理解できる範疇だ。だが、この「大きなかに」はそうした理解を超えている。物語の中に出てくる、雪の平原の中に点っている何百本もの蝋燭や、大きなだけで全く身のない蟹といったものは、想像力を掻き立てるものの、全く最後まで種明かしのような説明はされない。読み終えて残るのは、思わせぶりな光景の断片だけだ。
この作品は、もっとも小川未明らしい作品だと僕は思うのだが、どうだろうか。

ハンバーガー殺人事件

2005年03月16日 | 読書録
リチャード・ブローディガンは、ひっそりと忘れ去られようとしているのだろうか。
そう思っていた去年、彼の作品の大半を訳出した藤木和子さんによるブローディガンの評伝が出版され、しかも結構話題になったようだ。ハヤカワ文庫からは、かつて新潮文庫から出版されていた「愛のゆくえ」が復刊され、さらに河出書房新社からは名品「西瓜糖の日々」が文庫として刊行された。この波にのってさらにブローディガンの作品が復刊されるのかと思ったのだが、そうは行かなかった。再びブローディガンの名前は、それこそ彼の作品の描き出す世界そのままに、どこか片隅にひっそりとしまわれてしまったようだ。図書館の、薄暗がりの書架の隅っこのほうに置かれた、一冊の本のように。その本は、けれども時々思いついたように誰かが取り出して眺めることもあるだろう。
ブローディガンの作品で、一番好きなものを一冊挙げろと言われれば、僕は彼の遺作となった「ハンバーガー殺人事件」──酷い邦題だ──を挙げる。「アメリカの鱒釣り」のような輝きはないかもしれない。「西瓜糖の日々」のような完成度もないかもしれない。だが僕は、とてつもなく脆い、この作品が好きなのだ。
邦題は「ハンバーガー殺人事件」だが、本来のタイトルは「風が全てを消し去りはしない(So the windo won't Blow It All Away)」という。どう意訳すればこういう邦題になるのかと思う。邦題を変えて再刊すれば、きっともっと売れるんじゃないかと思う。
この小説を書いた頃、ブローディガンは既に本国では過去の人とされていて、新作を出しても殆ど話題にならなかった。むしろ日本での方が人気があった。そして、安いカリフォルニアワインでアル中になっていた。若い頃にはほっそりとしていた身体も、ぶくぶくと太ってしまっていた。
ブローディガンは、この小説を書いた後、短銃で自殺した。
この小説は、いったいどう読むべきなのかと思う。
例えばブローディガンの遺書のようなものとして読むべきなのか。
だが、僕はそうは思わない。
僕は、この小説はブローディガンそのものだと思う。
そして、「ノスタルジア」を作品化した、最良のものだと思う。
この小説のラストシーンの余韻が、それを証明している。

水晶

2005年03月15日 | 読書録
「面白い小説」とは別に、「美しい小説」というものがある。
勿論「面白い」ことは確かなのだが、それ以上に、「美しい」と感じる小説。
物語の完成度の高さが「美しい」と感じることもあるし、逆に、その破綻した小説の行間から溢れてくる「想い」が、「美しい」と感じることもある。また、ただ単に「美しい」と感じることもある。美しさというものはひとくくりで考えることが出来ないから、さまざまである。
ここでは、「美しい小説」というカテゴリーを設けて、僕がこれまでに読んだ小説の中で、「本当に美しい」と感じた小説を紹介したいと思う。
最初にここで取り上げる小説は、19世紀のオーストリアの作家アーダベルト・シュティフターの掌編「水晶」にしたいと思う。

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「水晶」
アーダベルト・シュティフター著

19世紀のオーストリアの作家であり、牧師であり、素人画家でもあったシュティフターの作品は、どれも孤高と言っていい。凄いとか凄くないとか、そういう表現が無意味のような気がする。海が好きか嫌いか。山が好きか嫌いか。例えばそうしたレベルでの話のように、つまりは「向き不向き」というレベルでしか語れないのではないか。特に長編においてはそうだ。向いている人はどっぷりと浸って読むことができるだろうし、向いていない人は多分読みながら眠ってしまい、決して読み通すことができないだろう。
ここで紹介する「水晶」は、シュティフターの小説の中では最も読みやすい作品になるだろう。「石さまざま」という連作の中の一編である。内容は、幼い兄妹が、冬の山で遭難して一夜を山の中で過ごすことになるというだけのものだ。
この小説を読んだのは高校生の時で、やはり寒い冬だった。読みながら、余りの美しさに酔いしれたことを思い出す。特に、山の中で二人が流れ星を見るシーンは、まさに「水晶」のような美しさだった。

スレドニ・ヴァシュター

2005年03月12日 | 読書録
一度読んだら忘れ難い、とても短い掌編を書く作家として、すぐに思い浮かぶのがサキである。簡潔な文体は乾いていて、美しい。
サキの短編には、ここに挙げた「スレドニ・ヴァシュター」以外にも、「狼少年」、「開いた窓」、「二十日鼠」など、忘れ難い作品は沢山ある。

遠い座敷

2005年03月11日 | 読書録
「本当に怖い小説のアンソロジー」には、どちらかと言えばやや古めかしい小説を多く選びたいと思うのだが、別に「古いもの」でなければいけないという制約を作るつもりはない。それに、日本のものも積極的に選びたいと思う。
というわけで、二作目は筒井康隆の「遠い座敷」。

遠い座敷
筒井康隆 
だんだんと、こうした小説を怖いと感じる子供は減ってきているのかもしれないとも思うが、例え古い屋敷のことをそれほど知らなくても、これは十分に怖いと思うんじゃないかという気がする。読んでいるうちに、皮膚にまで不安が感じられて、次第に遠近感まで分からなくなる。
一作目に挙げた「塔」とこの「遠い座敷」は、恐怖の出所が「どこまで続くのか分からなくなる不安」であると言う点で、とても似ている。これは、宗教とかそうしたものとは無関係な、根源的な恐怖だろう。
筒井康隆には、こうした「ほんとうに怖い」作品がいくつかある。例えば「母子像」とか、「鍵」とか、「家」とか。




ブログ

2005年03月10日 | 雑記
少し使っただけですが、ブログっていうのはなかなか使い勝手がいいですね。
カテゴリーに分けられるっていうのが、さらに使い勝手を良くしています。
こちらでは、なんでもない日記は「weblog」というカテゴリーで。それ以外は、それぞれカテゴリーを作ります。

2005年03月09日 | 読書録
怪奇小説が結構好きだ。推理小説が好きな人が推理小説を読んで時間を潰すように、僕は怪奇小説を読んで時間を潰す。別に超自然的なことを信じているわけではないが、現実から逸脱する感じが楽しい。
ちなみに、僕が一番好きな怪奇作家は、イギリスの海洋怪奇作家ウィリアム・ホープ・ホジスンで、自らファンサイトも細々と運営している。興味がある方は、左のブックマークから、「Seaside Junk Foods」へどうぞ。
それはともかく、以前そのサイトでお世話になっているkaneさんという方に、メールで「もし自分で『幽霊船』というタイトルのアンソロジーを編むとしたら、どういう作品を入れるか」と聞いたことがある。その話自体はそのままうやむやになってしまったが、話をふった当人の僕は、これまで読んだ怪奇短編小説のなかで、「これは本当に怖かった」というものを思い出して、紹介してみようかと考えた。「怪奇小説アンソロジー」のカテゴリータイトルで、時々これから紹介してゆくことにする。
第一作目は、ホジスンの「失われた子供たちの谷」という名品も収められている短編集「怪奇礼讃」(東京創元社)から、「塔」。作者は、マーガニタ・ラスキ。

「塔」
マーガニタ・ラスキ
結構有名な作品のようだが、僕はこの短編集ではじめて読んだ。
「精神的に追い詰められ、異界に滑り込んでゆく」というタイプの、本当に怖い小説。
こうした作品を、僕は偏愛しているので、これからも幾つか紹介してゆくことになると思う。
無駄のない、掌編だと思う。



少年消防団

2005年03月07日 | 雑記
今日は娘が、地域の消防署でやっている「少年消防団」に入団した。
最初は、申し込みの人数が若干多かったため、抽選ということになっていた。それで、今日はどきどきしながら抽選に出かけたのだが、蓋を開けてみると、ちょうどオーバーしていた人数程度の欠席が出たため、晴れて全員入団ということになった。バッチやベレー帽を貰って、娘は意気揚揚。毎月一度の集まりがあるそうだ。メインイベントは、なんといっても夏のキャンプと、ニュースでも取り上げられる、ビックサイトで行われる一月の消防の出初め式。いい経験になるといいなあ。
午後は、特に出かけることも無く、見ていなかったトリュフォーの「ピアニストを撃て」のDVDを見る。結構酷い映画。妻によると、「村上春樹の小説の主人公は、こんなタイプじゃないかしら」ということ。なるほど。

床の間の船

2005年03月04日 | 記憶の扉
「床の間の船」のことを思い出す。
そうたいした話ではない。子供の頃、床の間を船に見立てて遊んでいた。それだけのことだ。

小学校の四年生の頃、一時期、僕は海岸通りの古い借家に住んでいた。本当に古い家で、家の中には井戸もあった。トイレは勿論水洗ではなく、台所は土間だった。家自体は広いし、海までは歩いて一分だったから、僕は楽しかったのだが、母にしてみれば楽しいとは程遠い場所だったにちがいない。水回りは最悪だし、心配事は山のようにあった。母にとって、よい思い出とは程遠い場所だろう。
その家は、海のすぐ側だったから、夜には波の音が聞こえた。星も、よく見えたように思う。
その家の二階には、広い床の間があった。僕はそこを船に見立てて、本とかお菓子とかを持ち込んで遊んでいた。部屋は、勿論海である。時には磁石を使った釣りなどもした。「スターウォーズ」のシーンが印刷されたコカコーラの王冠を魚に見立てたりもした。
今、部屋の中で雨の音を聞きながら、ふとそのことを思い出した。

コンビニのビニール袋

2005年03月02日 | 雑記
まだ日によってはやたらと寒い日があるにせよ、暦ではもう既に春になっている。
梅も咲いているし、今月の終わり頃にはもう桜も咲くはずだ。
花が咲き始めると、心が軽くなる。
昔からよく言われることだが、年々実感する。
光も、瑞々しい。
空を見上げるのが嬉しくなってくる。

ところで、仕事場に行く道で、神田川に架かった橋を渡る。
毎年、川に沿って桜が見事に咲き誇っている。
桜を見るために、毎年春になると沢山の人々がその橋にやってくる。
カメラを構えている人も多いが、去年あたりから、携帯電話で写真をとっている人が増えた。

それはいいのだが、一つだけ気になっていることがある。
去年から、橋の上から川に張り出している桜の枝に、コンビニの白いビニール袋がぶら下がったままなのだ。次第にくたびれて、くすんできているが、風雨に晒されてもしっかりと枝にしがみついたまま、離れようとしないのだ。このままではきっと、桜が咲いてもビニールはそこにぶら下がったままだろうし、それは著しく興をそぐにちがいない。たった一枚のビニール袋が、綺麗なはずの風景をつまらないものにしてしまうのは、残念としか言いようが無い。
ついこの前、横須賀の海岸線を歩いていたが、やたらとビニール袋が目に付いて、嫌な気分になった。水の下には、ヒトデが大量に発生していて、まるで黄色い星のようだったが、それもあまり綺麗なものには見えなかった。