漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




ライヘンバッハの奇跡 (シャーロック・ホームズの沈黙)
ジョン・R・キング著 夏来健次訳
創元推理文庫 東京創元社刊

を読む。

 タイトルからもすぐに分かるように、ホームズのパスティーシュであるのだが、同時に、なんとウィリアム・ホープ・ホジスンの「幽霊狩人カーナッキ」のパスティーシュでもあるという作品。一言でいってしまえば、ホームズとカーナッキが力を合わせてモリアーティと闘う(正確にはちょっと違うのだけれど)という物語である。ホジスンファンの僕としては、ぜひとも読んでみたい作品だった。
 ところが、これが見事な駄作。二次創作だし、まあ名作のはずはないだろうが、翻訳紹介されるくらいだからもう少し出来がいいんじゃないかと思っていただけに、唖然。完全に同人誌のレベル。ホームズファンも、カーナッキファンも、これじゃあとても納得しないだろう。
 ストーリーは、次のようなもの。
 物語は、ホームズの「最後の事件」における、ライヘンバッハの滝でのシーンから始まる。ホームズとモリアーティが滝壺に落下して、生死不明になるというやつである。後に書かれたホームズの復活劇たる「空き家事件」では、滝壺に落ちたのはモリアーティだけだったということになっているのだが、この作品では、実は落下したのはホームズだけだというのが真相だとされている。それを、ケンブリッジは出たものの窮乏し、浮浪者同然の暮らしをしていた若きカーナッキと、腹を空かせたカーナッキが食事目当てにナンパした(!)娘、アンナが偶然に目にする。慌てて落ちた人物を救助するが、その人物は落下のショックで記憶を失っていた。とりあえず彼を「ハロルド・サイレンス」(ブラックウッドの「ジョン・サイレンス」を意識しているのだろうか)と呼ぶことにしたものの、その直後、彼等はさきほど滝壺の上でサイレンスと争っていた男から命を狙われることになる。やがて、アンナが実はモリアーティの娘であることが分かるが、彼女は父の悪事を止めさせようと心を砕いている善良な娘であり、カーナッキとの間に恋が芽生える。モリアーティは、実は本来は善良な人間だったが、切り裂きジャックと対決した際に、ジャック中に潜んでいた悪霊に人格を乗っ取られて変貌してしまったのだった。執拗にホームズを追い詰めようとするモリアーティと、カーナッキ、アンナ、ホームズの三人はやがて対決の時を迎え、かろうじてカーナッキたちが勝利するが、その際にアンナは犠牲になり、モリアーティの中に潜んでいた悪霊がホームズに乗り移ってしまう。実は悪霊はホームズの身体を狙っていたのであった。最高の頭脳を手に入れた悪霊カーナッキの戦いが始まり、やがて霊体となったアンナ、ワトソンらの力も借りながら、電気五芒星を使い、最終的な勝利を手にするのだった……。
 ホームズの記憶喪失を回復させるために入った病院の中で、カーナッキが偶然に電気五芒星に出会ったりする場面があったりして、(そんな風に電気五芒星を手に入れたというのは納得がいかないにせよ)それなりにツボを押さえたストーリーを作ろうとしているようなのだが、読んでいてどうしても「コレジャナイ」感が押さえられなくなってしまう。カーナッキがカーナッキに思えないし(若さを考慮しても、ちょっと軽薄すぎる気がしてしかたない)、ホームズがホームズに思えない(いくらなんでも考えが足りなさすぎるし、悪霊に乗り移られたからといって、ホームズが人を殺すというのはやりすぎだろう)。だいたい、物語があちらこちらで破綻しているのは致命的だ。モリアーティの妻であるスザンナの設定もひどいが、特に悪霊の設定は杜撰で、そういうことなら最初からホームズを殺そうとする必要などないはずだから、物語がそもそも成立しなかったんじゃないか。やっぱり、多くの人が納得できるようなパスティーシュを書くというのは、難しいようだ。
 
 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





「一九三四年冬―乱歩」 久世光彦著
創元推理文庫 東京創元社刊

を読む。

 江戸川乱歩には「悪霊」という未完の長編がある。雑誌「新青年」に連載されたものだが、先を考えずに書き始めた上に、ひどいスランプに陥って、読者に対して「先が思いつかない上に、今のところどうしてもこれ以上書く気がしないので、一時中断します」との詫び文を掲載したまま、結局続きを書かないままで終わってしまったものである。この久世光彦氏の「一九三四年―乱歩」は、その中断の後にしばらく姿をくらましていた時の物語である。
 一読して、とてもおもしろかった。国内外のさまざまな幻想文学の古典について、乱歩の口を借りて、作中で様々な言及があるのも、密かな読みどころだ。どうやらアーサー・マッケンの「夢の丘」を意識して書かれたところもあるようだが、そのあたりが、何と言うか、絶妙だった。物語自体は、どこまでが現実か幻想か分からないもので、結末も通常の小説の結末とはやや異なったものだから、創元推理文庫に入っているから推理小説だろうと読み進めて騙されたような気分になる人もいそうだけれど。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





「絹の変容」 篠田節子著
集英社文庫 集英社刊

 バイオ・ハザードを描いた、篠田節子のデビュー作。パニックを生み出すものが、遺伝子操作された蚕の生み出す美しい絹に対するアレルギーであるというのは面白い。絹のタンパク質に対してアレルギー症状を起こす人だけが命に関わる発作を起こすのである。地味といえば地味な脅威だが、それだけに「こういったことは、あり得るかもしれない」という気にさせられる。物語の収束の仕方はややありがちだったけれども、それ以上広げようもなかったかもしれない。



「ニライカナイの空で」 上野哲也著
講談社文庫 講談社刊

 児童文学として、非常に完成度が高い小説だと思った。ただ、それはまだなんとかこの時代のことが想像できる年齢の自分だからそう思ったのかもしれず、今の子供たちがどう思うのかは分からない。「ニライカナイ」なんていう、沖縄の言葉が出てくる児童文学といえば、すぐに灰谷健次郎の名作「太陽の子」を思い出してしまうけれども(あとは、別役実の「黒い郵便船」を思い出してしまうけれども)、あれなんかも、今の子供たちの心に届くのだろうか。第二次世界大戦末期の、ひめゆりの塔で有名な沖縄戦の悲劇を背景にした「太陽の子」は、非常に偏った危険な思想のもと、誤った方向に向けて大きく舵をとろうとしている安倍政権下にある今の日本の子供たちにこそ、ぜひとも読んでほしい物語であるのだけれど。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )