「ティアラの街角から」を、サイトの方にアップしました。
あまり手を入れていないのですが、いずれまた手を入れるかもしれません。
この連作について、少し。
「ティラテヴィック・ティアラ」というのは、架空の街です。正確には、多分、北半球のなかでも比較的南の方にある、美しい海に浮かぶ小さな島にある街です。
この島を着想したのは、僕が二十代に入ってすぐの頃。その頃に描いていた僕の絵のタイトルには、全てこの島の名前が続き番号で入っていました。つまり、僕の描いた絵はすべて「ティラテヴィック・ティアラ」だったわけです。
それから随分時が流れましたが、今でも僕の絵の舞台のかなりの部分は、この島の光と影に負っています。
この連作短編は、そもそもは長編として起想しました。最終的には、それは例えばアントニオ・タブツキの初期作品のようなものになる予定でした。しかしそのアイデアは次第に自分のなかで光彩を失い、結果として、このような形で街の一部と人を切り取るものとして書くことにしました。成功するかどうかは、全くわかりません。そもそも、誰に向けて書いているのか、よくわからないものなのです。
結局のところ、これも僕の絵の一部なのだと思います。僕はティアラに含まれているし、ティアラは僕の一部なのだと、そんな気がします。
あまり手を入れていないのですが、いずれまた手を入れるかもしれません。
この連作について、少し。
「ティラテヴィック・ティアラ」というのは、架空の街です。正確には、多分、北半球のなかでも比較的南の方にある、美しい海に浮かぶ小さな島にある街です。
この島を着想したのは、僕が二十代に入ってすぐの頃。その頃に描いていた僕の絵のタイトルには、全てこの島の名前が続き番号で入っていました。つまり、僕の描いた絵はすべて「ティラテヴィック・ティアラ」だったわけです。
それから随分時が流れましたが、今でも僕の絵の舞台のかなりの部分は、この島の光と影に負っています。
この連作短編は、そもそもは長編として起想しました。最終的には、それは例えばアントニオ・タブツキの初期作品のようなものになる予定でした。しかしそのアイデアは次第に自分のなかで光彩を失い、結果として、このような形で街の一部と人を切り取るものとして書くことにしました。成功するかどうかは、全くわかりません。そもそも、誰に向けて書いているのか、よくわからないものなのです。
結局のところ、これも僕の絵の一部なのだと思います。僕はティアラに含まれているし、ティアラは僕の一部なのだと、そんな気がします。