漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

納屋を焼く

2005年04月27日 | 読書録
<本当に怖い小説のアンソロジー:7>

「納屋を焼く」
村上春樹著

村上春樹の初期の短編には、印象的なものが多いと思うが、この作品も例外ではなく、何とも言えない読後感を残す。不穏な気配ばかりが漂い、形を結ばない。平穏な毎日の裏側に潜む「暗い何か」を書き出すのが村上作品の特徴であるが、この作品はまさにそのエッセンスのようなものだろう。
読み飛ばしてしまえばそれで終りだが、立ち止まって考えるととても怖くなってくる、これはそんな作品だ。

鬼子母神の駄菓子屋

2005年04月25日 | 消え行くもの
昨日は昼から大塚病院へ。
池袋から、ぶらりと歩きながら。
見舞いを終え、帰りはさらに高田馬場まで歩いた。
八重桜の綺麗な、暖かい日だったから、歩いていると汗ばむほどだった。
途中で、雑司が谷の墓地を抜けて、鬼子母神に寄った。
神社の境内には、古い駄菓子屋があって、そこだけ時間が止まっていた。
妻は、子供の頃にこの近くの病院に入院していた祖母を見舞ったことがあるという。
その時、やはりこの駄菓子屋でポン菓子を買ってもらって、食べたのだけれど、おいしくなかったということが、ものすごく印象に残っているわ、と妻は言う。
店が全然変わっていないということに、驚いていた。
近所の人に聞くところによると、戦前からあったんじゃないかなということだ。
僕は娘に、駄菓子を買ってやった。店頭には、懐かしい、丸いガラスの菓子ケースが並んでいる。
娘は結局、その中からチョコボールを選んだ。

鬼子母神の参道を抜けて、近くの焼き鳥屋で焼き鳥を買った。近くでビールも買って、歩きながら焼き鳥を齧り、ビールを飲んだ。
焼き鳥屋のおやじはやたらと無愛想だったが、焼き鳥も、ビールも美味かった。
暖かい一日が終わろうとしていた。そろそろ冷たい風が出始めていた。

方舟

2005年04月20日 | 漫画のはなし
印象的だった漫画の話:3

最近は殆ど漫画を読まなくなってしまたが、決して漫画が嫌いなわけではない。
それどころか、漫画の最上のものは、時として、小説よりも衝撃的であると思う。
それは、絵によって、多くを語らずとも雄弁であることができるからだろう。
絵によって紡ぎだされる世界は、論理的である必要はない。
一言の台詞や説明がなくとも、一続きの絵を提供しさえすれば、物語を、読者の空想にゆだねることさえ可能である。
そういう点で、小説よりも遼に自由度が高いメディアかもしれない。
そうしたことを踏まえた上で、
比較的最近(とはいえ、もう3年ほど前のこと)読んだ漫画の中で、とりわけ印象的だったのが

「方舟」
しりあがり寿著

なのだが、これは「破滅もの」の極北とも言える作品だった。同様の作品に作家J.G.バラードの「沈んだ世界」があるが、この漫画はそれを遥かに凌駕しているように思える。漫画だからこそ描き出せた、極限の喜劇である。
この漫画が成功している最大の理由が、その絵にあるのは間違いない。上手い絵では駄目なのだ。しりあがり寿の、でたらめとも言えるような独特の絵だからこそ、これだけの凄みが出てくるのだと思う。当たり前のことだが、漫画はやはり「絵」に魅力がないと成立しない。「上手いが、何の特徴もない絵」では、何一つ伝えることが出来ないだろう。

ムーミン谷の十一月

2005年04月12日 | 読書録
美しい小説:7

ムーミン谷の十一月
トーベ・ヤンソン著

僕がはじめて熱中した翻訳小説のシリーズは、「ムーミンシリーズ」だった。
小学校の四年生の時に、学校の図書室で一冊ずつ借りて、読んだ。
当時はまだ、貸し出しはカードで管理されていた。本を借りる時には、貸し出しカードを図書係の人に提出し、名前を書いてもらった。そして、返却日と貸出日のスタンプを押してもらった。
このカードが、次第に書名で埋まって行くのが、ちょっとした楽しみだったものだ。

ムーミンのシリーズは、中庭に面した窓の下に作りつけられた書架に並んでいた。
「ミーミン谷の彗星」から始まって、一冊ずつ、読み進んでいった。当時、特に面白く思ったのは、「ムーミンパパの思い出」だった。読みながら、潮の香りまで感じたものだった。

だが、当時はシリーズを「ムーミン谷の冬」までしか読まなかった。
理由は、よく覚えていない。
多分、それと入れ替わるようにして熱中し始めた「少年探偵団」のシリーズのせいだったと思う。
そうして、「ムーミンパパ海へゆく」と「ムーミン谷の十一月」は、そのまま長い間読むことは無かった。
「ムーミンシリーズ」と再会したのは、高校生の時だった。
ふと、書店で「ムーミン谷の十一月」を手にしたのだ。
そういえば、これは読んでいなかったと、ぱらぱらと本をめくった。
ふと挿絵のホムサに目が止まった。
何だか妙に気になった。
そのまま僕は本をレジに運び、家に帰ってから読んだ。

トーベ・ヤンソンの作品は、殆ど非の付けようが無い。
余りにも美しく、感動的で、しかも優しく、それでいて甘さは欠片も無い。
それはムーミンシリーズ以降の、ヤンソン氏の作品にはさらに顕著になる。
トーベ・ヤンソンの作品ならどれを選んでも「美しい小説」と言えると思うが、ここでは敢えてムーミンシリーズのクライマックスであり、到達点でもある「ムーミン谷の十一月」を挙げたい。ただし、この作品は実は「ムーミンパパ海へ行く」、「彫刻家の娘」をあわせて三部作と見られることも多いので、並べて読むのもいいかもしれない。

眩暈のする町

2005年04月12日 | 近景から遠景へ
近景から遠景へ:3

眩暈のする町

最近は殆ど訪れることもなくなったが、以前はよく、夢の中で訪れていた町があった。
いや、「訪れる」というよりも、「迷い込む」という方が正しいかもしれない。
夢の中で、気が付くとたった一人で迷い込んでいるのだ。

海の近い、ひっそりとした町だ。
だが、海は見えない。ただ、感じるだけだ。
時間は昼下がり。静かに、眠っているような時間。
白い光が、のっぺりと町の上に降り注いでいる。
その光は、眩暈を誘う。
どこへ向かえばいいのか、わからなくなる。
町には、人の姿はない。
ただ、濡れたような窓の奥にその気配を感じるだけだ。

くっきりとした、光と影。
時間の止まった、夏の昼下がりの町。
眩暈のする町を歩く夢は、どうしていつの間にか見なくなってしまったのか。

強く白い光と、濡れたような影の町の夢は、
悪夢ではなかったのだと、最近になって思う。
長い時間が過ぎて、
とても懐かしい、夢の町になった。

蝿とり紙

2005年04月10日 | 近景から遠景へ
近景から遠景へ:2

蚊取り線香の香りに乗って、子供の頃の夏に滑り降りてゆく。

小学校に入る頃まで祖父らと過ごした家は、幼稚園の時に改築されたのだが、それ以前はまだ土間などが残っている、古い造りの家だった。土間を、縁の下から現れた蛇や鼠が横切ることもあったし、モグラが死んでいることもあった。
そんなだから、一応網戸もあるにはあるが、それで虫を防ぐことなどできるはずも無い。実質的に、蚊も蝿も、出入り自由である。
そうした家で、よく使っていたのは、蝿とり紙である。ともかく、主に台所だが、あちらこちらに天井から蝿とり紙がでろんと下がっている。今では知らない人もいるだろうから、簡単に説明すると、紙テープの両面に粘着力の強いのりがついたものである。それを天井から下げておくと、飛んできた蝿や蚊がくっついて、取れなくなってしまうのだ。
家が次第に密閉され、網戸だけでも用が足り、虫がやたらと入り込むことがなくなると、蚊帳や蝿とり紙は姿を消していった。
虫に頭を悩ませる必要のないのは、素直にありがたい。
だが、時々思う。
どうして、あれだけ開け放たれていた家のことが懐かしいのだろう。
太い梁を眺めながら寝転んでいた、子供のころの自分を思い出すのだろう。
広く開け放たれた、夏の広い家には、くっきりとした光と影があった。
影は涼しく、光は眩しかった、と。

蚊取り線香

2005年04月10日 | 近景から遠景へ
近景から遠景へ:1

ふと見ると、プリンターの脇に、蚊取り線香がある。
今年買ったものではなく、去年からずっと置きっぱなしのものだ。
このところ暖かくなってきた。
桜が咲き、もう散ろうとしている。
そろそろ、蚊取り線香の出番も近い。

この線香は、湿気ていないだろうか。
蓋を開き、火を点けず、少し匂いを嗅いで見る。
匂いは、やや褪せているだろうか。
だが、とても懐かしい、夏の匂いがする。

蚊取り線香は、どうしてこんなに郷愁を誘うのだろう。
香りたち、幼い頃のことを思い出す。
夏の、涼しい夕暮れの記憶だ。
昔、CMでやっていた「金鳥の夏、日本の夏」。
美しい花火が印象的だった。
蚊取り線香の香りは、日本の夏の香りなのかもしれない。

マッチ一本の話

2005年04月08日 | 漫画のはなし
印象的だった漫画の話。その2。

「マッチ一本の話」
鈴木翁二著

この漫画を初めて読んだ時の衝撃は、忘れられない。
冬の夜だったが、自分の周りの空間がすっと広がって、遠い時間の夜にそのまま滑り込んでゆくような、そんな感じがした。余りに感動したから、真夜中の犬の散歩に本を持って行った。そして、公園で犬を放して、街灯の下のベンチに座って、もう一度読んだ。左手の方向、ずっと向こうには暗い夜の海が広がっていて、ぽつりぽつりと船の明かりが見えていた。まるで昨日のことのように思い出す。
この物語は、どんな風にも読める。分かりそうでわからない。分からないけれども、分かる。そんな微妙なところで成り立っている物語だ。マッチ一本が燃え尽きるまでに映し出される、一瞬の伝説。あるいはデジャ・ヴ。そんな懐かしい物語だ。

猿の手

2005年04月07日 | 読書録
<本当に怖い小説のアンソロジー:6>

「猿の手」
W.W.ジェイコブズ著

実際のところ、本当に怖い小説というのは少ないと思う。年を取るにつれ、ますます「怖い小説」というものが減ってくる。だいたい、幽霊というものを信じなくなってしまうから、致命的である。超自然的なものは、うさんくさい。そう思ってしまう。
それなのに、怪奇小説が好きだというのは、矛盾しているだろうか。
そうではない、と思う。もともと、不思議なものが好きなのだから、それが現実であっても、嘘八百であっても、別にかまわない。「怖い」というのは、理屈ではなくて感情なので、そこに触れればいいわけだ。
とはいえ、ただ単に「怖い」という感情に触れればいいというだけなら、それこそ「怪奇実話!あなたの知らない世界」みたいなタイトルの本を読めば、かなり怖いだろうと思う。即効性がある。だが、それでは味気ない。よく出来た恐怖小説を、僕は読みたいのだ。

今回取り上げた「猿の手」は、アンソロジーにもたびたび収録されている怪奇短編の名作で、「知らない人はもぐり」と言われるような作品だ。僕にも異論はない。完璧な、すばらしい作品だと思う。

ローリング・アンビバレンツ・ホールド

2005年04月06日 | 漫画のはなし
せっかく吾妻ひでお氏の話が出たのだから、僕の「吾妻ひでお体験」を少し書く。

初めて吾妻さんの漫画を読んだのは、多分「ふたりと5人」だったと思うのだが、床屋の待ち時間などに少し読んだくらいで、熱心に読んでいたわけではなかった。ただ、当時ああしたちょっとエッチな漫画を書くのは、永井豪と吾妻ひでおくらいだったので、印象に残っているだけだ。
実際に吾妻ひでお作品に「再会」したのは、「マンガ奇想天外」に掲載された「ローリング・アンビバレンツ・ホールド」という短編である。
これは、訳のわからない作品がやたらと載っていた「マンガ奇想天外」の中でも、特に意味がわからなかった。でも、何か深いものがあるような、不思議な気持ちになった。気になって仕方ないのだ。ただ、そう思って何とか読み解こうとしても、全く分からないのが、もどかしかった。
当時、僕は松本零士さんの大ファンだったので、「奇想天外」を手にすることになったのだが、そこで読んだ漫画家は、吾妻さんを含め、魅力的に思えたものだった。
さて、それで僕は奇想天外社から出ていた吾妻ひでお作品を読むようになった。「メチル・メタフィジーク」、「パラレル教室」、それから「不条理日記」。しばらくした頃、双葉社から選集が出るようになって、買い集めたりした。
しかし、何より衝撃を受けたのは、「夜の魚」と「笑わない魚」だった。
これは、決定的だったが、それを境に、吾妻ひでおは表舞台から消えてしまった。

吾妻ひでおといえば、ロリコンの教祖のような印象がある。多分そうなのだろうが、それほど嫌な感じがしないのが不思議だ。どう思ってもらってもいいが、僕にはそうした趣味はないし、どちらかといえば嫌悪感さえあるほどだ。だが、吾妻ひでおの作品なら、素直に読めてしまう。妻にさえ、「面白いよ」と、勧めることが出来てしまう。それは、作品が普遍性を持っている証拠だと思っている。

失踪日記

2005年04月05日 | 漫画のはなし
少し前、パルコブックセンターのSF小説の棚を何となく見ていたら、ソフトカバーのついた単行本タイプの雑誌で「吾妻ひでおの現在」という特集をしているのを見かけた。懐かしくなって、手にとってぱらぱらと読んだ。そこで、近く「失踪日記」という本が出るということを知った。
しばらく忘れていたのだが、ふと思い出して調べると、もう出版されているという。しかも、相当売れているようだ。それで、早速今日買ってきた。
一読した感想は、「おもしろかった」。いろいろと思うものはあるけれど、中島らもさんの諸作が「面白い」と思うように、面白かった。さらに付け加えれば、これは誠実な、いい本だ。
吾妻ひでおが失踪していたというのは、以前太田出版から出ていた「夜の魚」と「定本不条理日記」の、あとがきにかえた描き下ろしで知っていた。だが、これほど本格的なホームレスをしていたとは思っていなかったし、アル中で入院していたとも知らなかった。死ぬぎりぎりだったんだなと思う。だが、読んでいても、本人は本当は死にたくなんてないんだと考えているのが、伝わってくる。だから生還できたのだろう。アルコールも、断ってもう五年になるという。鬱を持病のように抱えているようだから、常に爆弾の機嫌をとりながらではあるが、とりあえず生還できたと言っていいんだろう。破滅型に憧れていた年頃から遠く離れた今では、そうしたニュースが嬉しい。
この本が、一冊でも多く売れればいいと思う。本としても素晴らしいし、何より、いきなり旦那に失踪された奥さんは、幼い子供を二人抱え、かなり途方に暮れて苦労しただろうから、少しくらい潤ってもいい。
この本、お勧めです。

夜のカフェテラス

2005年04月04日 | 雑記
今日は、「ゴッホ展」を見に行って来ました。
「夜のカフェテラス」が来ているらしいというので。
ゴッホは、実はちゃんと見るのは初めてだったのですが、
この絵は昔から好きな絵だったので、一度実物を見たいと思っていました。
で、実際行くと、噂には聞いていましたが、凄い人でした。
ゴッホは、やはり人気があるのだなと、改めて思いました。

で、感想ですが、
入ってすぐにある、職工の絵が、初めて見たのですが、とてもよかった。
ドアから入って来る光が印象的な、ひっそりとした絵です。
ゴッホのことを詳しく知っていた訳ではなかったので、へえ、こんな絵も描いていたんだと、感動しましたね。
「夜のカフェテラス」は、やはり綺麗な絵でした。一枚だけ家に置くなら、やはりこの絵かなと。
しかし、ゴッホの絵は、こうして年代ごとに見てゆくと、だんだんとつらくなってゆきますね。少しずつ病んで行くのが、はっきりと分かるので。

頭の中がカユいんだ

2005年04月02日 | 読書録
美しい小説:6

「頭の中がカユいんだ」
中島らも著

その突然の死が、まだ記憶に新しい、中島らもさんの処女作。
深い酩酊の底から、ほんの少しだけ明るい上の方を眺めているようだ。
芥川龍之介の死を思うとき、「トロッコ」を思い出すように、僕は中島らもの死を思うとき、この作品を思う。
中島らもさんが亡くなったと聞いたことで、僕は何かが一つ終わったような気がした。
そんな風に思うなんて、考えたことも無かったから、自分でも驚いた。
特にファンという意識もなかったのに、考えてみれば、きっと好きだったんだなと思った。
そう考えると、とても淋しい。

サラゴサ手稿

2005年04月01日 | 読書録
美しい小説:5

「サラゴサ手稿」
ヤン・ポトツキ著

国書刊行会から刊行されていた、「世界幻想文学体系」の第二期に収録されていたタイトルだが、全く予備知識も期待もなく読み始め、引き込まれてしまった。千夜一夜物語にも似た、眩暈のする異常作。そう、「異常作」という言葉があるが、この作品にはそれが相応しい表現かもしれない。一つの夜から別の夜へと、永遠に滑り込んでゆく。
なお、この本は抄訳であり、全部で66夜の物語のうち、14夜目までを訳出してある。噂によると、全訳も既にされていて、東京創元社から出版の予定もあったというが、残念ながらいつのまにか立ち消えになってしまったようだ。なお、この作品は、元はフランス語で書かれたものだが、原稿の一部が紛失してしまったため、今ではポーランド語版でしか全体を見ることができない。つまり、完全な「サラゴサ手稿」は存在しないわけだ。このあたりも、なにやら伝説めいているではないか。