漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




「極北の地にて」 ジャック・ロンドン著 辻井 栄滋、大矢 健 訳
新樹社刊

を読む。

 ジャック・ロンドンの「アラスカもの」で構成された短篇集。代表作の一つ「焚火」を含んでいる。収録作のうち半分は初紹介。
 ジャック・ロンドンはやはり素晴らしいですね。長編もいいけれど、やはり短編で最高の冴えを見せます。全編が名品でしたが、やはり「焚火」や「生の掟」、それに表題作の「極北の地にて」は圧巻です。
 

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 アオウミウシ。
 体長は3~4cmくらい。
 磯で普通に見られるが、汚染の影響で、最近は数が減りつつあるとか。
 
 水中でのマクロ撮影は、難しいです。

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 ツァーヴェはページを繰った。そこには一面に、子どもを抱いた母の絵が書かれていたが、その周りには、七色の色彩が彩られていた。それは、男が家に戻ると妻が子どもを宿していて、やがて元気な男の子が生まれたという場面だった。男はそれをとても喜び、息子にオーロラという名前をつけたのだった。
 物語は進む。生まれた子どもは、夫婦の愛情に見守られ、すくすくと大きく成長し、立派な少年になった。だがある時、彼の父親が海で漁をしている最中に誤って転落し、波にのまれて死んでしまう。それを知った彼の母も、悲嘆のあまり死んでしまうのだ。
 ただ一人残された少年は、じっと空を見上げている。絵本では、一面に黒いページに、眼の醒めるような青い色彩がすっと入っていて、その下に小さく少年の姿が見える。少年は思い出す。思わぬ災害によって、天寿をまっとうできずに死んだものは、この世界から去ることが出来ず、天に昇ってオーロラになるのだという話を。それは、かつて彼の村の長老から聞かされた話だった。だが、その時の少年にはその話が切実に感じられるのだった。
 ツァーヴェはページを繰る。広い平原の中に、小さな少年の姿がある。少年は皮ひもを手にしている。彼は力いっぱいその皮ひもを空にむかって投げている。やがて、その皮ひもはオーロラの端に引っかかる。少年はその皮ひもを伝って、天に上ってゆく。
 最後のページには、一面に輝くオーロラの絵がある。そして、そこにはこう書かれている。
 
 少年はどこまでも昇ってゆきました。
 そして、オーロラの中に消えてゆきました。
 皆はいいました。
 彼はオーロラの国に魂を持ったまま入っていったのだ。
 そして、オーロラの国の長になったのだ、と。
 
 みなは空を見上げます。
 そして、その緑やら青やらオレンジやらの
 ゆらゆらと輝く美しい光の中に
 少年の姿を見ようとするのでした。

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「幻象機械」 山田正紀著 中公文庫 中央公論社刊 

を読む。

 図書館で、ふと目に付いたので借りてくる。
 出たときは、結構話題になっていた気がするのだけれど、当時は明治時代に興味なんてなかったから、読まないできてしまっていた。実は、雑誌掲載時(筒井康隆編集による雑誌、「SFオデッセイ」に掲載されていて、その時のタイトルは「幻想の明治だった)から知っていたから、余計に印象に残っていた。
 石川啄木をめぐるミステリーであるが、今読むとちょっと中途半端な作品という印象になるのは、SFの宿命なのか。でも、途中まではかなり面白い。
 比較的近作の「ミステリオペラ」や「マヂックオペラ」は、この作品の延長線上にあるのだろう。

 追記。
 このところ、姉妹ブログ「Sigsand Manuscript」を頻繁に更新しています。20世紀初頭のイギリスの作家ウィリアム・ホープ・ホジスンのファンブログです。

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4.転落

 アトレウスの車に辿り着いたツァーヴェは、息を切らせながら、窓から中を覗き込んだ。だが、それらしいものは見つからない。不安になりながら、彼はそっとキーを鍵穴に差込んだが、実はそれもツァーヴェにとっては喜ばしい瞬間だった。というのは、ツァーヴェにとって自動車というものが憧れの対象であったからだ。しっかりとした手ごたえとともに、音がして、ドアのロックが外れた。ツァーヴェはそっとノブを引いて、ドアを開けた。
 ツァーヴェはシートに滑り込んだ。そして後部座席を捜したところ、床に落ちている紙の包みを見つけた。彼はそれを拾い上げ、包みを開いて中を見た。するとそれは確かに一冊の絵本だった。包みの中には、キャンディーの箱も入っていた。ツァーヴェの顔が明るくなった。それからツァーヴェは、その包みを持って、運転席に滑り込んだ。そして、ハンドルをおそるおそる廻してみた。それから、クラクションを鳴らした。クラクションの高い音が響いた。ツァーヴェは少し驚き、辺りを見回した。だが、誰の姿も見えない。しばらくツァーヴェは身体を固くしていたが、それ以上何も起こらないと分かると、包みの中から絵本とキャンディーを取り出した。そして、運転席に座ったまま、オレンジ色の空を背景に屋根の上でこちらを向いている猫の絵が描かれている包み紙を開いて、ミルク味のキャンディーを口に放り込んだ。そして、絵本を開いた。
 絵本は、「オーロラになった少年」という、民話をもとにした物語だった。ツァーヴェは、かつてこの話は父から聞いたことがあるような気がしたが、どうもはっきりとは思い出せなかった。それで、不思議な気持ちのまま読み進んだ。
 絵本は、一人の男が夜の広い平原を歩いている場面から始まる。一日中狩りをしていたが、めぼしい獲物を捕る事が出来ず、気落ちして家に帰る所なのだ。家には、妻が一人で彼の帰りを待っているはずだ。収穫のない彼の姿を見て、きっと妻は残念に思うだろう。そう思うと、彼はとても淋しい気持ちなのだ。
 ツァーヴェはページを繰った。その帰道で、男は透き通った空気の空に、鮮やかに輝くオーロラを見る。男は寒さも忘れて、じっと佇んで空を見上げる。なぜなら、見たこともないほどの鮮やかさで、まるで戯れるかのように、緑色のオーロラが舞っていたからだ。
 ツァーヴェはページを繰る。男はそのオーロラを見て、まるで幼い子どもが楽しげに遊んでいるかのようだと思う。そして、一日の疲れも忘れてふと口元に微笑みを浮かべた時、ふと、そのオーロラの中から一筋の光がすっと離れて、男の家の方に向かって落ちてゆくのを見た。男は驚き、これはきっと何かのしるしなのだと思い、それからは脇目もふらずに一心に家に向かうのだ。

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「ハテラス船長の冒険」 上・下巻 ジュール・ヴェルヌ著 調佳智雄訳
パシフィカ刊 1979年

読了。

 お世話になっているsynaさんのお勧めヴェルヌ本「ハテラス船長の冒険」を読んだ。入手困難ということだが、武蔵野図書館で借りた(余談だが、読書の栞というペラの月報が、糊付けもされずに挟まっていたが、これは結構貴重なんじゃないかと思う。明治期のヴェルヌの翻訳事情について、かなり詳しいからだ。よほど、糊付けをしておいてやろうかと思った)。
 これは、面白い本だった。冒頭に、海底二万里のノーチラス号の名前がちらりと出てくるが、物語としてはこちらの方がシビアだし、ずっと面白いのではないかと思う(作品としては、こちらの方が先行している)。導入部からひきつけてくるし、ラストも余韻を残す。90度のポールシフトという、疑似科学の紹介などもされているのが面白かった。また、地底旅行への導線とも取れる記述などもあった。ヴェルヌの作品では最初期のものだから、もしかしたら、これ以降のヴェルヌ作品の原型となった作品とも言えるのかもしれないと思った。
 でも、ハテラス船長というキャラクターが、なんといっても強烈でしたね。棄て難いキャラクターだった。

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 ちょっと前の話だが、シベリアのユリベイ川岸で、ほぼ無傷で、完全な冷凍マンモスが見つかったことが話題になった。まだ生後六ヶ月のマンモスだが、これほど保存状態がよいものは初めてとのこと。写真を見るだけでも、驚きである。以前見たユカギルマンモスの比じゃない。なんと、マンモスは日本に運ばれ、東京慈恵会医科大でCTスキャンにかけられるという。

 最近、僕はシベリアやロシアの本を沢山読んでいるのだが、最近読んだ本の中に、

「シベリアのマンモス」 E.W.フィッツェンマイヤー著 井尻正二校閲 三保元訳
法政大学出版局刊 1971年

 というものがあった。
 これは、たまたま古書店で見つけたものだが、とても面白い本だった。
 この本を書いたフィッツェンマイヤーが、シベリアで極めて保存状態がよいマンモスが見つかったという報告を聞いて、遠征隊を組んで学術調査に出かけたのは1901年のこと。つまり、この本はマンモスについてだけではなく、1901年当時のシベリアの風土記としても優れたものとなっていた。
 面白いのは、発見されるマンモスにはまだ肉が付着しているものが多いのだが、それを野獣などが食べてしまうという事実。二万年も冷凍保存されていた肉が、現代の動物にとっての食用となるのだ。実際、博士の遠征隊の犬たちも、結構ご相伴に預かっていたらしい。それを見ていた博士たちも、「おい、誰か食べてみろよ」という話になったそうだが、実際食べる勇気のある人間はいなかったそうだ。
 当時は、たとえそうしてマンモスが見つかっても、空路がないから、数ヶ月かけた命がけの遠征になった。その間に食べられてしまったりするわけである。それを思うと、今回発見されたマンモスが良い状態のまま運ばれるのは、すごいことである。

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 「ウロボロス」 E.R.エディスン著 山崎淳訳
 創元推理文庫 東京創元社刊

 読了。

 奥付を見ると、1986年とある。初版本である。出てすぐ買った本だから、かれこれ二十年の積読本だ。自分でも、呆れ返る。
 もともとは、「邪龍ウロボロス」のタイトルで月刊ペン社から出ていた妖精文庫に上下巻で収録されるはずの本だった。だが、この本は結局上巻しか刊行されず、そのまま月刊ペン社は倒産してしまった。
 そういうわけで、僕は下巻が出てから読もうと思っていたため、放っておいた。時がたって、東京創元社からようやく完全版が全一冊として刊行されたとき、待ってましたとばかりに買い求めたのだが、その余りの分量に、読むのが後回しになっているうちに、ここまで来てしまったわけだ。もっとも、僕がもともとヒロイックファンタジーを好まないのと、分量が余りに大きいのと、カバーのイラストが余りに陳腐になってしまったのとで、なんとなく読む気がそがれていたのもある。それに、大体の内容は何故か知っていたのである。
 だが、今回ようやく読んでみて、随分感心するところが多かった。ヒロイックファンタジーというよりも、ハイファンタジーという方がしっくりくる。個人的には、指輪物語よりも好きである。というより、指輪物語などの諸作は、この作品の影響下にあるのかもしれないが。というわけで、これまで読まないできたのは、もしかしたら勿体無かったかもしれない。相当な歯ごたえがあるし、ややとっつきは悪いかもしれないが、読んで損のない作品である。

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 連休中は台風に見舞われ、身動きも取れない状態だったが、今日はまずまずの天気。朝からプールへ行き、午後は美容院へ。髪をバッサと切って、夏仕様のベリーショートに。ここ数年、冬はそこそこ髪を伸ばして、夏は坊主に近くなるというのがパターン。今年は、切るのがちょっと遅れたけど、すっきり。

 昨日の夜、ふと「銀河鉄道の夜」のことが頭に浮かぶ。
 特に理由もないのだが、無性に読みたくなる。いや、もしかしたら最近Mercedesさんに、読書感想文に銀河鉄道の夜を取り上げたということをコメントしたせいかもしれない。それで、夏だから思い出したのだろう。
 書架を漁ってみる。だが、うちにあるのは国書刊行会から出ていた日本幻想文学集成の中の一冊、別役実編「宮沢賢治」だけ。以前は、いろんなバージョンを持っていた気がするのだが、みんなどこへ行ってしまったのだろう。
 いや、別にその本が悪いというわけではない。ただ、僕の頭の中には、できれば現行の決定稿としての第四稿と、その前の第三稿、いわゆる「ブルカニロ博士版」を読み比べてみたいという気持ちがあった。それで、両方がないか、捜したのである。
 それで、青空文庫をあたった。宮沢賢治の作品は著作権がきれているのでちゃんとあったが、両方のバージョンがあったのは、さすがというべきか、嬉しかった。

 僕が初めて宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだのは、小学校五年生のときで、夏休みの読書感想文を書くために岩波書店のハードカバー版を読んだのだ。カバーの絵が、透明感があって、とても印象的なやつ。だから、僕にとって長く銀河鉄道の夜は、その本に収録されていたバージョンだった。
 そのバージョンが、実はかなり特殊なものだと知ったのは、随分後になってからだった。宮沢清六さんらの尽力によって完成した決定稿を読んだのは、中学生の頃だったと思うが、かなりの違和感を感じた。最後が違うし、何と言っても、ブルカニロ博士が登場しない。当時の僕にはその決定稿が物足りなく感じたし、それから長い間、ずっとそう思っていた。
 だが、ふと昨日「銀河鉄道の夜」を思い出した時、最初に思ったことは、ブルカニロ博士はやっぱりいらないということだった。そう思ったことは、自分でも驚いたのだが、素直にそう感じたのだ。
 もしかしたらそれは、年齢のせいかもしれない。だが、今ではブルカニロ博士が存在しない第四稿の「銀河鉄道の夜」の香気が感じられるのが、悪くないと思える。物事は、ブルカニロ博士が語るほど分かりやすいものではない。だが、それほど悪いものでもない。ごく自然な気持ちだ。そして、それと同時に、宮沢賢治という人が少し理解できた気もした。

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 ツァーヴェがそうして父の記憶に浸っていると、不意に背後から声がした。
 「ああ、悪かった、ツァーヴェ。すっかり忘れていたよ。お前に土産があったんだ」
 ツァーヴェは、はっとして振り返った。「お土産?」
 「ああ」アトレウスは言った。「だが、うっかりしてた。車の中に忘れてきた。後部座席に置いたままだったんだ。絵本とお菓子だよ。後で渡してもいいが……なんなら、取りに行ってくるか?」
 「僕、行ってくるよ」ツァーヴェは勢い込んで立ち上がった。
 「そうか」アトレウスはポケットから車のキーを取り出し、ツァーヴェに手渡しながら、言った。「ほら、車のキーだ。無くさないでくれよ。鍵の開閉の仕方は、わかるよな?」
 「分かるよ」
 「そうか。じゃあ、悪いが、自分で取ってきてくれ」アトレウスは言ったが、ふと思いついたように付け加えた。「なんなら、車の中で本を読んで来てもいいぞ」
 「えっ」ツァーヴェは眼を輝かせた。「本当?」
 アトレウスは微笑んだ。「本当さ。でも、車を動かそうとしちゃ駄目だぞ。あとは、車を離れる時にはちゃんと鍵をかけるのを忘れないようにしてくれ。守れるか?」
 ツァーヴェは大きく頷いた。そしてすぐに小屋を出て、駆けていった。

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華束  




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 「それじゃあ、もしかしたら、無意識に?」
 「他に考えようがない。幽霊の存在の可能性を考えなければ、ということだけれど」
 ゼータは続けた。
 「思い当たるふしは、ないわけではなかった。朝起きたら、昨日眠る前に落としていたはずのパソコンが起動したままになっていたり、妙な疲れが残っていたり。でも、深く考えようとはしなかった。一人暮らしをしていると、よくあることだから。それに、もしそうだとしても、ただちょっとしたバグが出来ているというだけのことで、それほど深刻に捉える必要もないような気がしていたんだ。まあ、実際は結構大変なことなんだけど、僕の感覚自体も少し麻痺していたんだろうな。だが、それでは済まなかった。バグは、やがて一人歩きを始め、ウィルスとなった。それも、コンピュータのシステムを壊しかねないような、たちの悪いウィルスだ。こうなっては、どうしようもなかった。作者として、そのゲームを公開停止にする以外に方法がなくなってしまった。嵐のように非難が集中したよ。そりゃそうだろう。僕は、自分には何が起こっているのか分からない、これはおそらくハッカーの仕業だろうというコメントを出した。他に方法などないからね。だが、そんなコメントなど何の意味もない。それもわかっていた」
 「それで?」
 「それだけだよ。僕はそれきりそのゲームの公開を停止した。それだけではなくて、それ以降、自分では何一つゲームを作ってはいない。仕事でやっているくらいだ。だが、それももう止めようと思っている」
 「どうして?」私は言った。
 「わからないよ。ただ、何だか糸が切れたような気分なんだ」ゼータは言った。
 
 ふと我に返って、私は辺りを見渡した。さっきの少年はまだじっと画面に魅入っている。
 あれから私はゼータに会っていない。今どこにいるのかも、分からない。日本を出るとき、私は彼の携帯に電話をかけたが、繋がらなかった。彼の足取りは、それきり途切れたままだ。
 カチッカチッと音がする。私は席を立った。そして、明るい午後の陽射しの中に歩を進めた。

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 アトレウスはそう言って窓の側を離れた。ツァーヴェはその気配を背中で感じながら、じっとお菓子の包み紙を見ていた。飴玉を包んでいた包装紙の中では、白と黒のネコが鎖のように互いに絡み合いながら、こちらを見ている。その隣のキャラメルの空き箱には、藍色の中に白いロケットと赤い星が描かれている。チョコレートを包んでいた紙には、サーカスの象がボールの上に乗っている図像があった。包装紙を見詰めながら、ツァーヴェはそのお菓子の味を思い出そうとしていたが、視線が一枚の薄い紙の上で止まった。それは氷の浮かぶ海を進む船をデザインした包装紙だったが、それは父から貰ったものだった。貰った時のことも、はっきりと覚えていた。
 ツァーヴェは、さっきのアトレウスのようにあの窓辺に佇んでいた、父の姿を思い出した。一昨年の寒い夜更けのことだ。冬も深くなった季節だったから、辺りは静かな雪に閉ざされていた。まだツァーヴェは四歳だったから、その時期の記憶らしい記憶は殆ど残っていない。だが、そんな夜更けに起きたことが珍しかったからだろうか、その夜のことだけはなぜか記憶に強く焼きついていた。小屋には居間と寝室の二部屋があり、ツァーヴェは寝室で眠っていた。眼が醒めた時、辺りは暗く、すぐ側には人の気配もなかった。頭の芯がはっきりと醒めていた。ツァーヴェは耳を澄ませた。隣の居間から灯りが漏れ、両親の気配がしていた。ツァーヴェはベッドから滑るように降り、そうすれば怒られないだろうと頭のどこかで計算しつつ、大げさに眼を擦りながら、居間に入った。居間には、テーブルを前にした母と、窓の外を眺める父の姿があった。テーブルの上にはウォトカの壜とグラスが置かれていた。父は、穏やかな顔でこちらを振り向いた。父の顔が、橙色の光で深い陰影に彩られていた。「どうしたの、ツァーヴェ?」母が言った。ツァーヴェはさっと部屋の中に眼を泳がせながら、おしっこ、と言った。「ああ、おしっこね」母は言った。そして立ち上がろうとしたが、隣から父が言った。「じゃあ、トイレに行こう」そして父は部屋を横切り、自分の分とツァーヴェの分の上着を手にした。そしてツァーヴェに上着を手渡して、扉を開いた。部屋の中に、さっと外の冷たい風が吹き込んできた。凍えそうな空気だったが、不思議と心地よくもあった。ツァーヴェは急いで上着を羽織り、父に続いて表に出た。
 外は暗く、けれどもぼんやりとした星の輝きに照らされていた。大地は一面に雪で覆われ、しんとしていた。遠くの雪を頂いた針葉樹のギザギザのシルエットは、星空を切り取っているようだった。吐く息が、すぐに凍って白くなった。ツァーヴェは父に並んで小屋の側にある、三方の囲いがあるだけで便器も何もない、野天のトイレに向かった。そこには穴が掘ってあるだけだが、用を足す側からすぐに凍ってしまうので、少なくとも雪解けの季節までは臭いもしない。ツァーヴェは悴みそうな手でズボンを下ろし、用を足した。小便はなかなか終わらなかった。静かな中に、ツァーヴェの用を足す音が響いた。だがすぐに、近くでもう一つ音が聞こえてきた。父が隣で用を足していたのだった。父の小便は、ツァーヴェよりも早く終わった。やがてツァーヴェが用を足し終わると、再び辺りはしんとした静寂に包まれた。「どうだ、終わったか」父の声がした。「うん」とツァーヴェは答えた。「そうか」父は言って、「寒いから、早く家に入ろう」と歩き始めた。ツァーヴェは父の後を追った。歩きながら、ふと父は上着のポケットに何かが入っていることに気が着いたようだった。それで、手を上着から出した。ツァーヴェが父に駆け寄って、見ると、父の手にはキャラメルの包みが乗っていた。「ああ、忘れていた、この前買ったんだった」と父は言った。そしてそれをツァーヴェに差し出して、言った。「ほら、キャラメルだ。でも、今日は食べちゃ駄目だぞ。もう寝る時間だからな。明日にしろよ」ツァーヴェは喜んで頷き、キャラメルを受け取った。
 それが、この船の絵の包み紙のキャラメルだった。
 記憶はそこで途切れていた。たったそれだけの記憶だった。だがその記憶は、数少ない父の記憶だった。

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ドチザメ。
子どもなので、小さい。
この前の日曜日に行った、浜諸磯にて。



アカクラゲ。
至近距離より。
結構よく撮れた。
強い毒あり。
同じく、浜諸磯にて。

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