漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

大地への下降

2013年08月31日 | 読書録
「大地への下降」 ロバート・シルヴァーバーグ著 中村保男訳
サンリオSF文庫 サンリオ刊

を読む。

 玉石混淆のサンリオSF文庫の中では、間違いなく玉の方。古書価もさほどではなく、今アマゾンで調べたら千円ほどだし、多分店頭ではもっと安く買えると思うので、「プレミア価格とは関係なく、サンリオSF文庫の中で本当に面白い作品」を読みたいと思うなら、買う価値のある一冊だと思った。カバーとかタイトルとか、サンリオSF文庫にしては随分と地味ではあるけれども。
 ストーリー自体は単純といっていい。かつて地球が植民地化していたが、原住民を尊重するという風潮のなかで放棄した惑星を、かつてのその星の管理者としての役割を任じられていた主人公ガンダーセンが長い時を経て再訪するところから物語は始まる。ガンダーセンにとって、それは一つの贖罪としての再訪であった。彼はその星の支配者としての種族である、象に似たニルドーロールという民族が行う「再生」という儀式に参加しようと、巡礼にも似た旅を続ける、というものだ。
 ファウラー・ライトの「時を克えて」とか、ステーブルトンの作品とかの系譜にあるようにも思えるが、もっとずっと読みやすい。一見原始的だと思われる文化が実は高次なものであったという物語は、決して少なくはないので、当時の流行りではあったのだろう。魂というものを重視しており、宗教的なところがあるので、ラストが定石すぎてやや拍子抜けのような気もするが、読みどころはむしろ、そこに至るまでの過程にあると思う。主人公が旅する異世界の描写はスリリングで、まさに「センス・オブ・ワンダー」という言葉がぴったりの、魅惑的なものだ。軽快に鮮やかな空想を紡ぎだすシルヴァバーグの筆には、淀みがない。

少女

2013年08月28日 | 読書録
「少女」 湊かなえ著 早川書房刊

を読む。

 「告白」に続く、湊かなえの二作目。
 平たく言えば、二人の少女の友情物語なのだが、そこは一筋縄ではゆかない。よくあるような、少女の持つ悪意を描く作品というわけではない。むしろ主人公の少女たちは良くも悪くもピュアといってもいいほどで、物事を深く考えない。だがその思慮の欠如は、巡り巡って、思いもよらない結果を連れてくる。
 全編に、「嫌な感じ」が満ちている。「告白」ほどの衝撃はないものの、パズル的な展開と後味の悪さは健在、といった感じ。ただし、余りにも世間が狭すぎるような気がするのが欠点かもしれない。小劇団の演劇に向いているかもしれない。


鳥の歌いまは絶え

2013年08月23日 | 読書録

「鳥の歌いまは絶え」 ケイト・ウイルヘルム著 酒匂真理子訳
サンリオSF文庫 サンリオ刊

を読む。

 あとがきには、クローンを扱って成功した最初の小説、とある。オリジナルは、1976年刊。サンリオの邦訳は1982年。
 描かれているのは、核による放射能汚染をはじめとした人災等によって、死に瀕した未来世界。先見の明により、ある谷に施設を築いて、その破滅を逃れたたある一つのグループは、クローニングの技術の洗練を極めることで、生殖能力の低下を補うことを考えた。しかし、クローンは第四世代になると、極端に生殖の能力が低下することがわかった。そして、個性が消滅するという事実も。数々の難題を乗り越え、人々はまた再び、地球に増え続けることができるのか。小説の背景としては、だいたいそんな感じ。三部に分かれており、それぞれ主人公が違い、クロニクルのような構成になっている。
 クローンというものの持つ問題が、今とはかなり違った感じで理解されていた時代の小説という印象も受けるけれども、書き手が女性であるせいだろうか、女性視点からの、かなりシビアな描写がされているところは特筆。小説としておもしろいのかと言われると、さすがに全体のアイデアは古い感じがするとしか言えないけれども(アイデアが古くなるのは、SFの宿命だ)、効率性ばかりを追い求めて想像力を失った文明に対する、風刺のきいた終末ものとしては、なかなかユニークでバランスのとれた、今でも有効な小説だと思う。

冷たい校舎の時は止まる

2013年08月22日 | 読書録

「冷たい校舎の時は止まる」 (上下) 辻村深月著 
講談社文庫 講談社刊

を読む。

 辻村深月のデビュー作。
 ある雪の日、学校に登校した八人の男女の生徒たちは、自分たち以外の人間が学校にはおらず、しかもどうしても学校から出ることもできないことに気付く。普通ならありえない状況下で下した結論は、「自分たちは、この中の誰かの心が作った世界の中にいる」というものだった。そしてその「誰か」とは、二ヶ月前の学園祭の日に校舎の屋上から飛び降りて自殺した人であると確信する。だが、八人は誰一人として、それが誰だったのか、顔も名前も思い出すことができない。その自殺した「誰か」とは、もしかしたら自分なのかもしれないのだ。やがて、その「誰か」が飛び降りた時間が来る度に、一人ひとりと姿を消してゆくようになる。最後に残るのは……というようなストーリー。
 誰かの心の中に囚われる、と言われると、発作的に「P.K.ディック?」と思ってしまうが、こちらはあくまでも謎解きの要素もある青春小説。ディック+うる星やつら「ビューティフル・ドリーマー」という感じか。ストーリーの割には分量がすごいし、焦点が絞られていない感じもするけれども、面白く読めるので、それほどは苦にはならないと思う。

風立ちぬ

2013年08月12日 | 映画
「風立ちぬ」 宮崎駿監督

を観る。

 言わずと知れた、スタジオジブリの最新作。宮崎駿作品を観るのは、「千と千尋の神隠し」以来だ。
 今までの作品と比べて、この作品の評価には賛否両論があるらしいという噂を聞いていた。観る前にちょっとネットの映画評を眺めたが、評価が両極端のようだった。ということは、実際に観てみなければどちらとも言えないということだと思った。実在の零戦の設計者、堀越二郎を主人公にしたフィクションであるということで、物議を醸すのも当然だとも言えるが、それだけにどんな描き方をしているのか気になった。宮崎駿は、なぜこのタイミングで、そんな映画を撮ろうと思ったのだろう。
 だがそうした疑問は、見終わってしまうと、すんなりと合点がいった。これは良い映画だと思う。「アニメ映画の名作」というよりは、普通に「名作映画」であると言うべきかもしれない。上映時間は二時間以上で、ジブリの映画としては長いが、その長さが気になることはないから、面白くないかもしれないという心配なら杞憂だ。庵野氏の声も、賛否があるようだが、悪くない。ちょうどいいんじゃないかとさえ思った。
 確かに内容的にはやや難しく、早熟な子であっても、小学校の高学年以上でなければちょっと理解はできないだろう。基本的には、対象年齢は中学生以上で、全く子供向きではない。だが監督がしっかりと自分の思いを伝えようとするなら、「自分では何も考えようとしない馬鹿にでも分かる」という安易さは捨てざるを得なかったに違いない。楽しめる作品にはしているが、できるだけ平易にしてさえ、このレベル以下に落とすことはできなかったのだ。
 印象的なシーンがいくつかあって、例えば関東大震災の映像。この部分は、アニメでなければ表現できない非現実的な映像を使って、より強い恐怖を描き出しているように思う。なぜ実際の堀越は体験していないであろう震災のシーンをあえて使ったのかは、少し考えてみれば誰にでも分かるだろう。かつて、日本は不況から震災を経て、満州に侵攻し、太平洋戦争に突入していったのだ。もうひとつ、印象的なシーンは、どうやら連合国軍のスパイとおぼしき、ドイツ人のカストルプが堀越に「ここにいると、すべてを忘れてしまいます。日本が満州国を作ったことも忘れます。国際連盟を脱退したことも忘れます。戦争になれば、日本は終わってしまうでしょう」と語りかけるシーン。このシーンには、時を超えた痛烈な皮肉があり、カストルプの顔は画面に大写しになって、観客に語りかけているかのようだ。彼は、おそらくは最初は意識的に爆撃機の設計者である堀越に近づいたのだろうが、彼が恋をしていて、良い青年であることを知ったせいだろうか、深入りすることをやめて、姿を消す。他にも、飛行機の残骸の中でカプローニと語るシーンとか、色々と考えさせられるシーンがある。
 この映画の評価が別れる大きな原因の一つは、現在の社会に警鐘を鳴らす映画という側面を持っていることがあると思う。右寄りの人には印象がよくない映画だろうし、左寄りの人にとっても、決して座りの良い映画ではないだろう。ネット上での極端な低評価には、その辺も大きく影響しているように思える。零戦を取り上げた映画であるということで誤解を与えぬように、前もって宮崎駿自身が、様々な場で色々と語ったというのも異例だった。おかしな曲解をされて、利用されては困るという意思表明だったのだと思う。
 そういった意味では、この映画の始まる前の映画予告で、やはり零戦を題材にした「永遠の0」をやっていたが、その主題歌を歌ったサザンオールスターズが、間髪を入れずに「ピースとハイライト」という歌を発売したのも、同じような意思表明ではないかと思う。桑田の才能を持ってすれば、もっと解釈の幅の広い、普遍性を持った歌詞を書くこともできるのだろうが、あえて解釈を間違えようがない、ストレートすぎる歌詞をつけたのだろう。タイトルからして、「ピース(平和)とハイライト(極右)」である。宮崎や桑田のように、巨大なファン層を抱えるアーティストが、自らの矛盾を認めてさらけ出しながら、それでもそうした反戦の意思表明を行うことは、非常に意味があることだと思う。