漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

紫の雲…109

2011年04月28日 | 紫の雲
奇妙なことに、火山は全て海の近くにある。なぜかは知らない。誰でも知っていることは考えない。その事実は、海底火山の噴火と関連して、火山についての化学的な学説の裏付けとともに述べられていたが、そこで仮定されていたことは、爆発性の燃料の原料となる物質を含んだ断層に海水が侵入したということである。だがもしそれが真実なら、神は知っている。その高所の存在は一時的に休んでいて――一世紀、二世紀、十世紀と、静かに待っていて、彼らがその力を振るうときには、哀れにもいくつかの地域を黙らせてしまうのだ。世界の暗い運命を、誰が知っていたというのだろう?時々、それらは鋳物工場の下にある煙突のように、ひとつにまとまって一方向に伸びる火道で構成された線状システムを形成する。山の場合、鋸状に連なる山頂部を持つというのは、白雲石の存在を意味している。円い山頂部なら、石灰石の存在を意味している。鋭く尖った山頂は、結晶片岩であるということを意味している。北半球の方が陸地が多いのは、遥か昔の地質学的な新世紀において、凄まじい隆起が引き起こされたのだということを物語っている。人間に言えることなど、それくらいのことだ。だが、どこからが凄まじいと言えるのか?ぼくには地球の地下については十マイルほどの知識しかない。だが地球は八千マイルもの直径があるのだ。そしてその内部が炎なのか液体なのか、固いのか柔らかいのか、ぼくは知らない、知らないのだ。彼女が石炭を生成する仕組み、間欠泉や硫黄温泉、宝石、そして環礁やサンゴ礁。片麻岩のような、沈殿によって生成された変成岩、深成岩、火山岩、溶岩、そして外層を構成している無成層の塊。収穫、開花、食物連鎖。ぼくにはそれらのことについての知識はないが、ぼくと同じように彼女のもとに存在するものであり、その火の心臓、同じ竈の中で溶かされていたものなのだ。彼女は暗く、移り気で、気まぐれで、不吉で、まるで人食いライオンのように、彼女の子供を引き裂く。そして彼女は老猾で、ウルクが建設したHur of the Chaldeesを、惑星を象徴した七本の角柱の中に聳えるベル神殿、ビル・ニムルドとハラン、古代ペルセポリスとサイラスの墓、そしてこれらの修道院のようなヒマラヤの岩から切り出された古代仏教のビハラ寺院を、まるで昨日のことであるかのように覚えている。極東から引き返しながら、ぼくはイスマイリアに寄り、それからカイロ、さらにはメンフィスを見て、ある明るい深夜零時、サハラの偉大なるピラミッドと黙りこくったスフィンクスの前に立ち、そしてひとつの石の墓の穴に座って、頬に哀れみの涙が伝うまで見つめていた。なぜなら、偉大なるものはこの大地であり、彼女の年齢であって、人類が「姿を消してしまった」ということではないのだから。これらの墓には、まるで二つの宮殿の柱であるかのような、夥しい数の柱があり、それは円柱ばかりだったが、ぼくの柱は角柱だった。それゆえぼくはその柱を選んだのだ。だが柱の上端には、同じ閉じた蓮の花の装飾があったが、台輪から分離しているぼくの小さな方形の柱礎だけには台輪がなかった。墓は、小さな外側の神殿あるいは王宮で構成され、それから穴の中に入ると、その中には別の小さな部屋があり、想像では、そこに死者は横たえられていたのだろうが、リボンのような玉縁が周りを取り巻いている壁は、大胆に突き出したコーニスによって飾られ、頂板が戴せられていた。ぼくは食欲に突き動かされるまでずっとここにいた。どんどんと地球という存在がぼくの中で大きく成長し、語りかけ、ぼくと同化していたからだ。ぼくは自分自身に問いかけた。「きっといずれは、ぼくは人間であることを止めて、小さな地球、まさに彼女の複製と呼べるような、とてつもなく奇妙で獰猛な、半ば悪魔的で、半ば野蛮で、どこまでも神秘的な――気難しく荒れ狂う――発作的で、錯乱状態で、そして悲しい――彼女のようにならざるをえないのではないか?」

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Strange that volcanoes are all near the sea: I don't know why; I don't think that anyone ever knew. This fact, in connection with submarine explosions, used to be cited in support of the chemical theory of volcanoes, which supposed the infiltration of the sea into ravines containing the materials which form the fuel of eruptions: but God knows if that is true. The lofty ones are intermittent―a century, two, ten, of silent waiting, and then their talk silenced for ever some poor district; the low ones are constant in action. Who could know the dark way of the world? Sometimes they form a linear system, consisting of several vents which extend in one direction, near together, like chimneys of some long foundry beneath. In mountains, a series of serrated peaks denotes the presence of dolomites; rounded heads mean calcareous rocks; and needles, crystalline schists. The preponderance of land in the northern hemisphere denotes the greater intensity there of the causes of elevation at a remote geologic epoch: that is all that one can say about it: but whence that greater intensity? I have some knowledge of the earth for only ten miles down: but she has eight thousand miles: and whether through all that depth she is flame or fluid, hard or soft, I do not know, I do not know. Her method of forming coal, geysers and hot sulphur-springs, and the jewels, and the atols and coral reefs; the metamorphic rocks of sedimentary origin, like gneiss, the plutonic and volcanic rocks, rocks of fusion, and the unstratified masses which constitute the basis of the crust; and harvests, the burning flame of flowers, and the passage from the vegetable to the animal: I do not know them, but they are of her, and they are like me, molten in the same furnace of her fiery heart. She is dark and moody, sudden and ill-fated, and rends her young like a cannibal lioness; and she is old and wise, and remembers Hur of the Chaldees which Uruk built, and that Temple of Bel which rose in seven pyramids to symbolise the planets, and Birs-i-Nimrud, and Haran, and she bears still, as a thing of yesterday, old Persepolis and the tomb of Cyrus, and those cloister-like vihârah-temples of the ancient Buddhists, cut from the Himalayan rock; and returning from the Far East, I stopped at Ismailia, and so to Cairo, and saw where Memphis was, and stood one bright midnight before that great pyramid of Shafra, and that dumb Sphynx, and, seated at the well of one of the rock-tombs, looked till tears of pity streamed down my cheeks: for great is the earth, and her Ages, but man 'passeth away.' These tombs have pillars extremely like the two palace-pillars, only that these are round, and mine are square: for I chose it so: but the same band near the top, then over this the closed lotus-flower, then the small square plinth, which separates them from the architrave, only mine have no architrave; the tombs consist of a little outer temple or court, then comes a well, and inside another chamber, where, I suppose, the dead were, a ribbon-like astragal surrounding the walls, which are crowned with boldly-projecting cornices, surmounted by an abacus. And here, till the pressing want of food drove me back, I remained: for more and more the earth over-grows me, wooes me, assimilates me; so that I ask myself this question: 'Must I not, in time, cease to be a man, and become a small earth, precisely her copy, extravagantly weird and fierce, half-demoniac, half-ferine, wholly mystic―morose and turbulent―fitful, and deranged, and sad―like her?'

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



東京ジャーミイ

2011年04月26日 | 近景から遠景へ

 先日、代々木上原にある本格的なモスク「東京ジャーミイ」に行った。ずっと翻訳をしている「紫の雲」では、トルコのイスラム建築がやたらと出てくるのだが、なんだかよくわからなくて、本を見たりしていたところ、その複雑さに興味が出てきた。以前に前を通ったこともあるこの「東京ジャーミイ」が、トルコ文化センターを兼ねていて、見学ができると聞いたので、行ってきたのだ。
 東京ジャーミイの一階は、トルコ文化センターで、土産物などを購入することができる。礼拝堂は二階にあって、内部の撮影は事前の許可が必要。女性は頭にスカーフなどを巻いて、髪を隠す必要があるが、入り口のところに見学者用に何枚か置いてくれてある。
 中に入ると、まず息を飲む。本当に美しい。あらゆるところに幾何学的文様があしらわれ、その色彩の調和も相まって、計算されつくされた、完成された美を感じることができる。いつまででもいたくなる、落ち着いた空間になっている。ここでこれほどのものなのだから、有名なスルタン・アメフト・ジャーミイなどはどれほどなのだろうと思う。
 東京ジャーミイについては、詳しいサイトもある。機会があれば、一度モスク内を見学させていただくと、興味深いのではないかと思う。
 帰り際、話しかけてくれたイスラム教徒の方(どこの出身なのかは分からない)が、今回の地震の話をしながら、「でも、モスクだけは壊れなかった」と誇らしげに言っていたのは印象的だった。本当かどうかは知らないが、そう言うのだから、きっとそうなのだろう。ぼくは全く宗教は信じないが、彼にとってはそれはアラーの正しさを意味することであり、誇らしいことなのだろうと思う。それはそれでいいが、被災地には、これから先どんどんと怪しげな新興宗教も入ってくるだろう。気をつけて欲しいと思う。

紫の雲…108

2011年04月23日 | 紫の雲
 「地球」はすべてぼくの意のままだ、ぼくの思いのままだ、おお、昏い心を持った「母」よ、その「永遠」の先にやってくる汝の激しい渇望とともに、汝の後悔、深い悲しみ、夢のない眠り、そして邪悪が訪れる運命なのだ、おお、「地球」よ。そしてぼく、この哀れな男は、王であありながら、汝の荒涼とした悲哀の、ただひとりの目撃者なのだ。彼女の上でぼくはグダグダと思い悩み、死ぬこともなく、ただひたすらに思案を続けている――その習慣は、もしぼくが正しく記憶しているのだとしたら、それが最初に定着し、運命付けられたのは、東方への長い航海の間のことである。何が彼女のために用意されているのかは、神様だけがご存知のことで、ぼくはふさぎ込みながら彼女の未来の長い光景を見てきたが、もしそれを一人の男が生身の目を使って見ることを強いられるとしたら、その男はは手を広げて、泣き笑いの狂騒の迷宮の中を右往左往することになるだろうが、それはその光景だけが狂気との瀬戸際に存在するものだからだ。仮に、ぼくが死を迎えるまでにあと一時間も残されていないのだということになれば、ずっと彼女の上でくよくよと思いあぐねているだろう!だがぼくは彼女の子供であり、バニヤンの樹が枝を伸ばして分かれ、下方に向かって根を張って行くように、ぼくの精神の成長は彼女に向かっての成長であり、彼女が重力によってぼくの足をつなぎとめているというのは、彼女がぼくに吸いつき、そして引き寄せているということであり、飛び立つことはできない。彼女はぼくよりも大きので、逃げ出すことはできないのだ。そしてついに、まるで灯台の光で道を誤った海鳥のように、ぼくの魂は自ら破滅するために、その野性的で巨大な胸に向かって激しく衝突してしまった。時折ぼくは、夜通し闇の中で目を開いたまま横たわり、メキシコ湾のくぼんだ部分のことを考えがなら、どうして反対側のアフリカの突出した部分とそっくり同じなのだろうか、そしてどうしてベネズエラとブラジルの湾岸の突出した部分がアフリカのくぼんだ部分に適合するのかと、頭を悩ませた。それは、ぼくには明らかだった――全く「明白」だった――それらは、かつてはひとつだったのだ。そしてある夜に、あっという間にこれほどまでに遠く離れてしまったのだ。荒々しい大西洋はそのことを知っていて、両方の間を、楽しそうに巡っているのだ。あるいはもし、生身の目がそこに存在して見ていたとしたなら、聞く耳がそこにあって狂ったような轟音を聞いていたとしたら、神よ、神よ――なんと恐ろしいことだろう!そしてもし今、その二つの大陸が、これほど長いあいだ離れていたのに、また出会ったとしたら……そのように、心を騒がせながら横たわっているのだ。だが、何も考えないでいることなど誰にもできない。ぼくは眠らずに、考えを巡らせながら横たわり、彼女がぼくの魂を満たすようにと、彼女の気分と流儀をすべて受け入れた。彼女には目的が、秘密が、計画がある。おかしい、奇妙だ、例えばヨーロッパの配置とアジアの配置の間には、類似性がある。どちらにもそれぞれ、南に伸びる突き出した半島が、南の方に三つある。スペインはアラビアに呼応しており、イタリアはインドと、モレアとギリシャはコリンス湾によって隔てられており、マレー半島とアンナムはシアム湾で隔てられている。それぞれ、北方に南へと伸びる半島があり、スウェーデンとノルウェイ、そして朝鮮とカムチャッカである。どちらにも二つの大きな島が、似たような位置にあるが、それはブリテン島とアイルランド、そして日本本土と蝦夷である。古い世界と新しい世界には、それぞれ北へと伸びる半島がひとつある――デンマークとユカタンだ。長い爪を持った人差し指――そして親指――は、北を指している。彼女は何を意味しようとしているのだろう。彼女に何をさせようと?船乗りたちが、船は生き物だというように、彼女自身が意志や運命を持った生きた存在なのだとしたら?そして北極で回転していたあの存在、あれはまだあそこに、あそこでその暗い恍惚の中にいるのだろうか?

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The Earth is all on my brain, on my brain, O dark-minded Mother, with thy passionate cravings after the Infinite, thy regrets, and mighty griefs, and comatose sleeps, and sinister coming doom, O Earth: and I, poor man, though a king, sole witness of thy bleak tremendous woes. Upon her I brood, and do not cease, but brood and brood―the habit, if I remember right, first becoming fixed and fated during that long voyage eastward: for what is in store for her God only knows, and I have seen in my broodings long visions of her future, which, if a man should see with the eye of flesh, he would spread the arms, and wheel and wheel through the mazes of a hiccuping giggling frenzy, for the vision only is the very verge of madness. If I might cease but for one hour that perpetual brooding upon her! But I am her child, and my mind grows and grows to her like the off-shoots of the banyan-tree, that take root downward, and she sucks and draws it, as she draws my feet by gravitation, and I cannot take wing from her: for she is greater than I, and there is no escaping her; and at the last, I know, my soul will dash itself to ruin, like erring sea-fowl upon pharos-lights, against her wild and mighty bosom. Often a whole night through I lie open-eyed in the dark, with bursting brain, thinking of that hollow Gulf of Mexico, how identical in shape and size with the protuberance of Africa just opposite, and how the protuberance of the Venezuelan and Brazilian coast fits in with the in-curve of Africa: so that it is obvious to me―it is quite obvious―that they once were one; and one night rushed so far apart; and the wild Atlantic knew that thing, and ran gladly, hasting in between: and how if eye of flesh had been there to see, and ear to hear that cruel thundering, my God, my God―what horror! And if now they meet again, so long apart ...but that way fury lies. Yet one cannot help but think: I lie awake and think, for she fills my soul, and absorbs it, with all her moods and ways. She has meanings, secrets, plans. Strange, strange, for instance, that similarity between the scheme of Europe and the scheme of Asia: each with three southern peninsulas pointing south: Spain corresponding with Arabia, Italy with India, the Morea and Greece, divided by the Gulf of Corinth, corresponding with the Malay Peninsula and Annam, divided by the Gulf of Siam; each with two northern peninsulas pointing south, Sweden and Norway, and Korea and Kamschatka; each with two great islands similarly placed, Britain and Ireland, and the Japanese Hondo and Yezo; the Old World and the New has each a peninsula pointing north―Denmark and Yucatan: a forefinger with long nail―and a thumb―pointing to the Pole. What does she mean? What can she mean, O Ye that made her? Is she herself a living being, with a will and a fate, as sailors said that ships were living entities? And that thing that wheeled at the Pole, wheels it still yonder, yonder, in its dark ecstasy?

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



吾妻ひでお

2011年04月21日 | 漫画のはなし
 
 昨日の帰りに、池袋のリブロに寄ったとき、「文藝別冊 吾妻ひでお」というムック本が出ているのを見つけ、購入。サイン会があるらしく、その整理券もついてきた。内容はかなり充実していて、執筆陣も萩尾望都、諸星大二郎、坂本龍一、高橋留美子、菊池成孔などなどと豪華。未発表作品なども多数収録されている。
 ちょっと前のことだが、お茶の水の明治大学の米澤嘉博記念館で開催されている「吾妻ひでおマニアックス」という展示を見てきた。原画などに加えて、伝説的な同人誌「シベール」や、クルムヘトロジャンの「へろ」などの特装版や原画版なども、手には取れないものの、見ることができた。
 考えてみれば、昔読んでいた漫画家の作品で、今でも読んでいるのはこの吾妻ひでおと高野文子くらいかもしれない。吾妻ひでおといえば、ロリコンのイメージがあるけれども、一応断っておくけれども、僕には全くそんな趣味はない。でも、いつでも面白く読めるという不思議な漫画家。他の作家とは、根本的に何かが違うのだろう。サイン会は、ぼくはちょっと行けそうにないので、娘に行かせようと思っているが、きっと浮くだろうな。でも、いいんだろうか?

 それはそれと、最近はついブログの更新が途切れがちである。「紫の雲」の翻訳は、毎日ちょっとづつは必ずやるようにしているので、ざっとではあるが、今公開しているよりもかなり先の、90%程度まではもう終わっているのだが、この前やっていたところがちょうど地震で津波がというところがあって、なんとなくアップする気がそがれていた。そんなこともあって、滞りがちになっていたのもある。
 それにしても、今回の震災で最大の問題が、人災である原発であるということは、色々と考えてしまう。原発が被害を受けたと最初に聞いたときには、これであの辺りにはもう人が住めなくなるだろうし、土地の人は婚姻のときなどに嫌な思いをすることになるだろうとすぐに思った。けれども、それどころではない差別的なことも、ちらほらと耳にするようになってきた。僕には実際のところどれほどの被害になっているのかはよくわからないし、原発を取り巻く環境や状況もよくわかっていない。だから色々と言うのも難しく、言葉を失ってしまう。それでも、ごく素朴に、思うことならたくさんある。

 ・・・原発の近くには、もう当分人が住むことなどできないだろうな。作物だって、もう当分流通させるわけにはゆかないだろう。風評被害とか言うけれど、これは風評とは言わないと思う。「がんばろう」もいいけれども、精神論で被爆から免れることはできないんだし。それに、そもそも偽りだらけの発表に対する不信感が不必要なほどの風評を生み出したのだ。この辺りで農家などに従事していた方々は本当に気の毒だが、現在過疎化している場所が日本にはたくさんあるのだから、そこで続けることができるように考えてあげるとか、そうしたことを考えるほうが本当はいいんじゃないかな。原発のある、あの辺りで出来た作物は、いくら大丈夫だと言われても、きっと消費者からこの先も長く避けられることになると思うし、悪いけれども僕だって買わない。そうなると、仕事として成立しなくなるんだし、生活の安定ができなければ、治安だって悪化するだろうし、いいことは何一つない。当事者の気持ちを無視したような発言だけれども、少なくとも若い人は土地を離れるべきだと、率直にそう思う。あの辺りは、この先のことを考えると、例えば風力や太陽光などの自然エネルギーによる発電の施設のための土地にするとか、したほうがいいんじゃないかな。反省も込めて。復興のための財源の確保のために、増税が検討されているけど、それ以前に公務員の給与を全体に少し下げるとか(中小企業では、給与はどんどんと下がっているんだし)、無駄な歳出を徹底的に減らすとかを、今回ばかりは本気で、手本を見せる感じで、まずすべきだと思う。ただでさえ高齢化社会になるから財源が足りないとか言っているのに、このままでゆくのは無理があることくらいは、誰でも分かる。自粛ムードの中には、懐が寒いという現実的な事情もあるのは間違いないんだから、増税増税だと、ますます景気は冷え込んで、八方塞がりになりそうだ。こうして書いていると、いくらでもたらたらと書いてしまいそうだけれども、そうしたことは大抵の人が思っていることだろう。現在、街の様子は次第に元の状態に戻りつつあるように思う。なんだ、原発なくても意外といけるじゃん、なくても良くない?原発。夏はわからないけどさ、上手く考えればなんとかなりそうじゃないか?そう思っている人は多いんじゃないか。実際のところ、どんなものなのかは僕には分からない。でも、原発がリスクの大きすぎる発電であることだけは、はっきりした。そのことに異を唱える人は、今ではいないんじゃないか。そういや、斉藤和義、よくぞ歌った。ストレートな問題提起は、正しい正しくないじゃなくて、その行為自体が必要なんだと思う。それにしても、なぜこんなに原発を作る必要があるのだろう。もしかしてウランのストックが欲しいのか?そう思う人も、結構いるんじゃないか。孫正義、百億すごいな、そういや日本の経団連会長とか、なにしてんだろ。そう思っている人も、たくさんいるんじゃないかな。・・・

紫の雲…107

2011年04月13日 | 紫の雲
 機関車でヒンダスタン(訳注:インド北部地方)を横断することも考えたが、船を身体の一部のように感じていたから置いて行きたくはなかったし、それにカルカッタで何かちょうど都合のいいものが見つかるという保証もなかった。それに加えて、野蛮な国に入ってゆくので、巻き上げ機を使って船に積み込んだガソリン車を置いてゆくことになるのも気が進まなかった。それでぼくはヒンダスタンの海岸線に沿って船を進ませた。
 この時には、アラビア海の北方の海岸のどこからも同じ香りが風に乗って水上を漂ってきたが、ぼんやりとした夢の王国の幸せの香りのようで、早朝の大気に甘く香り、まるで地球にはたったひとつの香りと、その香りを吸入する生命しか存在していないかのようだった。
 航海の始まりから終わるまでの間には、二十七もの、いやキャロライン諸島の近くで会ったひとつを加えれば二十八もの、恐ろしい嵐に遭遇した。だがその猛威については書きたくない。それは人の手には余るものだったからだ。どのようにしてぼくがその大自然の力から生き延びたのかは、「誰か」が、あるいは「何か」だけがご存知だ。
 ぼくはここで、ひとつだけ書き留めようと思う。つまり――ぼくが観測したことについて、少しだけ。自然現象の中の明らかな狂騒は今、一度起こると、勢いを増し続けている。大嵐はどこまでも怒りに満ち、海はさらに攻撃的な様相を帯びて、その横暴さには限度というものがなかった。雷鳴は、ぼくに対する悪意を新たにして鳴り響き、天空を引き裂くかのような亀裂を走らせ、その隅々にまで轟いたが、まるで全てのものを貪り食らおうとして吠えているかのようだった。ボンベイで一度、そして中国では三度、地震に遭遇したが、二度目と三度目の地震は余りにも激しく、心底ぞっとした。神よ、なぜこのようなことを?ずっと昔読んだ本に、アメリカの大草原は、有史以前から激しい嵐にずっと吹きさらされていたが、人がそこを永遠の住居として定住したとき、嵐は次第に弱まっていったのだと書かれていたことを思い出す。もしそれが本当なら、ちっぽけな人間という存在は、確実な鎮圧を行ってきたか、あるいはありのままの荒々しい自然に魅惑的な効果を加味してきたかであるように思われたが、その人間が不在となった今では、その抑制は取り除かれてしまったのかもしれなかった。これから五十年もしないうちに、地球の甚大な力は、人類の意志から完全に解き放たれるのだろうと思う。そしてこの惑星は、誰もが認める”地獄”の遊び場のひとつとなり、サターンの顔に浮かぶような、途方もない混乱の劇場になってゆくのだろう。

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I had the thought of going across Hindustan by engine, but did not like to leave my ship, to which I was very attached, not sure of finding anything so suitable and good at Calcutta; and, moreover, I was afraid to abandon my petrol motor, which I had taken on board with the air-windlass, since I was going to uncivilised land. I therefore coasted down western Hindustan.
All that northern shore of the Arabian Sea has at the present time an odour which it wafts far over the water, resembling odours of happy vague dream-lands, sweet to smell in the early mornings as if the earth were nothing but a perfume, and life an inhalation.
On that voyage, however, I had, from beginning to end, twenty-seven fearful storms, or, if I count that one near the Carolines, then twenty-eight. But I do not wish to write of these rages: they were too inhuman: and how I came alive through them against all my wildest hope, Someone, or Something, only knows.
I will write down here a thing: it is this, my God―something which I have observed: a definite obstreperousness in the mood of the elements now, when once roused, which grows, which grows continually. Tempests have become very very far more wrathful, the sea more truculent and unbounded in its insolence; when it thunders, it thunders with a venom new to me, cracking as though it would split the firmament, and bawling through the heaven of heavens, as if roaring to devour all things; in Bombay once, and in China thrice, I was shaken by earthquakes, the second and third marked by a certain extravagance of agitation, that might turn a man grey. Why should this be, my God? I remember reading very long ago that on the American prairies, which from time immemorial had been swept by great storms, the storms gradually subsided when man went to reside permanently there. If this be true, it would seem that the mere presence of man had a certain subduing or mesmerising effect upon the native turbulence of Nature, and his absence now may have removed the curb. It is my belief that within fifty years from now the huge forces of the earth will be let fully loose to tumble as they will; and this planet will become one of the undisputed playgrounds of Hell, and the theatre of commotions stupendous as those witnessed on the face of Saturn.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki


鎌倉

2011年04月11日 | 三浦半島・湘南逍遥

 昨日は鎌倉へ出掛けた。この二三ヶ月は、全くといっていいほど休みがなかったし、娘の受験や地震もあったので、遠出するのは久々。
 大船で電車を下りて、大船観音を頭上に見上げつつ、駅前の商店街(いい感じに充実していた)でお弁当を買い込み、そのまま鎌倉方面に向かって歩く。途中で、鎌倉中央公園という谷戸の地形を保存した広い公園で昼食兼花見をする。この公園には初めて来たが、よい場所だった。その後、鎌倉駅の方を目指して歩き、人ごみの中を鶴岡八幡宮へ。台風で倒れたという大銀杏を横目に、お参り。その後、源頼朝公の墓参り。僕は頼朝公のファンなのだが、墓参りをするのは初めて。源頼朝は、なぜかあまり人気がない。人気の高い義経や龍馬なんかよりも、実像はずっと器も大きくて理想も高く、信念も揺るがなかった魅力的で傑出した人物だと僕は思うのだが、天皇制を軸とする教育ではそれも仕方がないのか。八幡宮からほど近い場所に、墓はひっそりとあった。
 鎌倉散策の〆に、由比ヶ浜の海岸へ。海岸からの帰路で、御成小学校の脇を通る。この小学校は、養老先生の出身校ということ。外観を見ているだけで、中に入ってみたくてたまらなくなる建物。

花見

2011年04月08日 | 雑記

 一昨日の夜、桜が満開になったというので、井の頭公園へ軽く花見に出掛けた。毎年ものすごい人出なので、覚悟していたのだが、平日とはいえ、驚くほど人が少ない。公園の入り口には、「宴会を自粛してください」との張り紙。ライトアップがないのは当然としても、果たして花見を自粛しろと呼びかけるのはなんだかちょっと違うんじゃないかと思う。この先の景気が心配になる。けれども、吉祥寺に来て長くなるが、こんなに静かな花見が出来たのは初めて。足の踏み場もないのが例年のことなのに、ベンチに座れたのだから。

 昨日は娘の高校の入学式だった。震災の影響で体育館が使えないということで、市のホールでの開催となった。午後からの式だったので、多少変則的ではあったが、開催できただけでもありがたいと思うべきだろう。娘の高校にも、被災地の高校生を二人ほど受け入れたということ。家族で来ているのか、親元を離れて来ているのかはわからないが、がんばって勉強をして欲しいと切に思う。

火事

2011年04月05日 | 記憶の扉

 今朝、いつも起きる二十分ほど前に、けたたましい消防車のサイレンで目が醒めた。うるさいなあと思っていたら、すぐ近くで止まり、さらにいくつかのサイレンが。布団から這い出して、窓の外を見た妻が、「火事よ」と言う。驚いて見ると、家から百メートルほどしか離れていないところから、ものすごい量の煙。幸い火は短時間で消し止められたようだが、夜になって、仕事帰りにちょっと見にゆくと、その家はもう黒焦げの骨組みしか残っていなかった。警察の人がまだ近くにいた。現場の検証をしているのだろうか。騒がしい夜明けで迎えた一日だったが、最近いろいろとあるので、多少麻痺している感じもする。

 最近、ちょっとまた忌野清志郎の話を耳にすることが増えた気がする。この前もラジオで「激しい雨が」が流れていた。軽く鳥肌の立つ歌詞。清志郎と言えば、チェルノブイリの後で高まった反原発運動の中心にいた一人だったのを覚えている人は多いと思う。今回の原発事故で、最初に頭をよぎった人の一人がこの忌野清志郎。
 もう一人は、野坂昭如。「乱離骨灰鬼胎草」というなんとも言えない強烈な短編集があった。今このタイミングで読むような本でもないのだろうけれども。

 

ジュニア・チャンピオン・コース

2011年04月02日 | 読書録

 先日、高円寺を歩いていて、ふと入った古書店だか雑貨屋だかの店の棚の上に

 「ジュニア・チャンピオン・コース35
 なぞ驚異 地球ミステリー探検」

 があるのを見つけた。とても懐かしい。状態は並の下ぐらいだが、1200円というリーズナブルな値段だったので、購入した。このシリーズは、何と、巻と状態によっては数万円という値段がつくこともあるらしい。
 当時、このシリーズはかなり人気があったと思うので、記憶に残っている人も多いと思う。ぼくもその一人で、特にこの本は、幼稚園の頃に大好きだった一冊で、文字通り読み倒した覚えがある。実はつい最近、ふとこの本のことを思い出して、「そういえば、あの本の中に出ていた、底なしの洞窟っていうのは、どこのことだっただろう」と思って、気になっていたところだったのだ。だから、見つけたときは巡り合わせだと思ったりした(国会図書館にも所蔵がなかったので、それ以上の深追いはしなかった)。気になっていた洞窟の名前は、めでたく判明した(載っていた絵も懐かしかった)。南アメリカのチャビンデワンタル遺跡(よく知らないけれど)の地下道のようだ。でも、ネットで日本のサイトをちょっと調べただけだと、確かに地下道はあるようだが、底なしだとはどこにもでてこない。なので、今のところはまだよくわからない。ともかく、洞窟のようなものとはやや違うようだ。思い返せば、子供の頃に強烈なインパクトを受けたのも、そういう微妙な点だったような気がする。
 「今読むとかなり怪しい本だろう」と思っていたけれども、久々に手に取ってみて、少なくともこの本に関しては、意外とそうでもないことに逆に驚いた。オカルト寄りの本ではない。時事的に、ふと目についたところでは、1960年に東北地方を襲った、地球の反対側で起きたチリの大地震によって発生した大津波に触れて、津波の発生のメカニズムなども紹介している。