漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 






Gnossienne no.1

 遊びのつもりで、takakoさんにネット上で拾った楽譜をもとにして、サティのグノシェンヌNo.1を弾いてもらい、昔の絵に被せて、YouTubeにアップしてみました

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 ついにアンプが壊れてしまった。
 もともと妻が子供のころから使っていたTechnicsのアンプで、三十年以上に渡って使っていたもの。マランツのCDデッキとケンウッドのスピーカーをつないで使っていた。古いが、なかなか悪くなかったので、寂しいが、妻はもっと寂しいだろう。それにしても、昔の電化製品は本当に丈夫だったとつくづく思った。
 僕自身は、最近それほど音楽を熱心に聞くことも少なくなっていて、最後にCDを買ったのはもう何ヶ月も前。ラジオは毎日聞いているけれども、かかるのは退屈な音楽が多くて、特にこれを買おうと思うことも少なくなっている。とはいえ、最後に買ったCDはラジオで聞いたもの。「sleepy. ab」というバンドのCDで、聞いた局は「メロウ」という曲。これをyoutubeで調べて、そこで見つけた別の曲「アクアリウム」のPVの映像がかなり好みだったので、買った。
 最近はCDが売れなくなったとよく聞くが、子供の数が減っているのだから、それは当然といえば当然。音楽をよく買うのは、圧倒的に若い世代なのだから。違法ダウンロードの問題なんてなくても、きっと以前のようには売れないことにはかわりはないだろうと思う。最近、普通に耳にする音楽のつまらなさが(当たり前で単調なヒップホップと切なさを押し出したディーバものと懐メロがやたらと多い)、さらにそれに追い打ちをかけているとも思うけれども。

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 マイケル・ジャクソンの、行われることが無くなってしまったワールドツアーのリハーサル映像をまとめた映画「This is it」が大盛況らしい。
 二週間限定とか、日本人の泣き所をついたような公開のやり方が癇に障るけれども(早速延長が決定したらしい)、評判がいいらしい。僕もちょっと興味があったりする。悔しい気もするけれど。
 晩年、あれほど半ばバカにされていたような感のあるマイケルなのに、この手のひらを返したような持ち上げ方はなんだろうと最初思った。でも時間が経つにつれ、一人のカリスマが作られて行く過程を見ているような気がして、イエスなどもこうだったのかもしれないなと、ふと思ったりした。みんなが薄々感じていた、「見ないようにしていた」というちょっとした罪悪感がバネになって、一気に人気を押し上げるのだ。それを、ある意図をもった人々がさらに焚き付ける。死後に作られるカリスマは、大抵こうした流れなのだろう。
 ふと「ビリー・ジーン」が聴きたくなって、You tubeを探したら、子供がギターを弾いている映像に目を奪われた。上手いし、なんだかずっと見てしまう。この子のほかの演奏もすごい。カノンとか、カムトゥゲザーとか。
 下にリンク。↓

 Billie Jean

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 先日、丸の内にカウ・パレードを見に行った際に寄った新丸ビルの七階に、「BAR LOU REED'S BERLIN」というスペースが、期間限定でオープンしていた。僕は昔からルー・リードが大好きなのだが、ここしばらくは余り聞いていなかった。でも、たまたまその前日に、家で妻とyou tubeでルー・リードやイギー・ポップらの映像を、久々に見ていたのだ。偶然というものは恐ろしい。
 「BAR LOU REED'S BERLIN」は、オープンスペースになっていて、昼間は自由に休息できるのだが、夜の17時から24時までがバーになるらしい。壁にはルー・リードをはじめ、デビッド・ボウイやイギー・ポップらのレコードジャケットがディスプレイされていて、スピーカーからはルー・リードの音楽が流れている。余り人も入ってこないので、木製の椅子に座っていると、困ってしまうほど落ち着いてしまう。置かれていたパンフレットを見ると、ルーのアルバム「ベルリン」が発表から33年を経た2006年に全曲演奏されたのだが、そのライヴパフォーマンスを記録した映画の公開に合わせた企画らしい。冊子には、「商業的に失敗した『ベルリン』に収録された曲がステージで演奏されることは、その後なかった」とあり、伝説を強調しているが、それは嘘。とはいえ、このアルバムは一枚が一つの物語という作品なので、全曲を通して演奏されるというのは確かに快挙である。
 今、部屋に「ベルリン」が流れている。このアルバムは、疲れているときに聞くと、とても落ち着く。僕にとっては、究極の癒しのアルバムである。

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 今日は夜の九時から、吉祥寺のディスク・ユニオンであがた森魚さんのインストア・ライブがあるというので、出かけた。
 「少年歳時記」という、谷内六郎さんの絵に曲をつけたアルバムの、再発記念ライブということである。
 雨の中だったが、観客は、百人以上は確実にいた。あがたさん自身も、思った以上に集まったと思ったらしく、ちょっと感激していたようだ。
 夜のインストアライブということで、全部で一時間弱程度だったが、ゲストもいたりして、充実したものだった。「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」(歌詞にネモ船長やノーチラス号が出てくる、自伝的な曲)などを演奏。終了後、「Taruphology」というアルバムを購入し、サインを頂いた。

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 昨夜は、久々に「さかな」のライブを見に出かけた。
 ワンマンライヴだったが、二時間半の長丁場。何曲くらいやったんだろう。結構人が入っていて、立ち見だったので、ちょっと疲れた。年だなあ。終わったあと、西脇さんにちょっと挨拶して帰ってきた。

 今日は海に行こうかとも思ったのだが、行きそびれて、多摩川までママチャリでポタリング。最近、ポタリングをすることが多い。
 多摩川では、ペットボトルで作った簡易筏を浮かべている人がいて、木切れで舵を取っていた。なかなか面白そう。危なっかしいのも、いい感じ。

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 今日、ちょっと服を見ようとGAPにふらっと立ち寄ったのだが、そこで流れていた音楽が、ちょっと気になった。GAPは結構こだわった選曲をいつもしているなと思っていたが、誰が選んでいるのだろう。
 で、そのとき流れていたのがちょっと環境音楽的な印象もある音楽で、ポストロックといった感じ。最初、「Galaxie500に似ているな」と思ったから、特に印象に残ったのだろう。Galaxie500というのは、八十年代の終り頃に出てきたバンドで、活動は短かったが、後にちょっとした伝説的バンドとなった。
 写真は、そのGalaxie500のアルバムだが、今僕の持っているのはボックスセットから再編集されたベスト盤だけ。つまり、この写真はオリジナルアルバムではなくて、ベスト盤だが、オリジナルアルバムには収録されていない曲も沢山収録されてあるので、貴重といえば貴重かもしれない。
 GAPを出た後、ヨドバシカメラに寄り、ついでに同じビルの中に移転したタワーレコードにも久々に寄った。最近CD買ってないし、もう全然どんなバンドがあるのかわかんないなと思いつつ、何枚か試聴。その中にアイスランドのバンド「Sigur Ros」のライブアルバムがあった。
 あれ、これはさっきGAPで流れていたのとちょっと似ているなと思い、もしかしたら絵を描いたりするときに流しておくのにちょうどいいかもしれないと考えた。でも結局買わずに、帰りがけにツタヤに寄って、そのバンドの過去のアルバム「Takk」を借りてきた。
 で聞いているのだが、さっき流れていたのは、僕がGAPで聞いた、まさにその曲だった。
 たまにこんな、偶然が積み重なることもあるんだなという話。

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 仕事から帰って来て、新聞を読んでいた時、小さな記事に目が止まった。
 尾崎豊が亡くなった場所に隣接した民家をかつて「尾崎ハウス」として開放していた方の記事だ。それを読みながら、そうか、今日は尾崎豊の命日なんだと思った。
 もう、何年前だろう。十五年?それとも十六年?いずれにしても、もうそれだけの月日が過ぎたことに驚かされる。

 問答無用の名盤というものがある。
 僕にとってそれは、例えば邦楽では、古くはあがた森魚の「乙女の浪漫」だったり、桑田佳祐の「孤独の太陽」であったり、最近ではシャーベッツの「シベリア」であったり、他にもいろいろあるが、する。そうしたアルバムの中に、尾崎豊の最初の三枚のアルバム、とりわけファーストの「十七歳の地図」が、含まれている。
 十代の頃、何度聞いたかわからない。その頃僕はこのアルバムをカセットテープに録音して聞いていたのだが、「街の風景」から始まり、パーソナルな「十五の夜」でA面が終わる。そして暫くの空白のあと、テープを裏返して、「十七歳の地図」からまた始まる。今でも思い出せる。「十五の夜」が終わった後の、不思議な高揚感が。僕はこのアルバムの中に、いろいろなものへのいらだちと、東京への憧れを投影していたのだ。

 尾崎豊が死んだ時、僕は東京にいた。
 だが、もはや彼の曲を聞くことも殆どなくなっていた。
 だから、その死には驚いたものの、今に至るまで、「尾崎ハウス」を訪れようとしたこともない。ただ、時々彼の曲を思い出し、もはや裏返す必要もないCDをデッキに差し入れるだけだ。
 この数年、尾崎豊の名前を聞くことも、めっきりと減った気がする。
 今の学生には、もはや尾崎豊の描き出した詩の世界は、牧歌的な神話に映るのかもしれないとも思う。学校はもはや敵としては余りにも脆弱で、彼らが立ち向かわなければならないものは、もっとつかみ所のない、現実の世界そのものだろうからだ。
 それでも、尾崎豊の音楽を聴くと、その声の説得力に、僕はいつも心を動かされる。声には、やはり理屈を超えた力があると感じる。日本で、これほど完璧なカリスマとなったミュージシャンは、他にはいないのではないだろうか。思い当たるのは、阿部薫やhideだが、やはり次元が違う。

 今から二十年ほど前、東京に出てきて、新宿の副都心のビル群を歩いた時のことを思い出す。あれは、とても風の強い日だった。僕は行き場を無くしたような気持ちで歩いていた。その時、オレンジ色の夕陽がビルの窓に反射して、目を射た。その時のことを。
 センチメンタルな、昔ばなしだけれど。

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 CDをひっくり返していたら、遠藤ミチロウのアルバムが出てきて、ものすごく久しぶりに聞いたが、やっぱり強烈。音楽的にどうこうとか、そういう問題ではなく、真似が出来そうにない。
 遠藤ミチロウといえば、八十年代半ばに、日本のパンクシーンの先駆「THE STALIN」のボーカリストとして、今ではどうか知らないけれど、絶大なカリスマ的人気を集めていた。石井聰亙の映画「爆裂都市」にも出ていたし、丸尾末広の漫画にも度々登場していたのを覚えている。
 僕はスターリンのライブは見たことがないのだけれど、色々な逸話は良く聞いた。
 今ではもう、ライヴハウスがあれほどのテンションになるということは、ないんだろうな。
 

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 先日の日曜日の、絵画館前の銀杏並木。
 細い歩道を挟んだ左右で、紅葉の程度が違っているのが、面白かった。
 自然は、ダイナミックだけれど、繊細ですね。

 突然、CANを聞きたくなって、聞いている。
 今聞いているのは、「DELAY1968」という、デビューアルバム以前に録音された、幻のファースト。そのリマスター盤。
 CANというのは、七十年代の伝説的なドイツのバンド。一時期、日本人のボーカリスト「ダモ鈴木」が在籍していたということでも有名。ただ、僕が初めてカンの名前を知ったのは、「アント・サリー」のボーカリストだったPhewのメジャーデビューアルバム「Phew」。それは坂本龍一のプロデュースだったのだが、その演奏がCANだったのだ。
 カンは、プログレという範疇に入れられることが多いのだが、僕としては、そういう気がしない。僕が余りプログレは好きじゃないせいかもしれない。ついでに言えば、カンは、バンドというよりは、もしかしたらユニットという方が正しいかもしれない。カンのアルバムは、アルバムごとに結構印象が違うが、これはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムなどともちょっと印象が似ている。そういえば、僕と同じように、ルー・リードが好きだった友人も、カンが好きだった。
 コクトー・ツインズといい、ドゥルッティ・コラムといい、そしてこのカンといいい、最近ちょっとそんな気分なんですね。

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 昨日の夜、久々に絵を描いていたら、ドゥルッティ・コラムのアルバムが無性に聞きたくなって、調べたら初期の二作が再発されているのを知り、今日帰りにタワーレコードでファーストアルバム「The Return of the Durutti Column」を買ってきた。で、今聞いているが、やっぱり素直にセカンドの「LC」の方を買えばよかったかなと思っている。今はもう持っていないけれど、「LC」は、どれだけ聞いたかわからないアルバムだった。ドゥルッティ・コラムは、この「LC」ばかりを繰り返し聞いていた。
 今日買ったファーストは、当時余り印象に残らなかったのだが、今聞くともしかしたら良いかもしれないと思って買ってみた。でも、やはりリズムマシンがどうしてもちょっと気になってしまう。
 Durutti Columnは、八十年代のポストパンクの中でひっそりと出てきたバンドだが、実際はヴィニ・ライリーの個人バンドだ。アズテックカメラやコーネリアスみたいなものだ。このファーストアルバムは、最初のプレスではレコードジャケットが両面ともサンドペーパーで出来ていた。他のレコードを傷つけたいからだそうだ。有名なレコードなので、その逸話だけで知っている人も多そうだ。
 今さらドゥルッティ・コラムなんて聞いている人もあまりいないんだろうなと思いながら、調べると、今年新作が出たようで、ああ、まだちゃんとやっているんだと思った。ヴィニといえば、拒食症の美青年というイメージがあるので、下手したらもう死んでいるのではないかという気さえしていたからだ。写真を見ると、さすがに随分年を取っているけれど、相変わらずガリガリで、変わらないように見える。

 ところで、You Tubeに、その「LC」に収録されていた「Never Known」のビデオクリップが収録されているのを見つけて、驚いた。同じ「LC」収録の「The Missing Boy」のライブクリップも。どこにも行き着かないギターの、ちょっとミニマリズムのような音楽。

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 あがた森魚の
 「噫無情(レ・ミゼラブル)」
 を聴いている。
 この前、「乙女の浪漫」を久々に聴いたのに続いて、やはり久々に。
 
 このアルバムの中の「永遠のマドンナK」が、沁みる。
 
 十代の頃、大阪の「ミューズホール」というライブハウスで観たのが、唯一の「生あがた」だった。ミラーボールの下で、稲垣足穂の「星のふる郷」にメロディをつけた曲を延々とやっていた。

 あがた森魚は、ものすごく好きというアーティストでもなかったのだけれど、考えてみれば、節目節目で縁があるという、不思議なアーティストである。最近、テレビで偶然見かけたのだが、相変わらずだった。そうでなくっちゃと思った。



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 シド・バレットが亡くなったという訃報が届きました。
 僕はプログレが苦手なので、それほどシド・バレットのことは詳しくないのですが、昔から、僕の周りにいたミュージシャンには絶大な人気がありました。アルバムも持っていますが、いつ聞いても、彼の音楽はそのどこか狂った感じが、人を居心地の悪い気持ちにさせます。でもその辺りが確かに魅力ではありました。



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 数日前から、無性にコクトー・ツインズを聴きたくなっていた。
 理由は別にないのだが、時々そういうことがある。コクトー・ツインズは、好きは好きだが、凄く好きなバンドというほどではなく、昔からよく知ってはいるが、数本のカセットテープしか持っていなかった。だが、一時はよく聴いたそれらのカセットも、既にどこかへ行ってしまっている。このバンドも、やはりワンアンドオンリーだから、好きとか嫌いとかはともかく、聴きたくなると替えはきかないわけだ。彼らが影響を受けたというスージー&バンシーズとも違うし、エンヤのようなヒーリング系の音楽とも違う。例えるなら、暗闇で光る鉱物から出ている放射線のような音楽か。

 で、高田馬場のTSUTAYAで、「TREASURE」を借りてきた(ついでに、この前shuさんに教えていただいた「つぶやき岩の秘密」をリクエストしてきた。『リクエストには100%答えます』ということだが、果たして?)。買おうとまでは思わなかった。今、聞きながらこれを書いている。懐かしき4ADの名盤。

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 今日で三月も終り。
 明日からは新年度。
 桜が咲き誇っているが、風が強い。
 帰り道で見上げた空には、鋭い三日月がかかっていた。

 Televisionのアルバム、「Marquee Moon」を聴きながら、これを書いている。
 これまでに、このアルバムはいったい何度くらい聴いただろう。

 この三月で、ブログを始めて一年。自分でこっそり、今月は毎日更新すると決めた。ちょっとした祭り気分。でも、それほど盛り上がっているわけでもなく、多少温度が高い程度。でも、そういう時が、実は一番意地になっている。途中何度か、ちょっとズルしたけれど(笑)、今日の書き込みで無事達成。内容のない書き込みだけれど、ビールを飲んで、二周目の「Marquee Moon」を聴きながら、ほっとしている。今、「Friction」が流れている。やっぱりかっこいいなあとか思いながら、ギターのフレーズを口笛で吹いたりしている。気楽な三日月夜。

 

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