漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

年内最後の更新です

2009年12月29日 | 雑記

 明日から帰省します。
 なので、これが年内最後の更新になります。
 
 今年も一年、ありがとうございました。
 来年もよろしくお願いします。
 それではよいお年を。

《ミッドナイトランド》/ エンドレスサマー/ 22

2009年12月27日 | ミッドナイトランド
 「陽性なら?」
 「それはもちろん、すぐに入院していただきます。命に関わりますから、死にたくなければ、問答無用ですね。ですが、無自覚の状態でしたら、治療さえすれば、全く深刻なものではありません。多少、嫌な気分は味わうことになるかもしれませんが」
 「どのような症状になるのですか?」
 「第一期の症状としては、あの少年のように、深い眠りにつきます。ですが、その期間は比較的短く、せいぜいが二三日といった程度です。その後、一時的に嘘のように健康になりますが、それは《包夜花虫》が神経系を冒しているからです。《包夜花虫》という寄生虫は、最終宿主が《黒土竜》というモグラの一種なのですが、人間も中間宿主とすることがあります。人間はあくまで中間宿主ですから、命を奪うことにためらいはないようですね。第二期になると、体中に水泡ににた瘤ができて、動くのも億劫になります。そして、異物食、具体的には土を食べたいという欲求に苛まされるようになります。やがて土の上で動けなくなり、その死体を《黒土竜》が食べることによって、最終宿主に到着するというわけです」
 「最悪だわ」
 「ええ、ですから検査を受けてくださいね」
 検査は簡単なもので、すぐに終わったが、結果が分かるまでには多少の時間がかかった。だが、今度は二人とも退屈を感じるという余裕はなかった。結果は共に陰性で、胸を撫で下ろした僕たちは、少年の処置を医師に委ねると、家路を辿った。
 「どうなるのかしら」人通りの疎らな《水甕通り》を並んで歩きながら、カムリルは言った。「そもそもあの子誰なのかしらね」
 「そうだね」と僕は言った。「病気の方は、大丈夫だと医者が請け負ってくれたから、平気だろうけど、本当に誰なんだろうね。この街の人ではないような気はするけれど。これまで一度も会ったことがないと思うし。まあ、この街の人をみんな知ってるわけじゃないけどね。それに、着ている服とか、雰囲気とか、ちょっと違うよね」
 「それはわたしもそう思うけど」カムリルは言った。「でも、それならどこから来たのかしら」
 「さあ、どこだろう。多分、そんなに遠い街からではないとは思うけど、分からないよ」
 「意識が戻ってからになるのね」カムリルは言った。「時々お見舞いに行かないと。彼を病院にまで運び込んだわけだし、それに、ちょっと興味があるわ。あなたはどう?」
 「うん。興味もあるし、お見舞いには行くつもりだよ。まあ、なくてもどうせ病院から呼び出されることになるだろうけどね。今はまだ身元が分からないし、この街の人間でないとなると、なおさらだ。一度関わった以上、ある程度深く関わることは覚悟しているよ」
 「覚悟してる?それは何だかちょっと冷たい言い方じゃない?」
 「いや、言い方がまずかった」僕は言った。「ちょっといろいろと考えてしまったんだよ。話をしようにも、言葉が分かるかな、とかね。そういうつまらないことを、いろいろと」
 「言葉がわからないかもしれないなんて、考えもしなかったわ」
 「色々な可能性があるからね。でも、多分気の回しすぎだろう。きっとそれほど遠くから来たわけじゃないだろうし、だとすれば、言葉もそれほど大きくは違わないと思う」
 「どうしてそう思うの?」
 「なんとなくだよ。まだ子供といっていい年齢だしね、そんな長い距離を旅してきたとは思えないから。近くの街なら、言葉もそれほど大きくは違わないだろう」

紫の雲・・67

2009年12月25日 | 紫の雲

 二日後、ぼくは鉱山にいた。そしてここでも、もう見慣れつつある惨状をいきなり目の当たりにすることになった。十のうち六つは全く同じ話だから、はしょっていいだろう。この世界の外に存在する気まぐれな「創造主」はいとも容易く、雲の到来によって、あらゆる人々を葬り去ってしまった。ダラム州の炭坑口の幾つかについては、人々がそこに集まって倒れていたということに、既に衝撃を受けていた。鉱山に隠れようという考えは、あらゆる人々が思いつき、そこへ向かったに違いなかった。
 これらの鉛の鉱山の中は、ほとんどの鉱山の坑道がそうであるように、炭坑よりもずっと竪穴の数が多く、出入り口、坑井、袋小路を除いては、ほとんど換気のための通風口もなかった。したがって、深さは三百フィート以上ではないようで、息苦しさが常に他の恐ろしい死を予感させたに違いない。上りと下りの両方の縦坑には梯子が一本あって、坑夫と逃亡者の両方にとって、そして村の一軒の家で手に入れた、チェック柄のフランネルのシャツ、膝に皮パッチのついた二つボタンの作業ズボン、厚底のブーツ、それになめし皮のソケットの中に円筒型の燭台をまっすぐにはめ込めるようになった坑夫用の安全帽を身につけていたぼくにとっても、難なく下りることが可能だった。この灯りと、何ヶ月も持ち歩いていたデーヴィー安全灯とともに、ぼくは地中深くで大部分の時間を過ごし、生命という名の宝を探し、あらゆる場所で見つかったのは、英国の中の可愛いやつやむかつくやつ、けばけばしくゴワゴワした外套にくるまったポメラニア人の女性、ワラキア人、マメルーク人、キルギス人、僧侶、イーマーン、などといった、ほとんどあらゆる種類の人間たちだった。
 
 *****
 
 この上なく澄みきったある秋の日、ぼくはついにバーナード村にあるマーケット・クロス(十字標)の近くにまでやってきたが、気が滅入ってきて、自分の生家に行く気持ちが萎えてしまった。ぼくはそこで妹のアーダと――そして母を目にすることになるだろうと思ったからだ。橋の上で、欄干にもたれたり、行ったり来たりしたりしながら、ぐずぐずと時間を過ごし、鬱蒼とした森に覆われた、城の楼閣を頂くゴツゴツとした高みを見詰めていた。山の麓のティース川は、ここでは滑らかに、そして光に満ちて流れているが、行きたいが行きたくないような気がしている、一マイルほど下った辺りでは、まるで熟れきった売春婦のように、騒々しく、泥にまみれ、ずたずたに引き裂かれて、すべての岩の間を流れる小川は影の下に――ロークビーの森の影に消えているのだ。ぼくは手には食料を入れたバッグを持ち、ゆっくりと丘を上り、それから頂上へと続く城壁の中の階段を上ったが、そこに手すりはなかったものの、どっしりとした城壁で、危険を感じることはなかった。ここで坑夫の服装に身を包んだまま、ぼくは三時間ほど座り込んで、ぼんやりと陰影に富んだ古い森の光景を見詰めながら塞ぎ込んでいたが、その間を流れる川は遥かマーウッド・チェイスの向こうからやってきて、流れの速いバルドル川と合流し、木陰の多いロークビーに至り、見事な紅葉を見せてくれた。鬱蒼とした樹々は高台に行くにつれて減少し、遥かに優美な、低木の列の中に野原が広がり、明るい太陽の中で、遥かな紺碧の蜃気楼が、遠く人里離れた荒地の気配を見せていた。三時までにはぼくは川に沿って下り、それからロークビーの近くで牧草地を横切って、古い丘を上って行った。そこには塀の上に、古ぼけた小さな黒い升目に黄色い文字でこう書かれていた。
 
 <ハント・ヒル・ハウス>
 
 このカントリーサイドには、どの場所にも、どの家にも、見知らぬ死体が存在しないということはないようだった。「ハント・ヒル」も例に漏れなかった。ぼくは庭の小道の右手の、雑草だらけの一角に三体の遺体を見たが、そこにはサンザシとライラックの木が伸び放題になっていて、以前から手の入っていなかった左手の小さな藪は、その範囲を広げていた。ブレックファスト・ルーム(朝食室)の中、ホールの右手に、三人。そしてブレックファスト・ルームに開いている、新しい木製のよろい張りの小部屋の中に二人が、半ばビリヤード・テーブルの下に潜り込んでいた。そして一階のポーチを見下ろせる自分の部屋の中で、やせ細った姿のぼくの母が、左のこめかみを打ち抜いて横たわり、そしてベッドの足元には、黒い髪のアーダが、ナイトドレスに身を纏い、顔を床に伏せていた。
 すべての男女の遺体の中から、二人だけを埋葬した。前庭のライラックの根元に馬小屋の鍬で穴を掘った。それから二人の全身をシーツで包んだ。激しい痛みと吐き気が押し寄せたが、やっとの思いで二人を弔った。
 
 *****

****************


Two days later I was at the mines: and here I first saw that wide-spread scene of horror with which I have since become familiar. The story of six out of ten of them all is the same, and short: selfish 'owners,' an ousted world, an easy bombardment, and the destruction of all concerned, before the arrival of the cloud in many cases. About some of the Durham pit-mouths I have been given the impression that the human race lay collected there; and that the notion of hiding himself in a mine must have occurred to every man alive, and sent him thither.
In these lead mines, as in most vein-mining, there are more shafts than in collieries, and hardly any attempt at artificial ventilation, except at rises, winzes and cul-de-sacs. I found accordingly that, though their depth does not exceed three hundred feet, suffocation must often have anticipated the other dreaded death. In nearly every shaft, both up-take and down-take, was a ladder, either of the mine, or of the fugitives, and I was able to descend without difficulty, having dressed myself in a house at the village in a check flannel shirt, a pair of two-buttoned trousers with circles of leather at the knees, thick boots, and a miner's hat, having a leather socket attached to it, into which fitted a straight handle from a cylindrical candlestick; with this light, and also a Davy-lamp, which I carried about with me for a good many months, I lived for the most part in the deeps of the earth, searching for the treasure of a life, to find everywhere, in English duckies and guggs, Pomeranian women in gaudy stiff cloaks, the Walachian, the Mameluk, the Khirgiz, the Bonze, the Imaum, and almost every type of man.

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One most brilliant Autumn day I walked by the village market-cross at Barnard, come at last, but with a tenderness in my heart, and a reluctance, to where I was born; for I said I would go and see my sister Ada, and―the other old one. I leaned and loitered a long time on the bridge, gazing up to the craggy height, which is heavy with waving wood, and crowned by the Castle-tower, the Tees sweeping round the mountain-base, smooth here and sunlit, but a mile down, where I wished to go, but would not, brawling bedraggled and lacerated, like a sweet strumpet, all shallow among rocks under reaches of shadow―the shadow of Rokeby Woods. I climbed very leisurely up the hill-side, having in my hand a bag with a meal, and up the stair in the wall to the top I went, where there is no parapet, but a massiveness of wall that precludes danger; and here in my miner's attire I sat three hours, brooding sleepily upon the scene of lush umbrageous old wood that marks the long way the river takes, from Marwood Chase up above, and where the rapid Balder bickers in, down to bowery Rokeby, touched now with autumn; the thickness of trees lessening away toward the uplands, where there are far etherealized stretches of fields within hedgerows, and in the sunny mirage of the farthest azure remoteness hints of lonesome moorland. It was not till near three that I went down along the river, then, near Rokeby, traversing the old meadow, and ascending the old hill: and there, as of old, was the little black square with yellow letters on the gate-wall:

HUNT HILL HOUSE.

No part, no house, I believe, of this country-side was empty of strange corpses: and they were in Hunt Hill, too. I saw three in the weedy plot to the right of the garden-path, where once the hawthorn and lilac tree had grown from well-rollered grass, and in the little bush-wilderness to the left, which was always a wilderness, one more: and in the breakfast-room, to the right of the hall, three; and in the new wooden clinker-built attachment opening upon the breakfast-room, two, half under the billiard-table; and in her room overlooking the porch on the first floor, the long thin form of my mother on her bed, with crushed-in left temple, and at the foot of the bed, face-downward on the floor, black-haired Ada in a night-dress.
Of all the men and women who died, they two alone had burying. For I digged a hole with the stable-spade under the front lilac; and I wound them in the sheets, foot and form and head; and, not without throes and qualms, I bore and buried them there.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



ヴィジュアル・カルチャーと漫画の文法

2009年12月24日 | 漫画のはなし

 昨日は、明治大学で行われたシンポジウム「ヴィジュアル・カルチャーと漫画の文法」に出かけてきた。荒俣宏氏が出るというので、一度実物を見てみたいと(笑)思ったのだ。
 荒俣さんは、観相学の周辺のことについて色々と話されていて、興味深い話が聞けた。この人の話なら、幾らでも聞きたいと思わせるものがあった。
 シンポジウムは二部に分かれていて、メインは第二部だとは思ったのだが、ちょっと用事があったので、第一部しか参加できず、残念だった。


萩尾望都原画展

2009年12月22日 | 漫画のはなし

 今日は冬至。最も夜の深い日。空は澄んでいる。

 先日、「萩尾望都原画展」に妻と出かけた。
 妻は、一番好きな漫画かもしれないという、「ポーの一族」の原画を見ることが出来て満足だったようだ。萩尾望都の漫画は、僕も結構好きなものがあるので、楽しめた。カラー原稿が丁寧で、繊細だった。見る価値のある展覧会だったと思う。
 初めて萩尾望都作品を読んだのは、「この娘うります」で、小学校の四年生頃だったが、別に読みたかったわけではなく、熱が出て寝ているときに、父に漫画が読みたいと言ったら、買ってきたのがそれだったのだ。正直言って、小学生の男子には全然面白くなかった。でも、なんでそんなものを買ってきたのか、いまだによくわからない。
 次に読んだのは、随分と経ってからで、「恐るべき子供たち」だった。これは、原作が好きだったので、読んだ。でも、この時点でもあまりよくわからなかった。面白いと思ったのは、何かに再録されていた「あそび玉」と、たまたま読んだ「半身」からだと思う。その後、「エッグ・スタンド」や「メッシュ」、それから「ポーの一族」を読んだのだと思う。このあたりは、どれも面白かった。
 今回の展示で、原稿に「返却希望」とか、「切ってばらばらにしないでください」とか書かれてあったのが、当時の漫画の原稿に対する扱いが垣間見れて、興味深かった。

紫の雲・・66

2009年12月21日 | 紫の雲

 ぼくは列車で海岸沿いを進み、ホイットビーとミドルズバラの周辺にある、鉄鉱石と明礬を噴射切削している一帯へと向かった。途中、ゴールズボローの一角からケトルネスの海岸に向かったが、湾へと向かう道の中ほどにホブ・ホールと呼ばれている洞窟があり、ジェット採掘と人夫たちによってその周囲が掘り返されてていたが、どれもさほど深いとは言えなかった。洞窟の中には牛の小さな群れが転がっていたが、ぼくにはそれが一体何を意味するものなのか想像もつかなかった。結局、噴射切削された穴の中には何も見つけることは出来なかった。少し離れた南側には、サンドセンドのような、主要な明礬の産地があり、大地に穿たれた、ライアス統が切り出した大きな穴はまるでクレーターのようで、たくさんの明礬の頁岩、低木の束、ライアス統から抽出したセメントの塊だけが転がっており、その現場を一瞥しただけでも、ここに隠れている人間などいないと断言できた。その後は、二つの穴を覗いただけで、他は敢えて見なかった。ホイットビーとその周囲の殺伐とした原野からダーリントンへと向かうと、もうぼくの家からはそれほど遠くなかった。だがぼくは家に向かうつもりはなく、二日間ほどぐずぐずとした挙句、リッチモンドへ向かって発ち、リースの近くの、アーケンガース・ダール周辺の鉱山へと向かった。ここは山岳地帯の始まるところで、峡谷、滝、鉱石、亀裂、芝地、小川、山道、村落、水源地、山間など、様々な景観が広がっていた。そこで目にした遺体の中には、今にも馴染みのある訛り丸出しの声で語りかけて来そうなものもあった。だが、それは割合として多くはなかった。このカントリーサイド一帯の人口は、少なくとも数百万にも膨れ上がっているに違いなかった。そして村には、ドナウ、レバント、あるいはスペインの村のような雰囲気が漂っていた。その中のひとつ、マリックという村では、通りの様子が、まるで大戦争、あるいは大虐殺の光景のようだった。英国人であれ外国人であれ、さらには男であれ女であれ、あらゆるところからやってきた人々は、暴力によって命を落としたに違いないとぼくは思った。割れた頭、傷、大きく開いた口、折れた手足、そうしたものを目にしたからだ。リースから鉱山のある方角へと向かう代わりに、風に流される漂流船のように、心の赴くままにやや南西にあるスウェートの村に足を伸ばしたが、死者が周囲百ヤードにも渡って惰眠を貪っており、実際には村に入ることは出来なかった。それで少し引き返して、今度は徒歩で、とても急で石ころだらけの山道を右手に折れ、バタータブス峠を越えてウェンスレイデールへと続いてゆく道を行くことにしたが、その日はとても明るくて暖かく、大きな雲が、中心から灰色の水蒸気の立ち上っている水銀の湖のように見えており、芝生に覆われた谷間の上に憂鬱な影を投げかけていて、その下にスウェイトの村が広がり、二マイル離れたところにはミューカー、つまりスウェールデール北部で最大の村が見えていた。道を上ってゆくと間もなく、スウェールデールの道と丘の向こうの光景、素朴な山間の全景と草原、川と雲の影などを見下ろすことが出来たが、一つを除き、地図と荷物は全てまた戻るつもりでリースに置いてきたため、この清明な日の足取りはどこか軽く、そしてこの素晴らしい地球は――ぼくのものだった。上り道はでこぼこで、長かった。だがもし休息をとって振り返ったなら――見えただろう。天国や楽園の概念が、善き魂によって作り上げられ、地球が人の心に働きかける印象からはっきりと湧き起こる様子が。どんな楽園もこれほどまでに澄みきってはいないだろう。ちょうど地獄の概念が、混沌が渦巻く中から立ち上って馬鹿げた思索の習慣の中に入り込み、この楽園を変化させたかのように。少なくともその時はそう感じた。そう考えているうちに、息の中にヒーヒーという音が混ざり、上ってゆくにつれて、ますます道は険しさを増し、ほとんどアルパインの未開地のような状態になった。左手に深い谷が広がるその淵辺を通り過ぎた後は、山道はその様相を変え、山腹にはヒースが生え、小川のせせらぎが響き、石や切り立った岩、それに大きな滝と岩だらけの景観が現れた。そして最後には広くて侘しい頂上が現れ、明らかに雲が近くなっていた。
 
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I went onward by train-engine all along the coast to a region of iron-ore, alum, and jet-excavations round Whitby and Middlesborough. By by-ways near the small place of Goldsborough I got down to the shore at Kettleness, and reached the middle of a bay in which is a cave called the Hob-Hole, with excavations all around, none of great depth, made by jet-diggers and quarrymen. In the cave lay a small herd of cattle, though for what purpose put there I cannot guess; and in the jet-excavations I found nothing. A little further south is the chief alum-region, as at Sandsend, but as soon as I saw a works, and the great gap in the ground like a crater, where the lias is quarried, containing only heaps of alum-shale, brushwood-stacks, and piles of cement-nodules extracted from the lias, I concluded that here could have been found no hiding; nor did I purposely visit the others, though I saw two later. From round Whitby, and those rough moors, I went on to Darlington, not far now from my home: but I would not continue that way, and after two days' indecisive lounging, started for Richmond and the lead mines about Arkengarth Dale, near Reeth. Here begins a region of mountain, various with glens, fells, screes, scars, swards, becks, passes, villages, river-heads, and dales. Some of the faces which I saw in it almost seemed to speak to me in a broad dialect which I knew. But they were not numerous in proportion: for all this country-side must have had its population multiplied by at least some hundreds; and the villages had rather the air of Danube, Levant, or Spanish villages. In one, named Marrick, I saw that the street had become the scene either of a great battle or a great massacre; and soon I was everywhere coming upon men and women, English and foreign, dead from violence: cracked heads, wounds, unhung jaws, broken limbs, and so on. Instead of going direct to the mines from Reeth, that waywardness which now rules my mind, as squalls an abandoned boat, took me somewhat further south-west to the village of Thwaite, which I actually could not enter, so occupied with dead was every spot on which the eye rested a hundred yards about it. Not far from here I turned up, on foot now, a very steep, stony road to the right, which leads over the Buttertubs Pass into Wensleydale, the day being very warm and bright, with large clouds that looked like lakes of molten silver giving off grey fumes in their centre, casting moody shadows over the swardy dale, which below Thwaite expands, showing Muker two miles off, the largest village of Upper Swaledale. Soon, climbing, I could look down upon miles of Swaledale and the hills beyond, a rustic panorama of glens and grass, river and cloudshadow, and there was something of lightness in my step that fair day, for I had left all my maps and things, except one, at Reeth, to which I meant to return, and the earth, which is very good, was―mine. The ascent was rough, and also long: but if I paused and looked behind―I saw, I saw. Man's notion of a Heaven, a Paradise, reserved for the spirits of the good, clearly arose from impressions which the earth made upon his mind: for no Paradise can be fairer than this; just as his notion of a Hell arose from the squalid mess into which his own foolish habits of thought and action turned this Paradise. At least, so it struck me then: and, thinking it, there was a hiss in my breath, as I went up into what more and more acquired the character of a mountain pass, with points of almost Alpine savagery: for after I had skirted the edge of a deep glen on the left, the slopes changed in character, heather was on the mountain-sides, a fretting beck sent up its noise, then screes, and scars, and a considerable waterfall, and a landscape of crags; and lastly a broad and rather desolate summit, palpably nearer the clouds.


"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



歌の翼に

2009年12月20日 | 読書録

「歌の翼に」 トマス・M・ディッシュ 著 / 友枝康子 訳
未来の文学 国書刊行会刊

読了。

 面白かった。何だか、高校生の頃にいろいろとSF小説を読んでいた頃のような気持ちで、最後まで読んだ。考えてみれば、この小説が書かれたのも、僕が高校生の頃に色々と読んでいた小説が書かれた時期とほぼ同じなので、そのせいなのかもしれない。だけど、いまだにさほど古さを感じせないのは、さすが名作とされているだけはある。
 物語は、幽体離脱、あるいは解脱(と言っていいのかな)の話。歌によって、肉体から解き放たれる魂があるというもの。多少オカルト的というか、神秘主義的というか、そういう要素があるものの、その魂の問題が小説の中心テーマとなるわけでもなく、主人公の人生の物語が、比較的淡々と語られて行く。ディッシュはゲイの作家として有名で、去年、数年前に長年連れ添ったパートナーが死んだこと、そしてアパートから追い立てをくらおうとしていたことなどが遠因となって、ピストル自殺した。この小説は一種のゲイ小説としての側面もあり(多少少女マンガ的ともいえる)、小説を最後まで読み通して、ディッシュの死のことを思うと、まさに一種の自伝とも呼べる小説なのかなとも考えてしまう。もっとも、書かれたのが1979年なので、そういうわけでもないのだろうが。
 この作品は、もともとサンリオ文庫に入っていて、入手が困難だったもの。こうしてまた一冊、サンリオ文庫からぜひ復刊してもらいたい作品が世に出た。あとは、何だろう。トム・リーミィの「サンディアゴ・ライトフット・スー」、ボブ・ショウの「去りにし日々、今ひとたびの幻」、アンナ・カヴァン「ジュリアとバズーカ」、あとは、古書価が異常なピーター・ディキンスン「生ける屍」あたりか。

言語

2009年12月18日 | 近景から遠景へ

 最近ちまちまと翻訳の真似事をやったりしていて、よく思うのは、国の違う人同士の間に横たわる垣根は、国境ではなく、単純に言語なんだろうなということ。別の言い方をすれば、思考というものは言語によって抽象化することで、より深く考えることができるようになるわけだから、思考は言語に引っ張られているのだということ。つまり、日本人らしさというのは、もしかしたら日本語を言語として持っている人らしさという意味なのかもしれないということだ。こういうことは、何かに書いていた気もするし、今更言うほどのこともない、当たり前のことなのだろうが、よく実感する。言葉には、その言葉を話す人びとの生活背景や思想が刻まれている。外国人を理解するためには、まず言語を理解することが大切なのだろうと思う。日本でいると、日本語の美しさという言い方をよく聞くが、それは日本人に生まれたからであって、日本語を解さない人にとっては意味がない。違った言葉同士でその美しさを比較するのは意味がない。語彙だって、実は英語の方がはるかに多いのだし(オックスフォード英語辞典は全23巻、61万5千語。日本国語大辞典は全二十巻、45万項目)。ただ、言語に付随する曖昧さの度合いという点を考えると、日本語には日本語としての独自のものがあるのだろうが、そういう比較しかできない。
 昔からたまに、「戦争で外国は日本のことを学んでいたが、日本人は外国語を完全排除した。だから戦争に負けたんだ」というようなことを耳にしたが、これは逆で、もし日本人が向こうから歩いてきたアメリカ兵の言葉が理解できたら、もっと相手を人間だとして認識しただろう。だから、あれだけ泥沼になるまで戦わせることができたのは、国による、外国語の完全排除という政策が功を奏したせいだろうと僕は思う。人間というものは、相手が何を考えているのか分からないと、とても不安になるからだ。外国人が流暢な日本語で話し始めると、途端に距離が縮まったような気分になるのは、その証拠だろう。

 と、こんなことをブツブツと書いているのは、英語(外国語)はやっぱり難しいなあと、溜息をついているからです(笑)。

紫の雲・・65

2009年12月15日 | 紫の雲

 *****
 
 暗礁が岬の先端から四分の一マイルに渡って続き、一見平穏に見える水面下に息を潜めるかのようにごつごつと見えており、水深の浅さを示すかのように、三隻の難破船がその暗礁の上に乗り上げていて、それからすぐ近くには大きな蒸気船もあって、身動きに取れなくなった海の上で、朽ちるに任せていた。垂直に切り立った岸壁に沿って城壁が続き、その北にはスカーボロ城が建っていて、南は低くなりながらホールダーネス海岸に消えているが、ぼくをここまで導いてきた亀裂や横穴があり、障壁としての役割は果たしていないように思われた。ぼくは南側のごつごつとした斜面を下り、石灰岩が波に侵食されて出来た、手付かずのままのビーチに降り立った。断崖は、裾の方は古い瘡蓋のような貝殻やフジツボに覆われ、シオグサ(?原文ではBeard Algae)が張り付き、上の方を見上げると、白い断崖は風雨に晒され、所々がすっかりと粉を吹いたようになっていて、他の部分は、汚れた大理石のように鈍く激しく光を反射し、そしてその間には薄暗いガリー(雨裂)と洞穴とが海岸に大きく口を開けていたが、その遠くまで伸びるゴツゴツとした岩の入り江に身を置いたぼくには、そこがなかなか興味深い場所のように思えた。朝にこの場所を歩いた時、小さなヤドカリが三匹とカサガイ、それに藻のついた岩の下の潮溜まりに二匹のninnycocks(?)を見たのだ。これはぼくには驚きで、というのも、実のところ、あらゆる場所、ロンドンはもとより、他の街でも、信じられないほどの数の鳥が大地を覆っており、場所によっては雨のようだとさえ思えるほどで、その種類も、熱帯の固有種も含めて、多岐に渡っていたからだ。それゆえぼくは、鳥たちもまた、国から国へと雲から逃れて移動し、ついには疲れと悲しみ、そして死に征服されたのだと結論せざるを得なかった。
 びっしりとタマキビのついた岩と、潮の生臭い香りがする濡れた夥しい量の海草を乗り越えて、ぼくは最初に見つけた海食洞窟に入った。狭く、長く、曲がりくねっていて、壁は波に磨かれ、地面は中に行くほど高くなっていた。暗い洞内でマッチを擦った時には、まだ外からリーフの岩に打ち寄せる重々しく断続的な波音が聞こえていたが、本当に微かにしか聞こえなくなっていた。ここで出会えるのは死人ばかりだろうということは分かっていたが、興味深い点がいくつかあって、行き止まりまで探したところ、三フィートの奥行きを持った海草の束が詰められていた。だがここには誰もいなかった。石灰岩の中に化石と矢尻があっただけだ。ぼくは岬の南をある程度探し、それから北へ向かい、地図によれば「ノース・ランディング」と呼ばれている、スズキ漁船の集まった、別の入江に向かって歩いた。ここでは、かつてのカニ漁夫やニシン漁夫が去った今でもはっきりとした魚の臭いを嗅ぎ取ることができた。進むにつれ、入江や港が次々と目の前に広がった。萎れた緑の芝生が崖の庇の上からぐったりと垂れ下がり、まるで若い空軍兵士の、真中から分かれ、眉の上に張り付いた髪のようだった。オベリスク型、先端が膨れた柱のような形、砦のような形など、様々な石灰岩の立石が乱立していた。ある場所では、ぼくの目の前に少なくとも八つの突端がずっと伸びており、全体、あるいは半分が、それぞれがノルマン様式、あるいはゴシック様式のアーチのようだった。そしてここでも、ある洞窟の中にパンのような湿った果肉を詰めたカーペットバッグと、それから岩に打ちつけたトルコのターブーシュを見つけた。また、石灰岩の石切り場の下に、五頭のロバの死骸を見た。だが、人はいなかった。東の海岸は明らかに避けられていた。午後になって、ついにぼくはフィレイに到着したが、疲れきっており、そこで眠った。
 
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*****

The reef before the Head stretches out a quarter of a mile, looking bold in the dead low-water that then was, and showing to what extent the sea has pushed back this coast, three wrecks impaled on them, and a big steamer quite near, waiting for the first movements of the already strewn sea to perish. All along the cliff-wall to the bluff crowned by Scarborough Castle northward, and to the low vanishing coast of Holderness southward, appeared those cracks and caves which had brought me here, though there seemed no attempts at barricades; however, I got down a rough slope on the south side to a rude wild beach, strewn with wave-worn masses of chalk: and never did I feel so paltry and short a thing as there, with far-outstretched bays of crags about me, their bluffs encrusted at the base with stale old leprosies of shells and barnacles, and crass algae-beards, and, higher up, the white cliff all stained and weather-spoiled, the rock in some parts looking quite chalky, and elsewhere gleaming hard and dull like dirty marbles, while in the huge withdrawals of the coast yawn darksome gullies and caverns. Here, in that morning's walk, I saw three little hermit-crabs, a limpet, and two ninnycocks in a pool of weeds under a bearded rock. What astonished me here, and, indeed, above, and everywhere, in London even, and other towns, was the incredible number of birds that strewed the ground, at some points resembling a real rain, birds of nearly every sort, including tropic specimens: so that I had to conclude that they, too, had fled before the cloud from country to country, till conquered by weariness and grief, and then by death.

By climbing over rocks thick with periwinkles, and splashing through great sloppy stretches of crinkled sea-weed, which give a raw stench of brine, I entered the first of the gullies: a narrow, long, winding one, with sides polished by the sea-wash, and the floor rising inwards. In the dark interior I struck matches, able still to hear from outside the ponderous spasmodic rush and jostle of the sea between the crags of the reef, but now quite faintly. Here, I knew, I could meet only dead men, but urged by some curiosity, I searched to the end, wading in the middle through a three-feet depth of sea-weed twine: but there was no one; and only belemnites and fossils in the chalk. I searched several to the south of the headland, and then went northward past it toward another opening and place of perched boats, called in the map North Landing: where, even now, a distinct smell of fish, left by the old crabbers and herring-fishers, was perceptible. A number of coves and bays opened as I proceeded; a faded green turf comes down in curves at some parts on the cliff-brows, like wings of a young soldier's hair, parted in the middle, and plastered on his brow; isolated chalk-masses are numerous, obelisks, top-heavy columns, bastions; at one point no less than eight headlands stretched to the end of the world before me, each pierced by its arch, Norman or Gothic, in whole or in half; and here again caves, in one of which I found a carpet-bag stuffed with a wet pulp like bread, and, stuck to the rock, a Turkish tarboosh; also, under a limestone quarry, five dead asses: but no man. The east coast had evidently been shunned. Finally, in the afternoon I reached Filey, very tired, and there slept.

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



ディズニーランド

2009年12月14日 | 記憶の扉

 昨日は家族でディズニーランドへ。
 クリスマス・ファンタジーのイルミネーションで園内はとても鮮やかだった。
 最近は余りイルミネーションを意識して見ないが、やはりここは別格。
 最近、街の中のイルミネーションは、青色ダイオードのものが多く、あれは何と言うか、ちょっと淋しくなる気がする。エコじゃないとか言われてしまいそうだけど、明りはやはり暖色系のほうが、この時期にはあっている気がする。

 娘も来年は高校受験だし、年頃にもなってきたし、家族だけでこうしてディズニーランドに出かけるのも、もしかしたらこれが最後かもしれない。

《ミッドナイトランド》/ エンドレスサマー/ 21

2009年12月12日 | ミッドナイトランド
 途中で何度も休みながら、ようやく少年を僕の部屋の床に横たえたのは、《青の丘》を出発してから、実に五時間後のことだった。その間、少年は一度も目を醒まさなかった。本来ならすぐに病院に運び込むべきだったのだろうが、時間も遅く、受け入れてくれそうな病院は僕の部屋からさらにずっと先にあったから、とりあえずは僕の部屋で休んで、医者に連絡を取ろうと考えたのだ。床に横たえるというのは可愛そうかとも思ったが、何せ臭うし、とてもベッドを使わせる気にはなれなかった。部屋に入れるだけでも、多少は勇気が入ったのだ。それでも一応毛布は敷いてやったし、少なくともあのまま砂浜に放っておくよりはずっとマシなはずだった。
 「ついに一度も目を醒まさなかったわね」とカムリルは言った。「どうしよう。大丈夫かしら」
 「体温はあるんだ。息もしてる。だけど、大丈夫とは言えないよね、どう考えても」
 「病院に連絡を早くしたほうがいいわね」
 「うん。一体何が何だかわからないから、早く処置をしてもらったほうがいいのは間違いないだろうな。悪いけど、僕が様子を見ているから、連絡をしてきてくれないかな」
 「わかった」
 カムリルが部屋を出て行くと、僕はバスルームに入り、体をしっかりと石鹸で洗った。少年の様子が覗えるように、ドアは開けたままにしておいた。服もすっかりと取り替え、古い服は湯を張った洗濯槽に放り込んだ。だが、自分の体からは臭いが大体取れても、部屋の中に充満した臭いはどうすることもできない。少年の服を全部脱がせて頭から洗ってやりたかったが、こんな状態ではそんなわけにもゆかない。まだ少年だし、体臭が特に強いというわけでもないのだろうが、何度か尿を漏らしているようだし、気持ちのよいものではなかった。僕は冷蔵庫からビールを取り出して栓を取り、ベッドに腰をかけると、ぐったりと横になったまま動かない少年を見詰めながら、飲んだ。この後も色々と大変そうだというのは分かっていたが、疲れきっていて、少し飲まずにはいられない気分だったのだ。
 明るい部屋の中で改めて見ると、少年は本当に幼い顔をしていた。初めて見たときには十代の後半かと思ったが、せいぜいが半ばといったところだろう。髪の色が赤っぽく、かなりの縮れ毛で、それが真っ白な顔に張り付いている。
 そうこうしているうちにカムリルが戻ってきた。どうだったと聞くと、病院からこっちに運搬の手配をしてくれるということで、もうこれ以上運ぶのは辛いと思っていたところだったから、心底ほっとした。それから三十分ほどで、病院からの迎えがやってきた。やってきたのは三人だったが、誰もがしっかりとした防護服に身を包み、慎重に少年を運び出した。その様子が妙に大げさに思え、しばらく見入っていたが、その中で一番背の低い一人がいきなり僕の側にやってきて、申し訳ないがお二人とも一緒に来ていただきたいと言った。その口調は明らかに任意ではなく強制だった。僕はカムリルと顔を見合わせた。それを見たその医師は、いや、詳しいことは後でお話いたしますが、一応念のための検査を受けて頂きたいので、と言った。
 病院まで、少年を運ぶのを手伝いながら同行した。少年が検査のために病院の中の一室に運び込まれると、僕とカムリルは別室に隔離され、少し待つように言われた。そしてそのまま二時間以上も放っておかれた。さすがに少しイライラとしてきたが、カムリルはさらに我慢ができなくなってきたようだった。それで部屋から出ようとした時、不意に医師が部屋に入ってきた。
 「すみません、お待たせしまして」とその医師は言った。かなり肉付きのよい医師で、全身がすっぽりと防護スーツに包まれている。
 「どうなりましたか?」僕は言った。医師は僕の顔を、しばらく呆けたような眼差しで見詰めたが、不意に思いついたように口を開いた。
 「あの少年ですか?ええ、大丈夫です。危ないところでしたけれどもね、随分と早くここに運べたので、問題はないでしょう」
 「そうですか。よかった。でも、一体何だったのですか?」
 「寄生虫です」と医師は言った。「《包夜花虫》という、宿主に捕食寄生する寄生虫です。実はそれほど珍しい寄生虫ではありませんが、放置しておくと命に関わるので、早い発見で本当によかった。宿主から別の宿主に感染もする可能性もありますし、早期なら完全に治癒できるとはいえ、発見が遅れると深刻なことになる可能性が高い寄生虫ですから。話を伺った最初から、おそらくは感染性の疾患か、あるいは寄生虫によるものだという予測がありましたから、お二人にも残っていただきました。結果として、比較的問題の少ない種類でしたから、おそらくは大丈夫だとは思いますが、お二人にもこの後、一応の検査をしていただきます。それで、陰性であればすぐにお帰りいただけます」

紫の雲・・64

2009年12月11日 | 紫の雲

 その夜、ぼくはリッチモンドのとある島の入り江にボートを停泊し、キャビンで眠っていた時、人だか何だかわからないやつがやってきてぼくに問いかけてくるという、いやにはっきりとした夢を見た。そいつはこう言うのだった。「どうしてお前は他の人間を探そうとなどするんだ?そいつに抱きついてキスするためか?それとも、そいつに駆け寄って、殺すためか?」ぼくは夢の中で不機嫌に答えた。「殺すつもりなんてない。ぼくは誰も殺そうなんて思っちゃいないさ」
 
 *****
 
 ぼくが知りたかったのは、自分が本当にたった一人きりなのかどうかということだった。本能がこう囁いてくるのだ。「見つけ出すんだ。そうだ、何としても。保障はないが――やるしかないんだ」
 ミッドランドキャナルを通り過ぎ、のんびりと構えたまま、ゆっくりと北へと向かった。気温は暖かいままで、大地のほとんどはまだ紅葉に彩られていた。ぼくは英国に戻って以来目の当たりにしてきた酷い嵐について考え、書き記していた。そう、この平穏さはまさに強烈で、珍しかったのだ。だからこの観測は必然だった。驚かずにはいられなかったのだ。ずっと、丁度いい状態というものが存在しないかのように思えていた。風が吹けば嵐になる。嵐が来なければ、葉っぱの一枚も散らないし、水面を揺らすそよ風さえない。まるで笑ったかと思ったらいきなり怒鳴り散らす狂人のようだと思った――微笑んだり溜息をついたりするということは、決してないのだ。
 四日目の午後、ぼくはレスターの側を通り過ぎ、翌朝にはコンパスと地図を手に快適なボートを降りると、小さな駅で機関車を手に入れ、ヨークシャーに向かったが、ぼくはそこで二ヶ月というもの日がなぶらぶらとして過ごし、時々は蒸気機関車で旅行したり、自動車で移動したり、バイクで移動したり、あるいは徒歩で移動したりしていたが、気がつくと秋は終わってしまっていた。
 
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 ロンドンには二軒、特に立ち寄るつもりだった家があった。一軒はハーレー・ストリートにあり、もう一軒はハノーバー・スクエアにあった。だがその場所に行った時、ぼくは立ち寄らなかった。そしてヨークシャーには、少しばかり樹木が生い茂った中に、ぼくの生家があって、立ち寄るつもりだった。だが、町の東半分に何日もいたせいで、それもしなかった。
 ある朝、ブリッドリントンからフランブロへと続く防波堤に沿って歩いていた時、海から視線を戻したぼくは、深い驚きとともに目を奪われる場面に直面した。ぼくは崖から三百ヤード離れた、樹々に囲まれた大邸宅へと導かれていたのだ。その敷地の小道の終点、ちょうどぼくの目の前に、注意を促す立て札が立っていた。「侵入者は通報します」その瞬間に迸った感情は――まず第一に――笑い、腹の底から込み上げてくる笑いを、石灰質のガリーに響かせ、朝の大気に向かって放ちたいという思いだった。その感情は抑えたが、それでも地球のこの辺り一帯に存在するのは自分一人だという小さな戸惑いとともに、自らの今の境遇に苦笑せずにはいられなかった。
 ここの崖は、見たところ七十フィートの高さがあって、上部の粘土質の層が度々崩落するため、上りの道を進みながらも常に、一定の畏怖の念をその石灰質のガリーに対して抱いていたが、這うようにして下ったり上ったりしながら、やがて辿り着いた自然の峡谷を背景にして長い岬に向かって伸びている塚、あるいは障壁は、間違いなく、かつては命を賭けて熱い戦いを繰り広げ、そして今ではすっかりと休息しているような、かつての侵略者である海賊たちによって築かれた塁壁のように聳えていた。さらに進んで、岸壁の狭間にある入り江にまでやってくると、沢山のボートが斜面に停泊しており、中にはとても高い場所にまで引き上げられているものもあったが、下りの勾配はとても険しくなっていた。内側の坂道が向かう先に行ってみると、石灰窯があったが、誰もいなかった。それで別の道を行くと村があって、外れには古い塔が、むき出しの大地の上に立っていた。ぼくは一時間ほどそこの小さな宿屋の食堂で休息した後、湾岸警備所と灯台に行った。
 海を越えた東方に目を遣れば、ここの灯台守には、茶色と紫色の渦巻いた熱い雲が、おそらくは小さな炎の舌をちらちらと出しながら、ゆっくりと空を覆い隠して、海上を進んでくる様子が覗えたはずだ。この岬の経度は、ロンドンと全く同じである。そして「その時」の記録から時刻を見積もるなら、雲がドーバーの向こうのカラカスの上空に見え、ロンドン、フランブロで観測されたのは、七月二十五日の日曜日、午後三時過ぎだったに違いない。日中の開けた光の中で見えたその運命は、さぞ不気味で――予兆に満ちたものだっただろうが、恐らくはその終末に立ち向かおうとして、やってきたぞと――もしそれだけ職務に忠実で、ずっとそこに留まっていたとしたならだが、灯台守は逃げながらも叫んだに違いない。というのは、ここにはだれもおらず、そして村はとても小さかったからだ。この灯台の敷地内には、八十フィートの高さの円形の白い塔があり、崖の縁には、訪問者が名前を残すためのノートがあった。ぼくはここに白と黒で何かを書き記すつもりだった。なぜなら、秘密は神とぼくだけの間に存在したからだ。名前をさっと目で追った後、ぼくは鉛筆を手にして、そこに自分の名前を書き記した。
 
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That night, as I lay asleep on the cabin-cushions of my little boat under the lee of an island at Richmond, I had a clear dream, in which something, or someone, came to me, and asked me a question: for it said: 'Why do you go seeking another man?―that you may fall upon him, and kiss him? or that you may fall upon him, and murder him?' And I answered sullenly in my dream: 'I would not murder him. I do not wish to murder anyone.'

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What was essential to me was to know, with certainty, whether I was really alone: for some instinct began to whisper me: 'Find that out: be sure, be sure: for without the assurance you can never be―yourself.'
I passed into the great Midland Canal, and went northward, leisurely advancing, for I was in no hurry. The weather remained very warm, and great part of the country was still dressed in autumn leaves. I have written, I think, of the terrific character of the tempests witnessed in England since my return: well, the calms were just as intense and novel. This observation was forced upon me: and I could not but be surprised. There seemed no middle course now: if there was a wind, it was a storm: if there was not a storm, no leaf stirred, not a roughening zephyr ran the water. I was reminded of maniacs that laugh now, and rave now―but never smile, and never sigh.
On the fourth afternoon I passed by Leicester, and the next morning left my pleasant boat, carrying maps and compass, and at a small station took engine, bound for Yorkshire, where I loitered and idled away two foolish months, sometimes travelling by steam-engine, sometimes by automobile, sometimes by bicycle, and sometimes on foot, till the autumn was quite over.

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There were two houses in London to which especially I had thought to go: one in Harley Street, and one in Hanover Square: but when it came to the point, I would not; and there was a little embowered home in Yorkshire, where I was born, to which I thought to go: but I would not, confining myself for many days to the eastern half of the county.
One morning, while passing on foot along the coast-wall from Bridlington to Flambro', on turning my eyes from the sea, I was confronted by a thing which for a moment or two struck me with the most profound astonishment. I had come to a mansion, surrounded by trees, three hundred yards from the cliffs: and there, on a path at the bottom of the domain, right before me, was a board marked: 'Trespassers will be Prosecuted.' At once a mad desire―the first which I had had―to laugh, to roar with laughter, to send wild echoes of merriment clapping among the chalk gullies, and abroad on the morning air, seized upon me: but I kept it under, though I could not help smiling at this poor man, with his little delusion that a part of the earth was his.
Here the cliffs are, I should say, seventy feet high, broken by frequent slips in the upper stratum of clay, and, as I proceeded, climbing always, I encountered some rather formidable gullies in the chalk, down and then up which I had to scramble, till I came to a great mound or barrier, stretching right across the great promontory, and backed by a natural ravine, this, no doubt, having been raised as a rampart by some of those old invading pirate-peoples, who had their hot life-scuffle, and are done now, like the rest. Going on, I came to a bay in the cliff, with a great number of boats lodged on the slopes, some quite high, though the declivities are steep; toward the inner slopes is a lime-kiln which I explored, but found no one there. When I came out on the other side, I saw the village, with an old tower at one end, on a bare stretch of land; and thence, after an hour's rest in the kitchen of a little inn, went out to the coast-guard station, and the lighthouse.
Looking across the sea eastward, the light-keepers here must have seen that thick cloud of convolving browns and purples, perhaps mixed with small tongues of fire, slowly walking the water, its roof in the clouds, upon them: for this headland is in precisely the same longitude as London; and, reckoning from the hour when, as recorded in the Times, the cloud was seen from Dover over Calais, London and Flambro' must have been overtaken soon after three o'clock on the Sunday afternoon, the 25th July. At sight in open daylight of a doom so gloomy―prophesied, but perhaps hoped against to the last, and now come―the light-keepers must have fled howling, supposing them to have so long remained faithful to duty: for here was no one, and in the village very few. In this lighthouse, which is a circular white tower, eighty feet high, on the edge of the cliff, is a book for visitors to sign their names: and I will write something down here in black and white: for the secret is between God only, and me: After reading a few of the names, I took my pencil, and I wrote my name there.

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



紫の雲・・63

2009年12月07日 | 紫の雲

 これまでにも鉱山のことを考えたことはあった。だが、この記事を初めとする記事の数々が、いわば活を入れてくれるまでは、漠然としたものにすぎなかった。「そこなら」とぼくは思った。「どこかに人が見つかるかもしれない……」
 
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 その朝、ビルディングから外に出たぼくは、どっと年をとってしまったかのように感じたが、それは言葉にならないような恐怖の深淵に身を置いていたからで、すっかりと弱ってしまい、足取りはふらつき、頭はくらくらとした。
 ぼくはファリンドン・ストリートに出て、四つの通りが出会う場所である「サーカス」の近くに立ったが、通りは視界の及ぶ限り死体で埋め尽くされており、その死体は、色あせた様々な色彩の襤褸に身を包むか、半裸の状態か、あるいは全く何も身に纏っていないという状態で、多くの場合、折り重なって倒れており、リーディングで見たのと似てはいたが、ここではさらに骸骨めいた姿を晒していた。腫れて見える肩、尖った尻、えぐれた腹、そして餓死した人々の固く骨ばった手足、その様子は、落下したマリオネットたちの不気味な戦場のように、グロテスクな空気を纏っていた。そこに混じって、夥しい数のあらゆる種類の乗り物が見えたが、夜を過ごしたその通りが白日の下に晒されてしまうと、その中を運転することは不可能であるように思えた。ぼくはどうするべきだろうかと少し考えた。それで、平行して走っている裏通りに行き、ストランド・ストリートにある店に行き当たると、国の採掘場に関するあらゆる情報を見つけようとした。シャッターは上がっていて、ここで余り大きな音は立てたくなかったが、明るい朝の十時ごろだったし、幌のかかった大きな家具運搬車の近くでバールを見つけたため、入り込むのは容易かった。ぼくは結局、北へと向かい、そのシステムを熟知している大英博物館に辿り着くと、中に入った。図書館の入り口にはぼくを制止しようとする者は誰もおらず、円形をした巨大な読書室の中にも生きている人間はいなかったが、ただ一人、喉が甲状腺の病気で腫れた、眼鏡をかけた老人がいて、「最後の読書人」として、棚の近くの書架ばしごに横たわっていた。ぼくは印刷されたカタログを手に入れ、一時間ほど、上の階にある薄暗く静かな聖物ギャラリーにいたが、ギリシャやコプトのパピルス、憲章、紋章、などを目の当たりにして、こうした古代の地球の夢は、天使のペンでさえ半分も書き記すことはできないだろうと思った。その後、ぼくはずっしりと重い陸地測量図を、三冊の地誌学の本と共にクロークルームで見つけたバッグの中に詰め込み、外に出た。それからホルボーンの器具製造会社で六分儀と経緯儀を手に入れ、次いで河の近くの食料雑貨店で一、二週間分の食料を大袋の中に詰め込んだ。ブラックフライアーズ・ブリッジの波止場で、小型のシャープな白い軽汽船を見つけたが、幸運なことに、液体空気で動くタイプだったから、面倒な点火の手間が省けた。昼までにぼくはテムズ河を孤独に切り裂いて進んだが、この河は古代の英国人を生んだ源で、彼らはその原生林の中に泥で作った小屋を建て、後にローマ人がやってきたとき、それを見て、彼らをタムジス(Tamesis)、あるいはテムジス(Thamesis)と呼んだのだ。
 
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****************


I had thought of mines before: but in a very languid way, till this article, and other things that I read, as it were struck my brain a slap with the notion. For 'there,' I said, 'if anywhere, shall I find a man....'

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I went out from that building that morning feeling like a man bowed down with age, for the depths of unutterable horror into which I had had glimpses during that one night made me very feeble, and my steps tottered, and my brain reeled.
I got out into Farringdon Street, and at the near Circus, where four streets meet, had under my furthest range of vision nothing but four fields of bodies, bodies, clad in a rag-shop of every faded colour, or half-clad, or not clad at all, actually, in many cases, over-lying one another, as I had seen at Reading, but here with a markedly more skeleton appearance: for I saw the swollen-looking shoulders, sharp hips, hollow abdomens, and stiff bony limbs of people dead from famine, the whole having the grotesque air of some macabre battle-field of fallen marionettes. Mixed with these was an extraordinary number of vehicles of all sorts, so that I saw that driving among them would be impracticable, whereas the street which I had taken during the night was fairly clear. I thought a minute what I should do: then went by a parallel back-street, and came out to a shop in the Strand, where I hoped to find all the information which I needed about the excavations of the country. The shutters were up, and I did not wish to make any noise among these people, though the morning was bright, it being about ten o'clock, and it was easy to effect entrance, for I saw a crow-bar in a big covered furniture-van near. I, therefore, went northward, till I came to the British Museum, the cataloguing-system of which I knew well, and passed in. There was no one at the library-door to bid me stop, and in the great round reading-room not a soul, except one old man with a bag of goître hung at his neck, and spectacles, he lying up a book-ladder near the shelves, a 'reader' to the last. I got to the printed catalogues, and for an hour was upstairs among the dim sacred galleries of this still place, and at the sight of certain Greek and Coptic papyri, charters, seals, had such a dream of this ancient earth, my good God, as even an angel's pen could not half express on paper. Afterwards, I went away loaded with a good hundred-weight of Ordnance-maps, which I had stuffed into a bag found in the cloak-room, with three topographical books; I then, at an instrument-maker's in Holborn, got a sextant and theodolite, and at a grocer's near the river put into a sack-bag provisions to last me a week or two; at Blackfriars Bridge wharf-station I found a little sharp white steamer of a few tons, which happily was driven by liquid air, so that I had no troublesome fire to light: and by noon I was cutting my solitary way up the Thames, which flowed as before the ancient Britons were born, and saw it, and built mud-huts there amid the primaeval forest; and afterwards the Romans came, and saw it, and called it Tamesis, or Thamesis.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



《ミッドナイトランド》/ エンドレスサマー/ 20

2009年12月03日 | ミッドナイトランド
 外套は寝袋としても使えるようになっているもので、その中に少年の顔は半ば隠れてはいたが、幼さは隠せなかった。肌の色が極端に白く、ひどく痩せており、少しも動く気配がない。
 「死んでいるのかしら……?」
 「どうだろう?」
 僕は用心のために片手に小型銃を握り締めた。そしてカムリルにそこにいるように言って、一人でゆっくりと少年に近づいた。だがやはり少年は動く気配がない。傍らに立つと、僕は思い切って呼びかけた。
 「どうしました?」
 反応がない。
 「大丈夫ですか?」
 やはり反応はなかった。
 顔色は確かに白いが、死んでいるようにも見えない。少し躊躇ったが、そっと手を伸ばして、頬に触れてみた。やや冷たいが、生命を感じないほどではない。頬の柔らかさも死者のものではない。さらには、手の甲に呼吸の風を微かに感じた。そのことが僕を緊張させた。この少年は生きている。だが、こうして触れているにも関わらずまるで反応を返さないというのは、何かしらの問題があるに違いない。その「問題」が何か分からないというのは、嫌な気分だった。
 「生きてるの?」
 どうするべきか、やや途方に暮れた気持ちで少年を見詰めていた僕に、いつの間にか側に来ていたカムリルが話しかけてきた。
 「うん」僕は言った。「息はしてる。でも、反応がない」
 「眠っているのかしら」
 「かもしれないけど、もしそうなら、随分と深い眠りだ。こうして頬に触れても、全く反応しないんだから」
 カムリルは屈み込み、少年の頬に触れた。それからその手を、そっと鼻の下に持って行った。
 「本当ね。息はしてるわ。なぜ反応しないのかしら」
 「分からないよ。でも、どうしよう。このままにしておくわけには行かないだろうし」
 「そうね」
 僕はじっと少年を見詰めた。整った顔をしていたが、ともかく痩せていた。外套は、素材が丈夫なもののようで、それほど痛んだ印象は受けなかったが、履いている靴はかなり傷んでいて、長い距離を歩いてきたのだろうということが推測できた。それに、少年の体から発散する臭いは、かなり強かった。長い間体や服を洗っていないのだろう。でも、どうしても耐えられないというほどでもない。僕はそう自分に言い聞かせた。そして少年の体を抱えながら、カムリルに言った。「仕方がないから、僕が街までおぶってゆくよ。悪いけど、ちょっと背負うのを手伝ってくれないか」
 僕はカムリルの手を借りて少年を背負うと、歩き始めた。完全に気を失っている人間を背負うのは、かなり大変だった。砂地だと、特に辛かった。二三歩歩いたところで、果たして街まで持つかと不安になったが、やるしかなかった。休みながら行けば、いつかは辿り着くはずだ。そう思うしかなかった。