漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

少女庭国

2014年08月14日 | 読書録

「少女庭国」 矢部嵩著
ハヤカワJコレクション 早川書房刊

を読む。

 図書館で見つけて、作者名も聞いたことがなかったけれども、ハヤカワJコレクションシリーズの一冊ということで、なんとなく借りてきて読んだ。
 見返しの内容紹介のところには、こうある。

 卒業式会場の講堂へと続く狭い通路を歩いていた中3の仁科羊歯子は、気づくと暗い部屋に寝ていた。
 隣に続くドアには、こんな貼り紙が。卒業生各位。下記の通り卒業試験を実施する。“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ。時間は無制限とする”
 羊歯子がドアを開けると、同じく寝ていた中3女子が目覚める。またたく間に人数は13人に。脱出条件“卒業条件”に対して彼女たちがとった行動は…。扉を開けるたび、中3女子が目覚める。扉を開けるたび、中3女子が無限に増えてゆく。果てることのない少女たちの“長く短い脱出の物語”。

 これだけを読むと、なんだかバトルロワイヤルものなのかなあと思ってしまうし、さほど期待もせずに読み始めたのだが、これがなかなかの奇作。はっきり言ってしまうと、変な作品。多分、この惹句だけでどんな小説か正しく推理できる人はいないと思う。「萌え」とかとも無縁。筒井康隆の小説が好きな人には、おすすめできるかもしれない。
 小説は、「少女庭国」と「少女庭国補遺」の二部構成。タイトルだけをみると、「少女庭国」が本編で、「少女庭国補遺」はそのサイドストーリーのようなものなのかなと思うのだけれど、そこがこの作品の仕掛けの一つで、実は逆である。確かに、60ページに満たない短編の「少女庭国」だけでも一応は完結していなくはないのだが、これは両方を読まなければ意味がない、いろんな意味で人を食った、一つの長編小説なのだ。 
 作品が作品だけに、内容については少しでも触れてしまうと読む楽しみが全くなくなりそうなので、触れないほうが良さそうだ。何も考えずに読み進めるのがいいと思う。作中に様々な矛盾(や矛盾以前の問題)を感じたり、疑問(や疑問以前の問題)を抱いたりすることはあるが、それはそういうものだと受け入れてしまえば、さほど気にならなくなる……気がする。ただひとつ、残念といえば残念なのは、この作品の中でどうしてこういうことになっているのかの説明が、多少の仄めかしのようなものはあるようにも思えるけれども、一切書かれないということ。まあ、がっかりするような種明かしがあるくらいなら、いっそないほうがいいのかもしれないが、読み終わって、「ああ、結局最後までなんの説明もなかったな」とは、どうしてもやっぱり思ってしまう。それに、卒業試験のもしかしたら正解のようなもの(あるいは別解のようなもの)が最後に書かれていて、「ささやかなハッピーエンド」のような感じになっているのだが、それは「なるほど、そういう手があったか」とは思ったものの、ちょっとやそっとでは思いつけないような、あっと驚くというほどのものでもないので、なんだかえらくこじんまりと唐突に終わったなと、ちょっと思った。もっとも、じゃあどんな終わり方なら納得するんだと言われても全く思いつけないし、考えているうちに、やっぱりこれしかなかったかもしれないなとは思えてくるのだけれど。
  アクションものでもミステリーでもなく、SF、いやむしろ幻想文学に近い小説だが、読み終わって、もっと近いものがあるとふと思い出した。それは小説ではなく、現代美術の奇才、会田誠の絵である。会田誠の描く、「ジャンブル・オブ・100フラワーズ」や「ジューサーミキサー」等の、少女残酷曼荼羅とも言うべき、かなりきわどい一連の絵画作品のことだ。ひょっとしたら、この作品は、会田氏の絵から着想を得たのではないかと、ちょっと思ったり。