「完訳ロビンソン・クルーソ」 ダニエル・デフォー著
増田義郎訳 中央公論新社刊
を読む。
娘が最近スピッツが気に入っていて、よくCDを聞いている。そのせいか、この前、図書館から岩波少年文庫版「ロビンソン・クルーソー」を借りてきていた。それで、ふと思ったのは、そういえば僕は「ロビンソン・クルーソー」を完訳版で読んでいない、ということだった。僕が読んだことのあるのは、子供向きのダイジェスト版だけだ。大体の内容は知っていたから、これまで改めて読もうとは思わなかったのである。娘の借りてきた本を後で読もうかとも思ったのだが、どうせなら完訳を謳っているものをと思い、図書館から借りてきたのかこの本。
さすがに今読んでも楽しめる作品で、人気を博したのがわかる。ロビンソンが、こんなにソロバンを弾くことの得意な人だったということが意外だった。常に収支計算をしているのである。冒険家というよりも、エコノミストである。そのあたりも、人気となった秘密だろうか。また、ロビンソンがフライデーに対してプロテスタントの布教をしたり、改めて聖書に感銘を受けたりするあたりは、未開の土地へ宣教師を向かわせた原動力の一端を担ったのかもしれないとも考えたりする。
ところで、この本は「完訳」ということだが、本当は、「ロビンソン・クルーソー」には、第二部と第三部があるらしい。ただし、今ではほとんど読まれることもないため、一般に「ロビンソン・クルーソー」といえば、この「第一部」のみを指すらしい。これも、知らなかったことだ。