漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 



 明日から、帰省します。
 というわけで、今年は、これが最後の更新になります。
 本年度は色々とありがとうございました。 
 来年もどうかよろしくお願いします。
 来る年が、良い年でありますように。

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 創元文庫から「満を持して」刊行された、「日本怪奇小説傑作集」全三巻。その第一巻をようやく買った。編者は紀田順一郎と東雅夫。真打ちの感がある。
 第一巻には、明治35年から昭和10年まで、西暦で言えば1902年から1935年までに発表された作品が集められてある。編年体のアンソロジーなのだ。ちなみに、作家で言えば、小泉八雲から佐藤春夫までである。まだ全てを読んでないので、なんともいえないのだが、昔から名作といわれている作品群の中から、とりわけ異界と此界が互いに侵食しあっているような作品が、多く選ばれているようだ。その点で、西洋の怪奇小説よりもずっと夢幻の色合いが強い。
 
 ここで取り上げるのは、このアンソロジーで小泉八雲に続いて、二番手として紹介されている作品、泉鏡花の「海異記」である。発表は1906年。「ホジスンと異界としての海」のカテゴリーで紹介しているから、その関連で言えば、1906年はホジスンが長編「The Boats of the “Glen Carrig”」を発表する前年である。特に何の関連もないが、同時代の作家であったということは確認しておきたい。
 さて、この作品を読んだのは初めてだったのだが、大体において、鏡花の文章は読みにくい。だから、完全に意味が取れたのか、正直、自信がない。それほど難しい文章なのだ。それでも、大筋くらいはわかっているはずである。
 簡単に言えば、漁師の若い妻が、夫が長い航海に出ている間、幼い娘を抱えてたったひとりで心細く生活していたのだが、あるとき海から入道がやってきて、娘の命を奪っていった、というような話だ。
 だが、その結末の部分で、少し引っかかる部分がある。
 果たして、お浜という娘は、本当に入道の手にかかって、命を奪われてしまったのかとうことだ。一見、例えばゲーテの「魔王」の詩のように、魔物によって幼い生命を断たれた悲劇のようだが、どうもそうではないようにも読めるのだ。
 これは、もしかしたら深読みの部類にもはいるのかもしれないが、もしかしたら、お浜の命を奪ったのは、孤独のあまり錯乱した母親、つまり漁師の妻のお浪なのではないだろうか。入道というのは、ただの通りすがりの破戒僧のようなもので、彼が行ったことといえば、幼子の殺害ではなく、お浪との姦通に過ぎなかったのではないか。そう考えれば、作中でちらりちらりと、考えようによっては不必要なほどに、お浪の艶かしさが書かれている理由も理解できる。
 この小説の、本当の怖さは、そうした二重の構造なのではないかという気がする。


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 今日は横浜へ。 
 赤レンガ倉庫に特設のスケートリンクが出来たということだったので、ちょっと滑りに行こうかと。
 しかし、相当の人気で、貸し靴がないということ。で、諦めた。
 ただ、想像していたのは、二棟の赤レンガ倉庫の間が全てスケートリンクになっているという図だったのだが、そうではなくて、道路側の一部だけだった。まあ、普通に考えたらそうだよなあ。でも、想像していた図が良すぎただけに、思ったよりもしょぼいというのが、正直な感想。

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 12月23日から過去へ向かっての更新です。

 みなとみらいから赤レンガへ向かう途中で、僕はよく海を見ながら御昼を食べる。
 お決まりのコースの一つだ。
 途中にあるビブレの一階で何かを買う。ビブレでのお勧めは、入り口近くにあるベーカリーの、角切りベーコンの入った丸いパン。運良く焼きたてだと、特に美味しい。ビールにも、とても合う。
 それから、海の方へ向かう。こちらへは、人もそれほどやってこない。だから貴重な場所で、ゆったりとした気分になる。食事をして、ビールを飲みながら、しばらくは海を見ている。目の前に広がっているのは、どこまでも自然の海岸線の見えない風景。右手にはベイブリッジが見えている。だが、神戸のメリケンパークからの風景をちょっと思い出すせいか、不思議に落ち着いた気分になってくる。
 それから、レンガ館の方へ向かって歩く。途中に、巡視船や、今日などは日本丸なども停泊していたが、そういう場所がある。船が好きな僕は、暫く船を見ている。海上保安庁の敷地である。横浜のデートスポットとして屈指の、赤レンガ倉庫に隣接している。

 ところで、ここには「工作船展示館」というものがある。
 平成13年の12月22日、ちょうど4年ほど前に起きた北朝鮮の工作船の事件で、自爆した船が引き上げられ、展示されている。
  かつて、船の科学館で展示されていたものが、こちらに移され、保管されているようだ。入場は無料なので、気軽に入ることが出来るが、かなり生々しい。実物を目にすると、ちょっと圧倒されるのではないかと思う。この船に乗っていた乗組員は、全て死んでいる。引き上げられた遺留品なども展示されているが、武器などに混じって、金日成のバッジなども展示されている。これを見て、どういう感想を持ったのか、僕にはちょっと上手く表現できない。

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 病気の猫を抱えて、雨の中、知らない街の知らない道を歩いている。
 駅を出てから、灰色に煙ったような街の、大きな通りを、もう随分と歩いた。降り続く雨のせいだろうか、人通りはあるのに、賑わいを感じない。音が奇妙にくぐもって、聞き取りにくいのだ。
 雨は、するすると、まるで糸のように降って来る。絶え間なく、白く、するすると降って来る。雨の冷たさに、私は猫を抱えている腕につい力を込めてしまう。しかし、猫からは殆ど体温というものが感じられない。すべすべとした、冷たい手触りだ。悲しくなって、私はさらに雨を冷たいと感じた。右手にしっかりと猫を抱え、左手には大きな黒い傘を持ち、身体を丸めるようにして、私は歩き続けた。

 長い間可愛がっていた私の猫は、蝋になってしまう奇病に犯された。
 放っておくと、最後には一個の蝋燭になってしまうでしょう。私が猫の異変に驚いて慌てて運び込んだ獣医は、静かにそう言った。残念ですが、よくわからない難しい病気で、私には、とても治すことはできません。
 驚いた私は、獣医に食い下がった。そんなはずはない。そういう病気なんだとわかったのだから、何らかの治療くらいはできるはずだ。そんな私を見て、彼は言った。私の知っている限り、たったひとりだけ、もしかしたらなんとか出来るかもしれない人がいる。保証は出来ないが、それでもいいか?
 もちろん、お願いします、その人を紹介してください。私は言った。獣医は頷いて、私にその医者の住所を書いて寄越した。
 私がこうして、知らない街を歩いているのは、そうした訳だった。私は、私の猫の病気を治してくれるかもしれないという医者のもとに、僅かな希望を抱いて、行こうとしているのだ。

 身体を硬くして歩いていると、突然、肩を押された。
 はっとして、見ると、一人の若い男が私の傘に入ってこようとしている。それで、一生懸命になって、自分の肩で私の肩を押しのけようとしているのだ。男は私と目が合うと、馴れ馴れしく、左の肩を抱き寄せようとする。私は頭に来て、声も出せず、手の中の猫を守りながら、それでも精一杯の力で、男を傘の中から追い出そうとした。男はそれでも執拗に傘の中に入ってこようとする。一体なんなんですか!私は叫んだ。私の声に、男ははっと動くのをやめた。私はもう一度叫んだ。一体なんなんですか、あなたは!
 男は、驚きが張り付いたような表情で、少し後ずさったが、突然、甲高い声で、笑いながら歩き去った。くぐもったような音が支配していた世界に、その声だけがカラカラと響いて聞こえた。私はその声を引き連れて、また歩いた。
 道は一本道で、少しづつ下り坂になっていた。雨も、少しづつ強くなっている。足元を、水が流れて行く。今は少しづつだが、いずれかなりの流れになるかもしれないと、私は思った。歩きながら、私は上を見上げた。空がどんどんと遠くなってゆく。それは両側の建物が高くなっているせいだ。いや、正確に言えば、建物の上部の高さはずっと同じだが、道が下っている分、建物の高さそのものは高くなっているのだ。つまり、建物が高くなっているというよりも、私が地下に向かって歩いているといった方が、正しい状況を伝えることになるのかもしれない。
 道は、先に行くほどどんどんと細くなって、寂しくなってゆく。もう誰の姿も見えない。両側の建物の壁も、黒く湿ったような色彩で、どこか黴のような臭いがする。道路というより、溝の中でも歩いているようだった。歩きながら、私はだんだんと不安になってくる。もしかしたら、騙されたのではないか。ふとそんな気がする。だが、もしそうだとしても、私にはどうしたらいいのかわからない。それに、こうして手の中で次第に蝋になってゆく猫の感触に、耐えられなくなってきている。このまま暗くなってしまったら、一体どうすればいいのか。灯りなどない。蝋燭も・・・ない。断じて。
 次第に、雨の音が高い声のように聞こえ始める。このまま行けば、大水になるかもしれない。そうしたら、ここは間違いなく水路になるだろう。私の身体など、簡単に押し流されてしまうに違いない。
 引き返そうか。私は思う。だが、手の中の猫を思うと、それも出来ない。私は少しづつ足を速めながら、もしかしたらそこが私にとっても避難場所になるかもしれない医者の家を探して、次第に遠ざかってゆく空を感じながら、水路のような道を歩き続けた。

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 スタシス・エイドリゲビチュスは、リトアニア出身の画家である。とはいえ、ある時期から自ら作った仮面を使ったパフォーミングをするようになったから、もしかしたら、画家というより、パフォーミング・アーティストと言うべきなのかもしれないし、あるいは、その後ポスターのグラフィックデザインの世界に活躍の場を広げたというから、グラフィックデザイナーというのが正しいのかもしれない。
 僕がはじめてスタシスの絵を見たのは、鼻の長い、ピノキオのような男の子を描いた絵本でだった。その絵の、妙な違和感に目を奪われた。続いて、ここに画像を載せた、「クレセント・ムーン」の連作を見た。この本の中で、月は畑を耕したり、魔女に鋏で刻まれたり、様々な姿を見せている。稲垣足穂の「一千一秒物語」では月がオブジェか記号のようになって、様々な活躍を見せていたが、たとえばそんな感じで、月が描かれている。ただ、先の足穂の作品とは違って、こちらの月はどこまでも無口で、違和感があって、だからだろうか、居心地が悪そうに描かれている。そのあたりが、見ていると何かの風刺なのだろうかと感じる所以だろう。
 この本のまえがきで、スタシスはこう書いている。
 
 ・・・しかし、1~2年後に、それは終わりました。私の人生、私の魂は、表現と自由の意義を探す迷路に閉じ込められてしまいました。気が付くと、絵葉書よりも小さな絵ばかりを描いていました。アトリエや落ち着ける住まいもなく・・・(以下略)

 こうした中で、スタシスが描いていたのが、この「クレセント・ムーン」のシリーズである。スタシスが描いていたという、絵葉書よりも小さな絵が、彼にとっての「プライマル・スクリーム」のようなものであったことは、容易に想像がつく。僕がスタシスの絵を見て、感動したのは、ちょうどその頃僕も似たような時期にあったからで、小さな絵ばかりを描いていた。ただし、僕は今でも小さな絵を描くことを好んでいるけれども。

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 先日、ブルース生誕100年を記念して企画された、マーティン・スコセッシが総監督を務めている「The Blues Movie Project」というドキュメント映画シリーズの一本、「ソウル・オブ・マン」を見た。これはヴィム・ヴェンダース監督の作品である。ヴェンダースの作品は、「パリ・テキサス」と「ベルリン天使の詩」を観たくらいで、実はそんなに見ていないのだが、音楽の趣味は合うと、いつも思っていた。だから、この作品は見る前からきっと好きだろうと思った。期待は、当然のように違わなかったのだが、この作品の中で、ルー・リードやカサンドラ・ウィルソン、それにボニー・レイットらに混じって、ルシンダ・ウィリアムスの姿もあった。
 ルシンダ・ウィリアムスの、1998年に発表された作品「Car Wheels On A Cravel Road」は、僕の愛聴盤の一つだ。このアルバムは、グラミー賞を受けた作品ではあるが、それほど派手なアルバムではない。カントリーブルースを基調にした、どちらかといえば地味なアルバムだ。だが、僕がこのアルバムを聴く事は、相当多い。どこがそんなに好きなのかと聞かれても、よくわからないが、ともかくよく聴く。そして、聴けば聴くほど、好きになってくる。梃子でも曲がらない芯の強さの中に、しっとりとした叙情的なものがあって、それがしっかりとした演奏によって十二分に表現されている。ハスキーなルシンダの声は、そうした演奏を挑発するかのようで、とてもセクシーに聞こえる。何とも豊かな、そんなアルバムだ。
 ルシンダ・ウィリアムズは、かつて大手のレコード会社に、売れるためのアレンジを強制されたため、それを嫌って、インディーズのラフ・トレード(!)に移籍したという。おかしなストリングスなんて入れられては、曲がめちゃくちゃになってしまうというのだろう。何とも格好いいではないか。

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巨人  


80%程度まで描き進めた。

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 クリスマスがいよいよ近づいて、街はすっかり賑やかになった。クリスマス商戦が花盛りである。
 クリスマスは、嫌いではない。寒い季節が苦手な僕は、少しでもその寒さを忘れさせてくれるような、美しい光のデコレーションは、有難い。経済活動も活発になるから、活気もあって、それもいい。
 確かにクリスマスは宗教行事である。日本のクリスマスは、しかし、宗教とは殆ど関係がなくなっている。だが、僕はこう思う。宗教に無節操でいられる日本という国は、きっと幸せなのだと。だから、クリスマスは、ファンタジックなお祭りだと思って楽しめばいいと思っている。乗るか反るかは、個人の自由だ。
 ただ、そうは思うが、ひとつだけ勘弁して欲しいものもある。
 クリスマスソングだ。
 僕はラジオを聴きながら仕事をしているのだが、この季節は、垂れ流すようにクリスマスソングがラジオから流れ続けている。これは、ちょっとうんざりする。クリスマスソングは、どれも、同じ曲のバリエーションみたいなものなので、飽きてしまう。二、三日くらいならいいが、ひと月近くそれが続くのは、拷問に近い。
 僕は思うのだが、別に賛美歌の音階を使わなくても、クリスマスに相応しい曲はいくらでもあるのではないか。クリスマスが、仮に「愛」について考える日だと定義したなら、それについての曲が。例えばシャーデーの「kiss of life」とか、レナード・コーエンの「ハレルヤ」とか、いろいろ候補があるはずだ。できれば、僕はそうした曲がラジオから流れていて欲しい。

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巨人  


昨日から描きはじめた絵。
まだ半分ほど。

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 ともかく僕はビールが好きで、飲まない日は殆どない。現に、今も飲みながらこれを書いている。だが、別に特に酒好きというわけでもなく、ビール以外の酒は、よほどのことがない限り、まず飲まない。ビールが、好きなのだ。ビールを、酔っ払わない程度に飲むのが好きだ。
 酒で失敗したことは、ずっと若い頃には何度もあるが、もうこの十年ほどは酔って正体を無くしたり、翌日起きられなかったりしたことは、多分ないと思う。外で飲むときも、酔わないように適当に誤魔化しながら、飲む。妻は、僕が酔いつぶれた姿を見たことはないはずだ。
 ビールでは、日本のビールで言えば、やはりキリンかサッポロが好きだ。キリンのクラシックラガーか、サッポロの黒ラベルがいい。秋になれば、キリンの秋味が出るのが楽しみになるし、ちょっといいビールを飲みたいときには、やはりエビスを買ってきたりする。
 外国のビールでは、飲みやすいところでは、カールスバーグドラフトが一番好きである。デンマークのビールで、爽やかな味がする。もう少しゆっくりと飲みたいときには、イギリスの上面発酵ビールのバス・ペールエールや、アイルランドのギネススタウトがいい。ベルギーの、例えばシメイなどの自然発酵のビールは、美味しいのだが、アルコール度数が高いので、本当に腰を落ち着けて飲む時にはいい。ゆっくりと、話をしながら、舐めるように飲む。逆に、ただ喉が渇いているだけの時は、アメリカの、水みたいなビールも悪くないかもしれない。
 世界最古の酒、とも言われるビールだから、その気になれば書くことには事欠かないだろう。だが、僕にそれほど知識があるわけでもないし、ここではそれほど深く立ち入らない。ただ銘柄を並べているだけの記事になってしまっているな、とは思うが、まあいいとして。
 考えてみれば、いろいろな国のビールをこれまで飲んできたわけだが、言える事は、日本のビールは相当美味しい、ということ。上にあげたような、特徴のあるビールでなければ、鮮度の高い日本のビールを飲んでいたほうがいい気がする。
 僕が絵を書いている机には、帆船の模型の後ろに、ヒナノビールの瓶が置いてある。タヒチの有名なビールで、女性のイラストが可愛い。ギリシャのビール瓶も、ある。どちらもまだ行った事がない場所だが、いつか行きたい。そう思って、置いてあるのだ。
 

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 「日々の泡」のタイトルでも知られる(もしかしたら、そちらの方が通りが良いかもしれない)、ボリス・ヴィアンの恋愛小説。僕はこちらの方で読んだので、「うたかたの日々」として紹介する。

 ボリス・ヴィアンの小説は、忘れ難い。
 そう言ってしまえば、ただ「でたらめ」としかいえないヴィアンの作品群。だが、どの作品をとっても、いつも、「どうしてこんなに忘れ難いのか」と思ってしまう。もしかしたらそれは、ヴィアンが「『痛切さ』の神話」を紡ぐ天才だったからかもしれない。
 そうしたヴィアンの神話群の中でも、最も人気がある作品は多分、この「うたかたの日々」だろう。最近、ハヤカワ文庫にも収録されたし、新潮文庫からは「日々の泡」として刊行もされているから、間違いないはずだ。
 「死と再生の物語」というキャッチコピーは、よく耳にする。こと恋愛小説においては、定石のようなものだ。だが、この「うたかたの日々」には、再生はない。無力さの果てに、全てが置き去りにされてしまう。
、この小説はただ「悲痛さ」についての物語なのだ。印象的な、鼠が自殺するラストシーンなど、ただ「哀しい、悲しい、哀しい、悲しい」と書かれているような気がしてくる。そうして焦点を絞っていることが、この小説を美しいものにしているのだと思う。実際のところ、「再生」なんてものがそんなに簡単に訪れたりはしない。本当の悲しみというものは、消えるということがない。時間とともに、深く考えないようになるだけだ。
 ヴィアンの小説は、常に自分の感情に正直に書かれているという気がする。矛盾した感情も、そのまま書かれている。だから、これほど忘れ難いのだろう。

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 C.L.ムーア女史の作品の中に、「ノースウェスト・スミス」シリーズというものがある。有名な作品なので、SFが好きな人は大抵知っているだろうが、宇宙を股にかける無宿者ノースウェスト・スミスが活躍する、ヒロイック・ファンタジーのシリーズである。その中でも、最も有名な登場人物が、この「シャンブロウ」だというのは、(この作品シリーズを知っている人なら)誰も反論しないだろう。
 この短編の収録されている単行本は、ハヤカワ文庫SFの「大宇宙の魔女」。表紙は松本零士の艶かしい女性のイラストである。印象的な絵なので、書店で目にした事があると記憶している人も、多分多いのではないかと思う。少なくとも僕は、この小説を読んだのが小学生の時だったから、どきどきしたことを覚えている。余談だが、この本は、野田昌宏氏による解説がまた有名である。

 シャンブロウについて。
 シャンブロウという女性?キャラには、非常にファンが多いらしい。当時、シャンブロウ専門のファンクラブまであったとうから、相当なものだ。
 シャンブロウとは、ムーアが創作したキャラクターであるが、つまりゴルゴーンのことである。メデューサ、と言った方が、分かりやすいだろうか。作品中では、メデューサ神話の元になった存在、という説明がされている。
 シャンブロウは、メデューサとは違って、髪が蛇ではない。ただ、真紅の髪が蛇のように男に巻きついて、得も言われぬ快楽を与える代わりに、生命力を奪ってゆくという存在である。つまり、寄生するわけだ。吸血鬼にも近い。
 作品中では、無法者に追われている美しい女性をスミスが助けるところから始まる。その女性が「シャンブロウ」というものであることは、すぐに分かるのだが、スミスは「シャンブロウ」というものがどういうものなのか知らない。だが、親切心から助けたそのシャンブロウによって、スミスは危く命を落とす寸前まで行く。助けた恩とか、そんなものは全く関係ないという筋はこびが、いい。だが、それはシャンブロウが悪いわけではない。シャンブロウは、「シャンブロウという生物」として、当然の行動をとっただけなのだ。

 C.L.ムーアは、作家ヘンリー・カットナーの夫人であり、共著も多い。
 僕は、あまりヒロイック・ファンタジーは好まないのだが、この作品はとても印象に残っている。ヒロイック・ファンタジーというよりも、むしろ、コズミック・ホラーに近い読後感だったからだ。それは、舞台が火星や金星であるからというせいではないと思う。むしろ、主人公であるはずのノースウェスト・スミスが、強い男であるはずなのに、全く無力で、翻弄されているだけであることが多い、というあたりがミソかもしれない。スミスはつまり、狂言回しのようなものなのだ。ムーアの書きたかったものは、多分、ヒロイック・ファンタジーでもスペースオペラでもなかった。
 実際、ムーアの作品を最も評価していた作家の一人は、「クトゥール神話」で有名な、H.P.ラヴクラフトだった。互いに遣り取りしていた書簡も、相当ある。余談ながら、未読ではあるが、ホジスン研究で有名なサム・モスコヴィッツ氏も、著書「Seekers of Tomorrow」の中で、ムーアとその作品について述べているようだ。

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魚石  


 「魚石」というもののことを、昔、聞いたことがある。
 何と読むのか、ここでは「うおいし」として、先に続けたいのだが、正確には知らない。「ぎょせき」かもしれないし、「さかないし」かもしれない。
 さきほどは、どこかで聞いた、と書いたが、それは正確ではない。漫画で読んだのだ。ところが、誰の、何と言う漫画なのだかは、忘れてしまった。確か雑誌で読んだのだと思うが、それも定かではない。内容も、余り覚えていない。ただ、石の中に水と共に魚が閉じ込められていて、石の中で水が揺れ、魚が跳ねる音がするというような漫画だった。磨き上げれば、中の魚が透けて見えるという、とても珍しい石だというような説明があったと思う。
 現実にあるとはとても思えないが、しかしこれは、とても愉しいイメージだ。太古に、何らかの弾みで魚を中に含んだまま石が出来てしまって、中にいる魚は不死となってしまったというのが、魅力的である。中の魚は、生物であると同時に、鉱物でさえあるわけだ。
 そう思って、少し調べてみると、良いサイトがあった。
 やはり、魅力的である。
 

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 今日は、ストリングスホテル東京で、アロマセラピーを初体験してきました。
 
 こちらのアロマセラピーでは、癒したい部位にあわせて、アロマオイルを選ぶところから始まります。様々なオイルがあるのですが、最も合っていると思われるオイルを選んでくれました。
 服をバスローブに着替えて、ベッドへ横たわると、全身を柔らかく揉み解すように、マッサージをしてくれます。按摩とはちがって、包み込まれているような感じ。心地よくて、少し眠ってしまいました。
 終わった後は、ハーブティーをいただいて、美しい東京湾の夜景を見ながら、担当していただいたセラピストの方と少し話をしました。

 というわけで、とてもよい時間を過ごす事ができました。よい体験でした。

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