漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




 鉄道をめぐる幻想小説、漫画、映像のメモです。
 怪奇、幻想、あるいはSFの分野のみです。幻想味のない、普通のミステリーは含まれません。
 ついでにいえば、物語の中にちょっと鉄道が出てくるだけというものではなく、ちゃんと鉄道が物語の中心にあるものだけです。
 一応なんとなくリストっぽい形にはしたいのですが、とりあえず今は思いついたものを並べただけで、数も少ないし、まだリストとしての体を成してません。
 ちゃんと調べれば、多分、ものすごく沢山あると思うので、不完全にも程があります。
 それはよく分かってます。
 もとより、万全を期すつもりはありません。書誌情報さえ碌にない、単なるウェブ上に置いた「個人的なメモ」という位置づけです。
 個人的に、鉄道関連の幻想怪奇小説というものがふと気になったので、なんとなく思い浮かんだものをピックアップしてみました。
 本来なら、手元のメモ帳にでも書いて、ある程度まとまったら色々と整理してからアップするべきなのでしょう。
 しかし別に研究をしているわけでもなく、ちょっとした興味から行っているもので、ウェブ上にアップした方がもしかしたらいろいろと良いこともあるかもしれないと思い、アップしてみます。
 たくさん同ジャンルのものを並べたら、何かが見えてくるかもしれないとも思いつつ。
 一生懸命に集めているわけでもありませんが、気がついたら、順次追加をしてゆこうと思います。 
 したがって、このカテゴリーにあるページは、流動的なものになる予定です。




小説

「列車が走っている間に 」 エリック ファーユ (「わたしは灯台守」収録 松田浩則訳  フィクションの楽しみ/水声社)
「列車081」 マルセル・シュオッブ (「怪奇小説傑作集4」収録 青柳瑞穂訳 創元推理文庫/東京創元社 )*他に多数、収録本あり。
動きの悪魔」 ステファン・グラビンスキ (芝田文乃訳 国書刊行会)
   一冊すべて鉄道をテーマにした短編集
    ・音無しの空間(鉄道のバラッド) 
    ・汚れ男
    ・車室にて
    ・永遠の乗客(ユーモレスク)
    ・偽りの警報
    ・動きの悪魔
    ・機関士グロット
    ・信号
    ・奇妙な駅(未来の幻想)
    ・放浪列車(鉄道の伝説)
    ・待避線
    ・ウルティマ・トゥーレ
    ・シャテラの記憶痕跡
    ・トンネルのもぐらの寓話

「信号手」 チャールズ・ディケンズ (「ディケンズ短編集」収録 小池滋訳 岩波文庫/岩波書店)*他に多数、収録本あり。
「待合室」 ロバート・エイクマン (「奥の部屋」収録 今本渉訳 ちくま文庫/筑摩書房  ほか)
「ミッドナイト・ミートトレイン」 クライヴ・バーカー (「血の本1」収録 宮脇孝雄訳 集英社文庫/集英社)
「地下鉄道」 コルソン・ホワイトヘッド ( 谷崎由依訳 早川書房)
「地図にない町」フィリップ・K・ディック (「地図にない町」収録 仁賀克雄訳 ハヤカワ文庫NV/早川書房 )
「メビウスという名の地下鉄」 A.J.ドイッチュ (「有栖川有栖の鉄道ミステリ・ライブラリー」収録 角川文庫/角川書店)
「4時15分発急行列車」 アメリア・B.エドワーズ (「有栖川有栖の鉄道ミステリ・ライブラリー」収録 角川文庫/角川書店)
「フラッシング行列車」 マルコム・ジェイムスン (ミステリマガジン1974/11 No.223収録 北沢勝彦訳 早川書房)
「トンネル」 フリードリヒ・デュレンマット (失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選 増本浩子訳 光文社古典新訳文庫/光文社)
「列車」 ゾラン・ジヴコヴィッチ (「21世紀東欧SF/ファンタスチカ傑作集 時間はだれも待ってくれない」 高野史緒編 山崎信一訳 東京創元社)
「夢列車」 チャールズ・ボーモント (「残酷な童話」収録 ダーク・ファンタジー・コレクション7 仁賀克雄訳 論創社)
「地獄行き列車」 ロバート・ブロック (「ポオ収集家」収録 ハヤカワ文庫NV/早川書房)
「誰も降りなかった町」 モーリス・ルブラン
「レベル3」 ジャック・フィニィ (「レベル3 異色作家短編集13」 福島正実訳 早川書房) 
「北京の秋」 ボリス・ヴィアン (「ボリス・ヴィアン全集4」  岡村 孝一 訳 早川書房)
「妖精郷の囚われ人」(上下) アルジャナン・ブラックウッド (高橋邦彦訳 妖精文庫 月刊ペン社)
「ポスター」 イルゼ・アイヒンガー (「縛られた男」収録 眞道杉訳 同学社)
「列車」 ロバート・エイクマン (「怪奇小説日和」収録 西崎憲訳 ちくま文庫/筑摩書房)
「ゴースト・トレイン」(上下) スティーヴン・ローズ (古沢嘉通訳 創元ノヴェルズ/東京創元社)
「汽車を乗り間違えて」 クルト・クーゼンベルク (「壜の中の世界」収録 前川道介訳 文学の冒険/国書刊行会)
「ベルゼン急行」 フリッツ・ライバー (金子浩訳 SFマガジン1998年11月号)
「裏世界ピクニック」 宮沢伊織 (ハヤカワ文庫JA 早川書房)
「銀河鉄道の夜」 宮澤賢治 (青空文庫 ほか)
「押し絵と旅する男」 江戸川乱歩 (青空文庫 ほか)
「線路」 夢野久作 (青空文庫 ほか)
「乗越駅の刑罰」 筒井康隆 (「懲戒の部屋―自選ホラー傑作集1」 新潮文庫/新潮社 ほか)
「X電車でいこう」 山野浩一 (「鳥はいまどこを飛ぶか (山野浩一傑作選Ⅰ)」収録  創元SF文庫 東京創元社)
「逃走の道」 星新一 (「エヌ氏の遊園地」 新潮文庫 新潮社)
「ロストトレイン」 中村弦 (新潮文庫/新潮社)
「ともだち同盟」 森田季節 (角川書店)
「横浜駅SF」 柞刈湯葉 (KADOKAWA)
「鉄道員(ぽっぽや)」 浅田次郎 (集英社文庫/集英社)
「汽車を招く少女」 丘美丈二郎 (「丘美丈二郎探偵小説選Ⅱ」収録 論創社)
「赤い月、廃駅の上に」 有栖川有栖 (「赤い月、廃駅の上に」収録 角川文庫/角川書店) 
「機関車、草原に」 河野典生 (「たそがれゆく未来: 巨匠たちの想像力[文明崩壊] 」収録 ちくま文庫/筑摩書房 ほか)
「地下鉄に乗って」 浅田次郎 (講談社文庫/講談社)
「トロッコ」 芥川龍之介 (青空文庫)
「時間線下り列車」 清水義範 (「清水義範パスティーシュ100〈5の巻〉」収録 ちくま文庫/筑摩書房)
「空想列車」 阿刀田高 (角川文庫/角川書店)
「生家へ/作品2」 色川武大 (講談文芸文庫/講談社 ほか)
「路面電車で行く王宮と温泉の旅一泊二日」 北野勇作 ([SFマガジン]創刊50周年記念特大号(PART・2)日本SF篇/早川書房)



漫画

「銀河鉄道の夜」 松本零士 (奇想天外コミックス/奇想天外社 ほか)
「銀河鉄道999」 松本零士 (ヒットコミックス/少年画報社 ほか)
「漂流幹線000」 松本零士 (ヒットコミックス/少年画報社 ほか)
「てるみな」 kashmir (白泉社)
「ぱらのま」 kashmir (白泉社)
「恐怖列車」 日野日出志 (ヒットコミックス/ひばり書房 ほか)
「鉄道員」 イタガキノブオ (「ペーパーシアター」収録 青林堂)
「小さなカラの中」 竜樹諒 (SFマンガ競作大全集17/東京三世社)
「不安の立像」 諸星大二郎 (「不安の立像」収録 ジャンプ・スーパー・コミックス/集英社 ほか)
「ビーング&ロス」 模造クリスタル (イースト・プレス)
「east side line」 panpanya (「枕魚」収録 白泉社)


絵本

「イバラードの旅」 井上直久 (架空社)
「急行『北極号』」 C.V.オールズバーグ (村上春樹訳 あすなろ書房)


映像

「電車かもしれない」 (歌:たま / 映像:近藤聡乃)
「あけてくれ」 ウルトラQ28話
「幽霊電車」 (ゲゲゲの鬼太郎)
「城後波駅」 世にも奇妙な物語
「ホラー・エクスプレス ゾンビ特急地獄行き」
「幽霊列車」 (世にも不思議なアメージング・ストーリー)
「ウィロビー駅で下車」 (トワイライトゾーン)
「連れてきたのは誰」 (トワイライトゾーン)
「日野日出志の怪奇劇場 恐怖列車 」
「ポーラ・エクスプレス」(原作:オールズバーグ「急行『北極号』」)
仮面ライダー電王

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「黄金の眼に映るもの」 カーソン・マッカラーズ著 田辺五十鈴訳
講談社文庫 講談社刊

を読む。

 アメリカ南部の平時の駐屯地を舞台にした、文庫で140ページほどの中編小説。決して長くはないのだが、そのサイズの中に展開されている物語は、唸るほど濃密で、少なくとも倍の長さの小説を読んだような気分にさせられた。
 ことさら登場人物への感情移入を促し、見せ場をつくって盛り上げてゆくような小説ではない。これはマッカラーズの特徴らしいのだが、誰かに自分の視点を重ねることなく、淡々と群像劇を語ってゆく。余計な描写は一切ない。内容もさることながら、筆致も、濃密でありながら非常に乾いたものだった。
 この物語の中には、これといった主人公はいない。とは言っても、もちろん主な登場人物はいる。主要な登場人物は、大きく分けて二つのグループに分けられる。

 最初のグループは、どちらかといえば主役としての位置を与えられた、ペンダートン大尉サイドの三人。
 まずはペンダートン大尉。ウィリアムの上官である。彼はややインテリ風の人物として描かれているが、「個々別々の事実についての知識は随分あるのに、大尉はかつて自分の考えというものを持ったことがなかった」とされている。また彼には軽い盗癖がある。さらには、自らは自覚してはいないが、同性愛の傾向もあり、妻が不倫をしていると知りながら、その不倫相手であるラングドンに惹かれるものを感じている。後には、馬に翻弄された挙句、疲労困憊で草原に横たわっていた自分を素っ裸でまたぎ越していったウィリアム一等兵に心を乱される。自分ではそのことを否定しつつも、激しい葛藤を抱えることになり、愛憎半ばの態度に出るようになる。彼は色々と問題を抱えた、かなり不安定な人物として描かれている。
 それから、ペンダートン大尉の妻であるレオノーラ。彼女は「いささか頭が弱い」とはっきり書かれているが、別に白痴というわけではない。余り物事を深く考えずに、いま目の前にある現在の人生を謳歌する女性という感じ。ペンダートンのことは、やや見下している。美人で、派手なゴシップの対象になることもあったが、実は結婚までは処女だったほどで、その見た目ほどには奔放というわけでもない。もっとも、結婚後に関係を持ったペンダートンの上司であるラングドンとの不倫は、二年ほども続いている。社会的な規範からの逸脱を好むわけではないが、自分のつつしまやかな欲望には比較的忠実、といった程度だろうか。
 最後にウィリアム一等兵。この物語の中で、ジョーカー的な役割を持つ。彼は何を考えているのかわからない、非常にいびつな育ち方をしたらしい青年として描かれている。周りからは、多少不気味に見えているのだろう、友人も敵もいないが、本人は至って淡々とした日々を送っている。キャンディが好きで、しょっちゅう舐めている。幼い頃に女性に対する嫌悪感を植え付けられたらしいのだが、同性愛の傾向があるわけではなく、内に秘めた性欲の放出先を見失っている。そのため、偶然目にしたレオノーラに対して、ピーピング・トム的な行動に出るようになる。彼が、そのピーピング・トム的な態度から、次第に間合いを詰めて対象に近づいてゆく様子は、「ものすごく」不気味である。

 もうひとつのグループは、どちらかといえば脇役側の、ラングドン少佐サイドの三人。しかし、こちらはこちらで、非常に物語に複雑味を添えている。
 まずはペンダートンの上司であるラングドン少佐。レオノーラの不倫相手でもある。乗馬が上手く、自信家で、人の気持ちをわかろうともしないところがある。子供が11ヶ月で死んだ時のことも、大変だった程度にしか感じていない。妻の精神的な危機にも無関心な、自分勝手な男である。
 次にラングドンの妻であるアリソン。難産の末にやっと生まれた赤ん坊の死や、夫の不義をきっかけとして、精神的に病みつつあるが、それにも関わらず、この小説の中では最も親近感を感じる女性である。夫と別れて、召使のアナクレトとともに生活してゆこうと心の中で決めているが、実社会のことをあまり知らないため、頭の中に描かれているのは、実現しそうもない計画ばかりである。心臓に持病を抱えていて、物語の半ばで舞台から退場する。
 最後に、ラングドン家の召使である、フィリピン人のアナクレト。若い頃にラングドン家に拾われてから、ずっと彼らに尽くしてきた青年。特に自分に親切なアリソンのことを崇拝しており(女性として愛しているというわけではない)、彼女のためなら命すら投げ出しかねないほどである。脇役ではあるが、なぜか非常に印象に残る人物として描かれている。

 ストーリーは、むしろ上記の人物紹介から想像していただいた方がいいだろうと思うから詳しくは語らないが、この六人が互いに関わり合いながら、最後には悲劇的な結末を迎える物語である。正確には、もともとあった二つの家庭の不安定な状態が、ひとりの人間が入り込んできたことによって急激に沸騰したという感じか。物語が終わった時点で、二人の人間が死に(一人は殺され、一人は病死)、一人が姿を消している。マッカラーズはそうした物語を、醒めた筆致で淡々と綴ってゆく。その語り口に、物語の結末にはなんら不自然さを感じることもなく、必然的な結末であったと納得してしまう。そうして読み手の心に残されるのは、感動でもなければ面白かったという手応えでもない、何ともいえない茫漠とした感情である。しかしそうした荒い粒子を掴むような頼りない空虚さは、優れた文学作品を読み終えた時に、時折感じるものではないかと思う。
 小説としての完成度も見事だし、おそらくはゲイ小説としても名品の一つに入るのではないだろうか。ストーリーだけを取り出してみれば、仮に萩尾望都が漫画化したとしたら、似合い過ぎるんじゃないかと、ふと思った。
 ちなみに、(あまりセクシャリティの問題を持ちだして、この作品のことを語るのも野暮かもしれないが)作者のカーソン・マッカラーズには同性愛の傾向があったらしい。平凡社ライブラリーから出ている「レズビアン短編小説集――女たちの時間」には、彼女の書いたレズビアン小説の短編が収録されている。


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「マチルダ」 メアリー・シェリー著 市川純訳 彩流社刊

を読む。

 メアリー・シェリーといえば「フランケンシュタイン」と反射的に出てくるほど、彼女の名前はその怪奇小説史上最も有名な怪物を描いた小説と結びついています。それは、作中のフランケンシュタイン博士とその創造物である怪物の名前が同一視されがちなことと、どこか似ているようにも思えます。
 しかし、そもそもほとんどの人は、メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン」以外の小説を書いたということさえ知らないのかもしれません。
 余りにも有名で、怪奇幻想にとどまらず世界文学史上に燦然と輝く「フランケンシュタイン」の陰に隠れて、ほとんど知られてはいないものの、それなりに有名な彼女の作品というものもあります。奇跡的に邦訳のある「最後のひとり」(森道子ほか訳/英宝社刊)はそうした作品のひとつで、これは疫病によって人類が死滅する未来を描いた破滅SF小説です(と偉そうに書きましたが、ぼくは、持ってはいるのですが、まだ読んでません……)。しかし、ブライアン・オールディスが書いた有名なSF通史「十億年の宴」の中で世界最初のSFとして挙げた「フランケンシュタイン」に対して、こちらは古典SFの文脈でたまに言及されるくらいです。他にも、邦訳のあるものとしては、角川ホラー文庫から出た「フランケンシュタインの子供」というアンソロジーの中に短編が二つほど訳出されていますが、これはそれぞれ「フランケンシュタイン」と「最後のひとり」のバリエーションに近いといった印象です。他にも雑誌に訳出された短編もあるようです。
 さて、この「マチルダ」は、メアリーが「フランケンシュタイン」を書いた翌年に脱稿した中編小説なのですが、生前は一度も陽の目を見ず、出版されたのはようやく1959年になってからという作品です。また、同時収録されている短編「モーリス」は、さらに時代が下って、1997年になって初めて発見された、メアリーが友人の娘のために執筆したという児童文学です。つまり、長らく多くの人の目に触れなかったいわくつきの二作品がセットになって収録された一冊というわけです。
 「モーリス」はともかく、「マチルダ」の方は、メアリー・シェリーを研究する上で、注目に値する作品といって良さそうです。というのもこの作品、父娘の(プラトニックな)近親相姦を扱いつつも、実は「愛の渇き」をはっきりとテーマとしているからです。ちなみに、メアリーの父というのが、最近白水Uブックスから再刊された小説「ケイレブ・ウィリアムズ」で有名な、思想家であり作家でもあるウィリアム・ゴドウィン。この作品は、脱稿したあとで父に見せたところ、二度と返してもらえなかったらしいです。そうして、結局出版はされなかった。内容もスキャンダラスだったし(しかし、この内容を自分の父に見せるかね)、ゴドウィンとしては、文学的にも満足のゆく出来栄えではないと判断したせいらしいです。実際、一読して、非常に興味深い作品だとは思いましたが、「フランケンシュタイン」に比べてしまうと、確実にかなり落ちる作品ではありました。全体にゴシックロマンの雰囲気の漂う小説です。

 内容を簡単に要約すると、以下のようなもの。ネタバレで面白くなくなるといった作品でもないので、当たり前のように核心にも触れます。

・・・・・

 物語は、冒頭で、まもなく死を迎えようとしている若き女性マチルダの手記という形をとっている。
 マチルダの父は、病弱な母と暮らしている、イングランドの裕福な貴族の息子だったが、母の死後、家を受け継いだあと、近所に住む裕福な家の娘ダイアナの恋愛結婚をした。ふたりは非常に仲睦まじく暮らしていたが、マチルダを産んだ母ダイアナは産後の肥立ちが悪く、まもなく亡くなってしまった。悲しみに暮れた父は、娘であるマチルダを伯母に預け、悲しみの家を出て行ってしまう。マチルダは伯母とともに、両親の顔を見ないままで成長してゆく。
 マチルダが16歳になった時、突然父から帰宅するとの知らせが届く。長い間、一度も会ったことのない父と会えることを夢見ていたマチルダは、その日を心待ちにして過ごす。そして実際に再会した彼女は、嬉しさの余り父親にべったりと懐くようになる。父も、彼女との再会を喜ぶ。ところが、ある時マチルダにどうやらちょっとした恋心を抱いたらしい男性が家を訪れる。その時から、状況は一変する。父が急にマチルダに冷たい態度を取るようになったのだ。理由が分からず、悲しみにくれたマチルダはどうしてよいのかもわからず、父にその冷たい態度を取る理由を何度も尋ねる。父は決して答えてはくれないが、やがて根負けして、ついに告白する。自分は娘であるはずのマチルダを男として愛してしまったのだということに気がついた、許されないことだから苦しんでいるのだ、と。おそらく父は、マチルダにかつての妻の面影を幻視していたようだった。当然マチルダはショックを受ける。もちろん受け入れることはできないし、父にもそんなつもりはない。互いの苦しみの果てに、やがて父は置き手紙を残し、マチルダを置いて、ふたたび一人で家を出てゆく。それを読んだマチルダは、父が死ぬつもりであることに気づき、追いかけるが、嵐の海にひとり出てゆき溺死した父と再会することになる。
 父の死にショックを受けたマチルダは、逃げるように家を引き払い、田舎に隠遁する生活を送るようになる。絶望の中で苦しみながら過ごすうちに、マチルダはウッドヴィルという一人の青年と出逢う。牧師の息子で詩人の彼は、婚約者を亡くしたばかりで、人生に絶望していた。人生に希望を見いだせない同士の二人は、互いに傷を舐め合うように交流をするようになる。しかし、恋人どうしになることはない。しかし、やがて、自死への誘惑に傾いてゆくマチルダに対して、グッドヴィルは強く生きてゆくことを選び、マチルダを励まそうとするが、マチルダはその彼の言葉に感謝と愛情を感じ、希望の光をみながらも、急速に体調を崩してゆく。そして冒頭に戻り、死を迎える。

・・・・・

 読みながら強く感じるのは、マチルダの埋めようのない心の孤独です。生まれてからずっと、彼女は親の無条件の愛を知らずに育ちます。彼女の育ての親である伯母も、マチルダには全く愛情を注ごうとはしません。唯一、乳母だけが彼女に強い愛情を注いでくれるのですが、その乳母も、マチルダが7歳の時に暇を出されて屋敷を去ってゆきます。そうして、夢にまで見た父との出会いと悲劇的な結末。「愛の渇き」というのは、アンナ・カヴァンの小説のタイトルにもありましたが、それが常にマチルダを苛み続けるのです。無条件の愛を知らない人は、自分を完全に肯定できずに育ちます。それゆえ、彼女に対して愛情を注いでくれようとしたグッドヴィルの思いにも素直に応えることが出来ずに、死にたくはないという気持ちを抱えつつ、死んでいってしまうのです。
 
 数ある怪奇幻想文学の中で、もしジャンル内でのオールタイムベストを決めるという投票があるとしたら、ぼくは躊躇いなくメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」に一票を投じると思いますが、この「マチルダ」には、そうした完成度の高さは望めません。しかし、彼女が「フランケンシュタイン」という作品を生み出した背景に思いを馳せるとき、この作品が何かしらの灯火のような意味を持つ可能性はあるように思えます。メアリー・シェリーの生い立ちを眺めるとき、この作品と重なって見える部分が少なくはありません。あまり深読みはよくないのかもしれませんが、たとえばメアリーの母のメアリ・ウルストンクラフトは(メアリ・シェリーと同名です)「女性の権利の擁護」(1792年)を著した女権拡張論者で、メアリーを産んだ数日後に亡くなっています。また、メアリーが16歳の時に、父のもとに出入りしていた青年パーシー・ビッシュ・シェリーと恋に落ち、パーシーはその当時、別居状態ではあったものの妻帯者であり、また父ウィリアムにも反対されたことから、駆け落ちします。そうして、父娘の間には決定的な決裂がなされます。こうしたことは全て、メアリーが「フランケンシュタイン」を書くまでに起こった出来事でした。
 というわけで、そういった意味でも、非常に興味深い作品です。メアリーが「マチルダ」を書いた理由は、いったい何だったのか。メアリー・シェリーとウィリアム・ゴドウィンにとって「マチルダ」という作品はいったいどういう意味を持っていたのか。そういったことにも思いを馳せることができます。小説としては決して傑作ではないけれど、メアリ・シェリーという人物と傑作「フランケンシュタイン」を語る上で無視していい作品ではない。そういう作品だと思います。

 併録されている短編「モーリス」は、メアリが友人の娘のために書いた児童文学ということですが、内容的には、貧しい家を出て、海辺に暮らすやはり貧しいが思いやりのある漁師の家で暮らすようになった素直で優しい少年の物語です。父のように慕っていた漁師が急に亡くなって悲しみに暮れていたとき、その漁師の兄だという男がやってきて、この家は自分のものだから一週間以内に出てゆくように告げられて、途方に暮れていた少年のもとに、ひとりの旅人がやってきます。そして、その少年を自分のところに引き取ろうとしますが、話しているうちに、その子こそが実はかつて攫われてしまったその男の実の息子であることが明らかになります。実は赤ん坊の頃に攫われた裕福な家の生まれであったという、典型的な少女漫画的なハッピーエンドの物語です。読んでいて楽しいメルヘン的な小説で、悪い作品ではありませんが、この物語に関しては特にここで語ることもなさそうです。



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 今日は午後から本を詠みながら寝落ちしてしまっていたのですが、目が醒めたあと、ふと少し前にtwitterでラノベに飽きた学生向けということで、「新入生のための海外現代文学リスト(2018年版)」というのが流れてきていたのを思い出し、改めて眺めてみました。
 なかなか読み応えのありそうなラインナップだとは思いますが、正直、ちょっとハードルが高すぎるような気もします。ぼくもそれなりに海外文学は好きですが、リスト内に名前も知らない作家もいるし、鈍器めいたボリュームの本もあります(まあぼくが知らないのは、ハードルが高い理由にはならないかもしれませんが……)。
 もちろん、ラノベに飽きた、というのも色々な形が考えられるわけで、例えばそれなりに本は読んできているけれど、最近はついラノベばかりに手を伸ばしがちだった、でも久々にもう少し読み応えのある文学的な本も読みたいと思っている人向けなのか、それとも、これまでラノベ以外の本はほとんど読んできていなかったけれども、そろそろ大学生だし、さすがにそれじゃまずいから、普通の文学作品の面白いやつをよんでみようかなと思っているのかによっても違ってきそうです。前者ならともかく、後者の人にいきなり「これが読めたら一人前だよ」とばかりに『重力の虹』を渡したり、「ちょっと厚いけど面白いよ」と『2666』を両手で渡したりするのはほとんど嫌味でしょうね。
 で、なんとなく寝ぼけた頭で、自分だったら何を勧めるだろうと考えながら、メモ帳に思いつくままにバラ打ちしたのが下のリストです。自分の読んできた本の中からだけだから、偏っているし、もともと胸を張ってのリストアップではありませんが(急ごしらえで、吟味したものでもありませんし)、どれも読んでよかったものばかりです。100冊は面倒なので、50+4冊です。+4冊は、ちょっと趣味のSFに寄りすぎているので、入れるのをためらったけど、本当は入れたかったものです。
 想定しているのは、「これまで日本作家のエンタメ作品やベストセラー作品などはそれなりに読んできていて、読書には抵抗がないけれども、海外の作家の作品はほとんど読んだことがなく、ちょっと読んでみたいと思っている18,9歳くらいの学生におすすめできる、読んでいてそれなりに楽しめて、なおかつ文学性を感じられるもの、言い換えれば違った視点に気付かされる驚きのある作品で、かつそんなに長くないもの」です。




ジャン・コクトー「怖るべき子供たち」 (東郷青児訳/角川文庫)
アーダベルト・シュティフター「水晶」 (手塚富雄訳/岩波文庫)
リチャード・ブローティガン「西瓜糖の日々」 (藤本和子訳/河出文庫)
ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」 (伊藤守男訳/ハヤカワ文庫epi、ほか)(「日々の泡」曽根元吉訳のタイトルでの邦訳もあり)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス「伝奇集」 (鼓直訳/岩波文庫)
アーネスト・ヘミングウェイ「日はまた昇る」 (大久保康雄訳/新潮文庫)
サキ「サキ短編集」 (多数あり)
アンブローズ・ビアス「ビアス短編集」 (大津栄一郎訳/岩波文庫)
イサク・ディネセン「冬の物語」 (横山貞子訳/新潮社)
トルーマン・カポーティ「夜の樹」 (川本三郎訳/新潮文庫)
サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」(野崎孝訳/白水Uブックス)
レイ・ブラッドベリ「火星年代記」 (小笠原豊樹訳/ハヤカワ文庫)
アーサー・マッケン「夢の丘」 (平井呈一訳/創元推理文庫)
レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」 (清水俊二訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)(または、「ロング・グッドバイ」 村上春樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)
スタニスワフ・レム「ソラリス」 (沼野充義訳/ハヤカワ文庫SF)
ポール・オースター「最後の物たちの国で」 (柴田元幸訳/白水Uブックス)
スティーヴン・ミルハウザー「マーティン・ドレスラーの夢」 (柴田元幸訳/白水Uブックス)
ガルシア・マルケス「百年の孤独」 (鼓直訳/新潮社)
ジーン・リース「サルガッソーの広い海」 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-1収録/小沢瑞穂訳/河出書房新社)
シャーリー・ジャクスン「丘の屋敷」 (渡辺庸子訳/創元推理文庫)
ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」 (多数あり)
ポール・ボウルズ「シェルタリング・スカイ」 (大久保康雄訳/新潮文庫)
カート・ヴォネガット「タイタンの妖女」 (浅倉久志訳/ハヤカワ文庫SF)
ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」 (上田真而子, 佐藤真理子共訳/岩波書店)ハードカバー版
トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へ行く」 (小野寺百合子訳/講談社文庫)
ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」 (若島正訳/新潮文庫)
マルセル・シュオッブ「黄金仮面の王」 (大濱甫訳/国書刊行会) 
アンデルセン「絵のない絵本」 (多数あり)
エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」 (土屋哲訳/岩波文庫)
イルゼ・アイヒンガー「より大きな希望」 (矢島昂訳/妖精文庫、あるいは、小林和貴子訳/はじめて出逢う世界のおはなし)
ヤン・ポトツキ「サラゴサ手稿」 (工藤幸雄/世界幻想文学大系)
ダフネ・デュ・モーリア「レベッカ」 (大久保康雄訳/新潮文庫)
アントニオ・タブツキ「供述によるとペレイラは」 (須賀敦子訳/白水Uブックス)
ジョン・ファウルズ「魔術師」 (小笠原豊樹訳/河出文庫)
ウィリアム・ゴールディング「蝿の王」 (平井正穂訳/新潮文庫)
ジャック・ロンドン「マーティン・イーデン」 (辻井栄滋訳/本の友社)「ジャック・ロンドン自伝的物語」のタイトルの晶文社版もあり
フィレンツ・カリンティ「エぺぺ」 (池田雅之訳/ 恒文社)
ウィリアム・ベックフォード「ヴァテック」 (私市保彦訳/国書刊行会)
E.T.A.ホフマン「ホフマン短編集」 (池内紀訳/岩波文庫)
ジョージ・オーウェル「1984年」 (高橋和久訳/ハヤカワ文庫epi)
アゴタ・クリストフ「悪童日記」 (堀茂樹訳/ハヤカワ文庫epi)
ジュール・シュペルヴィエル「火山を運ぶ男」 (嶋岡晨訳/妖精文庫)
メアリ・シェリー「フランケンシュタイン」 (多数あり)
マルグリット・デュラス「モデラート・カンタービレ」 (田中倫郎訳/河出文庫)
アンナ・カヴァン「氷」 (山田和子訳/ちくま文庫)
ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」 (池田香代子/みすず書房)
W.G.ゼーバルト「移民たち」 (鈴木仁子訳/白水社)
サン=テグジュベリ「人間の土地」 (堀口大学/新潮文庫)
ロード・ダンセイニ「時と神々の物語」 (中野好夫訳/河出文庫)

+4

フィリップ・K・ディック「暗闇のスキャナー」(山形浩生訳/創元推理文庫)
J.G.バラード「楽園への疾走」 (増田まもる訳/創元推理文庫)
グレッグ・イーガン「ディアスポラ」 (山岸真訳/ハヤカワ文庫SF)
テッド・チャン「あなたの人生の物語」 (浅倉久志、ほか訳/ハヤカワ文庫SF)





 上のリストで、サキの短編集は、いろいろな編集版が出ていますが、とりあえず薄い岩波文庫でいい気がします。ビアスも、実は多くの編集盤が出てるのですが、一応岩波版を挙げました。でも、光文社古典新訳文庫でも、創元推理文庫でもいいと思います。また、他にも複数の版があるものが多々ありますが、基本的に何でもいいと思います。ただし、敢えて文庫名や訳者名を絞って記しているものは、(現行版ではなく絶版のものもありますが、個人的な趣味で)そちら推奨です。
 もともとの記事では、ここ50年に限定してますが、意外と古典のほうが読まれていない気もするので、その縛りは無視しました。『フランケンシュタイン』とか、有名だけれど、どれだけの人が読んでいるのか、疑問です。
 さほど目新しいリストでもなさそうですが、ちょっとしたお遊びのつもりで、読書の参考になれば。


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 最近読んだ本をいくつか、まとめて感想を。


⚫ステファン・グラビンスキ「火の書」 (芝田文乃訳/ 国書刊行会)
⚫ステファン・グラビンスキ「動きの悪魔」 (芝田文乃訳/ 国書刊行会)

 「奇妙な世界の片隅で」のkazuouさん主催の読書会に参加したのだが、そのテーマのひとつがこのグラビンスキだった。ちょっと急いで読んだので、味わって読み込んだというわけにはゆかなかったのだが、英語圏の幻想怪奇小説とは明らかに違う味わい。帯の惹句の「ポーランドのポー、ポーランドのラヴクラフト」という煽り文句はいまひとつよく分からなかったけれど(ポーの影響はまあ感じられたけれど、この二冊を読んだ限りでは、ラヴクラフトはちょっと無理筋だと思う。科学趣味ならポーにも多分にあるし、ラヴクラフトとは全然違う気がする。まだダンセイニの方が。どちらかといえば、ベルギー幻想派のトマス・オーウェンとか、ジャン・レイとか、そっちに近い印象)、ユニークな作家であることは十分に伝わってきた。
 「火の書」は炎、「動きの悪魔」は鉄道と、それぞれ統一されたテーマに沿った短編が集められた作品集。今ではこうした、ある具体的なテーマのもとで作られた作品集というのは珍しくもないけれど、20世紀初頭という時代では、よくは知らないけれど、あまり沢山はないのでは。これは、ひとつのテーマを決めてしまえば、そこからいくつものバリエーションのあるアイデアが生み出せるということで、そういった意味でも、ポーランド文学史上ほぼ唯一の怪奇小説のジャンル作家と呼ばれるように、プロフェッショナルな作家だったのだなと思う。
 「火の書」では「白いメガネザル」「火事場」「有毒ガス」などが印象に残り、「動きの悪魔」では「機関士グロット」「トンネルのもぐらの寓話」が特に印象に残ったが、全体的には「動きの悪魔」の方がより興味深く読めた。個人的に、鉄道をテーマにしたホラー小説(や漫画)というものに興味があるので、この本はどちらにしても近いうちに読もうと思っていたから、よい機会だったし、余計に興味深く感じたのだろうと思う。
 難点をいえば、どちらの作品集も、やや展開がパターン化されているところがある作品がいくつかあるということと、これは原文のせいか訳文のせいかわからないのだが、ややひっかかる文章が多くて、内容の平易さの割にはちょっと読みにくいと感じることがある点か。しかし、こうしたまだ日本ではほとんど知られていない異色の作家が紹介されるというのは非常に嬉しいことだと思った。


⚫ジャック・ケッチャム「隣の家の少女」 (金子 浩訳/ 扶桑社文庫/扶桑社)

 最近亡くなったジャック・ケッチャムだが、読むのはこれが初めて。最初にこれを選んだのは、「厭な後味の小説」といえば真っ先にこれが挙がってくるほど、非常に有名な鬱小説らしいから。初めて読む作家の作品なのだから、一番有名なのを読もうと思ったわけである。
 しかし一読してみて感じたのは、確かに酷い小説には違いなかったが、覚悟していたような嫌な気持ちにはならなかったということ。実話をもとにした作品ということで、そう思うと確かに嫌なものはあるけれども、小説としては、非常にちゃんとしていた。単にショッキングさを狙っただけの小説という印象は受けなかった。メグの造形もよかった。メグがひたすら悲惨な目にあってゆくというのを読まされ続ける小説だというのに、なぜか彼女の最後まで気高い姿に救いにも似たものを感じてしまう(非常に難しい表現ですが)。これが、この作品とただ単に嫌な気分にしかならない凡百の二流小説とを分かつ点なのだろうと思った。


⚫ウラジミール・ナボコフ「セバスチャン・ナイトの真実の生涯」 (富士川義之訳/ 講談社文芸文庫/講談社)

 ナボコフがはじめて英語で書いた小説。語り手が、自分の兄であり作家であるセバスチャン・ナイトの伝記を書くために、兄の足跡を辿ってゆくという物語。メタ・フィクションとして読もうと思えば、様々な解釈が成り立つだろうし、そうではなくて普通に書かれたままの小説として読もうと思えば、そのまますんなりと読めてしまうという作品で、内容的には特に難しくもないのだが、そこはナボコフで、単にストーリーを追うだけだとさほど面白くはなく、細部をじっくり見てゆこうとして初めて面白さがにじみ出してくるという印象。ナボコフによる小説論、あるいは実際には存在しない作品の解説など、細かく見ていけば興味深いところが沢山ありそうだ。しかし、今回ぼくはさらりと読んだだけだったので、あまり多くを語る資格もなさそうである。ただひとつ。

「いかなる物質であれ、物質の同一性というものが存在するのだ。唯一の真実の数は一であり、残りの数は単に一の繰り返しにすぎない」

という有名な言葉。以前何かで引用されているのを読んだことがあって、記憶に残っていたのだが、その引用元はこの小説であったのかと、今回気付いた。


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 最近、ちょっとブログの更新をしていない気がしますが、本を読んでいないわけではなく、今年に入ってからtwitterを平行してやっているため、そちらに「読了」と書いてしまうと、なんだかちょっと満足してしまって、こちらに長文をまとめるのをついさぼってしまうのです。結構たまってしまっているので、とりあえずは最近再読した本のタイトルと、ちょっとした感想を。

ヤン・ポトツキ「サラゴサ手稿」 (世界幻想文学大系/国書刊行会)

 ポーランドの貴族ヤン・ポトツキによって、もともとはフランス語で書かれた小説だが、その原本であるフランス語版は一部が失われてしまっているため、現在ではポーランド語に翻訳された版でしかその全貌を覗うことができない、いわば「失われてしまった書」なのだが、そのポーランド語版も後の編者たちによって手が入っているらしく、未だに決定稿というものがないという、本の成立課程そのものが伝説めいた奇書。千夜一夜物語風の、東洋趣味の感じられる、入れ子構造になった物語で、夜明けごとに一つの章が終わる。原本では全部で66夜まで物語は続くのだが、邦訳は14夜までの抄訳。著者生前に刊行されたのが13夜までだから、ほぼそれに倣ったというたてまえになっている。一応この本を翻訳された工藤幸雄さんは全部を訳し終えているらしく、過去に何度も東京創元社から完全版の刊行予告があったが、結局いまだに出版されていない。最近では国書刊行会などから5千円ほどの本も普通に刊行されており、強気な値段にも関わらず本好きからは概ね好評で、それなりに売れているようだから、多少高い値段設定にしてもきっとある程度売れるはずだとは思うのだが、ここ数年はオオカミ少年的な刊行予告さえないし、訳者の工藤さんもとっくに亡くなっているから、もう諦めた方がいいのかもしれない……。
 現在読める範囲内では、内容的には、簡単に言えば以下のようなもの。
 そもそもこの書は、ある廃屋から発見された手記という体裁をとっている。手記の中で、主人公であるアルフォンスという勇敢な兵士が、宿の主人の忠告を振りきって、自らの勇敢さを頼み、ゾゼを首領とする盗賊一味が捕まって絞首刑にされて見せしめのためにそのまま吊るされているという峠を越えようとするが、その途中の宿で夜毎艷やかな、自分の遠縁にあたるというイスラムの女性二人にかどわかされ、朝がくると絞首刑にされた二体の死体(男)とともに横たわっているということを繰り返す。途中、出てくる登場人物たちによっていくつもの物語が紡がれるが、結局のところ、アルフォンスの行軍は一向に先へとは進まない……。
 キリスト教者であるアルフォンスを誘惑するのがイスラムの美女たちであり、アルフォンスの首からかかっているロザリオを怖れ、なんとかして外させようとするということから、イスラムとクリスチャンとの争いという構図や、イスラムを邪教とみなす意図なども透けて見える。また、夜が明けると廃屋に寝ているというあたり、「雨月物語」の「浅茅が宿」などをちょっと思い出させるところがある。
 この作品は映画化もされていて、割と評判がいいようなのだが、ぼくは観ていない。「奇妙な世界の片隅で」のkazuouさんによると、映画は最終夜まで描かれているということ。途中から入れ子構造が加速し、行き着くところまで行ったところで、急速に畳まれてゆく様が圧巻だとか。奇跡的に日本語字幕のDVDが出ているようなので、ぜひ観てみたいものだと思った。



小田雅久仁「本にも雄と雌があります」 (新潮文庫/新潮社)

 第三回twitter文学賞を受賞した作品。語り手である土井博が、祖父である深井與次郎の生涯と「幻書」について、息子の恵太郎に向かって饒舌に語りかけるというスタイルをとっている。作品中の主人公は與次郎だが、この「主人公が祖父の物語を息子に語る」というスタイルそのものが実は一つの仕掛けにもなっている。
 「幻書」とは何か。本には実は性別があって、その雄本と雌本のあいだに、ごくたまに、この世に本来存在しないはずの本が生まれることがある。それを「幻書」というが、本来は存在しないはずの書物である。「幻書」は、放って置くとどこかへ飛び去っていってしまうのだが、象牙の蔵書印を押すことによって一時的な支配下に置くことができる。「幻書」が生まれるためには、膨大な蔵書が必要となる。そうして、幻書が生まれるほど本を愛した人の中には、その死後にボルネオのキナバル山にある「ラディナヘラ幻想図書館」の司書として登用される人もいる。象牙の蔵書印を押された幻書が集まり、巨大な白い象となって、主人を乗せてラディナヘラへと連れてゆくのである。ここには、ありとあらゆる書物が集められている。アリストテレスやグーテンベルグも、死後にはその図書館の司書として召され、そこで働いている。ちなみにこの作中では、人は死ぬと一冊の本になり、この世界の果ての書架へと飛んでゆき、背を「向こうに向けて」、配置されるとされている。そうしてこの世界の外側に存在する「誰か」に貸し出されるのを待っているのである。
 「幻書」には予言の書も存在する。それを悪用した代表的人物としてヒトラーが挙げられている。また、「語られなかった物語」が幻書として生まれることもある。主人子の與次郎はずっと日記をつけているのだが、第二次大戦に従軍していた間だけはその日記が欠けている。與次郎は死ぬまで、自らその従軍していたときに何があったのかを語ろうとはしなかった。しかし、ないはずのその間の日記が、「幻書」として存在しているのである。その部分が、この小説のひとつの読みどころにもなっている。物語の最後に、與次郎のライバルの釈苦利が最初に手に入れた幻書こそが恵太郎の自伝であることが明かされ、全てが実は彼の手のひらの上で踊らされていたことであることが示唆されるが、さらにその先で仕掛けがあって、與次郎はさらに幼い頃、一冊の本幻書を断片的にではあるが、見ていたことが明かされる。そのタイトルこそが「本にだって雄と雌があります」――
 全体の語り口は、町田康などにも通じるような、饒舌体ともいうべきスタイルで、読みながら何度も笑ってしまうのだが、語られる内容は結構重く、非常に読み応えがある。終盤にかけて物語が二転三転しながら、最後にピッタリと収まって物語が全貌を現してゆく様子は感動的だった。


野崎まど「小説家の作り方」 (メディアワークス文庫/アスキー・メディアワークス)

 「この世でいちばん面白い小説」をめぐる物語。小説家の物実のもとに、「この世でいちばん面白い小説のアイデアを思いついたから、小説の書き方を教えて欲しい」と頼みにやってきたのは、5万冊もの小説を読んだという美人女子大学生。物語はやがて、思いもかけない展開を見せ、自我を持ったAIをめぐるSFになってゆく。この作品ですごいのは、というより野崎作品ではしばしばあることだが、完璧に近い芸術の破壊力。なんと、AIが書き上げた「この世でいちばん面白い小説には一歩届かない作品」でさえ、読んだ人間を変質してしまい、人としての姿を保てなくしてしまうのだ。ちょっと意味がわからないと思うが、読んでいるとなんとなく納得させられてしまう。
 さらにすごいのは、実はこの作品、おなじメディアワークス文庫でそれまで出ていた

「[映]アムリタ」
「舞面真面とお面の女」
「死なない生徒殺人事件 〜識別組子とさまよえる不死〜」
「小説家の作り方」
「パーフェクトフレンド」

と同じ時間軸の中にあって、他の四作とともに、この後に書かれた「2」というボリュームのある作品の前日譚となっているということ。それぞれが完全に独立した作品なので、まさかこんな芸当ができるとはと、予備知識が全くなかった分、非常に面白かった。まあ、ここで完全にネタバレしてしまいましたが(笑)。



久世光彦「一九三四年冬―乱歩」 (新潮文庫/新潮社)

 話の骨格は、だいたい以下のようなもの。
 昭和9年冬、乱歩は連載中の小説「悪霊」が暗礁に乗り上げたことで、そこから逃れるために麻布の「張ホテル」という、中国人の美青年が働く洋風ホテルに身を潜める。都会の中での失踪である。そのホテルには、探偵小説マニア(自力でバーナビー・ロスがエラリー・クイーンと同一人物であると推測するほど)の人妻ミセス・リーなどもいる。乱歩の部屋は202号だが、隣の201号は空き室にも関わらず、何かの気配がある。乱歩はその、どこか現実と非現実の狭間にあるようなホテルで、「梔子姫」というエログロの短編小説を執筆する。
 乱歩のエッセイなどを読み込んで書かれた作品のようで、乱歩ファンには面白いのではないだろうか。乱歩の造形が、どことなくチャーミング。また、乱歩がシコシコと書いていた作中作の「梔子姫」という短編は結構な奇想で、文体は乱歩らしいといえば言えるのかもしれないが、発想的には、どちらかといえば山田風太郎っぽい気もした。そういえば、風太郎は乱歩を師のように仰いでいたはず。もちろん、作中作の「梔子姫」という作品は、乱歩にはない。
 小説自体は、「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」の乱歩の言葉を反映してか、現実と夢のあわいにあるものになっていて、明確な解決や結末はない。物語全体に漂う夢幻に身を委ねるようにして楽しむ本だろうと思う。文体はとても心地よい。



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