漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

亀は意外と速く泳ぐ

2011年08月30日 | 映画

「亀は意外と速く泳ぐ」 三木聡監督

を観る。

 「The Mist」の後味がとても悪かったので、面白そうなものをと思い、借りてきた。
 面白い。平凡な主婦がスパイになる(んだかならないんだか)という話で、特にこれといったストーリーがあるわけではない。だけど、小さな笑いが積み重なって、気がつくと別世界にいる。そんな感じ。

 日曜日には、清瀬でひまわりフェスティバルがあるというので、ちょっとサイクリングがてらに自転車で遠出。都内最大級というが、遠目にはそんなに広くもないなあという印象。だけど、その中に入るとやはりひまわりの中に埋もれるような感じ。スペインのアンダルシアとか、すごいんだろうなと思った。

超人髭野博士

2011年08月29日 | 読書録

「超人髭野博士」 夢野久作著

を読む。

 夢野久作の小説は、何を読んでも大抵面白いと感じるけれども、この作品も例外ではなく面白く読んだ。小説としての完成度が高いとか低いとか、そんなことはどうでもよい瑣末なことに思えてしまうほど、夢野久作の文体は異様で唯一無二で魅惑的だ。宮沢賢治がそうであるように、文章が独自のリズムを持った音楽のようだからだ。

ミスト

2011年08月25日 | 映画

「ミスト」 フランク・ダラボン監督

を観る。

 スティーブン・キングの中編が原作となった映画。
 脚本はよく練られているし、悪い作品ではないと思ったが、最後の最後でやらかしてくれていて、なにせかなり後味が悪い。映画に関してはハッピーエンド、というか腑に落ちる作品が好きなので、単純に好みの問題だが、その点では不満だった。途中までは、「ウィリアム・ホープ・ホジスン作『ナイトランド』につづく」といった感じだなあとか、ちょっと思いながら観ていたが、何もこんな終わり方にしなくてもと唖然。もっとも、原作ではこのエンディングはちょっと違うらしい。
 ただし、物語自体はキングらしい内容。一番怖いのは、霧そのものではなくて、人間そのものであるという点で。

斜陽

2011年08月23日 | 読書録
「斜陽」 太宰治著 青空文庫

を読む。

 これまで太宰の小説は余り読んだことがない。「人間失格」を中学の頃に読んだのと、教科書に載っていた「富嶽百景」を読んだことがあるくらい。どちらもそれほどよいとは思わなかったし、印象にも残っていない。けれども、武蔵野の文学者といえば太宰の名前がすぐに上がるし、久々に何か読んでみようと思った。それで、青空文庫を探して、一番有名なこの作品を選んで読んでみた。
 好きかと言われれば、全く好きな作品ではなかった。でも、人気があるのも分からないでもない。感想としては、そんな感じ。太宰の「女生徒」も、やはりkindleに入れて持ち運んではいるが、読むかどうかはわからない。なんとなく、読まない気がする。この年になってしまうと、残念ながらもう太宰の良さは分かりそうにない。ネットで調べてみると、この作品は太宰が当時交際していた太田静子の日記をほとんどそのまま書き写したものだそうだが、それはいかがなものかと普通に思う。太宰の心中だって、あれは太宰の悪い癖で、絶対本人は死ぬつもりはなかっただろうと思っていたから、別に驚きはしなかったけれども。自意識を持て余している十代後半から二十代前半に読むと共感できる、かもしれない、作家なのだろうと思った。
 

プレンティスの反乱・・・2

2011年08月21日 | W.H.ホジスンと異界としての海
 少年たちの名前は、ハロルド・ジョーンズとマーサー・キニックスと言ったが、彼らの受けた虐待と苦しみの内容について、以下にいくつか羅列してみよう。夜警の間ずっと、両手にはそれぞれ重いキャプスタンのバーを持って船尾風下側の見張りをさせられた。午後の非番の時、例え水夫たちがいつものように下へと行くことを許されている間でも、デッキの上にいることを強いられた。夜にマストに登らされて、四時間の見張りの間ずっと、メイン・ロイヤル・ヤードの帆桁に座っていることを強いられた。正当な非番のときにも、夜にずっとデッキの上にいることを強いられた。何度となく蹴られ、ロープで縛られた。そして服を着たまま何度も頭の上からバケツの海水をぶっかけられ、乾いた着替えがないこともしばしばだった。
 この種のことは、フリスコへと向かう海路では日常的に行われてきたことだったが、そこで幸運が舞い込んだかのように、ビーストン船長は会社の他の船からの六人のアプレンティスを受け入れるようにという電報を受け取ったのだ。その船はちょうどオランダの木材運搬会社に売却されたばかりで、プレンティスたちは船を下りてレディ・モーガン号に移り、そこで日常業務をこなしながら帰還することになったのだ。
 新たにやってきた六人の少年たちは、最年少の一人を除き、みんな二度目か三度目の航海であった――力の強い、身体が大きくて逞しい少年たちで、ジョーンズとキニックスが受けていると語ったような虐待には屈しないと心に決めた。
 それは彼らが他の二人のプレンティスたちから聞いたことに腹を立てて、自分たちが同じような「水夫いじめ」に会うのではないかと危惧したせいかもしれないが、彼らは実際に船員たちに対して、聞き分けがないとさえ言えるほどに反抗的な態度を示して見せ、そして実際に、彼らが抵抗すると心に決めていた手荒な虐待を招くことになった。
 彼らが、自分たちが予想していたよりも辛い時間に耐えるはめになったのは間違いない。船長と二等航海士はともに身体の大きな男たちで、諺にもあるように、彼らのほうがほんの少し手の使い方が上手だったのからだ。それゆえ、新しくやってきたプレンティスの中の一人が自らのために歯向かってみせた結果は、その若者にとっても見ている方にとっても、楽しいものではなかった。
 一等航海士は公正だったから、この種のことが持ち上がればはっきりと意見したに違いないが、船の日常的なローテーションの中で、デッキに二等航海士がいる間には、大抵は非番だった。だから彼の目に入る少年たちへの虐待の様子は、氷山の一角にすぎなかったのだ。その上、一等航海士がデッキで見張りをしている時に船長がプレンティスたちに酷い扱いをした場合には無言の非難を送り、それが確実に船長の行動に自制を促したため、結果として、彼はめったに野獣のような極端な虐待は見ないままで来てしまっていた。甲板長(獣のような男だ)に関して言えば、彼はすぐに一等航海士が「水夫いじめ」を好まないとわかったので、自らの野獣のような欲求を満足させるのは、主に二等航海士の下でだったのだ。

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  The boys' names were Harold Jones and Mercer Kinniks, and among some of their punishments and inflictions I may mention the following: Having to pace the lee side of the poop with a heavy capstan-bar in each hand during the whole of their night watch; having to stay on deck during the afternoon watch below, though the men were allowed to go below as usual; having to go aloft at night and sit on the main-royal yard-arm for the whole four hours of the watch; being constantly kept on deck at nights, when it was properly their watch below; being both kicked and rope-ended on a number of occasions; and having many times a bucket of sea-water hove over them, fully dressed as they were, so that often they had no dry clothes to wear.
  This kind of thing was common all the way out to 'Frisco, where, as good fortune would have it, Captain Beeston was cabled to by his company to take aboard six apprentices from another of their vessels. This ship had just been sold to a Dutch timber-carrying firm, and the 'prentices out of her were transferred to the Lady Morgan so that they might work their passage home in her in the ordinary way.
  Now the six new lads were all of them, excepting the youngest, second and third voyagers-powerful, hefty youths, determined not to knuckle down to the kind of treatment which Jones and Kinniks told them they had received.
  It may be that, being indignant at what they heard from the two other 'prentices, and anxious to show that they would not be "hazed" likewise, they really displayed what may have appeared to the officers an attitude of almost wanton insubordination, and so actually invited the rough handling they were determined to resist.
  That they endured a harder time than ever they had expected is undoubtedly true; for both the Master and the Second Mate were big men, and could use their hands more than a bit, as the saying goes. So that on those occasions when some one of the new 'prentices made an attempt to stand up for himself the results were neither pleasant to the youth nor to those who had to look on.
  In justice to the First Mate, it must be stated that this kind of thing occurred, in the natural course of the ship's routine, largely in his watch below, during the Second's charge of the deck; so that he saw only a part of the rough usage the lads endured. Moreover, when the Master ill-treated the 'prentices during the First Mate's watch on deck the Mate's unspoken disapproval produced a certain amount of restraint on his actions, with the result that he seldom saw the brutal extremes to which things were being carried; for the Bo'sun (an animal of a man) soon discovered that the First Mate had no especial taste for "hazing," and therefore took care to satisfy his appetite for brutality chiefly in the Second Mate's watch.

"Prentices Mutiny"
Written by William Hope Hodgson
(ウィリアム・ホープ・ホジスン)
Translated by shigeyuki



プレンティスの反乱・・・1

2011年08月17日 | W.H.ホジスンと異界としての海
プレンティスの反乱

 1

 実際にあった、極めて特殊な事件の全容を物語りながら、多少不本意ではあるが、荒削りなありのままの真実をもっともらしく記述するにはどのようにすればよいのかを学んだ。フィクションでは、誰でも単なる記述では充分ではないことを知っている。創作された事実には、常に読者を納得させるための手引きとなる、もっともらしい虚構という道筋が用意されているものだ。ここで扱っているのは、むき出しの、ありのままの真実であり、私にはもっともらしい物語への導入を用意することなどできない。私に許されているのは、実際に起こった物語を提示することだけだ――つまり、真実である。
 私はまた、どんなことが起きたのかを物語るということに加えて、些細ではあるが普遍的な喜怒哀楽と、その舞台の中で登場人物の感じていることを書きだすことに力を注いだ。
 最後になるが、この物語の中に登場する人々の多くはまだ存命中であり、我々の住むこの小さな世界のまた別の環境の中で生活を送っているため、登場する個人の名前を変え、そしてある他の予防措置を講じて、この極めてユニークな反乱事件の中で彼らの取った行動の一部がある程度までさらけ出されたこの出版物によって被ることになるかもしれないあらゆる結果から彼らを保護したことを、読者諸氏にご理解頂きたいと思う。
 以下の物語は、全装船レディ・モーガン号の八人のプレンティスたちが起こした反乱についての、可能な限り正確な記録である――そのどこまでも深刻な事件は、ケープホーンを回っての帰路航海中に起きた。
 イギリスを出航したとき、レディ・モーガン号には十五歳と十六歳の二人のアプレンティス(見習い)しか乗っていなかったが、彼らは度重なる虐待、とりわけウィリアム・ビーストン船長、ジャン・ヘンリックセン二等航海士、それにカール・スキーフス甲板長の手による虐待に耐えていた。その二人の少年たちが耐え忍んでいた侮辱と苦しみは、海上での若者に対する酷い扱いが、まだ過去のものにはなっていないということを証明していた。
 一等航海士のロバート・ジェンキンズは厳しく無愛想だったが、二人の若者たちを公正に扱ったため、少年たちは彼に対しては良い印象を抱いていた。航海士の少年たちに対する態度は、充分に統制のとれた船のたいていの船員たちと比べるなら、良くも悪くもないといった程度のものだった。だが余りにも卑劣で野獣じみた扱いを受けるという環境の中では、唯一公平な立場でいる姿が、対比的に、おそらくは実際以上に人間的に思えたのだ。

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The 'Prentices' Mutiny


I


 IN GIVING THE FOLLOWING account of an actual and distinctly unusual happening, I have discovered, somewhat to my disgust, how awkward crude facts are to recount with plausibility. In fiction one realizses that mere statements are not sufficient; the in- vented fact must always have a road of plausible lies to aid its journey into the reader's belief. Here, dealing with the bald, naked truth, I am permitted to make no preparatory road of plausible inventions. I am allowed only to present to you the things that actually happened ―― in short, the truth.
 I have also endeavoured to present, along with the narrative of what occurred, a slight though constant picture of the emotions and feelings of the actors in the scenes I have set out.
 Finally, I wish the reader to understand definitely that, for the sake of many who are yet living, in different parts of this little world of ours, the names of the personalities mentioned herein have been altered, and certain other precautions taken to safeguard them from any results which might follow upon the publication of this severely unvarnished account of their several actions in the affair of this quite unique mutiny.
 The following is, as far as possible, an exact account of the mutiny of the eight 'prentices of the full-rigged ship Lady Morgan-a thoroughly serious affair that occurred on the voyage home round Cape Horn.
 On the voyage out from England the Lady Morgan carried only two apprentices, youngsters of fifteen and sixteen, who endured a very great deal of rough treatment, notably at the hands of William Beeston, the Master; Jan Henricksen, the Second Mate; and Carl Schieffs, the Bo'sun. The indignities and sufferings that these two boys endured go to prove that the harsh treatment of young lads at sea is not so much a matter of the past as one could wish.
 The Mate, Robert Jenkins, though stern and brusque, treated the two youths with ordinary fairness, and as a result they had very warm feelings for him. His attitude to them was no better and no worse than that of most officers in well-disciplined vessels; but, standing alone for fairness, amid so much petty and brutal treatment, his conduct appears more humane, by the mere force of the contrast, than was probably the case.

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"Prentices Mutiny"
Written by William Hope Hodgson
(ウィリアム・ホープ・ホジスン)
Translated by shigeyuki


三戸浜

2011年08月14日 | 三浦半島・湘南逍遥

 先日は三浦半島の三戸海岸へ出かけた。
 三浦半島へ出かけるのも、以前はあれほど頻繁に足を運んでいたことを思うと、ずいぶんと久々のことだ。
 宅地造成のために開墾されていた土地を左手に見ながら、三戸海岸までの長い道を歩く。宅地として開拓されていたはずなのに、いつのまにか畑になろうとしているようだ。宅地として造成するのは諦めたのだろうか。この景気だし、まあそりゃそうだろうなと思う。
 海岸線は、一部が崩れている。地震の影響だろうか。水戸浜を通り過ぎて、その先の小さな砂浜へと向かう。先客は、白人の家族と、ふんどし姿のおっさんが一人だけ。よくその下で休んでいた木が倒れている。以前から傾いてはいたが、完全に倒れてしまったようだ。
 今年海に入るのは、これが初めて。もしかしたら、今年はこれが最初で最後の海水浴ということになるかもしれない。
 お盆だということもあるのだろうし、平日であるということもあるのだろうが、ずいぶんと人が少なかった。真夏の水戸浜でこれほど人が少ないのもあまり覚えがない。原発事故がやはり影響を及ぼしているのだろうか。その代わりといってはなんだが、ふんどし姿のおっさんを何人も見た。あまりこれまで見たことのないものだ。自分で自分の姿を撮影したりしている。ここはそういうスポットになったのかなとふと思った。
 海に入って、二時間ほどシュノーケリングをして回る。海の中が、なんだか寂しい感じがする。いつもこんな感じだっただろうか。魚も少ない気がするし、海藻も少ない気がする。気のせいならいいのだけれど。
 泳いだ後、歩いて黒崎の鼻へと上る。誰もいない。完全な貸切り状態。ビールを持って来たかったなとつくづく思う。穏やかで、静かな光景。
 駅までの長い畑の中の道を歩きながら、ふと周囲の畑にほとんど何も植わっていないことに気づく。耕作はされているのだが、一面に茶色の土しか見えない。いつもこうだっただろうか。いつもはたくさんの作物があったと思うのだが。これもあるいは、なにかの影響なのだろうか。

 

紫の雲・・・120

2011年08月09日 | 紫の雲
 四日間は何もする気になれず、ただ横になってぼんやりと眺めながら、余りにも大きな重圧から逃げていた。だが五日目の朝、ようやく重い腰を上げて作業にとりかかった。仕事に夢中になるのには、一時間もかからなかった――やり遂げるんだ、やり遂げてやる――そんな気持ちが、短い中断を三度挟んだだけで、七年近くも持続した。もしも四つの平らな屋根の水はけという予測していなかった難題が持ち上がり、東にある屋根の一つを半分下げなければならなくなったりしなければ、終わるのはもっと早かっただろう。最終的には、一と四分の一インチの厚さの金の厚板を作り、両面を滑らかにして、ビームにはそれぞれ、フランジの先端の各側面に沿って二重の溝を彫り、接合部にはスレート用セメントを満たして、どんな水漏れも受け止められるようにした。厚板は鋼鉄の鋲で突縁の先端に固定したが、そこに穿った穴はパリの漆喰を使って補修した。留め具の長さは、一と二分の一インチ、十七分の三インチ、そして十七インチとさまざまだった。屋根はわずかに先端に向かって傾斜しており、水が鍛造鉄でメッキされたブラケットの上の金の鋼の樋の中に流れ込むようになっていたが、接合部の溝をすっきりと見せるため、ビームの先端から持ち上がった厚板の片面は、ブロックの上できらきらと輝いていた……ここでもぼくはまた下働きの苦しさについて述べているが、忘れようとしてもできはしない。あらゆる寸法、ボルト、リング、それはぼくの脳の中に、まるで重荷のように存在しているのだから。だがそれは過ぎたことだ、過去の出来事だ――それは虚しいことだった。

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For four days I would do nothing, simply lying and watching, shirking a load so huge: but on the fifth morning I languidly began something: and I had not worked an hour, when a fever took me―to finish it, to finish it―and it lasted upon me, with only three brief intervals, nearly seven years; nor would the end have been so long in coming, but for the unexpected difficulty of getting the four flat roofs water-tight, for I had to take down half the east one. Finally, I made them of gold slabs one-and-a-quarter inch thick, smooth on both sides, on each beam double gutters being fixed along each side of the top flange to catch any leakage at the joints, which are filled with slaters'-cement. The slabs are clamped to the top flanges by steel clips, having bolts set with plaster-of-Paris in holes drilled in the slabs. These clips are 1-1/2 in. by 3/17 in., and are 17 in. apart. The roofs are slightly pitched to the front edges, where they drain into gold-plated copper-gutters on plated wrought-iron brackets, with one side flashed up over the blocks, which raise the slabs from the beam-tops, to clear the joint gutters.... But now I babble again of that base servitude, which I would forget, but cannot: for every measurement, bolt, ring, is in my brain, like a burden: but it is past, it is past―and it was vanity.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki



ロートレック荘事件

2011年08月05日 | 読書録
「ロートレック荘事件」 筒井康隆著 新潮文庫 新潮社刊

を読む。

 文体そのものにトリックがある推理小説。なのだが、ぼくはなにを間違ったか、最初から何の疑問もなく全く著者のトリックを無視して、騙されそこなったまま読んでしまった。つまり、「えっとこれはどっちのセリフなんだろう」と常に考えながら、最後まで読み進めてしまったのだった。そのせいで、とてもつまらなかった。トリックの部分を除けば、読むに値するほどの内容がない小説だから、これは致命的だった。ロートレックの絵が挿入されているのも、大した意味はなかったし。ぼくと同じような感想を持った人も結構いるんじゃないかな。