漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




 尾道観光を終えた翌日は、朝早めに宿を出て、自転車では途中までしか行けなかったしまなみ海道を渡り、何かと今話題の、四国の今治へ。そこから西へと向かい、夏目漱石の「坊っちゃん」の舞台ともなった、松山の道後温泉へと向かった。



 道後温泉は、1894年に施工され、重要文化財ともなっている「道後温泉本館」を中心とした温泉街。日本最古の湯治場のひとつとされ、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルにもなったらしい。もっとも、油屋のモデルは、各地に点在するらしいが。
 もともとは道後まで足を伸ばすつもりはなく、思いつきで道後まで向かった。自転車でしまなみ海道を渡れなかったことへのリベンジの気持ちも、多少はあったかもしれない。したがって大した予備知識もないまま初めて訪れたのだが、最初に道後温泉郷に入って道後温泉本館を目にしたときに感じた、観光地らしいところにやってきたなという手応えに反して、さしあたって目につく主な観光施設といえば、ほぼそれしかないと言ってよかった。こじんまりとした温泉街なのだ。



 その道後温泉本館は、いわゆる銭湯であって、宿泊施設ではない。したがって、「神の湯」の入浴料だけなら、一般の銭湯と同じ410円である。長い階段を登った先の、見晴らしのよいところにある伊佐庭神社(大分県の宇佐神社、京都の石清水八幡宮と並んで、日本に三例しかない八幡造の神社だとか)に参ったあと、ぼくたちは再び道後温泉本館へと向かい、「神の湯 二階」というプランを選んで、入浴した。これは、神の湯に入ったあと、二階にある大広間でお茶とお菓子をいただきながら、しばらく休息できるというプランで、値段は840円。浴衣は無料で貸してくれるが、タオルや石鹸は有料になる。
 中に入ると、まず二階の広間へ案内される。懐かしい感じの、日本家屋の大広間である。窓が大きく開け放たれていて、涼しい風が入ってくる。そこで係の方に案内され、場所を確保して、階下の湯へ降りるようになっている。女湯の方はわからないけれども、男湯の方は、大きな脱衣所から東湯と西湯のふたつに入れるようになっていた(後で妻に聞いたが、女湯は、大きな湯船がひとつあるだけらしい)。何か違うのかと、両方へ入ってみたが、壁画が多少違うくらいで、ほぼ同じである。お湯の温度は、ちょうどよいが、あまり温泉という感じはしない。
 風呂からあがって、浴衣に着替えると、二階へと戻った。



 広間には、クーラーはないが、代わりに大きな氷が据えられていて、涼しげである。外は暑いが、広間の中は涼しく感じる。お茶と瓦せんべいが運ばれてきて、それをいただきながら、のんびりしていると、なんとも心地よい。1時間以内と決められているので、さほど長居はできないが、本当ならちょっとビールでも飲んで、昼寝をしたいくらいである。まあ、車なので、どっちみちビールは飲めないのだが。
 道後温泉を出たあとは、近くで昼食をとった。鯛めしという、鯛の刺し身をご飯に乗せて食べる地元料理。とてもおいしい。



 道後温泉郷を出たのは、二時頃。急遽放り込んだ旅程なので、その日の夜には神戸につかなくてはならず、忙しい。ゆっくりできなかったのは残念だが、まあ満足して、再び車中の人に。多少寄り道をしながらではあるが、四国を横断し、鳴門大橋から淡路を縦断して明石大橋を渡り、神戸市の垂水に着いたのは、六時を過ぎていた。
 

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 尾道の街では、まずは昔ながらのといった形容詞が似合う商店街を(とはいえ、東京にあってもおかしくないようなおしゃれなカフェが点在するのだが)、林芙美子記念館に寄ったりしながら散歩し、それから自転車を停めて、いよいよ坂道の町を散策にでかけた。
 尾道といえば、小津安二郎監督や大林宣彦監督の映画の舞台として特に名が知られるようになった町という印象がある。もっとも、小津監督の「東京物語」は非常に印象に残る良い映画だったが、中学二年生の頃に原作が好きだったからという理由で観に行った「時をかける少女」の方はムニャムニャという感じで、むしろ同時上映だった「探偵物語」の方がいくらか面白かったというやや残念な記憶があるのだけれど。
 坂道を上っていくと、古い民家に混ざって、そこをリノベーションしたと思しき、ややおしゃれな店が点在していることに気づく。そして、猫がやたらと多い。はっと気がつくと、そこに猫がいる。
 


 上にアップした写真なんて、ぱっと見にはギリシャのミコノス島の写真のようでさえある。
 坂をずいぶんと登っていった先で、志賀直哉の別邸があった。そこの縁側でちょっと休息。そこから、尾道水道が見渡せた。随分と素晴らしい眺望である。昔の文学者の住居跡は、よく記念館になっているけれど、贅沢な場所にあることが多い気がする。
 志賀直哉邸を出て、東へと向かった。
 すると、しっとりとした雰囲気の漂う一帯にたどり着く。
 「尾道イーハトーヴ」と呼ばれる一角である。
 もともとはアーティストの園山春二さんが、大正時代の古民家を改修して「梟の館」というカフェを始めたところから始まり、次第にその一角を宮澤賢治が描いた理想郷としてのイーハトーヴになぞらえて整えていったものらしい。あちらこちらに猫の置物があったりして、確かにファンタジックである。尾道に来る前から、妻がぜひこのカフェに寄りたいと言っていたので、立ち寄った。



 店内は撮影禁止ということで、写真はないが、何千という数の梟の置物に覆われた、まるで魔法使いの家のような場所である。ぼくたちが入ったときには、店内には誰一人おらず、貸し切り状態であった。窓際の席に座り、妻は小さいかき氷とコーヒーを、ぼくは小さいかき氷とビールを注文した。窓からは、尾道の風景が見渡せた。なんだか、不思議な眺めに見えた。ほっとくと、いつまででもいられそうな場所である。帰るときに、店主さんに「ふくろうの置物が、本当にたくさんありますね」と言うと、「これでもぜんぜん並べられてないんです」ということ。
 店を出たあとは、もうしばらく坂道の街を散策した。スマホで「時をかける少女」のロケ地をちょっと調べてみたけれど、なにせぼくはもう見たのも随分と昔のことだったし、よくわからずじまい。
 自転車を返却したあと、駅前の店に立ち寄って、尾道ラーメンを食べた。有名店もあるようだったが、二キロほども歩かなければならないようだったし、なにせ疲れきっていたので、まあここでいいやと入ったのだが、ずいぶん美味しく感じたので、十分に満足だった。


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 先週の一週間は、世間よりは少し早めの夏休みだったので、妻とふたりで、四泊五日の長めのドライブ旅行をしてきた。
 まず東京から広島の尾道へ向かい、そこからしまなみ海道を渡って道後温泉に立ち寄り、四国を横断し、淡路島を経由して神戸へ行き、そこからさらに滋賀へという、なかなかのボリュームがあるドライブになった。



 尾道では港の側にあるレンタサイクルで自転車を借り、島伝いに四国へと伸びている「しまなみ海道」をサイクリングした。このしまなみ海道のサイクリングロードは、サイクリストの聖地のひとつとして世界でも割と有名らしく、なるほど道中、外国人、特にフランス人らしき人の姿が目立った。尾道から四国の(今ホットな)今治までは70キロ以上あるので、復路のことを考えると、最初から完走するつもりはなかったのだが、まあ3つくらいは橋を渡りたいと漠然と思ってはいた。ところが、これが思った以上にきつかった。
 出発地点の尾道から向島までは、島民の足にもなっている渡し船で渡ることになる。一回100円だが、自転車を載せる場合はプラス10円になる(安いけれども、島民にとっては、日常的な出費になるのだろう)。向島はすぐ目の前にあるので、そのつもりならちょっとした橋くらいは簡単に架けられそうに思えるのだが、おそらくは造船業に差し障りがあるので架けないのだろう。
 向島は比較的栄えてそうな島で、渡し船から降りて、青いサイクリングコースを示すラインに沿って自転車を走らせていると、割とすぐにコンビニが2軒ある。何かを補給するなら、ここでしておくのがよさそうだ。この先、次の島の中ほどまで、店はないからである。道は、そのうち海岸に沿って走るようになりやがて橋が見えてくる。因島大橋である。橋への入り口は、橋の下を通りすぎて随分と行ったところにあるから、もしかしたらどこかで道を間違ったのではないかと不安になるが、青いラインに沿って走っていれば心配はいらない。ただし、橋への入り口から実際に橋に到着するまでは、約一キロほどの、標識によると3%勾配の坂が続く。ここで、かなり体力を消耗した。
 しまなみ海道の、自転車で走ることのできる6つの橋の中で、この因島大橋だけはサイクリングロードが車道の下を走る、二重構造になっている。しかも、サイクリングロードの両側は金網に覆われていて、風景は、網越しにしか眺めることができない。なので、しまなみ海道の橋の中では、最もつまらない橋かもしれない。それでも、最初に渡る橋だから、気分は上がる。金網越しの風景は、島が点在する瀬戸内海の風景である。
 因島は、向島よりもややローカル感が増す島だった。橋を渡り終えてすぐのところに、海水浴場があって、ウォータースライダーつきのプールも併設されている。ほとんどが地元の人だろうが、結構賑わっている。海よりもプールの方が、泳いでいる人は多いように見える。勿体無いなあ、もし今水着があったら、すぐにでも海に飛び込むのになあ、と思う。しかし、海辺で生まれ育つと、海で泳ぐことにあまり重きを置かなくなってしまうこともよくわかる。海はベタベタするからいややなあ、くらいは考えてしまう。ぼくも神戸でいた子供の頃は、目の前が海だったが、あまり泳いだりはしなかった。学校か、海辺の、年金会館のプールなどで泳いでいた。海が懐かしくなったのは、海辺を離れてからだ。
 サイクリングロードは、島の内陸を横切ってゆくのだが、この道は、途中にコンビニがあるものの、なかなか退屈な道である。暑いし、風景も特にみるべきものもない。立ち寄ったコンビニの前で、買ったガリガリ君を食べてクールダウンしながら、もう引き返そうかと相談したりもしたが、結局、もうひとつだけ橋を渡ろうということにした。



 次の生口橋は、道路の脇にサイクリングロードが並走している、眺めのよい橋だった。ただ、余りにも暑い。暑さには比較的強い方だと自負するぼくでも、さすがに辛い。途中、子供連れで走るサイクリストを数組見かけたが、みんな子供はへばっているみたいで、道路脇などに子供が座り込んでいた。無理もない、と思った。距離も長いが、それよりもこの暑さは、確実に人を消耗させる。子供には、ちょっと過酷なのではないだろうか。しまなみ海道は、イメージでは橋の上を気持ちよく走るコースという感じだろうが、実際は全長70キロほどのコースのほとんどが島の中を走ることになるし、それぞれの橋を渡るためには、一キロ近くも3%勾配を上ってゆかなければならないので、それなりにハードである。あまり甘く見ないほうがいいと思う。道中、それなりに写真も撮ったつもりだったが、実際に後で確かめてみると、ちゃんと撮れている写真は少ないし、いやそれ以前に、撮った枚数自体が少なかった。それどころではなかったということなのだろうと思う。
 生口島に到着して、しばらくサイクリングを続けたものの、途中で引き返すことにした。体力的に、この辺りが潮時だと判断したからである。帰りは黙々と自転車を漕ぎ続けて、尾道に帰り着いたときにはやれやれという感じだった。途中で引き返したとはいえ、往復で50キロ近く、炎天下を走り続けたのだから、当然だろう。それでも時間はまだ午後三時頃。自転車は一旦置いて、街を散策することにした。



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 今年のGWには、特に遠出する予定もなかったのだが、結局、海と山の両方に出かけた。



 4月29日には、新緑を愉しもうと、奥多摩へ。多少、出る時間が遅くなったので、さほど長い距離は歩けなかったが、御岳渓谷を散策した後、最後は沢の井酒造へ立ち寄り、少しばかりアルコールを摂取して、帰った。
 心地よい日で、新緑は目に眩しく、渓流では、大学の新入生を交えてだろうか、学生らしき人たちが大勢、カヌーやボートを操って、沢下りを楽しんでいた。そちらも、目に眩しかった。



 5月4日には、三浦半島の剣埼へ。
 久々の訪問だったが、大浦漁港が随分と様変わりしていた。以前は自然の入江だった場所が埋め立てられ、すっかり防波堤に守られた人工の入江になっていた。それでも防波堤の先では、以前と変わらない海岸線が残っており、今回はいつものように長い距離を歩くことはやめて、その場所に落ち着いてゆったりと時間を過ごした。水はまだまだ冷たく、夏はもう少し先だと思った。
 随分と久々に剣埼灯台にも訪れたが、中に入れない灯台にもかかわらず、意外と人がやってくるので、驚いた。

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 この前の日曜日、檜原村にある神戸岩へ出かけた。
 神戸岩は、「こうべいわ」ではなく、「かのといわ」と読む。東京都の指定天然記念物である。

 そもそも、ちょっと行ってみようと思ったきっかけは、たまたまgoogle mapで奥多摩あたりを眺めていて、目についたせいだった。ぼくは神戸出身なので、その字面につい引っかかったわけである。それで、少し調べてみた。すると、なかなかおもしろそうな場所で、どうやら余り知られていないが、パワースポットにもなっているともいう。
 パワースポット云々はともかく、紅葉見物に出かけるにはちょうど面白そうな場所じゃないかと思った。一応、武蔵五日市からバスも出ているらしいが、一時間に一本程度だし、しかも最寄りのバス停からでも、歩くと40分ほどかかるという。アクセスは多少不便そうだということで、今回は車で出かけることにした。
 ネットの情報によると、神戸岩の近くに無料の駐車場があるということだったが、十台ほどの駐車スペースしかないらしい。なので、紅葉のシーズンでもあるし、もしかしたら駐車するのはかなり難しいかもしれないと思ったが、いったいこの道でいいのかと不安になるような道を辿ってとりあえず行ってみると、意外とすんなり停められた(たまたまタイミングがよかったのか、それとも不人気な場所なのかと思ったが、後でそのどちらでもないらしいということが判明した)。
 道中、秋川渓谷が美しく紅葉に彩られているのを眺めながらドライブしてきたが、車を降りてみると、枯れた葉のよい香りが少しひんやりとした大気の中に漂っていて、心地がよい。ふと見上げると、駐車場から、すぐに神戸岩らしきものが見える。それが、上の写真である。
 神戸岩は、駐車場のごく近くに聳えていた。正直に言えば、ただの岩肌にしか見えない。
 神戸岩の真下に、岩伝いに歩ける道がある。
 道というのもおこがましいような、岩に打ち込まれた鎖を伝って歩くような道である。しかし、これが神戸岩観光のクライマックスになる。それが、下の画像。



 ちょっとした冒険のような、そんな道があるということはネットで知っていて、その道を歩くことを楽しみにしていたのだが、なんとこれが、なかなかの残念な観光スポットだった。
 一言で言えば、あまりに短すぎる。さっと歩けば、五分もかからずに通り抜けてしまえるような場所である。抜けた先は、林道になっていて、もう観光スポットではなくなっている。
 きれいじゃないわけではないけれど、いったい何なのだろう?
 駐車場の空きがあるのは、つまり、回転が早いということなのである。
 それでも、久々の森林浴は楽しめたので、とりあえずは満足したけれど、まあなかなか、不思議な場所でした。
 

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帰省  



 まもなくお盆休みだが、ぼくは一週間早く夏休みを取り、関西まで初めて車で帰省した。
 車の運転は、もともと余り好きでも得意でもなく、これだけ長い距離を一度に運転するのも初めてだったので、出発前には多少の心配はあったのだけれど、まあ一度くらいはやってみるかと、思い切ったのだが、特に何のトラブルもなく、短くはあったが、楽しい旅ができた。
 もともと育った実家は神戸なのだが、その家には現在弟家族が住んでいて、母は妹と一緒に滋賀に住んでいるため、初日は約八時間かけて、滋賀へ。一泊した翌日には妹の娘を連れて甲賀の里に遊びに出かけ、忍者屋敷などを見学した後、母も連れて神戸の弟の家へ。三日目には早々に母と別れて、昼には世界遺産の白川郷に到着。四時間ほど観光。夕方には飛騨高山に到着し、一泊して、さらに翌日には上高地へ。そして夕方には上高地を出て、夜には東京に戻ってきたという、ほとんど弾丸旅行だったけれども、思いの外ゆっくりとした気分で楽しめた気がするから不思議だ。天候にも、ずっと恵まれていたし。要するに、白川郷や上高地は車でなければちょっと行きにくい場所だったからというのが、車で帰省した裏の目的だったわけである。
 平日だったから余計だったのかもしれないが、白川郷の観光客は、圧倒的に外国人が多かった。宿をとった高山など、宿の方によると、以前は観光客の90%以上は外国の方だったということだったが、おそらくは白川郷とセットで来る観光客が多いということなのだろう。ただし、地震のあとはしばらくぱったりと外国人の観光客の足が遠のいたらしく、一時はどうなることかと心配する時期が続いたらしいが、最近はやっと少し戻って来て、今では60%ほどが外国からの観光客という状態らしい。
 上高地は、車の乗り入れができないため、途中からバスに乗り換えての観光となったが、さすがに綺麗な景勝地だった。槍ヶ岳から流れてくる梓川の水が、驚くほど澄んでいて、冷たかった。穂高や槍ヶ岳への登山口のひとつにもなっているため、しっかりとした登山の装備をした人たちが、河童橋のあたりにはたくさんいた。確かに、穂高を見上げていると、ちょっと登りたいという気にはなってくる。いや、「ちょっと」で登れるような場所ではないということは、十分にわかっているのだが。だいたい、そのときぼくはビーチサンダルだったし(笑)。まあ、上高地だけなら平気といえば平気だけど、おすすめはしません。

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 最近はついブログを書くのも滞ってしまう。なので、もう二週間ほども前のことになるけれども、11月24日に東京流通センターで行われた「第19回文学フリマ」に出かけたことを少し。
 文学フリマに出かけたのは、随分と久々。前回参加したのは、大田区産業プラザで開催されていた頃で、もう五年ほども前のことになる。その時は、ヴェルヌ研究会のスタッフの一人として、参加させて頂いた。
 その後、色々とこちらの環境が変わり、なんとなくヴェルヌ研究会とも疎遠になってしまっていたのだが、文学フリマにまだずっとヴェルヌ研究会が参加されているということで、ちょっと久々に顔を出してみようと思った。
 流通センターは、浜松町からモノレールでのアクセス。会場は一階と二階の2フロアに分かれていて、規模が大きくなったと感じた。とはいえ、やはりコミケに比べると桁がいくつか違うという感じで、全体の把握もし易そうだった。
 到着したのは昼過ぎで、ひと通り会場を回ったが、ヴェルヌ研究会のブースには知った顔がなかったので、少ししてからまた来てみようと、会場を後にして、城南島海浜公園まで歩いた。
 城南島海浜公園は、流通センター駅から歩くと三、四十分はかかるので、結構遠いのだけれど(おまけに、途中の道があまり面白くない。オートキャンプができる公園なので、本来は車でアクセスするような場所)、有名な飛行機のビューポイント。羽田空港を離着陸する飛行機を、臨場感たっぷりに見ることができる。この日も、やはり何人ものカメラを持った人たちがいた。公園で昼食を食べながら眺めていると、羽田から、忙しく飛行機が離着陸してゆく。じっと見ていると、旅に出たくなる。
 この日、どこかで結婚式を挙げたらしいカップルが、カメラマンを伴って、この公園の人工の砂浜で撮影を行っていた。なんだか不思議な光景だった。シチリアを舞台にした映画かなにかで、こんな光景を観たことがあったような。
 しばらく海と飛行機を眺めてのんびりしたあと、再び歩いて文学フリマへ。今度はヴェルヌ研究会の会長さんの石橋さんが在席されていたので、ご挨拶。久々だったのに、覚えていてくださったらしく、向こうからこちらを見つけて声をかけてくれた。会誌の最新号を買おうと思ったが、なんと完売。しまった、さっき買っておくんだったと思ったものの、仕方がない。持っていないバックナンバーを買って、しばらく話をした。五年も経つと、いろいろと変化はあったようだが、みなさんそれぞれ活躍なさっているようだった。

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 日曜日、横浜そごうで開催中の、「トーベ・ヤンソン展」を観に行った。
 ここ数年、ムーミン人気が非常に高いように感じる。僕は昔からずっとムーミンが好きだったけれど、二十年ほど前には、今のようにムーミングッズがたくさん販売されるほどの注目は集めていなかったと思うのに、いったい何がきっかけでこれほどの人気を得るようになったのだろう。今ではもう、スヌーピーの人気を超えているのではないだろうか。もちろん、人気を得るだけの深さを持った作品であるというのが、一番の理由には違いないのだろうけれども。
 今回の展覧会は、ムーミン展ではなく、あくまでもトーベ・ヤンソン展。もちろん展覧会の中心にはムーミンシリーズがあるわけだが、基本的にはトーベのアーティストとしての人生にスポットライトが当てられていて、ムーミンシリーズ以外の絵画作品が多数展示されている。そして、それがどれも素晴らしかった。
 そう、本当に素晴らしかったのだ。トーベの絵画作品については、実はほとんど知らなかったのだけれど、驚いた。才能のある人というのはこういう人の事をいうんだなと、つくづく納得した。おそらくは、印象派の影響を強く受けていると思われる、十代から二十代にかけての絵画作品を見ていると、その色彩感覚は天性のものであると強く感じたし、戦時中に風刺雑誌「ガルム」に描いていた風刺画の鋭い毒とその高いデザイン性は、後に作家として活躍するヤンソンの、凛とした強さを伺わせるに十分だった。ただ、あまりにも器用に様々な絵を描くことができたせいで、かえって画家そのものとしては上手くゆかなかったのかもしれないとも、少し思った。
 展覧会で、やはりいちばん人気を集めていたのは、ムーミンシリーズの挿絵。ムーミン本で馴染みのある絵が並んでいたが、これに関しては、思ったよりも随分小さいと思った。けれども、小さいのに、非常に細かい。
 お土産に買って帰った、祖父江さんのアートディレクションによる図録も充実していたし、見応えのある、よい展覧会だったように思う。

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卒業  



 昨日、3月11日は、娘の高校の卒業式だった。
 気温は低く、寒かったけれども、よく晴れた日で、旅立ちにはまずまずの一日だった。
 娘が高校に入学したのは、東日本大震災からまだひと月も経たない時のことだった。入学式が、高校の体育館が地震のせいで点検の必要があり、使用できず、やむを得ず別の会場を借りて行ったのだ。考えてみれば、娘の生まれたのは阪神・淡路大震災のあった(そして地下鉄サリン事件のあった)年だった。1995年が、一つの大きな歴史のターニングポイントだったと考える人は多い。今、こうやって当たり前のように利用しているインターネットが、ウィンドウズ95とともに、急速に広まったのも同じ年だ。だから、節目節目が、大きな転換期に当たる宿命を持った生まれ年なのかもしれない。
 そう、卒業式が奇しくも大震災からちょうど三年という日だった。あれから三年。震災の直後に皆が望んでいたはずの未来は、どうなっただろう。いつの間にか曖昧になって、少なくとも表面的には、震災前とさほど変わらない日々の中に消えてしまった気がする。だが、本当にそうだろうか。むしろ、水面下で蠢く、不穏な音が聞こえては来ないだろうか。卒業式で、歴史のターニングポイントの先頭に立って進む娘や、同級生たちの背中を見つめながら、ふとそんな心配が頭をよぎったりした。そしてその音が、ただの空耳であればいいと思った。
 娘の高校の卒業式を、中学の卒業式の時とはまったく違う気持ちで見ていた。ここから先は、大人の領域に入ってゆかなければならない。濃密な、小さな世界には別れを告げて。子育ても、ここで一つの節目を迎えたのだろう。まだ、さほど実感はないけれども。僕は自分の卒業式のことを思い出して、感無量な気分になった。娘もいつか、この日のことを懐かしく思うのだろう。
 2014年3月11日。快晴。娘にとっても、二度と戻ってこない濃密な日々が、一つ終わった。

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 先日(10月8日)は、新木場にある熱帯植物園に出かけた。

 ヤコウタケが常設展示されていると聞いたので、ちょっと見てみたいと思い立ったからだ。ヤコウタケというのは、名前のとおり光るキノコで、光るキノコというのは世界には結構あるようなのだが、その中でもとりわけ光の強いのがこのヤコウタケだということだった。光るキノコというだけで、なんだか妖しい感じだして、ずっと見てみたいと思っていた。

 熱帯植物園は夢の島公園の中にある。新木場駅から歩いて十分ほどか。途中、園内の片隅には、ビキニ環礁での被曝で有名な第五福竜丸が展示されている展示館がひっそりとある。ほとんど人もいない、小さな展示館だが、ヒロシマ・ナガサキに次ぐ、二度目の日本人の被曝事件だ(三度目は、もちろん先日の原発事故)。1954年のアメリカによるマーシャル沖での水爆実験による被曝で、この実験による被爆者は2万人とも言われている。この実験による被曝事件にインスパイアされて、「ゴジラ」が制作されたのは有名だ。また、アメリカ人の画家ベン・シャーンによって、連作「ラッキードラゴン」が描かれた。教科書にも載っている事件だが、こんなところに第五福竜丸があるなんて、知らない人の方が多いにちがいない。

 植物園は、無料解放の日で、入り口ではなぜかカントリーミュージックのライブが行なわれていた。園内は、それほど広くはない。過大な期待はしない方がいいかもしれない。

 問題のヤコウタケは、通路の片隅に、まるでどこかの文化祭のような、手作り感覚あふれる小さな暗室が作られていて、扉を開けて入って見るようになっていた。とても狭いスペースなので、ひとりで見るほかはない。暗室の中には、長テーブルがあって、その上に小さなトレーに培養されたヤコウタケが数本、ある。「えっ、これだけ?」って感じだが、それでもヤコウタケの幽光は驚くほど明るくて、これが自然のキノコだということが信じられないほどだ。ドアをしょっちゅう開けられて、「あ、入ってる」と言われるので、落ち着かないのがやや残念ではあったが。それでも、傘も柄も、ほんとうに見事な緑色に発光していて、なんとも幻想的だった。

 話は変わるが、昨日の仕事帰りにちょっとブックオフにふらりと寄って、なんとなく百円均一棚を見ていたところ、棚に「メフィストとワルツ!」(小野不由美著 講談社X文庫)を発見。思わず目を疑う。手に取ると、やや背やけはしているものの、美本といっていい状態。「メフィストとワルツ!」といえば、同人誌の「中庭同盟」に次いで入手が難しい小野不由美の本だ。もっとも、中庭同盟の方はオークションで15万円の値がついたこともあるような異常な本なので、次元が違うのだろうけれども。

 



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 慶良間諸島の座間味島、古座間味ビーチにて。
 結局ちゃんと海に入れたのは一日だけで、写真も少ししか撮れなかったが、旅行自体は楽しかったから、よしとしよう。
 当たり前だけれども、三浦の海とは随分違うなと、改めて実感しました。
 ただ、シュノーケリングで見れる範囲のサンゴは、かなり白化してましたね。ダイビングで、もっと元気なサンゴを見たかったものです。

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沖縄  



 今日の夕方、旅行先の沖縄から帰ってきた。
 出発は20日の月曜日だったが、出発の前の週の段階ではずっと晴れの予報だったのに、当日になって台風14号接近を知った。そりゃないよ、という気分だったが、直撃するわけではなさそうだしと、とりあえず出発した。もしかしたら逸れるかもしれないと願いながら。
 ところが、現地についてさらに台風15号の接近を知り、絶望的な気分になった。しかも、24日から25日にかけてが最接近の予想で、直撃とか。その時点では、とりあえずは晴れているし、翌日も晴れだというので、予定通りに翌日の朝にフェリーで慶良間諸島の座間味へと向かったが、これ以降、常に天気予報と飛行機の運行予定をチェックし続けることになった。
 座間味では、当初の予定では三泊だったが、宿の人に、「船はちょっと波が高くなるとすぐに止まるし、明日を逃すと、もう週が明けるまで船は出ないかもしれない。今度の台風はとても大きくて、多分、電柱が折れるくらいになるでしょうね。この(フロントとして使っている)プレハブも、なくなるでしょうね。戻った方がいいと思いますよ」と脅され、一泊だけして本島に戻った。以前、大きな台風で宿の屋根が吹き飛んだことがあるそうだが、今回はそれ以上の規模の台風になりそうだというのだ。そう言われて、島に残るわけにはゆかない。閉じ込められてしまっては大変だし、地元の人にも迷惑をかけることになる。
 結局、旅行中は時折スコールのような雨にはあったものの、大きな天気の崩れもなかったが、きちんと海に入れたのは21日だけ。後になって思うと、その気になれば、ダイビングなどはまだ翌日あたりは楽しめたのだろうが、先が見えない状態だったので、慌てて宿を手配しなおしたり、予定を考えなおしたりするので精一杯だった。それに、帰りの飛行機のことが、ずっと頭の端にあった。
 翌日からの二日間は、レンタカーを借りて沖縄本島を北の先から南の先まで回った。見る場所はひととおり見たし、少しは海にも入ったし、充実はしていたと思う。ただ、やっぱりゆっくりと慶良間で海に浸りながら過ごすことができなかったのは残念。ちなみに、写真は本島の新原ビーチ。本島で見たビーチの中では、いちばん綺麗だった。
 最後まで気をもんでいた飛行機だったが、台風の動きが異常に遅くて、なんとか飛び、東京に予定通り戻ることができた。だが、まさにこれからが本番の台風15号は、沖縄観測史上最大とも呼ばれる巨大台風ということで、現地の方々のことが気にかかる。被害が少なければいいのだけれど。。。
 


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 先日の日曜日は穏やかに晴れていたので、夫婦でぶらりと家を出て、新宿方面の電車に乗った。
 最初は特に行き先を決めていなかったのだが、電車の中で、新木場まで行って、最近完成した東京ゲートブリッジを見ようと決めた。
 新木場の駅前のsubwayでサンドウィッチを買い、同じく駅前のセブンイレブンで飲み物などを買い、そこから延々と若州公園を目指して歩いた。片道で、たぶん三キロから四キロちかくあると思う。場所が場所だけに、木材関連の工場が多い。湾港地帯なので、平日ならば物流関係や工場関係の車などでごった返しているのだろうが、休日にはほとんど人の姿がない。
 随分と歩いたところで、彼方にゲートブリッジが見えてきた。なんだか、二匹の動物が顔を寄せ合っているような感じ。
 さらに歩いて、若州公園の遊歩道に入る。そこからは、若州ゴルフリンクスに遮られて、橋は見えない。代わりに、舞浜方面にディズニーランドが見える。遊歩道は、たぶん一キロ以上に渡って、延々とまっすぐに続いている。その途中で、昼食をとった。そしてさらに歩く。
 遊歩道が突き当たり、曲がったところで、一気にゲートブリッジが見えた。開放的な気持ちになる。



 橋の周囲には、結構な数の観光客がいた。自転車で来ている人も多そうだ。
 橋には、エレベーター、または階段で上がる。建物で言えば、だいたい八階ほどの高さ。



 ゲートブリッジは、高すぎず低すぎずということで建設されたということだが、やはりかなり高い。東京の湾岸線が一望できる。東京スカイツリーと東京タワーが同時に見える。こうしてみると、スカイツリーの高さが際立っているのがよくわかる。東京タワーは、ビル群の中から頭ひとつ出ているものの、スカイツリーは、目算でその倍ほどある。じっと見ていると、なんだかスカイツリーの周囲がなんだかスチームパンクの香りがしてみえる。
 この橋は、渡ることはできるけれども、反対側には降りることができない。向こうまで行ったら、そのまま引き返すしかない。行き先が、絶賛開発中の埋立地なので、仕方ないだろう。僕たち夫婦は、結局橋の一番真ん中まで行って、折り返してきた。

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神戸  



 数年前に母が神戸から離れたため、長らく神戸に行く事がなくなっていた。
 けれども今回の帰省では、時間を見つけて、久々に足を伸ばして僕が育った神戸の垂水に出かけた。
 何年ぶりだろう。センチメンタルな小旅行のようだ。
 人よりも家につくという猫のように、僕は垂水という場所の記憶から離れられないでいるのだろう。
 当たり前のことだけれど、随分と変わっている場所もあったし、変わっていない場所もあった。
 尺度がずいぶんと違って感じられた場所もあったし、通り慣れていたはずの路地が、どこへ通じるのかすっかりと忘れてしまっている場所もあった。
 それはまるで目眩のようで、動揺した。記憶というのは、本当に簡略化されてゆくものだ。
 だけど一番驚いたのは、いつのまにか知らない駅が鷹取・須磨間にできていたこと。そんなこと、全く知らなかった。
 写真は、須磨・塩屋間に広がる車窓の風景。
 突然のように、バッと目の前に広がる海の光景が僕はずっと好きだったし、故郷の事を思い出すときに、最初に浮かぶ光景の一つでもある。

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 この前の日曜日は随分と暖かく、まさに小春日和だった。それで、夫婦で自転車に乗り、多摩自転車道を走って、多摩湖へと出かけた。
 多摩自転車道は、武蔵野市の関前から多摩湖へと続く自転車道。とはいっても自転車専用道路ではなく、歩行者も多い。恒川光太郎の「風の古道」は、この道がモデルになったものだろうと思う。読みながら、この道のことしか思い浮かばなかった。
 今までこの道は、小平あたりまでの道なら断片的に通ることはよくあったが、最初から最後まで走ったことはなかった。多摩湖までゆくのは、今回が初めて。暖かい陽射しの中を、話をしながら走り続け、途中で小平のふるさと村のような場所に寄り道しながらも、拍子抜けするほどあっけなく終点の多摩湖に到着。最短距離で最後までまっすぐに貫かれているだけあって、まさに高速道路。そこで波ひとつない鏡のような湖面を見ながら、途中で買った弁当を食べた。湖面に浮かぶ取水塔はなんだかかっこよく、ムーミンの水あび小屋を思い出した。だけど、冬には相当寂しい場所だろうな。
 帰りには、となりのトトロのお母さんの病院があったという七国山のモデルとなった八国山緑地を通って帰った。緑地は山道だが、なんと自転車でも通れる。緑地の隣には、病院と介護施設があった。


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