「デボラの世界―分裂病の少女」 ハナ・グリーン著 佐伯わか子、 笠原嘉 共訳
みすず書房刊
を読む。
精神分裂症、現在の呼び名で言えば統合失調症にかかった少女デボラの物語。ちょっと調べてみたところ、「ひとでなしの猫」という「ねたきりねこたろー」さんのブログに「まぎらわしいので、「高機能自閉症の二次障害で統合失調症になった少女 デボラの世界(小説)」とでもするとよいと思います」とあり、なるほど、確かにどちらかというと高機能自閉症の方が印象として強いなと納得した。ちなみに、高機能自閉症というのは知的な面では特に問題のない自閉症で、よく耳にするアスペルガ―症候群もその一種。さきほどのブログには著者のサイトへのリンクがあって、そこで著者のJoanne Greenberg(本名に戻したようだ)は、「これは自伝的小説である」とはっきり綴っている。それが本当だとしたら、迫真に迫る統合失調症からの回復への道程の説得力も肯ける。この小説の原題は「 I Never Promised You a Rose Garden」と言い、直訳すれば「わたしはあなたにバラの園の約束など決してしたことがない」ということになる。これだけ読むと意味が分からないだろうが、小説を読み終えた後、このタイトルの含蓄の深さに打ちのめされることになる。この原題のことは、頭の片隅に置いて読んだほうがいい。
この小説のことを知ったのは、もう三十年ほども昔のことになる。
当時、ぼくは高校生で、受験を控えていた。1986年のことである。当時ぼくは英語がまるで苦手で、成績の足を引っ張っていた。それでなんとかしなければと思い、考えたのが英語の小説を読むということだった。当時、ぼくは日本の小説はほとんど読まず、海外の小説の翻訳本ばかりを読んでいたから、原文を読むようにすれば一石二鳥だと思ったのである。それで、神戸の三ノ宮にある、当時はまだ地下にしかなかったジュンク堂のペーパーバック売り場を覗いた。するとそこに「ペーパーバック読快術」という藤田悟さんの本が平積みになっていた。出版元はアルク。これはちょうど良さそうだと思い、買って帰った。
「ペーパーバック読快術」というのは、「わからなくても、ともかく辞書なんて引かないで、どんどんおもしろそうな小説を原文で読もう」というようなコンセプトで書かれたペーパーバック型の本だった。本には、そのためのコツのようなものと、著者が選んだ、面白い本の冒頭部分が掲載されていた。興味があるなら、残りはペーパーバックを買って読めというわけである。本は今は手元にないが、紹介されていた小説には、ブラッドベリの「たんぽぽのお酒」や「ハロウィーンがやってきた」、ブローティガンの「バビロンを夢見て」などがあった。そしてその中に、この「デボラの世界」もあったのだ。
紹介されていた本の中でも、これはいささか異質だった。なんだか不穏な雰囲気の中で物語が進んでゆくようなのだが、今ひとつよく分からない。分からないが、妙に気になる。それで、神戸市の中央図書館で邦訳書を借りてみた。だが、借りてみたのはいいが、結局読まずに返してしまった。それでもずっと頭の片隅に残り続けており、その後も一度か二度、東京の近所の図書館で借りたことがあったが、やはり読まずに返してしまうことを繰り返していた。今回、古書店の店頭の均一棚に並んでいたのを買ってきて読んだのは、だから三十年越しの読書だということになる。
本には、読みどきがある。この本を読みながら、ぼくはそんな風に感じた。今読むから、感じ取れるものが、この本にはあった。ただし、非常に個人的なこともそこには含まれているので、それ以上は触れない。
もうひとつ、この本を読み初めてから読み終わるまでの間に、義父が向こうの世界へと旅立った。8年にも渡る入院生活の果てである。だから、この本のページの間には、まるで栞のように、義父の他界と葬儀という記憶が挟み込まれてしまっている。そういう意味でも、この本を巡るぼく自身の三十年に渡る因縁は、二度と忘れがたいものになった。