漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

今年読んだ本

2014年12月29日 | 読書録

 今年も、気がつくともう僅か。
 今年は、引っ越しをしたり、まりの・るうにいさんに会うことが出来たり、結構自分としては大きなイベントがあった年だったけれど、こと本に関して言えば、あまり印象に残る本がなかったように思う。それは、なんだか軽い本ばかりを読みたい気分だったせいなのだろうが、もうひとつ、引っ越しに伴って、帰りにさっと寄れる図書館がなくなってしまったこともあると思う(これまで二十年以上に渡って使い勝手よく利用していた武蔵野図書館が利用できなくなってしまったことは、結構ばかにならない影響がある気がする)。あ、あと忘れていた、今年に入って、やや老眼が出てきたと感じることが多く、長い間画面を眺めたり、本を読むことがやや辛くなってきたというのも、ある(これは、あまり認めたくないことだけれど)。

 それでは、今年印象に残った本を。

 「少女庭国」 矢部嵩
 「know」 野崎まど 
 「青年のための読書クラブ」 桜庭一樹
 「一九三四年冬―乱歩」 久世光彦
 「グランド・ミステリー」 奥泉光
 「物語シリーズ」 西尾維新

 正直、小説本では、こんなものかもしれない。ベストテンが、選べない。ちょっとひどいですね。
 最後の「物語シリーズ」については、ちょっと説明が必要かもしれない。これは、「化物語」から始まるシリーズもので、全18冊。2006年から刊行が開始され、今年シリーズ最終作「続・終物語」で完結した。完結記念ということで、入れてみた。結構複雑な作品だったから、どう終わるのかと思っていたけれど、さすがというか何と言うか、きれいに伏線も回収されてすっきりと終わったので、一応はちゃんと読みきった感がある。一応、というのは、正直ファイナルシーズンの6冊にはあまり面白さを感じず、やや惰性で読んだということが否めないから。個人的には、「化物語」「花物語」「猫物語(白)」の順で好きかな。特に、シリーズの時系列でいえば一番最後にあたる「花物語」は、ファンにはあまり人気はないようだけれど、僕は何だか妙に気に入っている。
 まあ、今年はこんなところ。西尾維新や辻村深月の作品にもやや飽きがきたことだし、来年の抱負としては、もう少し読み応えのある本に積極的に手を出してゆきたいですね。

know

2014年12月24日 | 読書録

「know」 野崎まど 著
 ハヤカワ文庫JA 早川書房刊

を読む。

 あらゆるものに極小の情報素子(情報を発することのできる粒子)が塗布され、常にモニタリングが行われている、超情報化社会となった近未来。人々の脳には義務として「電子葉」と呼ばれる人工の脳葉が埋め込まれ、あふれる情報を処理できるようになっている。要するに、常にネットワークに繋がっている状態になっているわけで、人々はその社会的ステータスによって、その受け取れる情報の量や個人情報の保護の程度が異なり、クラス0からクラス6に分けられている。それが、この時代の格差を表している。この仕組みを考えだしたのは、主人公の恩師、道終。だが彼は、あるとき突然姿を消してしまった。時が流れ、彼の残した暗号を解いて、たどり着いた先で出会ったのは、ひとりの少女だった。そして彼女こそが、実は恩師が真の目的を成し遂げるために育て上げられた存在だった。恩師の、そして少女の目的とは、いったい何なのか……というのが、大まかなストーリー。
 うん、これは文句なく面白かった。シリアスなSFと、安っぽいマンガのようなバカバカしい法螺話が、いい感じに融け合っていて。伊藤計劃の「ハーモニー」をちょっと思い出す。今年は比較的「当たり」の小説を読まない年だったので(まあ、軽いエンターテイメントばかり読んでいたのだから、仕方ないけれど)、面白い小説に思いがけず当たると、嬉しい。

分解された男

2014年12月21日 | 読書録

「分解された男」 アルフレッド・ベスター 著  沼沢洽治 訳
創元SF文庫 東京創元社刊

を読む。

 第一回ヒューゴ賞を受賞した(というより、この作品に賞を与えるためにヒューゴ賞が創設されたとか)、いわずとしれたSFの古典的名作。なのだが、これまで読まずにきていた。「虎よ!虎よ!」の方は、学生時代に読んでいたのだけれど。
 訳文には、さすがにちょっと古すぎる言い回しが多すぎるけれど(1965年初版)、内容的には意外と、さほど古さを感じさせない部分が少なくなかった。新訳すればもっと古さを感じさせないのではないかという気はしたが、まあ既にこの作品は現代SFの中にすっかりと消化されてしまっているので、今でも斬新さを失わないとまではゆかないだろう。あくまでも、今でも十分に読むに耐える古典SFの一つとして、重版が続くのであれば新訳が望まれるという程度。

 今日は、長らく庭で花を咲かせてくれていたペンタス、マリーゴールド、ジニアなどが、ここのところの寒さでついに枯れたので、片付けてしまった。代わりに、近くのホームセンターで小さめのクリスマスローズをひと株購入し、植えてみた。ヘレボルス・ニゲルという、クリスマスローズの原種。よく知らなかったのだけれど、日本でクリスマスローズとして売られているものにはいろいろあって、花色などが豊富なのはヘレボルス・オリエンタリスという種や、交雑種らしい。海外では、クリスマスローズといえばヘレボルス・ニゲル種だけを差し、ヘレボルス・オリエンタリス種はレテンローズと呼ばれるそうだ。開花時期も、ニゲル種はまさにクリスマスの頃に咲くのだが、オリエンタリス種の開花時期は2月から4月頃だとか。日本で育てやすいのは、どちらかといえばオリエンタリスらしいけれど、初めてだし、どうせなら原種を植えてみたかった。うつむきがちの、ちょっと神秘的な花。ちゃんと育てばいいのだけれど。
 

最近読んだ本いろいろ

2014年12月18日 | 読書録

 このところ、本は読んでも感想はちっとも書いていない。読み終えてから時間が経つと、ますます書く気がなくなってしまう。だから、とりあえず最近読んだ本の名前と感想を一言、羅列しておこうと思う。
 まあ、それだけ「どうしても感想を書きたいと思う本がなかった」ということかもしれないけれども、実際のところ、どれも結構面白くは読んだのだ。


「三匹の猿―私立探偵飛鳥井の事件簿」 笠井潔 著
講談社文庫 講談社刊

を読む。

 淡々と物語が進んでゆく、ハードボイルド小説。ハードボイルド小説は、だいたいが淡々とした筆致で書かれているものだけれど、これはその中でもあまりにも淡々としていて、無力感さえ漂っている。ぼくは嫌いじゃないけれど、シリーズとして続けるのはちょっと難しいかも。

***

「天国ゆきカレンダー」 西本秋 著
ハヤカワ文庫JA 早川書房刊

を読む。

 一種のロードムービー的な小説なのだけれど、内容は結構ハード。タイトルの「天国ゆきカレンダー」というのは、いじめにあっている高校一年生の主人公が押し付けられた夏休みの「未来日記」。そこには、夏休みの最後に自殺するまでのスケジュールが書かれている。夏休みのあいだ、主人公は自分の好きなバンドの追っかけをしながら、その日記に書かれている理不尽なことを、「こんかことをするわけがないと思っているだろうからこそ、やってやる」とばかりに実行してゆく。そこに、いろいろと問題のある人たちが絡んでくる。
 そもそもこんなに強い人間がイジメられっぱなしにはならないだろうとは思うけれども、読後感もどこか爽やかで、悪くなかった。

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「舞面真面とお面の女 」 野崎まど 著
メディアワークス文庫 アスキー・メディアワークス刊

を読む。

 ジャンル的には明らかにライトノベルになるのだろうけれど、なんだろう、妙に気になるところがある。西尾維新とかに近いのかな。もう一、二冊、この作家の作品を読んでみようと思った。

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「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」 桜庭一樹著
角川文庫 角川書店刊

を読む。

 児童虐待の物語。ライトノベル的な文章に、重いテーマ。後に直木賞を受賞することになるライトノベル作家の、ひとつの転換点となった記念碑的小説という位置づけなのかもしれないけれども、上手く言えないが、それ以上の意味がある作品という気がした。

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「エンドロール」 鏑木蓮 著
ハヤカワ文庫JA 早川書房刊

を読む。

 孤独死した老人の持っていた映画のフィルムから広がってゆく、戦争の記憶。上手く書けた作品だとは思うのだけれど、どういうわけか、あまり印象に残らないかな。

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「ぼくは夜に旅をする」
キャサリン・マーシュ 著  堀川 志野舞 訳
早川書房刊

を読む。

 オルフェウスの冥界下りを神話を下敷きにした、アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀ジュヴナイル賞を受賞した作品。さすがに大人が読むにはやや幼いとは思うけれども、小学校高学年くらいの子供には、かなり面白く読めるんじゃないかと思う。それほど深みがあるわけではないけれども、悪くない。

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 他にもいろいろ読んだ気がするけれど、まあ、とりあえずこんな感じで。

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

2014年12月07日 | 読書録

「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと」
チャールズ・ユウ 著 円城塔 訳
新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 早川書房刊

を読む。

 直木賞作家の円城塔さんが訳した作品、ということで話題になった一冊。正直言って、分かるような、分からないような小説だった。もう一度読めば、もう少しわかるのかもしれない。
 SF作品として出版されているが、どちらかというと現代文学寄りだと思う。僕がこの小説を一読して想像したのは、「狭いネットカフェの個室で寝泊まりしている、高学歴だが孤独な派遣社員の青年が、どうしてこんな生活をすることになってしまったのかと、自らの過去に向き合いながら、自らの家族についての物語を綴っている姿」だった。もちろんアメリカの小説だし、そんなわけはないのだけれど、そんなに間違っていないような気もする。結局のところ、物理法則の93%しかインストールされなかった世界に生きているという点で、現実との接点を幾分欠いた生き方をしているということだろうし(精神によってタイムトラベルが可能というあたり、そのインストールされなかった7%が、かなり致命的に現実との差異を生み出してしまっていると考えて良さそう)、コンピュータを前にして引きこもっている青年の自分語りの小説と考えても、間違いではなさそうだから。
 物語の終わりの方で、「実際には、答えは全然答えなんてものじゃなくて、選択だったんだ。僕が彼を見つけたいなら、僕はこのループを脱出する必要がある。もしもう一度彼に会いたいなら、この箱から出なきゃいけない」という文章があって、ここが僕には心に残った。もちろんこの小説を読んだ文脈からでないと今ひとつ分からないだろうが、これは、結構深く核心を突いた一文だと思う。

*

 今日は昼過ぎから、妻と絵画館前の銀杏並木を散歩。もう紅葉も終わり、というぎりぎりのタイミングだったが、きれいだった。その後、裏道を散歩しながら、最終的には渋谷駅へ。良い気分転換になったけれど、ただ、風は冷たかった。いよいよ本格的な冬だ。

第19回文学フリマ

2014年12月04日 | 近景から遠景へ

 最近はついブログを書くのも滞ってしまう。なので、もう二週間ほども前のことになるけれども、11月24日に東京流通センターで行われた「第19回文学フリマ」に出かけたことを少し。
 文学フリマに出かけたのは、随分と久々。前回参加したのは、大田区産業プラザで開催されていた頃で、もう五年ほども前のことになる。その時は、ヴェルヌ研究会のスタッフの一人として、参加させて頂いた。
 その後、色々とこちらの環境が変わり、なんとなくヴェルヌ研究会とも疎遠になってしまっていたのだが、文学フリマにまだずっとヴェルヌ研究会が参加されているということで、ちょっと久々に顔を出してみようと思った。
 流通センターは、浜松町からモノレールでのアクセス。会場は一階と二階の2フロアに分かれていて、規模が大きくなったと感じた。とはいえ、やはりコミケに比べると桁がいくつか違うという感じで、全体の把握もし易そうだった。
 到着したのは昼過ぎで、ひと通り会場を回ったが、ヴェルヌ研究会のブースには知った顔がなかったので、少ししてからまた来てみようと、会場を後にして、城南島海浜公園まで歩いた。
 城南島海浜公園は、流通センター駅から歩くと三、四十分はかかるので、結構遠いのだけれど(おまけに、途中の道があまり面白くない。オートキャンプができる公園なので、本来は車でアクセスするような場所)、有名な飛行機のビューポイント。羽田空港を離着陸する飛行機を、臨場感たっぷりに見ることができる。この日も、やはり何人ものカメラを持った人たちがいた。公園で昼食を食べながら眺めていると、羽田から、忙しく飛行機が離着陸してゆく。じっと見ていると、旅に出たくなる。
 この日、どこかで結婚式を挙げたらしいカップルが、カメラマンを伴って、この公園の人工の砂浜で撮影を行っていた。なんだか不思議な光景だった。シチリアを舞台にした映画かなにかで、こんな光景を観たことがあったような。
 しばらく海と飛行機を眺めてのんびりしたあと、再び歩いて文学フリマへ。今度はヴェルヌ研究会の会長さんの石橋さんが在席されていたので、ご挨拶。久々だったのに、覚えていてくださったらしく、向こうからこちらを見つけて声をかけてくれた。会誌の最新号を買おうと思ったが、なんと完売。しまった、さっき買っておくんだったと思ったものの、仕方がない。持っていないバックナンバーを買って、しばらく話をした。五年も経つと、いろいろと変化はあったようだが、みなさんそれぞれ活躍なさっているようだった。