漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

初山滋大回顧展

2007年12月02日 | 青を摘む

 「ちひろ美術館・東京」で現在開催されている特別展、「生誕110年記念 初山滋大回顧展」へ出かけた。
 ちひろ美術館は、自転車でも30分もかからずにすぐに行ける距離なのに、これまで行ったことはなかった。いわさきちひろさんの絵は、とても達者な絵だとは思っていたが、実物を見なければわからないという絵ではないような気がしていたからである。もちろんどんな絵でも実物と印刷物では受ける印象は随分違うのだが、その振れが少ない画家だと思っていたのだ。
 今回はじめて行こうと思ったのは、初山滋の大きな回顧展があるというからで、実際、結構充実したものだったと思う。
 初山滋の絵の実物をきちんと観たのも、今回がはじめて。きっとよいだろうとは思っていたが、想像以上に素晴らしく、圧倒された。まさに天才である。絵の隅々にまで気が張り詰めていて、それでいて軽やかであるのには、驚くばかり。印刷物と原画では、発色ひとつとっても全く違うので、初山滋に興味があるなら、絶対に実物を見るべきだろう。

 絵を見た後は、石神井公園で食事をして、それから三宝寺池に添って紅葉見物をしながら散策。さすがに今日は、カメラを持った人が多く来ていた。

青いポインセチア

2006年11月26日 | 青を摘む
 
 今日は、千駄ヶ谷から、絵画館前、表参道、代々木公園、渋谷と散歩した。
 この時期には、必ず一度はこのコースを歩く。
 十年以上前からの、習慣のようなものだ。だから、絵画館前のイチョウ並木は、秋が終わる前に一度は見ておかないと、心残りになる。ただ、今日はまだ紅葉は半ばといったところ。やはり今年は秋が短いようだ。

 表参道で、花屋の店先に、赤いポインセチアに混じって、青いポインセチアを見た。真っ青というのではなく、浅葱色。上の写真がそれ。綺麗は綺麗なのだが、どこか不気味な感じもする。

谷内六郎展覧会

2006年11月08日 | 青を摘む
 仕事からの帰りに、駅の近くの古書店で

 谷内六郎展覧会《夏》
 谷内六郎展覧会《夢》

 共に新潮文庫

 の二冊を見つけ、購入。どちらも200円。

 この二冊は、どちらも素敵な本なのだが、特に《夢》の方は、谷内六郎の最も核の部分を見ることができる一冊。
 収録されているのは、初期の作品群と、数少ない遺作の油彩群、それに病院での絵日記など。どれも、一度見たら忘れられなくなるような絵ばかりだ。
 この本の中に収録されている作品の中で、特に紹介したいのは、「沼の中」と題された、初期の油彩だ。
 青い色彩の中に、戦闘機の影と沼の中の巨大な魚の影、それに小さな浮きが描かれている。「週刊新潮」の絵しかしらない人にとっては、異質に感じるに違いない一枚。人物が全く描かれていないという点でも、珍しいのではないかと思う。どういうわけか、他の画集では余り見ることが出来ない絵だが、谷内さんの作品の中でも、最重要作の一つだと思う。

海文堂

2006年01月03日 | 青を摘む
 神戸元町商店街にある書店、海文堂
 元日はさすがに休みだったので、立ち寄ることは出来なかったが、デジカメで一枚、撮影した。
 この店は、今ではもうそれほど大きいという感じでもなくなったが、僕が神戸にいた頃は、相当大きな書店という感じがしていた。
 当時から、ここは相当のこだわりのようなものがある書店だった。一見すると普通の書店なのだが、よく見ると、もっとずっと大きな書店でさえ取り扱わないような本も扱っていたし、絶版になった文庫なども揃えていた。サンリオ文庫なども、サンリオが出版から撤退したあとも、かなり長く店頭にあったし、岩波文庫などは、一角に絶版本のコーナーまで作ってあった。僅かにある漫画も、それだけに良質だと思えるものが多かったし、絵本や児童書も、この規模の書店にしては相当な力がはいっていたように感じた。
 しかし、この書店の最大の特徴は、書店の二階の一角を占めていた、海に関する書物の充実ぶりだった。それは書店の名前からもわかる。書物だけではく、海図や小物も沢山扱っていた。さらに、二階にはギャラリーもあった。
 僕はこの書店の二階に上がるのが、好きだった。階段の下から見える様々な「船グッズ」に、わくわくしたものだ。
 いつからか、二階のギャラリーは閉められてしまったけれど、まだ海に関する本は充実しているようだ。こうした顔のある書店は、本当に大事だと思う。
 ところで、この書店でもらえるカバーは、特徴のある素敵なカバーだ。藍色の地に、白く帆船が浮かび上がっているというものだ。この記事の最初のほうで、海文堂のサイトにリンクしてあるので、そちらから辿っていただけると、そのカバーを見ることができる。僕はこのブックカバーの、その深い藍色を摘もう。

火星の青い夕陽

2005年11月02日 | 青を摘む
 一昨日はハロウィンだった。
 とはいえ、僕には特になにもなく過ぎてしまった一日だったのだけれども。

 ハロウィンを僕が最初に意識したのは、やはりブラッドベリの小説だっただろうか。ほぼ同時期に見た映画「E.T」も、有力な候補だが、印象的だったという点で、やはりブラッドベリの方が勝っている。中学生の時だったが、日本にもこんな祭りがあったら楽しいだろうなと考えたのを覚えている。

 ブラッドベリは、一時期熱狂的に読んだが、ある時期からぴたりと読まなくなってしまった。日本の作家で言えば、星新一などと同じような熱中の仕方だったかもしれない。
 当時ブラッドベリの作品で一番好きだったのは、「華氏451度」だったが、今振り返ってみると、忘れ難い作品は、「火星年代記」の方かもしれない。最終話の「百万年ピクニック」の余韻が、今でもありありと思い出せるからだ。

 最近、火星がまた地球に近いらしい。赤い大きな星が、東京の明るい夜空でさえよく見える。
 最近、火星のことで一つ面白い話を聞いたのを思い出す。
 火星の夕暮れは青い、という話だ。
 検索すれば結構見つかるが、本当に青い。(例えば、ここなどにある)
 火星の青い夕陽。
 考えるだけで、幻想的である。

「BERLIN」 Lou Reed

2005年10月05日 | 青を摘む
 どうしょうもなく疲れた時、それも体の疲れ以上に神経が疲れた時、聴きたくなる音楽がある。床にべったりと倒れこんで、もう動きたくないなあと思うような疲れ。落ち込んでいるとか、そういうのじゃなくて、ただ体が泥のように感じる、そういう疲れの時。気持ちを、持ってゆく行き場がない。
 そういう時、聴くアルバムがルー・リードの「ベルリン」。十代の時、初めて聴いた時はのけぞった。それほど暗いアルバムだが、じっと聴いていると、だんだんと疲れが癒されるから不思議だ。
 そう、レコードで言えばA面の最後の曲「OH JIM」あたりから、次第にリラックスしてくる。そしてB面。「THE KIDS」の中に挿入されている子供の泣き声で、不思議なカタストロフがやってくる。親を呼ぶ声。ギターのストローク。気が付くと、そろそろ起き上がろうかという気分になる。
 始終聞きたいアルバムではないが、大切な一枚。

"Harbor Lights" Boz Scaggs

2005年09月29日 | 青を摘む
 すっかりと朝夕が涼しくなって、過ごしやすいが、冬に向かう寂しさも感じるようになってきた。
 AORなんて、嫌味のように甘くて、好きじゃない。そんな風に思うのだが、時々、そうでもないなとも思う。ふと聞きたくなるのは、意外とAORだったりするからだ。育った時代が時代だから、仕方がないのだろう。
 そんなわけで、ふと聞きたくなったのがBoz Scaggsの「Harbor Lights」。今、部屋に流れている。彼の曲の中で最も有名な「We're All Alone」が収録されているアルバム「Silk Degrees」の中の一曲だ。
 名曲というには、余りに甘ったるい曲。だが、東京に来てから、この曲を聴くたびに、僕は神戸のことを思い出す。今の神戸にはない、僕がまだ子供だったからこそ感じる事が出来たのかもしれない、あの頃の神戸の街の光景を思い出す。
 トア・ロードの坂道を登り、北野町へ向かう。ふと立ち止まり、振り返る。遠くには港が見えている。ポートタワーが見える。港に、青い光が、凛として輝いている。

ポスター

2005年08月31日 | 青を摘む
 以前、カテゴリー「美しい小説」で紹介した長編小説「より大きな希望」の著者、イルゼ・アイヒンガー女史による幻想的な短編集「縛られた男」。ここで紹介する「ポスター」は、その短編集に収められている一編である。
 この短編集が素晴らしい一冊であることは間違いない。元の短編がどれも素晴らしいことに加えて、翻訳者が、どうしてもこの本を訳出したかったという気持ちが伝わってくる。ひっそりとした本だが、良い本だと思う。
 「ポスター」は、まるで坂口尚の描く漫画のような短編だ。海辺の駅で起こった悲劇を、ほんの一瞬の幻想のように描き出すアイヒンガー女史の筆は、冴え渡っていて言葉が無い。「より大きな希望」でエレンが求めていた「青一色の世界」と、この短編の色彩が、重なり合う。セルリアンブルーとピーコックブルーの彼方。例えばそうした、青い色彩である。

夏への扉

2005年07月15日 | 青を摘む
 天気予報によると、梅雨も今週までとか。
 いよいよ、夏本番ですね。

 


 これまで読んだSF小説の中で、最も読後感が爽やかだったのは、多分、
 
 「夏への扉」
 ロバート・A・ハインライン著

 
 だと思う。
 まるで少女漫画のような、という言い方が良いのかどうかわからないが、幸せが香ってくるような小説だった。こういうのも、センス・オブ・ワンダーというのだろうか。
 この小説の、影の主人公は猫のピートである。ピートは、扉を見ると開かずにはいられない猫だ。というのも、寒がりのピートは暖かい夏が大好きで、こうして扉を開けば、そのうちのどれかは夏へ通じる扉に違いないと信じているからだという。この小説の最後は、すっかり年をとってしまったピートが、相変わらずそうして扉を開きつづけている姿を見ているところで終わる。
 最後を引用してみる。


 ・・・ただし、ピートは、どの猫でもそうなように、どうしても戸外へ出たがって仕方がない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。
 そしてもちろん、ぼくはピートの肩を持つ。

(福島正実訳)



 これだけ読んだだけではわからないかもしれないが、一冊通して読むと、特に猫の好きな方には、落涙もののラストシーンであると思う。

 扉の向こうの夏の、抜るような空の青さを、摘む。

ポロメリア

2005年07月13日 | 青を摘む
 「伝説的なシンガー」となるのかと思われたCoccoが、singer songerというバンドのボーカリストとして、久々にシーンに復帰して、アルバムをリリースした。僕はまだ聴いてないが、結構売れているようだ。
 僕は実際のCoccoのステージを見る機会はなかったのだが、最後のテレビ出演となったミュージックステーションは見た。正直、驚いたし、心を打たれた。沖縄にはユタというものがあるが、Coccoはそういう体質なのだろうと思った。
 Coccoのアルバムの中で、僕が一番好きなのは三枚目の「ラプンツェル」だ。一枚の「トータルアルバム」としても素晴らしいが、特にこの中に収められている「ポロメリア」は、本当に名曲だと、僕は思う。
 この曲の中に

 「見上げれば
  終りをみたこともない
  目眩を覚えるような空」

 という歌詞がある。歌詞カードを見れば、そうなっている。だが、これは多分、実際には

 「目眩を覚えるような青」
 
 と歌っていると思う。
 その方が、僕にもしっくり来る。
 さっと、光景が広がる気がする。
 雨上がりの岬に佇んでいる自分の姿が、見える気がする。
 その青さは、どこまでも深い青だろうと思う。

Hats

2005年06月23日 | 青を摘む
 「Hats」 The Blue Nile 

ひたすら作りこまれたアルバムを、忘れた頃に発表するという「ミュージシャンズ・ミュージシャン」的なスタンスが、例えばスティーリー・ダンなどと比較されるのだろうが、僕はこの「The Blue Nile」の方が好き。
 そもそも、本当は打ち込みを多用しているバンドは好きではないのだが、このブルーナイルの二作目「Hats」は、そのジャケットともども、印象に残って仕方が無い。まるで映画のサウンドトラックのような、しっかりとした背骨を持ったアルバムである。
 特に、三曲目の「Let's Go Out Tonight」は、ふとした弾みに思い出すことがある。曲としては、二曲目に収録されている、カバーも多い「The Downtown Lights」の方がよく出来ているのかもしれないが、なぜだかわからないが、「Let's Go Out Tonight」は、ふと口をついて出てしまう。
 このアルバムからは、真夜中を過ぎたばかりの時間の、寝静まった駅の片隅の青さを摘もう。

ルドンの夢見る色彩

2005年06月20日 | 青を摘む
 初めてルドンの絵を見たとき、「青っていう色は、綺麗だな」と思った。
 小学生の時だ。その時が、多分「青」という色彩を始めて意識した時だったと思う。
その時見たのは、「オルフェウス」と題された、ルドンの代表作だ。
 考えてみれば、パステルという素材を知ったのも、このときが最初だったのではないか。
 その頃は漠然と、ルドンはずっと色彩にこだわった画家だと考えていたのだが、後になって、実際に彼が絵に色彩を取り入れるようになったのは晩年になってからだと聞いて驚いた。ずっと、ルドンは色彩の無い、白と黒の世界に生きていたのだ。
 晩年になって、まるで春が突然訪れたかのように、色彩のあふれた絵を描くようになったルドンの絵は、だからだろうか、まるで世界に初めて触れる子供のように、色彩が奔放な愉しみの中で踊っているように見える。そしてその中で、青という色彩だけが、とても静かに佇んでいるように見える。
 ルドンの絵を見るとき、ときどき思い出すのが、江戸川乱歩の「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」という言葉だ。
 もしかしたら、ルドンの「青」は、その二つの世界を繋ぐ扉なのかもしれない。

「Steve McQueen」--- Prefab Sprout

2005年06月17日 | 青を摘む
 「エヴァー・グリーンな音楽」という言い方をよくに耳にする。
 「エヴァー・グリーン」という感覚は確かにある。例えるなら、それは一抹の寂しさを含んだ、心地の良い涼しさかもしれない。そしてその色彩は、実は緑ではなく、青なのだと思う。
 僕が「エヴァー・グリーンな音楽」という言葉を聞いて最初に思い浮かべるのは、プリファブ・スプラウトの音楽だ。
 プリファブ・スプラウトの音楽は、相当作りこまれているのだが、最初から一貫してどこか青臭く、だからこそ繊細な夜空のようで、時々激しく心を揺さぶられる。ついこの間もそうだった。ラジオから流れてきた彼らの「Cars and Girls」に思わず仕事の手を止め、しばらく耳を傾けた。久々に聞いたが、そのきらきらとした輝きは、全く色褪せず、そこにあった。
 どのアルバムが好きかというのは、バンドの性格上難しいが、トーマス・ドルビーがプロデュースした「Steve McQueen」「From Langley Park to Memphis」「Jordan:The Comeback」の三枚と、長いブランクの後でリリースされた「Andromeda Heights」は、甲乙つけがたい名品だった。
 セカンドアルバムの「Steve McQueen」(US版では、肖像権の問題で「Two Wheels Good」とタイトルを変え、数曲ボーナストラックが追加されている。余談だが、このボーナストラックというのは時に曲者で、「Andromeda Heights」の日本版のボーナストラックなどは、アルバムの印象を著しく損なうので、無い方がいいと思う)に収録されている「When love Breaks Down」は、彼らの初期の代表作で、まさに琴線に触れる一曲。バイクで疾走するその向こうの夜空の、群青の青さを摘みたい。

三つの「銀河鉄道の夜」

2005年06月16日 | 青を摘む
 青という色彩を摘んで、集めてみたい。
 青という色彩は、どこか別の時間の、別の場所への入り口のような気がするから。
 じっと見詰めていると、その向こうの世界が見えてくる。
 そうした「青」を捜して、ひとつづつ、並べてみよう。



 「青色コレクション」の最初は、「銀河鉄道の夜」にしたい。
 言うまでも無く、宮沢賢治の未完の小説である。
 余りにも美しい、日本の童話を代表する作品だ。
 「青色コレクション」の冒頭を飾るのに、これほど相応しい作品は、僕には思いつけない。
 カンパネルラが入ったという川の、その水面の揺れる青黒い色彩と、見上げた夜空の色彩を、僕は摘みたいと思う。

 だが、僕の中にはそれ以外にも、三つの「銀河鉄道の夜」がある。
 それらの「青」も、僕は摘まずにはいられない。

 最初の「銀河鉄道の夜」は、岩波書店からハードカバーで出ていた「銀河鉄道の夜」だ。
 それは、現在流布している定本とは違う構成の「銀河鉄道の夜」で、叙情的な印象を受ける。大きく違うのは、「天気輪の柱」の章とラスト、それにブリタニカ博士が登場するという点だ。
 実は、僕が始めて読んだ「銀河鉄道の夜」はこの本だった。
 小学校の五年生の時、夏休みの読書感想文を書くために学校の薄暗い図書室の棚から借りて、読んだのだ。ものすごく感動したことを覚えている。だから、一生懸命に読書感想文を書いた。そう書いているだけで、小学校の図書室のことを思い出して、懐かしくなる。その頃手にした本の、一冊一冊を思い出す。
 この本は、美しい本だった。図書室でそうして手にした本の中でも、特に印象的な本だった。青い色彩の中に、ペン画の銀河鉄道が描かれている。その絵が、目の奥に沁み付いて離れない。だから、僕はこの本の表紙の、青い色を摘みたい。

 次の「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治の作品をベースにした松本零士の漫画「銀河鉄道の夜」だ。
 今ではもう無くなってしまった出版社、奇想天外社から出ていた「ヤマビコ13号」という単行本の、冒頭に収められていた。
 しっとりと湿ったようなこの短編は、少年時代との別れを描いた美しい作品だった。単行本では、墨と藍の二色で刷られた冒頭部が特に美しかった。汚れている筈の空が青く見える。その幻の青さをそっと摘みたい。

 最後の「銀河鉄道の夜」は、ますむらひろし作画でアニメーション化された「銀河鉄道の夜」である。登場人物が殆ど全て猫で描かれたこの作品は、美しい色彩で彩られていた。余りにも美しいから、この作品のどこから青を摘もうかと迷うほどだ。
 この作品から摘むべき青い色彩は、多分ジョバンニの毛の色なのだろうが、全編を覆うトーンの中に、深い青さがあるような気もする。