漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

ビリジャン

2008年06月11日 | colors

 ビリジャンという色の名前を始めて聞いた時の奇妙な感じは忘れられない、と彼はビリジャンの2オンスチューブを手にして言った。あれは幼稚園の時だった。十二色入りの水彩絵具を開いて、一つ一つの色の名前を確認した。あの頃はまだチューブがアルミだったな。何度も使っていると、次第に劣化して、絵具が横から出てきたりした。今では大抵、ラミネートのチューブだから、そういうこともなくなったが。
 絵具は、白がひとつだけ大きくて、後は小さなチューブだった。大抵の色の名前は、なんとなく理解できたのだが、ひとつだけ、どうしても不思議だった色の名前があった。それがビリジャンだ。子供の目には、ただの緑にしか映らなかった。どうしても緑とかグリーンじゃだめで、ビリジャンなのか、理解できなかった。だから余計に、ビリジャンという色が強く印象付けられたんだろう。だが、実際ビリジャンという色は、緑色の基本となる色だ。混じりけのない、深く冷たい緑。だが、この色をそのまま使うことは難しい。緑という色彩は、とても複雑な色彩だからだ。
 
 あれは初めてビリジャンという色彩の名前を知ってから、それほど経っていない頃だったと思う。僕は一人で山道を歩いていた。山道とは言っても、近所の山で、高いわけでも深いわけでもない。ただ、やたらと鬱蒼とした林があるだけだ。春先には、おじいさんらに連れられて、山菜を採りに出かけたこともあった。そういう山だ。
 山道は、その先の町へと続いていた。だから、子供一人で歩いているといっても、それほど不思議なことじゃない。ただ、それほど人の通らない道なので、寂しく、好んで通ろうとはしない道だというだけだ。道はいつもしっとりと濡れているようだったし、苔の匂いも辺りには満ちていた。空を見上げても、高い樹の向こうにしか空は見えない。歩いていて、足首を羊歯が撫でるのも、ちょっと気味が悪く感じたものだった。
 ともかくその時僕はその道を歩いていたのだ。どうしてそんな道を歩いていたのか、僕は思い出せないのだが、ちょっとした冒険気分だったのかもしれない。初夏がもうすぐやってくるという時期で、新緑が瑞々しかった。
 あれは山道の中ほどに差し掛かった頃だったか、小さな唸るような声を耳にして僕は足を止めた。全身の毛が逆立つような感じがしたのを覚えている。それでも目を凝らして前を見詰めると、樹の根元辺りに人影を見た。心臓が大きく打ったが、足がすくんで動けない。だが、すぐ次の瞬間、その人影は女性であることがわかった。見たことのない人だったが、まだ若い女性で、樹にもたれかかって小さく唸っている。息が荒い。どうしたのだろうと僕はそっと近づいていった。まだわずかに警戒をしていたのだ。だが、すぐ近くに寄ったとき、その女性は僕を見て、言った。
 ああ、ぼく、お願いしたいんだけど、どうか誰か大人の人を呼んできてくれないかしら。子供が生まれそうなの。
 僕は驚いてじっと彼女を見た。確かに彼女のお腹が、ぷっくりと膨らんでいる。僕は頷くと、急いで走った。よく分からないながらも、一刻を争うんだと、真剣に思ったんだ。
 森を抜けて、僕は最初に目にした人にそのことを話した。それからどうなったのか、僕は知らない。多分、無事だっただろうと思う。ほんの小さな出来事かもしれないが、忘れられない出来事だった。
 だが、今でも忘れられないのは、膨らんだ女性の腹と、あのときの森の、鮮やかなビリジャンで塗られたような色彩と、そして鼻を突くような青い匂いなのだ。

ピーコック・ブルー

2008年05月21日 | colors

 ピーコック・ブルーという言葉を聞いて、すぐに色をイメージできる人が多いとは思わない。彼はピーコック・ブルーの六号チューブを手で弄びながら言う。ピーコックブルー。孔雀青。少し深緑がかった青。まるで時間に見捨てられた沼のような色だ。僕はこの色が好きだ。この色の持つ深さが好きだ。僕には、この色は宇宙のとても深い場所の色のように思える。
 学生の頃、皆と揃えた十二色の絵具の中には、もちろんこの色は入っていなかった。だが、美術部の友人は持っていた。初めてその友人がパネルに塗ったピーコック・ブルーの色彩を見たとき、僕はこの色が欲しくてたまらなくなったものだ。なぜなら、どうしても描き表すことの出来なかった宇宙の深い場所が、この絵具の色彩の中に見えたからだ。画材屋に行って、僕はピーコック・ブルーの六号チューブを手に入れた。初めて僕が単色で買った絵具は、このピーコック・ブルーだった。ピーコック・ブルーという色彩を、メインに使うことはそれほどない。だが、今でも僕にはとても大切な色だ。
 
 もう随分と前のことだが、とある埋立地で開催された大きな博覧会があった。博覧会は大盛況のうちに幕を閉じて、後にその跡地には商業施設が立ち並んだ。だが、部分的には取り残されたように保存された場所もあって、例えば当時のエントランスとなった場所であるとか、巨大な公園となった場所であるとか、そうした場所はそのままで残された。
 何年も経った。当初は綺麗だったそうした場所も、経年による劣化は避けようもない。いや、博覧会が終わった直後から、急速にそうした場所は死に絶えていたのだと思う。人もあまりやってこない、がらんとした石作りの広場。その存在自体が、生まれてさほど経たないうちに既に廃園だった。
 ある夏の夜のことだった。僕は一人でその取り残されたエントランスにいた。時間は午前零時を過ぎていた。どうしてそんな時間にそんな場所にいたのかといえば、その頃僕が陥っていた報われない恋愛のせいだったのだとだけ答えておきたい。
 真夏だったが、涼しい夜だった。海辺だから、風通しがよかったせいもあるのだろうし、その日は午前中まで激しく雨が降っていたせいもあるのだろう。だが、その時間にはもう空には一片の雲もなく、黒い夜空に星がちかちかと瞬いていた。
 遠くで、バイクの音が聞こえていた。まるで耳鳴りのように、ため息のように、遠く聞こえていた。彼らがこの場所にいないことが幸いだった。僕はそうした音を、空の星に重ねて聞くことが出来たのだから。
 エントランスはコロシアムのように数段の段差を持つ、浅い擂り鉢状になっていた。僕はその段差を作っているコンクリートに腰掛けて、手に持ったビールを飲んでいた。近くのホテルの部屋から、ずっと手に提げて来たビールだった。
 コンクリートは、冷たかった。僕はぼんやりと下を見詰めていた。
 エントランスの中心は、やや水はけが悪いようで、降り続いていた雨が水溜りになっていた。それほど綺麗な光景ではない。だが、僕はそこから目を離すことができずにいた。じっと見詰めていると、その水溜りが、辺りのぼんやりとした光を受けて、微かなピーコック・ブルーに染まって見えていたからだ。僕はその水溜りの中に、幾つもの空想の星を浮かべた。
 ところが、最初はただぼんやりと空想の星を浮かべていただけのつもりだったのだが、次第にその星たちの光が現実感を持ち始めた。そしてやがてそうした星々が、確かに小さなエントランスの水溜りの中に浮かんでいるように見えてきた。すると、浅いはずの水溜りが果てしなく深いものに思えてきた。どこまでも深く、そのまま時空を一ひねりして、宇宙につながっているように思えてきた。僕は目を凝らした。するとその散らばる星の中に、見慣れた北斗七星の形を確かに見た。僕は胸が苦しくなり、はっと空を見上げた。
 空には漆黒の宇宙が広がっていた。その黒さには澱みがない。そしてそこには沢山の星が散っている。僕は恐る恐る視線を下に遣った。エントランスには変わらずに水溜りがあって、微かにピーコック・ブルーの色彩を帯びていた。だがその水は澱んでいて、もはやひとつの星の光もなかった。

アイスグリーン

2008年05月17日 | colors


 初めてアイスグリーンを作った時のことは忘れられない。彼はコバルト・ティールの六号チューブを手にして言う。これよりもずっと淡いグリーンだね。でも、これも良い色だ。
 あれは幼稚園の頃だった。もう名前も忘れてしまった幼稚園の級友の一人が発見したんだ。十二色入りの水彩絵具を目の前にして、僕にこう言った。緑と白を混ぜると、とても綺麗な色になるよ、と。そのとき僕は何色もの色を混色していて、どんどんと汚い色になってゆくのを見ていた最中だった。その言葉に、僕は筆を洗い、パレットの新しい場所に緑と白を混ぜてみた。その途端、パレットの上には清々しい風が吹いた。本当に吹いたんだ。初夏の平原を渡る、涼しい風のようだった。アイスグリーンという色には、他の色にはない、特別な清涼感がある。
 
 ある時、古い町の古い路地を歩いていると、一軒の古道具屋を見つけた。その辺りは全体に下町といった感じの場所だったんだが、表通りから一歩路地に入ると、新しい住宅が立ち並ぶ通りに混じって、昔ながらの面影を相当色濃く残している場所もある。僕が歩いていたのも、そんな路地のひとつだった。
 古道具屋のショーウィンドゥは、光が揺れる波ガラスで、覗き込むと薄暗い店内には黄色い光がずっと奥の方に点っているだけだった。最初僕は、これはいわゆる「しもた屋」かなとも思ったんだが、それにしてはきちんと中に並ぶ骨董品が手入れされてあるように見えた。それで僕は思い切って古い扉に手をかけて、引いてみた。すると扉は、きちんと手入れされているようで、ほとんど音もなく開いた。
 店内には誰もいない。僕は古い骨董品を入り口の方から見ていった。大半は、どこかの研究室から運ばれてきたかのような、どこか薬品臭さのある品物ばかりだったが、中には楽器などもある。僕はそうした品物を見ながら奥へ進んだ。
 店の一番奥には、ぼんやりと点る裸電球の下に、一人の老人が古い長持ちに背中をもたせかけながら、座っていた。居て当然なのだが、店主の姿を見て僕は思わずはっとした。そして、こんにちは、と言った。店主はちらりとこちらを見て、どうもいらっしゃいませ、と言った。
 驚いたことに、店主は外国人のようだった。だが、言葉は滑らかな日本語で、もしかしたらハーフだったのかもしれない。だが、見たところはいかにもヨーロッパの方から来た外国人だった。
 何かお探しですか、と店主は言った。僕は、いえ、何か珍しいものがないかと思って覗いたんです、と答えた。本当はただの冷やかしだったのだが、そう言うのも躊躇われたのだ。
 珍しいものですか、と店主は言った。ひとつあります。
 どういうものでしょう。僕が言うと、店主は、どうぞこちらへ来てください、と答えた。僕は店主の言葉に頷いて、そちらへ行った。店主は立ち上がると、さらに奥にある古い冷蔵庫の前に歩いていった。僕もその後を追った。
 いいですか、長くは見せることが出来ません、と店主は言った。ちゃんと見てください。
 わかりました。僕は少し戸惑いながらそう答えた。なにしろ、特に何かを買うつもりもなかったのだから。それでも、こうした変わった機会を逃すのも惜しかった。
 店主はそっと冷凍庫を開いて、僕に中を指し示した。僕が覗き込むのを見ると、中からそっと小さな氷を取り出した。
 これです。店主は言った。滅多なことでは見ることが出来ない一品です。
 それは氷の塊だったが、不思議な緑色をしていた。透明な、アイスグリーンの氷だった。僕は覗き込んだ。すると、その氷の中には、一艘のスクーナー船が浮かんでいた。じっと見ていると、その緑色の色彩は揺れていて、その揺れに合わせて、スクーナー船も揺れているのだった。
 これは、実際の船です。そう店主は言った。船は、永遠の航海の最中です。ですが、この氷の中でのみ実在できる船なのです。従って、この氷が溶けてしまう時が、この船の航海が終わる時なのです。
 僕はじっとアイスグリーンの氷を見詰めた。幻想的な氷の小世界だった。だが、そうしてじっと見詰めている間にも、店主の手が、溶け始めた氷の水に濡れてゆくのだった。
 結局僕はその店では何も買わなかった。そして、それから一度もその店には行っていない。こうした話によくあるように、僕は二度とその店には辿り着けなかったからだ。今に至るまで、ずっと。



ホワイト

2008年05月08日 | colors




 白は雲の色だ。チタニウム・ホワイトの2オンス・チューブを手にして彼は言う。晴れ渡った空を横切る雲は、白という色の本質そのものだ。形もなく軽やかで、潤っている。太陽が空を横切るにつれ、自在に色を変えてゆく。また、白は紙の色でもある。まだ何も描かれていない一枚の画布。画用紙。そこにはあらゆる可能性が見える。紙に色を加えて絵を描いてゆくとき、白は、光を描く時にも使う。とりわけ強い光には、混じり気のない白がいい。だから、白は光の色でもある。
 白は、他のどの色とも違う。もちろんどんな色も他の色とは違うが、白はそれとは全く別の意味で違っている。例えば、あらゆる色彩の中で最も強い色、それは黒だろう。黒は全ての色彩を無効にしてしまう。どんな色彩も、黒という色彩を本質的に変えることは出来ない。なぜなら黒は、本当は色彩ではないからだ。だが、唯一、白だけは、ほんの少しの量でさえ、黒を無効にしてしまうことが出来る。というのも、白もやはり本当は色彩ではないからだ。白という色彩を混色した黒は、もはや黒ではなく、グレーとしか呼べない色彩となってしまう。そこには、黒の本質はもう失われてしまっている。そして元に戻すことはできない。黒が再び黒になるためには、一度画面に塗った後で、こんどは白が混入しないように気をつけながら、塗り重ねてゆくしかない。白は容易く染まる色だ。最も繊細で、弱い色だ。だが、最も強い色に対しては、最も強い色になる。無垢が邪悪を打ち壊す様々な物語のように、溶け込むことで、白は黒を変質させてしまうのだから。
 
 随分と昔のことだが、Yという港町に一人の年老いた娼婦がいた。70歳はとうに超えていたはずだ。有名な老娼婦だったから、君も聞いたことはあるかもしれない。死化粧のような、いや、むしろ骸骨のような、真っ白な化粧をして、やはり真っ白なドレスを着た老娼婦だ。大きな荷物を抱えて、いつでも町の片隅にひっそりと座っていた。その余りに特異な容貌に、初めて彼女を目にする人は誰しもが驚いて目を凝らすが、やがては見慣れて、まるで彼女がその町の一部でもあるかのように思えて来るのだった。そして、二度と彼女をじっと見詰めることもしなくなり、通りすがりにちらりと目を遣るだけになる。そう、僕にも彼女がその町の持つ記憶の一部のように思えたものだった。彼女は、白い老娼婦は、生きている頃から既に伝説だった。
 彼女は狂っていたのだろうか?余りにも辛い記憶に、あるいは引き伸ばされた春に、自らの心身の歩調を合わせることが出来なかったのだろうか?彼女が町から消えてから、僕は、今では本当に伝説になってしまった彼女について、時々考えることがある。だがもちろんどんな正しい答えも出てはこない。彼女に声をかけることもなく過ぎ去った日々を悔やんでも、もう遅すぎるのだ。そして、それゆえ彼女の真っ白な姿が、眠る前の束の間、天井の片隅あたりに、ぼんやりと浮かんで見えることがある。彼女の白い貌。その奥の黒い瞳に浮かぶ光を、僕は見ることが出来ない。
 それでも時折、僕にはその奥にある黒い瞳の中に、微かな白い光を見た気がすることがある。それはひとつの記憶、騒がしいファストフード店の片隅で、老娼婦が一人の女性にインタビューを受けている所を見た記憶のせいだろう。僕はその時その店の片隅にいた。声までは聞こえてこなかったが、明らかに何かの取材のようだった。インタビューはそれほど長くはなく、女性は謝礼の封筒を老娼婦に渡して立ち去った。彼女はそれを、何でもないものであるかのように受け取り、大きなショッピングバックに滑り込ませた。僕はそれから間もなく店を出た。だから、その先のことは分からない。だが、その出来事はひとつの事実を物語っていた。彼女はその特異な容貌によって、何者にも代えることが出来ない存在となっているという事実だ。もちろんそこには戦争の爪あとや、様々な行き違いによって生じた宿命の影も見て取ることは出来る。だが結果として、彼女はその奇異な真っ白な姿によって価値を得て、生き続けることが可能となっているのだ。
 彼女は狂っていたのか?それとも、彼女はどこまでも正気だったのか?僕には分からない。代わりに僕は、彼女の真っ白な容貌を思い浮かべる。その白さは、闇を飲み込んでしまう白の本質の表れなのだろうか?それとも、染まることから逃げ続けた、真性の白さなのだろうか?