漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




 今年はブログからツイッターに半ば移行してしまった一年でした。
 最初はツイッターは情報を集めるためにだけ開設したのですが、いつのまにか使い勝手の良さから、そちらばかりになってしまって。
 まあそれは良いのですが、少し困ったのが、今年読んだ本のベストを選ぼうを思って、記憶を辿ろうとしたとき。今まではブログにまとめていたので、すぐに一覧できたのですが、ツイッターだとそれが非常に煩雑になり、過去ログのダウンロードまでしなければいけないという状態になってしまいました。
 やっぱりブログという形である程度まとめておくことは必要ですね。
 で、今年は圧巻だったなあと思える本はさほどなかったなあという印象だったのですが、実際に読了本をピックアップしてみると、結構面白い本を読んでました。今年読んだ本は、だいたい80冊くらいだと思います。これが多いのか少ないのかは、微妙なところですね。
 では、なかなか絞れなかったのですが、今年のベスト10をピックアップしてゆきます。ちなみに、順位はつけていません。

バリントン・J・ベイリー「カエアンの聖衣」
ブラウリオ・アレナス「パースの城」
アン・ラドクリフ「イタリアの惨劇」
マイクル・ビショップ「誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?」
アイザック・B・シンガー「短い金曜日」
カーソン・マッカラーズ「黄金の眼に映るもの」
W.G.ゼーバルト「アウステルリッツ」
吉屋信子「鬼火/底の抜けた柄杓」
シャーウッド・アンダスン「ワインズバーグ・オハイオ」
「ヴィクトリア朝怪異譚」三馬志伸編訳

以上、10冊。
 
 今年の総括としては、ゴシック・ロマンスに傾倒した一年だったように思います。このリストを見ても、それがはっきりと現れています(勢いで、ゴシック叢書を揃えてしまったりもしました。まだ半分くらいしか読んでないのですが……)。
 ラドクリフ、アレナス、シンガー、マッカラーズ、吉屋信子、ヴィクトリア朝怪異譚の6冊には、多かれ少なかれ、ゴシック・ロマンスの香りが漂っています。
 特にアン・ラドクリフは、ゴシック・ロマンスの始祖とさえ呼んでよい作家です。
 ウォルポールの「オトラント城」から始まるとされるゴシック小説には、大きく分けて、ゴシック・ロマンスのベストセラー作家ラドクリフの系統と「ヴァセック」のベックフォードから「マンク」のルイスへと続き、耽美的なゴスのイメージを形作った暗黒ゴシック小説の系統があるように思うのですが、今年ぼくが特に気になって読んだのは、ラドクリフに始まって、今年読んだ本の中ではブロンテの「嵐が丘」を経て「忘れられた花園」のケイト・モートンに至るロマンスとしてのゴシックでした。また、そうしたゴシック・ロマンスを半ば揶揄しているようなジェーン・オースティン「ノーサンガー・アビー」もとても面白かったです。
 日本のゴシック的なところのある作家では、吉屋信子を初めてちゃんと読んだのですが……好きですね。中井英夫「虚無への供物」を再読したりもしました。また、ゴシックといえば屋敷がつきものですが、最近の日本作家の作品として、木犀あこ「奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命かげ」はシリーズものの第二作ですが、この中に収録されている「不在の家」という話が、幽霊屋敷を描いた小説として出色でした。ギルマン「黄色い壁紙」やジャクスン「丘の屋敷」が好きな方はぜひ。
 ところで、ここに挙げた作品の中で、順位はつけないとは書いたものの、特に印象的だったのは、シンガー「短い金曜日」とマッカラーズ「黄金の目に映るもの」でした。
 同じユダヤ系の作家レオ・ペルッツの「アンチ・クリストの誕生」も見事なストーリーテイリングで素晴らしかったのですが、珍しいイディッシュの作家であるシンガーには、ストーリーテラーとしての才に加えて絶妙な土着的な香りがあって、ぼくには非常に魅力的でした。
 マッカラーズは、現在ほとんどの本が絶版になっていて、古書価が高騰する一方なのですが、このあたりでまとめて選集の形で代表作をどこかから出してはくれないものか、と心底思っています(「悲しき酒場の唄」の復刊と同時に、とかならないかな……)。そのくらいこの薄い本の衝撃は鮮烈で凄かったです。他の作品もぜひ読みたい。
 ベイリー「カエアンの聖衣」とビショップ「誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?」はSF枠で。同じようにどこかおかしすぎる話として、ボイス「キャッチワールド」も迷ったのですが。
 SF枠かどうかは微妙ですが、再読した中では、サンリオSF文庫に入ってたオブライエン「失われた部屋」も久々に読んで、収録されていた「手から口へ」がこんなにすごい話だったっけと、改めて驚いたりもしました。
 ベストに入らなかった作品で、最後まで迷った作品もいくつかピックアップしようかとも思ったのですが、それをやるときりがなさそうなので(笑)、このあたりで。
 それではみなさま、よい年をお迎えください。


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 ゴシック小説が好きだと言うと、ゴシック小説ってどういうものなのかと聞かれたりするのですが、正直なところぼくにもよく分かってないところがあるので、答えに窮したりします。最近出た「ゴシックの炎」もまだ読んでません(笑)。でも、怪奇小説とは明らかに違うのは確か。ホラーという言い方だと、もっと違う気がします。他方、音楽のゴシックロックやファッションのゴスロリに代表されるアート寄りの「ゴス」は、確かにゴシックの末裔であるとは思うけれども、怪奇小説と同じように、もともとのゴシックから枝分かれした分枝の一つのように思えます。◯◯ゴシック(例えば、テクノゴシックとか)、あるいはゴシック◯◯(ゴシックミステリーとか)というような言い方をされる多くのものもそう。だけど、ぼくが最近興味のあるのは、ホラーでもゴスでも◯◯ゴシックでもゴシック◯◯でもなくて、オールドスタイルのゴシックの香りが高い小説。
 このあたり、自分でも漠然としているところがあって、考えを整理するために、ちょっと長くなりそうですが、思っていることをつらつらと書き連ねてみようかと思います。あくまでも個人的な定義であり、実際とは違うところも多くあるかもしれませんが、興味のある方は読んでいただければ。
 それでは、オールドスタイルのゴシック小説とはどういうものだとぼくが思っているのか。それを一言で表すとするなら、こういう言い方になると思います。

「迷宮的な建物やいわくのある場所を舞台にして、超自然的な事象(後にそれが超自然的なものでなかったと判明しても可)や神秘的なものが介在した恐怖に主人公が呑まれ、人智を超えた運命のようなものに翻弄される、大げさで過剰でドラマティックな物語」

 ゴシック小説がゴシック小説として成立するためには、まず最初に、物語がそれらしく成立するために相応しい、いわゆる「ゴシック的」な舞台を用意することが不可欠のように思えます。ゴシックには、大々的な舞台装置が必要なのです。具体的には、好まれる舞台としては、ヨーロッパでは主に古い城や僧院、もしくは広大な貴族の屋敷など、アメリカではそういった古い建築物がないので、先住民族の気配の残る、あるいは無慈悲な、広大なアメリカの大地を舞台とすることが多いようです。ところで、日本にオールドスタイルのゴシック小説があるとするなら、それは旧家や孤島を舞台とする一族の物語になることが多いように思えます。日本のゴシックは、世間から隔絶したところにある古い因習がゴシックを喚起する最大要素じゃないかと思います。
 これがゴシック以外の文学作品とは大きく異なるところで、あるいはゴシックは、どちらかといえばファンタジーに近い部分があるのかもしれないとも思うことがあります。しかもその舞台は、人工的に用意されたものであるにも関わらず、どこか人智を超えたような存在感がなければならない、というアンビバレントさが共存している必要があります。分り易い例で言えば、ピークの「ゴーメンガースト」でしょうか。ついでに言うなら、ゴシックは、外に向かっては閉じられ、内に向かっては開かれているようなところがあるように思います。
 もともと、ゴシック小説の始まりとされる「オトランド城」は、実際に見た夢を手がかりに、ウォーポールが自らの趣味的な世界を書いた小説であり、どちらかといえば神秘性を纏った趣味的な舞台を魅力的に描きたいがために、過剰にドラマティックな物語が要求されたもの。そうしたゴシック小説がいかにもゴシック小説らしくあるための「場所」や「小道具」へのフェティッシュなこだわりが、独自の発展をして、現代のゴシックに多く受け継がれています。そしてその方法論が、後の様々なアート作品やエンターティメント作品に利用されているため、現代のカルチャーシーンにおいて、ゴシックの影響は非常に強くなっています。
 ウォーポール以降は、ラドクリフらを中心に、彼の打ち出した「ゴシックっぽさ」が、そうした大げさな物語が成立するために相応しい舞台として流用されました。ピクチュアレスクが重要な要素としてフューチャーされたのも、純粋な娯楽として「心を浮遊させる」物語にはどこか神秘的で現実離れした舞台が求められたためで、それがよりヒロイックで選民的な特別な存在として小説の主人公たちを彩り、物語の雰囲気を高める役割を果たしたしました。ゴシックロマンスを読みながら、しばし読者は現実を離れ、時間と空間を超えた読書体験が出来たわけです。
 ただし、ほとんどのオールドスタイルのゴシックロマンスにおける「恐怖」は、重要ではあるもののあくまでも物語を盛り上げるための装飾であり、怪奇小説、特にいわゆるモダンホラー以降のホラー小説との決定的な違いは、恐怖そのものが目的となるわけではないという点だと思います。ゴシックロマンスにおける物語は、あくまでも神秘なるものの前に晒された登場人物たちの戦慄やドラマティックな運命に主眼が置かれ、恋愛、財産、身分、血縁等の現実的な物事が重要視されつつ、どちらかといえば通俗的な、はっきりと人間ドラマ的な物語性を志向します。従って、後に幽霊や怪奇現象だと思われていたものが実際にはそうでなかったと判明することも多い(むしろ、そちらの方が主流と言ってもいい)。そして、奇をてらい、扇情的ではあるものの、物語は大抵あるべきところに落ち着き、どちらかといえば一応は勧善懲悪的な結末になることの方が多く、例え悲劇に終わるとしても、後味はそれほど悪くはありません。
 恐怖そのものが目的とされないというのは、ゴシックロマンスが下火になった後の、現在までさまざまな形を取りつつ書かれているゴシック小説にしても例外ではなく、それがまさにゴシックとホラーを分けているものと考えます。ゴシックが目指すものはその恐怖の彼方にあるもの、つまり人の力では為すすべもない神秘に「圧倒されること」にあります。従って、ゴシック小説の多くは運命論的なところがあり、登場人物たちは神秘なるものを前にして受け身であることが多く、裕福な女性に熱心な読者が多かったこともあって、物語そのものがどこか女性的であるように思えます。

 といった感じでしょうか。ゴシック小説の定義は難しく、もちろんこれが正解というわけではありません。あくまでも、自分が「ゴシック」と呼ばれる小説群から受ける印象です。
 オールドスタイルのゴシックは、確かに現代的な小説とは言えないのですが、妙な魅力があって、そういった「昏い夢にひたすらどっぷりと浸りきった」ドラマティックな物語を読むのが、最近はちょっと好きなのですよね。ゴシックに面白さを感じるかどうかは、身も蓋もない言い方をしてしまうと、結局は「ゴシック的感性」としか言いようのない感性の有無に依るのではないかと思います。良くも悪くもゴシックは、書き手にも読者にも、それが非常に要求される分野だという気がします。ゴシック的な雰囲気が好きかどうか、ということですね。
 まあ、結局なんだか漠然とした記事になってしまいましたが、とりあえず。

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