漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 

ケー  


印象に残る漫画のはなし:6

「ケー」
森雅之著

この短編が収められている単行本「散歩しながらうたう唄」を手にしたのは、全くの偶然だった。
余りにも印象的なタイトルだったから、何気なく手にして、何気なく買った。確かそんな感じだったと思う。その辺りのことは、正直、余り覚えていない。
ただ、この本をはじめて読んだ時のことは、妙に印象に残っている。
僕の田舎は神戸なのだが、余り降らない雪がしんしんと降り積もった日だった。
僕はベッドに横になって、隣の部屋から聞こえてくるテレビ番組の音の断片を聞きながら、この本を読んだ。部屋の中が、真昼だったが、妙に白っぽい光で明るかったのを覚えている。
本を読み終わったあと、僕は犬を連れて近くの公園へ散歩に出かけた。
犬を公園に放して、雪を踏みながら、空を眺めていたのを思い出す。


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 少し前のことになる。観音崎へ出かけた時の話だ。
 
 東京周辺の海辺では、海辺でピクニックと洒落込んで食事をしようにも、鳶に注意しなければならない。翼を広げると優に一メートルを越える猛禽の鳶が、さっと空から舞い降りてきて、食べ物を掠め取っていってしまうことがあるからだ。これは笑い事ではなく、鋭い爪や嘴で怪我をする恐れがあるから、本当に危険である。特に、子供にとっては。
 江ノ島の周辺は、特に鳶の被害が多い。この辺りでは、外での食事はすべきではないだろう。特にハンバーガーやホットドックなどは、「取ってください」と言っているようなものだと考えていい。

 それはそれとして、観音崎の鳶の話をしようと思う。

 観音崎の浜から、灯台へ向かう道の脇には、打ち捨てられたような墓石が並んでいる場所がある。余りに唐突にあるので、いささか驚くほどだ。
 三年ほど前のことだが、その墓石の上に傷ついた鳶が留っていた。
 ほとんど墓石と同化しているかのように、俯いて、微かに震えていた。
 年老いた鳶なのだろうか。それとも、何かで傷ついたのだろうか。
 気になりながらも、その場を後にした。
 
 帰り道、同じ場所を通った時、往路で見た鳶が、くたくたになった姿で、道にしがみつくようにして倒れていた。ひと目で、もう死を待つばかりなのが分った。抜けかかった羽が、力なく揺れていた。
 這いながら、ここまで来たのか。
 僕は思ったが、それ以上に、最初に見た鳶の姿を思い出した。
 鳶にも、墓場というものが分かるのだろうか。

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美しい小説:10

 「より大きな希望」
 イルゼ・アイヒンガー著

 ナチスを描いた映画や小説、ルポタージュには、忘れ難いものが多い。
 収容所での生活を描いたルポタージュ「夜と霧」、隠れ家での記録「アンネの日記」、レジスタンスの記録「白バラは散らず」などは有名だ。
 映画では史実を元にした「シンドラーのリスト」などのほかに、退廃的な映像美で魅せた「愛の嵐」や「地獄に堕ちた勇者ども」などがある。
 小説では、余りに悲痛な「ソフィーの選択」などが忘れ難い。こうした極限で起きた出来事を題材にしたものからは、いろいろと学ぶことがある。

 ここで取り上げる「より大きな希望」は、イルゼ・アイヒンガー女史による作品である。
 妖精文庫の第三期に収められているこの作品は、「合いの子」という存在に光を当てて、「どちらでもない中途半端な存在」の魂の彷徨を描いている。主人公が「浮いてしまっている」存在であるように、物語も、どこからどこまでが現実なのか、明確ではないような描き方をされている。一時期、日本でアゴタ・クリストフの「悪童日記」という小説が話題になったが、この「より大きな希望」はその遥か源流であり、さらに美しく悲痛な作品だ。

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 大磯の浜を見下ろす湘南平の山頂には、フィールドアスレチックがある。
 随分と年季の入ったアスレチックコースで、行くたびに少しづつ使えなくなっている。
 いずれ改築されるのか。それとも、ある日消えて行くのか。
 子供たちにとって、危険なリスクを持った(とされる)遊具は、次第に姿を消してゆきつつある。前回の回転ジャングルジムがそうだった。今回のフィールドアスレチックも、当然そうだ。

 僕が子供の頃、フィールドアスレチックがちょっとしたブームだった時期があった。
 僕はフィールドアスレチックが大好きで、コースに一日中いても飽きなかった。
 山の中にあった、巨大なアスレチックコースを、今でも時々思い出す。
 あれは、どこにあったのか。
 調べる気になればわかるのかもしれないが、いっそ謎のままでもいい。


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近景から遠景へ:5

 小学校や中学校の図工の教科書で見た絵のなかには、いつまでたっても忘れられないものが多くある。キリコの「街角の神秘と憂鬱」もそうだったし、ワイエスの「クリスティーナの世界」もそうだった。他にもそうした絵は沢山ある。
 だが、そうした意味で一番印象に残っている絵を一つ挙げるなら、それは多分ベン・シャーンの描いた赤い階段の絵ということになるかもしれない。
 「The Red Stairway」というタイトルのその絵は、見れば見るほど不思議な気持ちになってくるし、不安になってくる。「憂鬱」や「不安」や「暴力の気配」が漂う、印象的な名画だと思う。

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美しい小説:9

 サンリオ文庫の後期、正確にはサンリオが出版事業から撤退する直前には、狂ったようにディックの作品が翻訳・出版されていた。それはまるで、この作家の作品だけは出しておかなければという使命感にも似ているように見えた。
 実際のところは、もしかしたら、ディックの作品なら不振が続いている同文庫の中では比較的売れるものだった、ということに過ぎなかったのかもしれない。

 もしディックの代表作を一つ挙げろといえば、映画「ブレードランナー」の原作になった「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」、あるいは初期の傑作「虚空の眼」もしくは「火星のタイムスリップ」、あたりを挙げる人が多いだろう。だが、ディック後期の作品「暗闇のスキャナー」を彼の最高傑作とする人も少なくないと思う。僕も、その中の一人である。

 「暗闇のスキャナー」はドラッグを扱った小説である。
 ドラッグカルチャーとは切り離せないディックだが、この作品は「反ドラッグ」を明確な主題にしているという点で、それまでの作品とは一線を画している。
 
 ドラッグとアートは切り離せない。そうした考え方は、いつまでたっても完全に消えることは無い。だが、実際はそうなのか。ドラッグが見せる光景は、袋小路の光景である。

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玄関  


印象に残る漫画のはなし:5

「玄関」
高野文子著

 高野文子の処女短編集「絶対安全剃刀」の出版は、ひとつの事件だったのではないかという気がする。
 この短編集によって、あるいは高野文子という天才によって、漫画というジャンルは、その可能性をぐっと広げたのではないか。そう思う。
 この短編集の凄いところの一つは、一作一作が画風が違うという点だ。
 一人の人間が、一冊の本の中で、これだけ違う、しかもそれぞれに完成されたスタイルの画風の作品を並べるというのは、前代未聞だったはずだ。高野文子は、限りなくスタイリッシュでありながら、パーソナルでもあるという、離れ業をやってのけている。
 この粒揃いの短編集の中でも、最も驚異的な作品は多分、老女を幼女として描いた「田辺のつる」だろう。閉じられたドアの向こうに流れる数十年の時間は、読むこちらの胸に重く迫ってくる。
 さて、この短編集の中で僕が一番好きな作品を一つ挙げるなら、ためらうことなく、末尾を飾る「玄関」を選ぶ。余りに好きな作品だから、最初の一ページだけで、ズッと深い気持ちの中に沈んで行く気がする。あらゆる漫画の中で、僕はこれがもしかしたら一番好きな作品かもしれない。


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<本当に怖い小説のアンソロジー:8>

ミスター・ガラハーのオデュッセイア
 ~ガラハー氏、家へ帰る~
 「新カンタベリー物語」より
 ジャン・レイ著

 翻訳でしか読んだ事がない(翻訳でしか読めない)から、迂闊なことは言えないが、ジャン・レイの小説の文体は、異様な迫力がある。不親切だとさえ思えるほどそっけないのだが、魅力的なのだ。だから、普通の作家が書いたとしたらつまらないものにしかならないだろうと思える作品が、かえって忘れ難い印象を残すことがある。
 ここに取り上げた作品は、連作短編集「新カンタベリー物語」の中の一遍。残酷な、掌編である。
 僕は、基本的にスプラッタな怪奇ものは好きではないのだが、あえてこの傑作揃いの短編集の中からわざわざこの作品を選んだのかといえば、理不尽な悪夢を書いて秀逸だからだ。この作品は、ジャン・レイの筆致でなければ生きてこない。
 ただ、この短編集で特筆すべき短編を選ぶなら、一人の男が宇宙になるという掌編「船乗りが語る・・・バラ色の恐怖」や、「狂人の物語~ユユー~」あたりになるかもしれない。

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近景から遠景へ:4

昼下がりの、微睡みの街のことを想う。
すぐ側にあるようで、辿り着けない街。
しばらく考えていて、ふと思い出すのは、デ・キリコの一枚の絵。
「街角の神秘と憂鬱」
というタイトルがついていた。
輪っかを回して走る、少女のシルエットが印象的な絵だ。
あれは、それに近いかもしれない。

キリコの、その絵を初めて見たのは、小学校の美術の教科書だった。
最初から、強烈に印象に残った。
デジャヴというのだろうか。キリコの絵には、普遍的な概視感がある。
この絵の風景は、自分とどこかで繋がっている。だからこの絵に描かれていない「遠景」を、僕は知っている。そう思った。


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美しい小説:8

「怖るべき子供たち」
ジャン・コクトー著
東郷青児訳 角川文庫

この小説を読んだのは、高校の一年生の時だった。
開校二年目の図書室の、スカスカの本棚に並んでいたこの薄っぺらい本を手に取った時のことを、今でも思い出す。
この本を借りたのは、単純に、薄くてすぐに読み終えることが出来そうだったからだ。
だから、コクトーという人物のことは全く知らなかったし、期待もしていなかった。
文学作品をちょっと読んでみようという、ほんの気まぐれでしかなかった。

この本を読まなければ、僕の読書の嗜好は随分違ったものになったかもしれない。
フランスの世紀末文学や、幻想文学を好んで読むということはなかったかもしれない。
小説の中には、楽しい小説以外に、美しい小説があると知ったのも、この「怖るべき子供たち」でである。
ところで、この小説には様々な邦訳があるが、僕にとって最上のものは、角川文庫の東郷青児版である。意訳のような部分が多々あるようだが、この翻訳が多分最もこの小説の精神を正しく伝えているのではないかと思う。 

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 デジカメで撮影した写真をビューアで見ていて、やたらと猫の写真が多いことに気が付いた。
 猫が好きなのと、デジカメの気楽さで、見つけるとつい撮ってしまうようだ。
 それで、時々猫の写真をアップしてみようと思った。
 僕の作るブログは、どうしても文章ばかりになるので、ちょうどいいかもしれない。そういう気持ちが多分に働いている。

 この猫の写真は、大磯の海辺の町を歩いている時に撮った。
 面倒くさそうにこちらを睨んで、なかなかの、大きな態度だ。

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 今日は、義母の葬儀のために神戸から出てきてくれた母を見送るために、中央線に乗って東京駅まで行った。数日間続いた曇り空のせいで、いくらか日があるとはいえ、肌寒い。しばらく忙しかったから、曜日や日にちの感覚はかなり狂っていたが、季節の感覚まで狂いそうだ。
 東京駅で母と別れた後、妻と娘を連れて、そのまま丸の内口から駅の外へ出た。
 しばらく歩いて、歩き疲れたら、それから電車に乗って帰ろう。そう思ったからだ。
 休日のオフィス街を歩いた。途中で将門の首塚にちょっと参って、御茶ノ水を目指した。

 御茶ノ水は、神田まつりが今日の宵から始まるというので、賑わっていた。町のあちらこちらに神輿が出ていたし、可愛らしい子供たちの半被姿も見た。囃子の音があちらこちらから聞こえてきて、わくわくする。神社に寄って、祭りを少し覗いてみたかったが、忌中のため、叶わない。残念だったが、仕方が無い。横目で見て、通り過ぎた。

 飯田橋を通り抜けて、神楽坂へ入った。
 神楽坂は、どうやらひそかなブームになっているようで、人の出が多い。
 若い女性の姿が、妙に目に付く。最近の日本回帰の風潮のせいだろうか。
 だが、神楽坂が女性に人気なのは、よく分る。少し裏に入ると、秘めごとの香りがするし、それが儚くて、綺麗に見える。この辺りは、これからしばらくは人気が続くだろう。

 ところで、神楽坂の裏道を歩きながら、ちょっと大きな公園を見つけた。
そこには、回転ジャングルジムがあった。
 最近は「危ない」ということで、撤去が続いている遊具の一つだ。
 だが、僕が子供の頃は、公園や学校には大抵これがあった。
 目が回るくらいに廻して、その眩暈に酔ったものだ。
 だがこれも、「消え行くもの」なのだろう。

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印象的だった漫画の話:4

松本零士の漫画が好きでたまらなかった、小学校の高学年の頃。
氏の漫画ならなんでも読みたいと思っていたから、自然と青年向けの作品にも手が伸びた。
「マンガ奇想天外」を手にしたのも、だから自然な流れだった。

「マンガ奇想天外」は、ショッキングな雑誌だった。
僕がそれまで読んでいたマンガとは全く違う、過剰なほど個性的な作品が並んでいた。高野文子と出会ったのも、吾妻ひでおと再会したのも、鈴木翁二を意識したのも、すべてこの雑誌だった。どう理解してよいのか分らないマンガ群を前にして、いろいろと想像を働かせていたのが、懐かしい。

坂口尚氏の漫画を初めて読んだのも、この雑誌だった。
作品は、「祭の夜」だったと思う。
だが、実際に印象に残ったのは、次に読んだ「星降る夜」だった。特に、見開きのページが印象に残っている。なんて綺麗な草と星を描くのだろうと思った。
だが、坂口氏の作品の中で一番印象に残っている作品をひとつだけ挙げろと言われれば、僕は間違いなく、

「夏休み」
坂口尚著

を挙げる。
この短編が、坂口尚の最良の作品とは、言えないかもしれない。
だが、「マンガ奇想天外」の6号に掲載されたこの短編の、その美しい光と影が、僕にはずっと忘れられない。

故・坂口尚氏の公認ファンサイトを、ブックマークにリンクさせて頂きます。

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