漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

地図と領土

2015年10月29日 | 読書録

「地図と領土」 ミシェル ウエルベック著 野崎歓訳
 筑摩書房刊

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 ひとりのアーティストの一生を描いた小説。だが、彼の作り出す作品は常に大きな評判を得て価値が跳ね上がってゆくのに、実際のアーティスト本人は、いわゆる成功したアーティスに人々が抱くイメージとはかけ離れており、壊れかけたセントラルヒーティングを友達のように感じながら、テレビをずっとみているような、極めてエキセントリックさに欠けた人物として描かれている。結構いろいろな事が起きるのに(猟奇的な殺人事件さえ起きる)、ひたすら醒めている印象を受ける。「地図と領土」というタイトルのもと、「孤独と虚無」について書かれた小説という印象を受けた。読みながら、最近の村上春樹と非常に近いものを感じたけれども、多分、こちらの方がずっと成功していると思う。最近はわかりやすいエンターティメント作品ばかりを読んでいたので、逆に新鮮で、面白かった。お菓子ばかりでは満腹感は得られない、やっぱりこういうのもちゃんと読まなければダメだな、と思った。



 ところで、この前の日曜日には、川崎のハロウィンをちょっと見物に出かけた。川崎ハロウィンは、随分と前に一度行ったことがあるので、今回が二度目だった。ちょうど木枯らし一号が吹いた日だったから、じっとパレードを待っている間は、結構寒かった。
 パレードは、さすがに日本で最も有名なハロウィンパレードだけあって、みんな本格的で気合が入っていた。パレードを先導するのは、おそらくスポンサーなのだろうが、今年の年末に公開予定の話題作「スターウォーズ」の山車。ねぶたで作られたキャラクターたちを始め、かなり気合の入ったもので、これはさすがに見応えがあった。
 一般の人たちのパレードも、かなり本格的だったのだが、なにせ人数が多いし、さすがにずっと見ていると飽きてくるところもあって、これは多分やっている人がいちばん面白いんだろうなとつくづく思った。まあ、お祭りですからね、そりゃそうだろう。なかなか今やる勇気は湧かないけれども、ちょっとやってみたいという気も、しなくはなかったり。

ハケンアニメ!

2015年10月21日 | 読書録
「ハケンアニメ!」 辻村深月著 マガジンハウス刊

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 アニメ業界を題材にした長編小説。なのだが。これまで読んだ辻村作品の中では、一番つまらなかった。なんだが、あまりよく分かっていない題材を、手癖だけで処理した感じ。久々に出てきたチヨダ・コーキも、苦し紛れに登場させられたかのように思えた。じゃあお前はアニメ業界のことをよく知っているのか、と言われれば、いや、全然わからないとしか言えないが、それでも辻村さんの知識が付け焼き刃であることは、なんとなく分かる。辻村さんが、サブカルチャーに親しいということは確かだが、多分、アニメにはあまり詳しくはないのだろう。サブカルチャーとアニメは、イコールではない。この作品を楽しめるのは、アニメもサブカルも、よく知らない人だけだろう。

魔の淵

2015年10月19日 | 垂水・須磨・明石を舞台にした小説
「魔の淵」 三橋一夫著
ミステリ珍本全集9 日下三蔵監修

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 「醗酵人間」と同じシリーズの一冊。長編が三編、収録されている。
 三橋一夫作品は、アンソロジーに収録された短編を読んだことはあるけれど、あまり意識はしてこなかったから、長編を読むのは初めて。膨大な著作のある作家らしいが、現在ではほとんど読まれていないため、そもそも目に入る機会も少なかった。さすがに数を書いているだけあって、物語の組み立ては手馴れているという印象。とても読みやすい。
 表題作の「魔の淵」は、遺産相続を巡る、正妻と愛人、そしてそのそれぞれの息子たちの物語。物語自体は、結構ベタなのだが、読みどころは、物語終盤の幻覚のシーン。どうということもない物語が、突然異様なものになる。
 「卍の塔」は、かなりベタベタな、よろめきもののメロドラマ。内容はともかく、個人的には、舞台が神戸市の須磨というのが気になった。須磨の、須磨寺公園近く。須磨寺には、敦盛最後で有名な、平敦盛の首塚がある。

醗酵人間

2015年10月17日 | 読書録
「醗酵人間」 栗田信著
ミステリ珍本全集3 日下三蔵編 戎光祥出版刊

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 一部の人たちにとっては、刊行自体がひとつの事件であるといえるような一冊。古いSFファンの間では、名前だけは有名だったが、なにせ現物が手に入らないので、半ば伝説化していた。ただし、隠れた名作というような、いい意味で有名だったわけではない。最低の怪作という、悪い意味で、有名だったのである。映画で言えば「死霊の盆踊り」みたいなもの、マンガで言えば「聖マッスル」みたいなものか(例えとして適当なのかな?)。そんなに酷い作品なら一度読んでみたいと思う人がたくさんいたものだから、古書価はどんどんと釣り上がり、気がつくと数十万という、すごい値段になっていた。ヤフオクでは、40万までいったことがあるらしい。比較的最近、カバーだけが出品されたこともあったと思うが、それも確か数万円までいったはず。有名な、すごいイラストのカバーだけど、ただのペラ一枚ですよ?カバーなしの裸本を持っている人が、カバーを手に入れて完本にすることで一気に価値が跳ね上がることを見込んでということだろうが、それにしてもすごい話。
 それが、今回その「醗酵人間」に加えて、さらにレアとも言われる「改造人間」がついて3240円。古書で手に入れようとすれば、50万ではきかないのだから、200分の1とか、そんな値段で気軽に手に入るのだから、それは話題にもなる。これで、伝説がようやく陽のもとにさらされたというわけである。
 で、その内容なのだが、本当にくだらなかった。読みながら、だんだんと遠い目になってしまう。大枚叩いてこれを読まされたら、「いや、聞きしにまさる怪作だったよ」と強がるしかないんじゃないかな。こんなのが出てしまったら、これ以上古書価が上がることはまずなさそうだし。今なら、マンガやラノベの駄作の山の中に埋もれてしまって話題にもならなかったかもしれない、ひとりよがりな奇作だが、サブカルチャーの文脈の中では有名な作品なので、一読しても損はないとは思う。

舟を編む

2015年10月09日 | 読書録

「舟を編む」 三浦しをん著 光文社刊

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 本屋大賞を受賞し、映画化もされた話題作。ずっと気になっていたのだが、ようやく読んだ。いや、すばらしい作品でした。
 一言で言えば、「大渡海」という一冊の辞書の初版を完成させる物語。そこに、さまざまな人々の人生が伴奏する。こういう書き方をすれば、何だか最近主流の、人間模様が大きく絡まり合う大げさな物語を想像もするだろうが、この作品はあえてそれをしない。もちろん、実際には絡まり合っているのだが、それが物語の最前面に出てくることはなく、あくまでも背景にとどまる。最初、主人公の馬締と香具矢が劇的な出会いをするシーンで、これは二人の恋愛が大きな柱となって物語を導いてゆくのだろうとも思ったけれど、そうした下世話というか、世俗的であたりまえすぎる展開をこの小説はとらない。二人の恋愛は、ぐっとくるほど官能的な色を差しはするが、拍子抜けするくらいあっさりと記されてしまう。まるで、そんなことは辞書の編纂という巨大な歴史の中ではごく些細なことなのだと言わんばかりに。それは、荒木の退職や西岡の異動、タケおばあさんの死についても同じ。普通、そうした感動的なシーンは、ここぞとばかりに盛り上げそうなものなのに。だが、この小説はそれをしない。まるで、読みながらふと思い出したのだが、筒井康隆の「旅のラゴス」で、じっと動かない主人公の周りで淡々と世界が動き、国が出来て、歴史が形作られて行った、あの鮮烈なシーンのよう。できる限り文字数を切り詰めて言葉を説明する辞書という世界について書くには、この書き方をとるのが誠実だと思うし、そこを生粋の本好きである三浦しをんさんはよくわかっているのだと思った。アトラクション的な物語を求める人には、わかりやすく盛り上げてきちんと感動させてくれないこの小説はあまりにも拍子抜けだとも思うだろうが、本当に本というものが好きでたまらない人には、この作品をあえてこのように描いた三浦さんの思いがきちんと届いていると思う。物語の背後で起こったであろう様々な物語は、読者がそれぞれ頭の中で補う。この小説には、それが可能な、緩やかでありながらしっかりとした方向性を持った余白があるように思った。

BlendyのCM

2015年10月02日 | 雑記
 先ほどtwitterを見ていたら、BlendyのCMの事がほとんど炎上レベルで話題になっていて、かなり酷い内容だとのこと。ぼくは、実は昔からなぜだかCMが大好きなので、どんな酷いCMなのか気になって、観てみた。けれど、随分ブラックな風刺ムービーだな、しかもCMとしては全く機能してないし、と思いながらも、意外とあっさりと観れてしまった。もっとも、もしこれが普通にお茶の間で、不意打ちに見せられたとしたら、一瞬固まっただろうとは思う。
 CMは高校の卒業式と思われる映像から始まる。生徒たちはみんな、なぜか鼻輪をしている。この時点で、「ああ、風刺なんだな」と思う。生徒たちは、卒業証書授与という形で、番号で呼ばれ、壇の上で、学校を出たあとの行き先を校長から告げられる。牧場とか、動物園とか、そういう形で。このCMの主役は、一人の巨乳の少女である。彼女は、同級生たちが次々と行き先を告げられる姿を見ながら、自分の未来を案じている。「華がある」親友の少女は、動物園に行く事が決まる。なんとなく学校生活をすごしてきたような、気の弱そうな少年は、精肉工場ゆきを告げられ、泣き崩れる。反骨の不良少年は、日本ではなく、アメリカの闘牛場ゆきを告げられる。そして、巨乳の主人公は、ブレンディの牧場ゆきを告げられ、満面の笑みの校長から「濃い牛乳を出し続けるんだよ」と餞の言葉をかけてもらう。
 内容的には、相当酷いとは思う。特に、主人公の少女に対する眼差しは、あまりに露骨なセクハラになっていて、拒否反応を覚える人が多いはずだし、ここはさすがにぼくもちょっと引いた。これを観て、ブレンディを飲もうという気になる人がいるとは、とても思えない。どういう意図でこれを作ったのかはだから理解できないし、CMとしては明らかに機能していないけれども、もし風刺のつもりで作ったものだとして見るなら、このくらいあざとくなければ意味もない気もする。小説なら、この程度では甘いくらい。密かに皮肉が効いていると思ったのは、生徒たちも、主人公の両親にも、鼻輪はついているのに、校長先生にはついていないという点。この人は、搾取される側ではないのだ。生徒たちが番号で呼ばれるというのも、不良少年が日本から出さされるというのも、おとなしいだけの生徒がされて食べられる運命にあるというのも、なかなか。主人公に対する女性蔑視的な視点も、意識的なのかなと思ってしまう。
 だからこのCMがそこまで問題があるものだとは思わなかった。どちらかと言えば、これを観て、「私達はこんな風に見られているのか」と、ムッとする若いひとたちがたくさんいればいいなと思った。