そこから北に眼を遣ると、《虹光の岩山》の鮮やかな岩山が、組み上げられた長い砦のように見える。その辺りは、僕には未知の領域だった。聞くところによると、この岩山が色とりどりに輝いているのは様々な色彩の光を放つ苔によって覆われているからで、その光が極度に反射率の高い露出した岩肌に反射することによってさらに輝いて見えるのだという。また空気の澄んでいる時には、そのずっと彼方に聳える《蒼壁の山脈》が、まるで幻のように、闇の中にぼんやりと浮かび上がって見えることもある。
首を巡らせて西方に眼を向けると、そこには何処までも淡々とした暗い平原が続いている。その暗い闇の中には街と街を繋ぐ《いにしえの道》があるが、利用するのは《ミッドナイトランド》の都市間を行き来する、数少ない行商の人々だけだ。かつては《ミッドナイトランド》でも都市間の交流が盛んだったという記録が残っているが、長い年月の中で各都市間の差異も殆どなくなって、それぞれの都市の独立性が高まると、次第に敢えて命を危険に晒してまで都市と都市とを繋ぐ《いにしえの道》へ歩みを進めようとする人々の数も減り、現在では限りなく犯罪者に近い人々が都市と都市とを繋ぐ商人を名乗って、ごく稀に行き来するだけとなってしまった。そうなるとますます《いにしえの道》は、限りなく危険を伴う道として人々の往来も少なくなった。そうでなくともこの《いにしえの道》には様々な《夜のけものたち》が闊歩しているのだし、道を巡る恐ろしい風説や伝説も数多いのだから。
最後に僕は真っ直ぐに正面を、南の遥か彼方を、見詰める。そこに広がっているのは、星光植物の明かりさえない漆黒の空間だ。だが僕はじっと目を凝らす。するとほんの僅かにだが、淡い緑色に鈍く光っている場所があるのがわかる。そして、微かに星の光を映して光が揺れているのも見えてくる。どちらもとても淡い光で、まるで幻のように見える。
それは海だった。
空と溶け合う水平線の向こうにまで広がる、《静寂の海》だ。
海はたっぷりの水を湛え、寄せては返す。その波打ち際が、僕たち街の人間にとっては世界の終りに等しい境界線だった。海の向こうにまで遠く漕ぎ出してゆく人など、海を熟知した漁師の他には誰一人いないし、その漁師たちにしたところで、それほど岸辺から遠くへ離れてまで漁をするわけではない。浜から離れて海原の中にいると、自分が上を向いてるのか下を向いてるのか、だんだんと自信がなくなってくる。漁師たちは皆、口を揃えてそう言う。海の中に至っては、未知の世界と言ってよかった。水の中に潜ろうとする人間など、殆ど誰もいない。闇の海は、陸地以上に大きな危険を伴う場所だからだ。だから海は、この大地よりも、宇宙に属している場所なのだ。
僕は今、《青の丘》の柔らかい光に包まれて、じっと彼方の海を見詰めている。そして《耳鳴梟》(みみなりふくろう)や《欄団鳥》(らんたんちょう)の鳴く声に混って、静かな波の音が聞こえては来ないだろうかと考えている。だが、波の音はここまでは聞こえてはこない。来るはずはないのだ。だが、時折ふっと空気が揺れる気がすることがある。それは繰言のような波の音の、さらに小さな呟きなのかもしれない。
《ミッドナイトランド》の光景は、幼い頃から少しも変わってはいない。もちろん細部を見詰めるなら、その印象が誤りであることに気付く。だが僕が生まれてから今に至るまでの、ほんの二十数年の月日が《ミッドナイトランド》に与えた変化など、ほんの些細なものなのだろう。
今は独り、僕はこの《青の丘》に横たわって、眼下の光景を眺めながら、そこに息づく様々な現象に思いを馳せては、じっと耳を澄ましている。少しだけ孤独だが、寂しくはない。丘はいつでも心が安らぐ場所だからだ。だが、かつては僕の傍らにカムリルがいたことがあった。僕と彼女は二人でよくこの丘にやってきては、長い時間を過ごしたものだった。あの頃、僕たちは何の話をしていたのだろう。ほんの数年前のことなのに、もう僕は断片しか覚えてはいない。だがその時間の柔らかさだけは、まだはっきりと覚えている。手を伸ばせば、彼女の肩の形を掌の中に感じることも出来る。
僕は彼方の海を見詰め、じっと耳を澄ます。すると《揺子虫》(ゆすりご)の虫の音の彼方から、彼女の歌う「赤く小さな星」の、どこか淋しい子守唄のようなメロディが聞こえてくる気がする。そしてその歌声の辿り着く先に、あの不思議な少年の赤い瞳が浮かび上がってくる……
首を巡らせて西方に眼を向けると、そこには何処までも淡々とした暗い平原が続いている。その暗い闇の中には街と街を繋ぐ《いにしえの道》があるが、利用するのは《ミッドナイトランド》の都市間を行き来する、数少ない行商の人々だけだ。かつては《ミッドナイトランド》でも都市間の交流が盛んだったという記録が残っているが、長い年月の中で各都市間の差異も殆どなくなって、それぞれの都市の独立性が高まると、次第に敢えて命を危険に晒してまで都市と都市とを繋ぐ《いにしえの道》へ歩みを進めようとする人々の数も減り、現在では限りなく犯罪者に近い人々が都市と都市とを繋ぐ商人を名乗って、ごく稀に行き来するだけとなってしまった。そうなるとますます《いにしえの道》は、限りなく危険を伴う道として人々の往来も少なくなった。そうでなくともこの《いにしえの道》には様々な《夜のけものたち》が闊歩しているのだし、道を巡る恐ろしい風説や伝説も数多いのだから。
最後に僕は真っ直ぐに正面を、南の遥か彼方を、見詰める。そこに広がっているのは、星光植物の明かりさえない漆黒の空間だ。だが僕はじっと目を凝らす。するとほんの僅かにだが、淡い緑色に鈍く光っている場所があるのがわかる。そして、微かに星の光を映して光が揺れているのも見えてくる。どちらもとても淡い光で、まるで幻のように見える。
それは海だった。
空と溶け合う水平線の向こうにまで広がる、《静寂の海》だ。
海はたっぷりの水を湛え、寄せては返す。その波打ち際が、僕たち街の人間にとっては世界の終りに等しい境界線だった。海の向こうにまで遠く漕ぎ出してゆく人など、海を熟知した漁師の他には誰一人いないし、その漁師たちにしたところで、それほど岸辺から遠くへ離れてまで漁をするわけではない。浜から離れて海原の中にいると、自分が上を向いてるのか下を向いてるのか、だんだんと自信がなくなってくる。漁師たちは皆、口を揃えてそう言う。海の中に至っては、未知の世界と言ってよかった。水の中に潜ろうとする人間など、殆ど誰もいない。闇の海は、陸地以上に大きな危険を伴う場所だからだ。だから海は、この大地よりも、宇宙に属している場所なのだ。
僕は今、《青の丘》の柔らかい光に包まれて、じっと彼方の海を見詰めている。そして《耳鳴梟》(みみなりふくろう)や《欄団鳥》(らんたんちょう)の鳴く声に混って、静かな波の音が聞こえては来ないだろうかと考えている。だが、波の音はここまでは聞こえてはこない。来るはずはないのだ。だが、時折ふっと空気が揺れる気がすることがある。それは繰言のような波の音の、さらに小さな呟きなのかもしれない。
《ミッドナイトランド》の光景は、幼い頃から少しも変わってはいない。もちろん細部を見詰めるなら、その印象が誤りであることに気付く。だが僕が生まれてから今に至るまでの、ほんの二十数年の月日が《ミッドナイトランド》に与えた変化など、ほんの些細なものなのだろう。
今は独り、僕はこの《青の丘》に横たわって、眼下の光景を眺めながら、そこに息づく様々な現象に思いを馳せては、じっと耳を澄ましている。少しだけ孤独だが、寂しくはない。丘はいつでも心が安らぐ場所だからだ。だが、かつては僕の傍らにカムリルがいたことがあった。僕と彼女は二人でよくこの丘にやってきては、長い時間を過ごしたものだった。あの頃、僕たちは何の話をしていたのだろう。ほんの数年前のことなのに、もう僕は断片しか覚えてはいない。だがその時間の柔らかさだけは、まだはっきりと覚えている。手を伸ばせば、彼女の肩の形を掌の中に感じることも出来る。
僕は彼方の海を見詰め、じっと耳を澄ます。すると《揺子虫》(ゆすりご)の虫の音の彼方から、彼女の歌う「赤く小さな星」の、どこか淋しい子守唄のようなメロディが聞こえてくる気がする。そしてその歌声の辿り着く先に、あの不思議な少年の赤い瞳が浮かび上がってくる……