「こわい部屋 ――謎のギャラリー」 北村薫編
ちくま文庫 筑摩書房刊
を読む。
作家の北村薫さんが選んだ、奇妙な味の短編を集めたアンソロジー。ホラーのアンソロジーというと、だいたい似たような作品ばかりが並ぶことが多いのだが、これはあまり他のアンソロジーには収録されていないような作品(それどころか、あまり聞いたことのない作家もいる)が多く集められており、しかもどれもかなり面白いという、なかなか読み応えのある一冊だった。
構成も優れている。
最初に、いきなり南伸坊の奇妙な漫画がある。なんだか、こちらの現実がこれで一気に揺らぐような、そんな効果のある作品で、頭をほぐして、この先の作品群へすんなり入ってゆく手助けをしてくれる。
続いて、ブッツァーティが二編。「七階」と「待っていたのは」。これはどちらも割と有名な作品で、以前にも読んだことがあったが、やはり何とも嫌な作品。
次は小熊秀雄の作品が二つ。最初の南伸坊の漫画作品とも呼応するような、奇妙な味の童話。小熊秀雄の作品は、あまり読んだことがなかったが、この二つの作品が良かったので、巻末の北村さんと宮部みゆきさんの対談の中で出てきた「焼かれた魚」という作品を、青空文庫で読んでみたが、うーん、なんとも悲しい物語だった。
林房雄の「四つの文字」。これは文学作品。怖いというより、薄ら寒くなるという感じか。作中の「百巻の書は読むためにあるかもしれないが、万巻の書は集めるためにしか存在しない」という一文を読みながら、自分の書棚を思い出した。積読、増えすぎである。
次のクレイグ・ライス「煙の環」は、ごく短い作品だが、相当変な話。想像の斜め上を行く奇妙なオチに、唖然とする。これも一種のリドル・ストーリーなのかな。
ブライアン・オサリバンの「お父ちゃん似」と、ジーン・リースの「懐かしき我が家」は、ごく短い話で、サドン・フィクションと言ってもいいくらい。驚くのは、オサリバンは、この作品を書いた時、まだ九歳だったということ。とてもじゃないが、九歳の作品ではない。ジーン・リースは、「サルガッソーの広い海」という、何とも嫌な後味の長編を書いていて、これはほとんどホラー作品のようだった。池澤夏樹編集の世界文学全集にも収録されている名作。「蝿の王」と並べて置きたい一冊だった。
樹下太郎「やさしいお願い」は、最後にぞっとする掌編。心理的に、かなり怖い。
ヘンリィ・スレッサーの「どなたをお望み?」は、よく出来たショート・ショートという感じ。
アン・ウォルシュ「避暑地の出来事」とヘンリィ・カットナー「ねずみ狩り」は、どちらも鼠が出てくる 作品。ウォルシュの作品は、最後の解説で宮部さんが言うように、「シャイニング」とちょっと似た感じだと思った。また、歯型も、ぼくは宮部さんと同じく、お母さんがつけたものだと思った。「ねずみ狩り」は、北村さんが言っているけれど、閉所恐怖症の人にはかなり読むのが辛そうな一作だとぼくも思った。
ジャック・フィニイ「死者のポケットの中には」とドナルド・ホーニグ「二十六階の恐怖」は、どちらも高所を扱った作品。フィニイの作品は、何か映像作品で観たことがあった気がする。
ジョン・コリア「ナツメグの味」。これは嫌な話です。有名な作品なので、読んだことのある人も多いかも。
フョードル・ソログープ「光と影」。これも結構有名で、他で読んだことがあったが、本当に忘れ難い名作。ホラーではないが、光と影が作り出す影絵の中に、諦念にも似た狂気が揺れる光景が印象に残る。個人的に、好きな作品。
ガストン・ルルーの「斧」は、極めて良くまとまった短編という印象。
さて、続く乙一の「夏と花火と私の死体」だが、120ページ近くあって、なんとこの本の約1/4近くを占める中編。どうやらこれが、16歳の時に書かれた、乙一のデビュー作だということ。視点がなんと死体なのだが、慣れないと難しそうな技巧を、効果的に使いこなしている。日本の若手作家でGOTHといえば、この乙一と桜庭一樹は絶対に外せないのだが、さすがに早熟の天才ということか。
この本はもともと、新潮文庫から出ていたらしく、このちくま版はいわば復刊である。で、元版はここまでだったらしいが、今回、ボーナストラックとしてC.Lスィーニィの「価値の問題」が追加されている。「二十六階の恐怖」と同じく、妻に浮気をされた男の復讐を書いた作品だが、こちらは結構ハードボイルド。
普段はあまりやらないのだが、これでざっと収録作全編についてコメントをつけてみた。こうした感じで、古今東西とりまぜたアンソロジーは、なかなか楽しい。
*****
昨日、共謀罪が強行採決された。そうなることはわかっていたが、やはり腹立たしいことには違いない。
ぼくが子供の頃には、社会の授業で、いかに治安維持法が恐ろしい法律だったか、さんざん聞かされてきた。もちろん、祖母にも散々聞かされた。だから、今回の共謀罪には、ものすごく抵抗がある。
世の中には嫌な人間というのがいて、まあ気が合わない人のことなのだが、それでもまあ普通は、かかわらなければいいやと、さほど腹を立てることもない。
だけど、それが最高権力者であるとなると、話が違ってくる。ぼくは安倍首相が大嫌いである。あまりに独善的に感じるから、テレビで顔を見るだけでも不愉快なほどだ。だが、相手が法を支配する立場である以上、かかわらないわけには、いかなくなってしまう。
「まあ、あんな阿呆の言うことなんて、聞かんかったらええわ」
そんななわけには行かないのが、腹立たしい。軽々しい阿呆が振り回す正義ほど厄介なものはないと思うが、こうした法律が簡単に通ってしまうのだから、ぼくの憤りは、感情的なマイノリティのたわごとということなのだろう。