漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

折れた竜骨

2015年04月30日 | 読書録

「折れた竜骨」 米澤穂信著
ミステリ・フロンティア 東京創元社刊

を読む。

 12世紀のヨーロッパを舞台に、魔術の存在を前提とした条件下でのミステリ(まあ、普通にファンタジーだと言っても良さそうではあるけれど)。なぜ作者がこんな設定を採用したのかは、最後にその犯人が明かされる時に納得する。なるほど、そういうことならば、魔術が存在するという設定は必須だ。逆に言えば、そうしたトリックを使うために、いかにも堅固な物語世界を創りだしたわけだ。
 最初はさほど期待しないで読み始めたのだけれど、気がついたら夢中で読み進めていた。物語が非常にいきいきとしているし、登場人物たちも魅力のある人物ばかりである。間違いなく傑作で、中高生に読書の愉しみを感じてもらうには、最適の一冊じゃないだろうか。
 ところで、この作品は漫画化されたらしく、ウェブ上で無料公開もされているのだが、ちょっと見たところでは、絵に透明感がありすぎて、どうもしっくりこない。そう思うのには、実は理由があって、読んでいる最中、どういうわけか、幾度となく荒木飛呂彦氏の強い癖のある画風が思い浮かんで仕方なかったのだ。特に、マジャル人の女戦士ハール・エンマなどは、ぴったりなんじゃないかという気するのだけれど、どうだろう。

地上最後の刑事

2015年04月24日 | 読書録

「地上最後の刑事」 ベン H ウィンタース著 上野元美訳
ハヤカワ・ポケット・ミステリ 早川書房刊

を読む。

 半年後、小惑星マイアが地球に衝突することが確実になった。かつて恐竜が絶滅したように、この小惑星の衝突は、人類にとって壊滅的な打撃となるだろう――。天文学者たちによってそう宣告された、近未来のアメリカ。刹那的になった人々が増え、文明はゆっくりと崩壊を始めているが、小惑星が衝突するのが半年も先のことで、いまだその影響が感じられない状態では、頭で理解はしているし、生活はどんどんと不便になってきてはいるものの、どこか現実感を欠いており、戸惑っているという方が近い状況にある。
 そうした中で、子供の頃から憧れていた刑事になれたパレスは、マクドナルド(ただし、一連の騒動の中でもともとのマクドナルドは既に倒産しており、その名前だけをそのまま残した個人経営のファーストフード店になっている)のトイレでドアノブにベルトをかけて首吊りをしている男を発見する。自殺者が珍しくなくなっている状況下では、彼の自殺も何の疑問もなく受け入れられそうになったが、パレスはそこに違和感を感じる。これは殺人事件だという強い啓示に導かれて、パレスは捜査を開始する。やがて浮かび上がってくる真相とは……というような物語。
 SFとミステリーを同居させた、なかなか変わった小説だが、成功しているように思う。一見、冷製で熱心な刑事であるパレスも、この状況下でということを加味して考えると、どこか狂気に侵されているようにも思えるあたりも、上手く設定を活かしている。この小説は、全部で三部作になっているらしく、物語の背後に見え隠れしている大きな謎は、やがて解明されてゆくのだろうか。本国では既に完結しているようだが、日本では次の「カウントダウン」までが刊行済。おそらくは三部作とも刊行されるだろうから、最後まで読んでゆきたいと思う。


 ところで、少し前からなのだけれど、Twitterとの連携を始めています。単に情報の収集が目的なので、今のところ、基本的にはTwitterには何も呟かないのだけれど、たまに気になる記事をリツィートしています。

二流小説家

2015年04月17日 | 読書録

「二流小説家」 デイヴィッド・ゴードン著 青木千鶴訳
ハヤカワ・ポケット・ミステリ 早川書房刊

を読む。

 長い間、海外ミステリはほとんど読まず嫌いで来ていた。何だかよくわからないけれども、全く読む気がしなかったのだ。もちろん一冊も読まなかったというわけではなくて、ミステリ要素のある小説なら普通に読んではいる。ただ、ミステリを全面に押し出した文庫や新書のシリーズにはなぜか手が伸びなかったというだけなのだ。なので、なんと、驚いたことに、ハヤカワ・ポケット・ミステリを読むのは、多分これが初めてだろうと思う。
 けれどもこれは、結構面白かった。作中の犯人の使ったトリック自体が特別優れているという訳でもないのだろうけれども、語りで読ませてくれる。村上春樹のファンには、結構相性のいい作家なのではないかと思った。
 主人公は、小説のタイトルにもあるように、SFからポルノまで何でも書くパルプフィクションのライターである(その主人公の書いたとされるパルプフィクションが作中でいくつか紹介されるのだが、このあたりはちょっとヴォネガット作品のキルゴア・トラウトを思い出させるものがある。この部分は、あまり本筋と関係がなさそうでいて、結構重要)。さて、本業の作家としては食うや食わずで、アルバイトの家庭教師でなんとかしのいでいるといった体の主人公、ハリーのもとに、すでに収監はされているものの、事件そのものはいまだ全貌が解明されていない、連続猟奇殺人事件の犯人から、自分の告白を本にしたいとおもうのだが、あんたに書いて欲しいという以来が舞い込む。話題性からしても、ベストセラーになることは最初から約束されている大きな仕事である。紆余曲折の末、ハリーはそれを受けることにする。ところがそれが、とんでもない罠だった……という物語。最初の方は、なんとなくほのぼのと読んでゆけるだけに、途中から一気にグロテスクさが顔を出すのは、なかなか鮮烈だった。ただ、もうひとりの犯人については、ちょっと納得がゆかないと思う。ネタバレになるから、さらりと書くけれども、血縁者がその役職はまずいでしょう。まあ、いずれはバレてもいいということなのかもしれないけれども……。このあたりは、ミステリとしてはいまいちという気がしなくもないけれども、全体としてはとても面白かったので、僕は読んで良かった。日本のミステリは最近よく読んでいるが、これからは海外ミステリにも手を伸ばしてゆこうと思った。
 ところで、もうひとつだけひっかかっているのは、あまりに唐突に挿入される、一番最後の部分。そのまま読めば、「実はこの小説には大きな仕掛けがあります」というような記述なのだが、じっくり読み込んでいたわけではないし、一読しただけではよくわからなかった。小説の最初で「自分は『信頼できない話し手』ではない」と念を押していたはずだけれど、さてこれはどういう意味なのだろう?再読すれば、わかるのだろうか?
 

 写真は、先週末の野川。川に沿って並木になっている枝垂れ桜が、綺麗に咲いていました。毎年、この時期の楽しみです。

翼を持つ少女 (BISビブリオバトル部)

2015年04月13日 | 読書録

「翼を持つ少女 (BISビブリオバトル部)」 山本弘著
東京創元社刊

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 最近耳にする機会が増えたビブリオバトルが題材になった青春小説。主人公の伏木空は熱烈なSFファンで(最近読んだ、ジョー・ウォルトンの「図書室の魔法」をちょっと思い出した)、なんでそんな知識があるっていうくらい、昔のSF業界の小ネタを知っている。他校から美心国際学園へと転入してきた彼女は、そこでビブリオバトル部の存在を知り、それぞれユニークな個性を持つ部員たちとともに、ビブリオバトルにはまってゆく、という物語。
 クライマックスは、ネット右翼的な思想を持った他校の生徒とのビブリオバトル。「と学会」の元会長らしく、様々な資料をもとにして主張が展開されており、説得力がある。若い人には読んでもらいたい部分だ。
 古いSFファンにとってはとてもシンパシーを感じる部分の多い小説で、伏木空の披露するSF小ネタも、「そうそう」という感じだから、とても楽しめた。けれども、これは小さな声で言いたいのだが、正直、ちょっとだけオッサン臭いかなという印象も受けないではなかった。若い人をSFファンに呼び込みたいという強い気持ちは感じるし、ぜひそうあってほしいとは思うのだけれど、もしかしたら今の若い人たちは、そんなノスタルジックなトリビア的裏話を聞いたところで、「はあ」という反応しかしないんじゃないかという気がしてしまう。「たんぽぽ娘」を出してくるあたりも、ちょっとあざといかなという感じもしたし、僕らのような古いSFファンにとっては同時代的な知識ではあることを、現代の女子高生が嬉しそうに語るというのはやや違和感を感じないでもなかった。まあだけど、それでSF小説を読む人が少しでも増えれば、結果的にはいいんでしょうけれど……これに食いついてくるのは、やっぱり古い昔ながらのSFファンじゃないのかなあ……。

パステル都市

2015年04月12日 | 読書録

「パステル都市」  M.ジョン・ハリスン著 大和田始訳
サンリオSF文庫 サンリオ刊

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 遙かな未来。ほとんどの知識は失われ、人々は放置されている過去の遺物を利用するのみになっており、一度壊れてしまったら、修理することさえできなくなっている。そうした、黄昏を迎えた世界を舞台にした、少し変わったヒロイック・ファンタジー。
 「風の谷のナウシカ」の元ネタにもなった一冊という噂もある作品で、巨神兵のこととか、まあそう言われればそう思えなくもないが、よくわからない。多分、ナウシカ公開当時、「これって、あれに似てるよね」といった文脈でSFファンが言い出したいくつかの作品のひとつなのだろうと思うのだが、まったく覚えていない。ナウシカといえば、「地球の長い午後」に似ているというのは、よく言われていたし、僕も初めて見たときにはそう思ったけれども。
 黄昏ゆく世界を舞台にしたファンタジーという設定は、ムアコックの「永遠のチャンピオン」シリーズの持つ儚さと通じる、魅力的なものだ(終わりゆく世界というものは、どうしてこんなに魅力的に映るのだろう)。もっとしっかりとキャラクターの作りこまれたものであったら、そしてもっと長ければ、おそらくはもっと人気を博したのではないかと思うけれども、いかんせんあっさりしすぎていて、盛り上がりに欠けており、惜しい作品となってしまった。悪くない作品ではあるが、これに近い設定の作品が氾濫している今の時代には、ことさら再評価されるものでもなさそう。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

2015年04月09日 | 読書録

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 村上春樹著
文藝春秋刊

を読む。

  なんだかんだ言って、村上春樹の本は、全部ではないけれども、かなり読んでいる。もっとも、「ねじまき鳥クロニクル」以降は図書館で見かけた時についでに借りるという程度なので、大抵は数年遅れになってはいるけれども。
 で、この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」だが、最近の大冊に比べると、薄めの一冊きりの本なので、随分と読みやすかったし、最初の方は、最近の村上春樹作品とはやや違うような気がして、今度は久々に期待ができるかもしれないとも思ったけれど、最後まで読んでしまうと、相変わらず真相は読者の想像に任せるといった感じで、やっぱりかと小さなため息が漏れた。エンターティメント性を重視したミステリーじゃないので、すべてがスッキリと解決される必要まではないんだろうけれども、こういう、エヴァンゲリオンみたいな思わせぶりな書き方は、もうそろそろいいんじゃないかな。
 投げっぱなしになっている謎はいくつもあるけれど、最も大きな謎はふたつだと思う。
 1つ目は、シロをレイプして妊娠させた人間と殺した人間は誰かということ。
 2つ目は、灰田が何者だったのか、そしてなぜ姿を消したのかということ。
 正直、どっちもよく分からない。人の名前に色の名前が入っているというのは、もしかしたらポール・オースターの「幽霊たち」あたりから持ってきたアイデアで、大した意味はないのかもしれないけれども、あまりに取っ掛かりがないので、仮にその色に意味があるのだと考えるとしたら、
 白という色彩は、ほんの少し別の色彩が入るだけでも、もともとの白という色彩は決定的に失われてしまうということ。どんな色にも染まりやすいということ。
 灰色という色は、白と黒を混ぜたものであるということ。
 というあたりが、すぐに思いつくことである。あるいはそこから拡大解釈して、想像を膨らませるなら、シロは、もしかしたら少し壊れていて、誰とでも結構簡単に寝る女になってしまっていたのかもしれないという可能性があるし(要するに、誰の子供なのかさえ分からないので、つくるに父親の役をなすりつけた)、灰田は、シロとクロを共に持っていて、夢の中でとはいえ、つくるの精液を受け止めたのだから、シロには何らかの形で(その死も含めて)接触した可能性があるということが、ぼんやりと思い浮かぶ。灰田の語る緑川の話に出てくる六本指の挿話も、その六本目の指こそが灰田であるという暗示なのかもしれない。だが、もちろんそれは一つの想像にすぎないから、どうもスッキリしない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。どうしてもそこから先には行きようがない。要するに、仮に推理小説としてなら、あまりにもヒントが乏しすぎてフェアではなく、そんなもの、作者にしかわかるわけがないのだ。
 僕にとって村上春樹は、デビュー作「風の歌を聴け」から「ノルウェイの森」までを一つのかたまりとして第一期、それから「ダンス・ダンス・ダンス」と「国境の南、太陽の西」を間奏曲のように挾み、「スプートニクの恋人」以降の作品が第二期という風につい考えてしまう。そして、僕が結構熱心に読んでたのは「国境の南」まで。「国境の南」は、それまでの作品とは多少毛色が違って、表面的にはかなり陳腐な、小説としては失敗作とさえ言えそうなストーリーの中に、何か上手くは言えない、切実さのようなものを感じた。一部では酷評された作品だったが、僕にはこの作品の味方になれると感じらるものがあった。ところが、おそらくは「国境の南」とさほど遠くない「スプートニク」には、初めて違和感を覚えた。僕はこの作品の味方にはなれそうにないと思った。内輪にしか通じないルールのもとで手品をしているような気がした。その二つの作品のあいだで、いったい何が変わってしまったのだろう?
 だがこれは、村上春樹の作品が変質してしまったというよりは、実は、その間に僕が父親になったというのが大きいように思う。子供を持ったことのない村上春樹は、「親」という読者を想定していない。僕はそう思う。親になった時点で、僕にはもう村上作品に浸る資格がなくなってしまった。なんだか、そんなふうに思えて仕方がない。