漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 



 以前、母サイト「seaside junk foods」でやっていたエッセイ「椰子の実の記憶」を、こちらで復活させようと思う。
 どういうものかといえば、何の事はなく、ただ「しりとり」で題を決めて、それについて書いてゆくというだけのライトエッセイである。特に斬新さはない。
 もちろん、しりとりだから、最後に「ん」がつかないようにする。最後が「ん」で終わる単語は、結構多いから、そこがなかなか大変ではある。だから、以前は面倒になってやめてしまった。そんな制約があるより、自由に書いたほうがいいなと思ったのだ。
 だが、実際に何かを書くとなると、ある程度の制約はあったほうがやりやすい。なんでもない言葉から、広がってゆく話題もある。そう思ったのが、今回復活させようと思った理由である。ブログという形式にも、合っているように思う。ちなみに、タイトルの「椰子の実の記憶」というのは、種を明かせば、僕が椰子好きだというのもあるし、「椰子の実」という歌に対する思い入れがあるというのもあるが、一方で、2chなどの掲示板では、人のことを「ヤシ」と呼ぶらしいをいうことを知ったせいもある。「ヤシのみの記憶」、つまり「自分だけの記憶」という意味を込めたわけだ。
 というわけで、カテゴリー「椰子の実の記憶」は、正確には「第二期・椰子の実の記憶」である。最初は、前回と同じく、「椰子の実の記憶」の「く」から。気が向けば更新する、といった程度の気負いだが、今度はいったいどこに流れ着くだろうか。

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 子供の頃、家には家庭用のぶらんこがあった。
 その頃は、田舎の家にはそうした家庭用のぶらんこのある家も少なくなかった。
 今ではどうなのだろう。
 田舎の方に行けば、今でもふと覗き込んだ庭先に、時々そうしたぶらんこを見かける。
 だが、その大半は、もう今では使う人もいなくなって放置されているぶらんこであるように思える。
 じっと見ていると、「いつかの子供の影」が、時々、ふと見えそうな気がする。

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 今日は、昼から御岳渓谷へ出かけました。
 時間がやや遅くなったのですが、山は色づいていました。 
 弁当の用意がなかったので、御岳駅の駅前のラーメン屋さんで、さっぱりとした手打ちのラーメンを食べ、向いの酒屋でビールとポテトチップを買い、その脇から渓谷へ降りました。
 渓流では、学生サークルだろうと思われる若い人たちが、カヌーの練習を熱心にやっていました。寒いだろうけれど、水と一体になっている姿は、ちょっと羨ましかった。ちょっとやってみたいな、と思いました。
 暫く、川を沢井の方にむかって歩き、釣り橋の掛かった、少し開けた場所で一休みしました。近くには、大きな岩が沢山ありましたが、所々で、ロッククライミングの練習をしている人たちがいました。この季節の御岳渓谷は、なかなかスポーツが盛んなようです。


こうして、扇のようになって、話をしている姿は、カラフルで、楽しそうでした。
帰りは、澤の井酒造に立ち寄りましたが、僕はビール以外の酒は殆ど飲まないので、土産に日本酒を買いました。妻は酒まんじゅうを食べてました。とてもおいしかった、とのことです。


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 昨日は、昭和記念公園へ行ってました。
 日曜日に信濃町の絵画館前に行ったときは、まだイチョウは青々としてましたが、こちらはもう綺麗に紅葉してました。

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 エスカレーターの幅は、普通のものよりも少し広くて、二メートルほどあったから、二人並んで立っていても、まだ余裕があった。手摺の側に、何も言わず、すっと女が立った。そして白く細い指を、添えるようにして手摺にかけた。私はエスカレーターの真中辺りに立った。手は所載なく、前で組み合わせた。
 エスカレーターは、止まる事も、スピードを変えることもなく、私達の身体を淡々と運んでゆく。十メートル毎に、柔らかく開く扉を通過するが、それ以外は安定していて、殆ど揺れる事もなかった。ただ、そうはいっても、次第に高い場所に上り詰めてゆくにつれ、やはり少しづつ怖くなってくる。何にも掴っていないと、自分が、余りにも無防備な気がしてくるのだ。振り返ると、もういけなかった。その高さに、くらくらとしてくる。いくら安全のための設備があるとはいっても、高さは、理屈ではなく怖い。ちょっとした弾みで、一番下まで転がり落ちてしまうのではないか、そんな気がしてきて、止める事ができなかった。それでも、私はやせがまんをして、じっとエスカレーターの真中辺りで、何にも掴まらずに立っていた。ふと女の方に目を遣ると、女はじっと前を見ていた。
 この女は、何を考えているのか、分かりかねるところが気味が悪い。私は思った。時々、じっと何かを見ている。多分何かを考えているのだろうが、何を考えているのか、けして教える事はない。以前、少し強く問い詰めるように聞いて見たことがあるが、女は「そういうときは、何も考えてないのよ」というばかりだった。
 不意に、カツンカツンという鋭い音がした。振り返ると、ぞっとするほど痩せた若い女が、真っ直ぐに上を見据えたまま、エスカレーターを上ってくる。身体にぴったりとした白いスーツを着たその女はヒールを履いていて、そのせいでこれだけ音が響くのだった。その女は、私に一瞥もくれることなく、私の脇をすり抜けて、真っ直ぐに上に向かって歩いていった。
 女が過ぎてしまうと、私は突然ぞっとした気分になって、すがるようにエスカレーターの手摺に掴まった。ずっと上の方から、カツンカツンという音がまだ聞こえていた。そして、その音に混じって、甲高い、男の声が聞こえた。私は思わず目を閉じた。そしてゆっくりと呼吸を数えた。一つ、二つ、と数えながら、呼吸の音を聞いていた。
 私は目を開いた。辺りはもう、すっかりと暗くなっていた。いや、完全に暗いというわけではなかった。残り香のような、微かな赤さが漂っていた。なんだか、音が上手く聞こえなかった。音が、すっと後ろの方に遠ざかりながら響いているような、そんな感じだった。私は振り返った。眼下に広がる夜の手前の時間の光景が、パノラマのように見えている。街はとても遠くに見えて、もう暗くなっている。だが、目を凝らせば、全てが暗いわけでなかった。一箇所だけ、奇妙に赤く場所があった。沈み込んで行く世界の中に咲いた、鮮烈な花のようだった。
 「火事かしら?」
 突然、女の声がした。はっとして、私は女の方を見た。女の姿は、暗い背景の中に、くっきりとした赤黒い影となって見えた。
 「あの辺りは、確かあなたの家庭がある辺りじゃないかしら」
 女は言った。
 私ははっとして、女を見た。
 しかし、女の姿は次第に暗い背景の中に曖昧になっていった。ただ、女の口の赤さだけが、長い間くっきりと見えていた。また、遠くから男の嬌声が細く聞こえた。その声は随分と長い間聞こえていたが、女の口が闇の中に見えなくなったのと同時に、すっと消えてしまった。

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 その《中央エスカレーター》は、最上階を除いては、どの階にも連絡していない。ただ真っ直ぐに最上階まで向かっていた。いや、正確には真っ直ぐではなく、十メートル毎に短い踊り場のような場所があって、そこには高さが一メートルほどの、一方向からしか開かない観音開きの扉が設置されていたが、ただしそれはあくまで転落事故が起こった時の用心のための設備であって、その場所もずっとエスカレーターから続いている動く歩道になっていたから、そこに止まるということはできなかった。そんなところに止まっていられたら、人が滞ってしまって、大変なことになるというわけだ。したがってこのエスカレーターは、一度乗ってしまったらもう、最上階まで大人しく行くしかなかった。つまりこのエスカレーターの役割は、本来の「人を一階上、あるいは下に運ぶ」というものではなく、限りなくアトラクションとしての、あるいはシンボルとしての、それだった。本来のエスカレーターとしての役割は、《中央エスカレーター》ではなく、他に幾つもあるエスカレーターが担っていた。
 「風の吹く場所」をイメージしてデザインされたというアプローチを進み、私達は「エスカレーター・タワー」の中へ入った。広い中央ホールの壁や床は、所々で、まるでオパールを埋め込んだかのように光っている。振り返ると、ビルの片側は全てガラス張りになっていて、《中央エスカレーター》に乗りながら、夜景を楽しめるようになっていた。
 今は、そこから焼けたような赤光が、流れ込んできている。壁といわず、中に人々といわず、赤く揺れる光で照らしている。まるでこのビルが今にも蒸発してしまいそうだ、と私は思った。そして、遥か昔、戦いで空が赤く染まった日は、例えばこんな感じだったのだろうかとも思った。
 どこからか、また男の嬌声が細く聞こえた。《中央エスカレーター》の上の方からだ。随分と声が細くなっている。もうあの集団は、随分上の方にいるようだ。そう思いながら上を見上げた私の腕に触れて、女は、「私達も行きましょう」と言った。私は頷いた。そして、二人で並んで《中央エスカレーター》に乗った。


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 火が空を焼き尽くしているかのようだ、と思った。それほどに赤い夕焼けが、空を覆っていた。
 私は思わず足を止めて、空を仰いだ。赤い光が、まるで液体か何かのように、ゆっくりと溶けて、ぽたりぽたりと滴っているようだ。秋の空は美しいが、こんなに凄まじい赤光に彩られた空を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。どんな記憶の中の赤い空にも勝って、今日の空は赤く、どこか禍禍しい。
 「ねえ、早く行きましょうよ」
 隣から、不意に腕を掴まれて、我に返った。私は隣の女を見た。こちらをじっと見詰めているのは、黒い髪が顔の輪郭に沿うように綺麗に整えられている、色の白い女だった。その白い皮膚が、空の色を映して、少し紅をさしたようになっている。女の目は、私の視線を、しっかりと捕らえようとしていた。
 「ああ、悪い。余りに空が赤いものだから、つい魅入ってしまった」私は言った。
 「本当に赤いわね」と彼女は言った。「もしかしたら、本当に空が焼けているのかもしれないわ」
 「空が?」
 「そう。いえ、もしかしたら、私達の周りでは、今まさに街がごうごうと焼けている最中で、その火の赤い色が、空に映っているのかも。だからいずれは私達も、その火に焼かれてしまうのかもしれないわ」
 そう言って、女は少し笑った。その笑いは、妙に私には印象に残った。
 不意にどこからか、妙に甲高い、男の嬌声が上がった。そして、その声に呼応するかのように、いくつもの声が続いて響いた。女にせかされて、また歩き始めようとしていた私は、その声にまた足を止めた。今のは、どうも日本人の声ではないな。私がそう思っていると、少し先の路地から、奇妙な格好をした人々が不意に飛び出してきた。まるで妖精か、妖怪のようだ。大半は外国人だが、中には日本人も混じっているようだ。どこかの仮装パーティから抜け出してきたのか。私は思ったが、そのすぐ後に、そうか、そういえば今日はハロウィーンだったと思い至った。なるほど、それで彼らは怪物の格好をして、今からパーティにでも出かけようというのだ。もしかしたら、あのテンションの高さだから、もう既にどこかでひと騒ぎやってきたのかもしれない。
 その奇妙な一群は、私たちの前をばたばたと通り過ぎてゆき、その先にある「エスカレーター・タワー」の中へ、踊るように滑り込んでいった。
 「エスカレーター・タワー」というのは、500メートルもの高さの、巨大なビルである。中には、店舗や住居がぎっしりと入っていて、そのビルだけで一つの都市ほどの規模になっている。名前の由来は、そのビルの一階から最上階まで真っ直ぐに伸びた、気の遠くなるほど長い《中央エスカレーター》から来ていた。

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クリスマス・ツリーの3作目。
今日は、久々に仕事が休みだったので、ようやく腰を落ち着けて描けました。
個人的には、結構気に入ってます。
明るい時間に描けると、やはりはかどりますね。


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昨日のアップ後、加筆しました。

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クリスマス・ツリーの二作目。
さっきまで描いてました。
まだ途中。
軽いスランプの只中。
一日が48時間あればいいのに。
ちょっと煮詰まってます。

でも、これはちょっと可愛い絵になったかな。


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 鎌倉の小町通から、少し路地に入った場所にあった建物。
 見事な外壁だが、どうやら取り壊されるようだ。

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 昨日は、ブログ「三浦半島デジカメ便り」のshuさんと、釈迦堂切り通しへ行ってきました(いや、連れまわしたというべきでしょうか?)。shuさん、ありがとう。お疲れさまでした。
 釈迦堂切り通しは、なかなか分かりにくいところにあって、いつものように迷いながら、なんとか辿り付くことが出来ました。実物を目にすると、なかなかの迫力です。

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 夏目漱石の「夢十夜」が、11人の監督の競作として、映画化されるという。
 「一体なぜ?」という気もするが、自分も含めて、それだけこの作品を好きだという人が多いということか。
 ところで、ちょっと気になるのは、第六夜のこと。運慶の出てくる話である。松尾スズキ氏が監督だということだが、どうやらこの中で、主人公が「キター」だとか「萌えー」だとか、叫びながら仏像を彫っているらしい。意図がわからないでもないが、別に「現代のサブカルチャー文化に対する警鐘」のような話にすることもなかったのではないかと思うのだが、どうだろう。

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「彼方なる歌に耳を澄ませよ」
アリステア・マクラウド著

 18世紀末にスコットランドからカナダへ渡った移民、キャラム・ルーアの子孫の物語。語り手は、キャラム・ルーアから6世代後の裕福な歯科医である。物語は、その主人公がアルコール中毒で死を待つばかりの兄を訪ねるところから始まる。
 しかし、幾つのエピソードを重ねて語られてゆくこの小説のあらすじを書くことは、あまり意味がなさそうだ。この物語の核となるのは、惨めな死を迎えつつある兄の姿に、「ハイランダー」としての「歴史の流れ」と「誇り」を見るという点だろう。個人的には、この作家は短編作家だという気がするが、この唯一の長編は、確かに、ふくよかな本であると思う。

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 先日、妻が新宿の某所に、ジャズのフリー・セッションに行ったときの話。
 ただし、僕が行ったわけではないので、聞いた話です。

 ジャズのセッションと言っても、楽器が決められているわけではないので、いろいろな楽器を持ち込む人がいるという。例えば三味線とか、さらに、なんと尺八などで参加した人もいたらしい(これはさすがに、他の人はやり辛そうだったらしい)。
 で、先日は、なんとタップダンスで参加したという人がいたそうだ。
 ドラムとベースの音に、タップの音が絡んでくるそうだが、妻が見ていたのはタップダンサーの足元までは見えない場所だったらしく、「こっちから観ていると、異様な動きをする人がいるようにしか見えなかった」そうだ。
 

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