「アムネジア」 稲生平太郎著 角川書店刊
を読む。
稲生平太郎は、英文学者の横山茂雄さんが小説を書くときに使う筆名である。また、バラードの「残虐行為展覧会」を翻訳した際には、法水金太郎の筆名を使ったこともある。作家としては非常に寡作で、これまでに長編が二つあるだけである。これは、そのうちの一つ。ちなみに、もうひとつは「アクアリウムの夜」という作品だが、ぼくはまだ読んだことがない。
「アムネジア」のあらすじは、以下のようなもの。
大阪の小さな出版社に務める主人公は、新聞の片隅に乗っていた、ちいさな記事が心から離れなくなってしまう。それは、ひとりの老人が路上で死んだというだけの記事である。ただひとつ、不思議なことは、その老人は、戸籍上はもうずっと以前に死んでいたという事実だった。なぜかその事件が気になり、調べはじめた主人公は、小さな新聞社の記者と知り合う。そして、死んだ老人は怪しげな発明家であり、それが闇金融の世界、さらには第二次大戦の地下金融とつながっていたということを知る。だがそうして事件を追っているうちに、主人公自身の存在が揺らいでゆく……
わかりやすい小説ではない。一度読んだだけだと、「あれ、何か大切なことを読み飛ばしてしまったのかもしれない」と不安になる。だからといって、再読したからといって、きちんと理解できるわけでもなさそうだ。
わかるのは、永久機関を発明しようとする者たちと、金融の世界に蠢く一攫千金を狙う人々が、どちらも実はある意味でオカルト的な狂信によって突き動かされているという点で接点があるということ。主人公が、作中の数人の人物とある意味で存在を共有しているらしいということ。その程度である。あと、しいて言えば、作中に登場する奇妙な記号が、もしかしたら「本」という漢字なんじゃないかなと思ったということか。そのあたりから、何らかの説明はできそうな気もするが、正解を探す物語でもないだろうから、それもひとつの解釈にしかならないに違いない
を読む。
稲生平太郎は、英文学者の横山茂雄さんが小説を書くときに使う筆名である。また、バラードの「残虐行為展覧会」を翻訳した際には、法水金太郎の筆名を使ったこともある。作家としては非常に寡作で、これまでに長編が二つあるだけである。これは、そのうちの一つ。ちなみに、もうひとつは「アクアリウムの夜」という作品だが、ぼくはまだ読んだことがない。
「アムネジア」のあらすじは、以下のようなもの。
大阪の小さな出版社に務める主人公は、新聞の片隅に乗っていた、ちいさな記事が心から離れなくなってしまう。それは、ひとりの老人が路上で死んだというだけの記事である。ただひとつ、不思議なことは、その老人は、戸籍上はもうずっと以前に死んでいたという事実だった。なぜかその事件が気になり、調べはじめた主人公は、小さな新聞社の記者と知り合う。そして、死んだ老人は怪しげな発明家であり、それが闇金融の世界、さらには第二次大戦の地下金融とつながっていたということを知る。だがそうして事件を追っているうちに、主人公自身の存在が揺らいでゆく……
わかりやすい小説ではない。一度読んだだけだと、「あれ、何か大切なことを読み飛ばしてしまったのかもしれない」と不安になる。だからといって、再読したからといって、きちんと理解できるわけでもなさそうだ。
わかるのは、永久機関を発明しようとする者たちと、金融の世界に蠢く一攫千金を狙う人々が、どちらも実はある意味でオカルト的な狂信によって突き動かされているという点で接点があるということ。主人公が、作中の数人の人物とある意味で存在を共有しているらしいということ。その程度である。あと、しいて言えば、作中に登場する奇妙な記号が、もしかしたら「本」という漢字なんじゃないかなと思ったということか。そのあたりから、何らかの説明はできそうな気もするが、正解を探す物語でもないだろうから、それもひとつの解釈にしかならないに違いない