漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

リライト

2012年09月27日 | 読書録

「リライト」 法条遙著
ハヤカワSFシリーズ Jコレクション 早川書房刊

を読む。

 タイムリープとタイムパラドックスを扱ったライトノベル。作中にでてくる重要なアイテムが、「時を翔ける少女」という小説であることからわかるように、筒井康隆の「時をかける少女」へのオマージュとしての側面もある。
 過去は変えてはならない。変えようとする試みは、必ず妨害される。それでも変えることに成功したら、過去は上書き(リライト)されてしまう。それがこの物語の世界観であり、そのアイデアを中心に据えて、叙述トリックが使用されている。
 アイデア自体は悪くないのだろうが、ともかく軽くて、仕掛けや動機にもかなり無理があるというのが読後の感想。SFというよりは、本格推理小説に近いのではないだろうかと思った。
 
 この作品以外にも、何冊かライトノベルを読んだが、どの作品にも感想らしい感想はない。さすがに、そろそろライトノベルももういいかな、と思った。


猫のゆりかご・・・序文(9)

2012年09月23日 | 猫のゆりかご

 「ぼくは研究を続けてる」彼は言った。「その時から。八ヶ月のあいだずっと」
 「猫の協力のもとで?それとも、猫は協力者というよりは、素材なのかしら?」
 「まず第一に、彼らは情報源だよ。ぼくは民話を、あるいは伝統的な歌や踊りを、収集しているという立場にある。ぼくは彼らを警戒させないように気をつけて、素材となるものを手に入れなければならない。猫は用心深いからね。調査のために近づいてくることを、彼らは嫌うんだ。でも、猫が人間よりずっといい点がひとつある。猫は民話作家になったり、作家になったりはしないということさ」
 「それで、誰があなたの一番の情報源なの?」
 「圧倒的に、ミセス・オトォワデイだね。彼女は幅広いレパートリーを持っているし、バージョンとしてもいちばんいい。彼女は無尽蔵だよ」
 「シャナヒー(訳注:アイルランド語で、歴史や物語などを語る吟遊詩人のこと)ね」
 「そして母親だ。これは、ぼくたちが出会ってから三番目に生まれた同腹の子供だ。わかってると思うが、これらの物語は、単なる芸術としての作品ではないんだ。読み聞かせ用の童話であり、教育なんだ。ソビエト・ロシア(いい国だし、好きだよ)の文学委員会が猫よりも文学の社会的機構について明白な概念を持つことができる、なんてことはないんだよ。ちょうどソビエトの小市民の子供たちがマルシャーク(訳注:ロシアの詩人・児童文学作家であるサムイル・マルシャークのことか?)とか、あるいは内燃機関についての簡単な歴史を教えられて育つように、それからついでに言うなら、この国の一世紀前の帝国主義的なキリスト教徒の子供たちが、『リトル・ヘンリーとその召使い』(訳注:1814年に発表された、メアリ・マーサ・シャーウッドの児童文学)を読むことで、いかに支配下にある人種をうまく管理するかを習ったように、子猫たちは母猫のしてくれる物語を学ぶことで、猫としての心構えについての訓練を受けるんだ。ミルクが流れるのとともに、物語も流れるんだよ。もちろん、それは特に驚くようなことじゃない。小枝を剪定し、木の形を整える。そのようなやり方で子供を躾ければ、子供はすくすくと育ち、それからも道を踏み外すことはないだろうからね。だが、注目すべきことは」彼はペーパーナイフを振りながら、大きな声を出した。「その物語の普遍性と同一性だよ。気難しいネコ科の記憶は、ノーフォクに住むオトォワデイと、シャム(訳注:タイの旧称)からやって来たハルの、完全なテキストを保存することで可能になった。ぼくの持っている物語の中には、五つもの別のバージョンがあるものもある。ぼくは速記を使って書き留め、照合してみた。ほとんど違いはなかったよ。
 「新聞に投書があった」彼は続けた。「猫の驚異的な記憶力についてね。閉めきったバスケットの中に入れてランズエンドからジョン・オ・ゴーツまで連れて行かれた猫がいたんだが、六ヶ月後、ふたたびランズエンドに戻ってきたということだった。すると他の新聞に、暇な奴が、本能のなせる業だと、くだらないことを書き立てた。本能、本能か!ばかばかしい!記憶なのさ。細かくて、途切れることのない、自分たちの力できちんと保った、完全な記憶だよ」
 「だけど、どんな物語なの?あなたの言う、教育的な物語って。寓話みたいなものかしら?ミセス・オトォワデイは、たぶん、イソップのことを憶えているわね」
 「まあ、どうしたってイソップのことが頭に浮かぶだろうね。だがその一方で、これらの物語がどこにでもある道徳的寓話や、ありきたりな環境保護論者のプロパガンダと同じようなものであると、早計に考えたりしたりはしないで貰いたいね」

"The Cat's Cradle-Book"  
Written by Sylvia Townsend Warner
(シルヴィア・タウンゼンド・ウォーナー)
Translated by shigeyuki




猫のゆりかご・・・序文(8)

2012年09月15日 | 猫のゆりかご

 「ぼくは帰郷の途中でバシリッサに出会い、彼女と一緒にここに落ち着いた。それから一週間ほどは、ぼくらはここでふたりきりでいた。雨が続いていたから、ぼくはせっせと自分の本を整理して過ごし、余り出歩かなかった。そうしたある夜のことだ。ぼくはネズミを撃とうと思い、家を出た。そしてゴミの山の近くに寝そべって、ネズミがやってくるのを待っていたところ、チュッという甲高い声が聞こえた。どうやらネズミが一匹、他のハンターに仕留められたらしいと思った。それから、ぼくは彼女を目にした――ミセス・オトォワデイは――どう見てもずた袋にしか見えなかったが、腹ばいになってコソコソと逃げ出しながら、自分の仕留めた獲物を引いていた。彼女は古い家畜小屋の中にさっと飛び込み、ぼくは彼女の仔猫たちの鳴き声を耳にした。
 「銃声で彼女たちを怖がらせたくはなかった。銃を撃つ代わりに、ぼくはゴミの山の側で寝そべったまま、樹々を眺め、露が下りてくるのを肌に感じながら、時折どんぐりが落ちる音を聞いていた。そうしているうちに、ぼくはウトウトとしていたらしい。なぜなら、ハルがそこに座って、ぼくに『ハーミットと虎』の物語をしてくれているような気がしたからだ。またどんぐりが落ちた。そしてぼくは、そこにハルはいないということを知った。だが物語はそこでまだ続いていた。物語は、豚舎の中で続いていたんだ。
 「それはまったく同じ物語だった。物語の細部も、表現も――さらには言葉遣いまで同じだった。その言い回しは、ハルの芸術的才能の素晴らしい開花のように思われた言葉の使い方だった。そう、ここノーフォークの空いた豚舎の中で、貧相で読み書きもできないトラ猫が、自分の子供たちに、ぼくがアンカラで愛しいシャム猫の口から初めて聞かされたインディアンの人生の物語を、繰り返していたんだ。
 「何もかもが腑に落ちた。ハルが最初にしてくれた『ドブレフェル山地の猫』の説話は、叔母が古代スカンジナビア人のデーセント作の童話として話して聞かせてくれたから、子供の頃から馴染みのある物語だった。そして下手くそなブブ版の「青髭のむすめ」。『ケンタウロス』、そして『キツネの法王』についての、バシリッサのとりとめのないおしゃべり。そしてハルの、物語についての彼女自身の言葉は、子猫が自分の母親がしてくれる物語から学んだものだった。すべての物語の断片が、ぼくの目の前でキラキラと輝き、そして水銀のように互いに融け合って、静かに横たわっていた。
 「ぼくは自分自身に対して、今という時間の中でのみ生きるという誓いを立てていた。刹那のためだけに。心の奥底から、未来を失って生きるのがどれほど味気ないものであるかを分かっていなかったのなら、それほどまでに強い誓いを立てるべきではなかったのだ。ぼくの未来は決まった。猫の文化的遺産を学ぶことに身を捧げるべきなのだ。


テンペスト

2012年09月11日 | 読書録

「テンペスト」 (上・下) 池上永一著
角川グループパブリッシング 刊

を読む。

 ドラマ化、映画化、舞台化もされた、琉球王朝末期を舞台にした歴史小説。とはいっても、歴史小説ではあるのだけれど、史実の枠組みの中に「どう考えてもありえない物語」を放り込んでいるので、いわゆる大河歴史小説だと思って読むと、唖然として読み通せないかもしれない。司馬遼太郎というよりも、むしろ山田風太郎だと思って、その突拍子のなさを楽しみながら読む方がいい。同じ作者の「シャングリ・ラ」は途中でやめてしまったけれども、これはぼくはとても面白かったし、これだけの分量の、ひたすら波乱万丈な小説を読みきると、さすがにラストでは感無量な感じを味わえた。


猫のゆりかご・・・序文(7)

2012年09月08日 | 猫のゆりかご

 「『あと二、三日だけ我慢すれば』とぼくは自分に言い聞かせた。そうして二日後、彼女は唐突に穏やかになり、塞ぎこんで、恥じ入っていた。ぼくには、その時彼女が死にかけていたのがわからなかった。彼女は咳をし始め、毛並みはゴワゴワになり、素敵な白檀の香りは消えて、熱病の匂いを発し始めた。譫妄状態の中で、彼女はぼくたちが共に過ごした日々を忘れて、海軍武官のところに戻ったのだと信じていた。海軍武官の金のモールを奪取する計画をボソボソと呟いたのが、彼女が最後に遺した言葉だった。
 「彼女が死んだのは、欲情が叶えられなかったストレスによるものなのか、それともぼくが彼女の頭の上からぶっかけた水差しの水のせいなのかは、わからない。どちらにせよ、彼女が死んだのは、ぼくのせいだ」
 わたしにはかけるべき言葉が思いつかなかった。しばらくして、彼は言った。「夕食を食べてゆくといい」
 わたしは(承諾の言葉が率直で謙虚に聞こえていることを願いつつ)喜んでごちそうになります、と答えた。
 「愛は」と彼は続けた。「人を感じ易くするが、愚鈍にもする。人の思いやりの力は、まるで懐中電灯の光のように、愛する者にだけしか焦点が合わないんだ。その限られた範囲の向こうは、何処とも知れぬ暗闇だ。ぼくがその完璧な見本だよ。それは単に、ぼくがハルを愛していたとき、どこまでも愚かで、大使館員の一員としては使い物にならなくなっていたということを言いたいわけじゃない。そんなことは言うまでもないことだ。そうじゃなくて、ぼくはハルを愛していたのに、彼女が気を遣ってくれている時でさえ、愚かだったんだ。ぼくは彼女が精神的にも物質的にも高度な文化を持っていたことを知っている。だが彼女が示した精神的文化と物質的文明について、あれこれと思いを巡らせることはもう決してない。彼女はハルであり、ぼくのシャム猫だった。他の猫たちなら、いくらでもいた。上手くとりあうために媚をへつらうことを喜びとする、頭のよい動物たちだ。彼女の死後(彼女の記憶を、感傷的に貞節を守るということで無意味なものにしたりはしないと決心していたので)、ぼくは他の猫を手に入れた――去勢した雄の、可愛い野良猫だ。ぼくは彼が、性を奪われているのだから、仔猫のように、ちゃんと品のよい考えかたをしてきたにちがいないと思った――だが、ぼくの手元に届くまでには、彼は完全に堕落していた。ある日、彼もまたぼくに物語を語り始めた。そして彼の物語は、ハルのしてくれた物語の一つとまったく同じだった――その物語は、彼女が「青髭のむすめ」と呼んだ物語だったんだ。どういう結論を導き出せばいいのだ?――彼はそれを彼女から習ったに違いない。ぼくは食い入るように彼の言葉に耳を傾けた。想いはみんな、失ったばかりのぼくのシェへラザートに向かって流れていった。彼がその夜にいなくなったのも、無理はないな。
 「一方で、ぼくはますます自分の仕事に愛想を尽かすようになってきていた――そして海軍武官は『彼女の可愛い仔猫ちゃんを盗んだ』ことで、決してぼくを許さなかった――彼女はネチネチと意地悪をしてきたよ。あらゆることがとても不愉快になり、内向的になったぼくは仕事をさぼり、テニスをする気にもなれなかった。やがて大使館の中には、ぼくがテリア犬でも飼った方がいいんじゃないのかという、道徳的な含みを持った空気が流れるようになった。そしてついには、頭の固い役人から非難を受けた。キャリアを捨てたところで、生活してゆくのには十分だと思ったぼくは、きっぱりと辞任をして、イギリスに戻った。そしてこの家を見つけ、気に入ったんで、借りることにしたんだ。

"The Cat's Cradle-Book"  
Written by Sylvia Townsend Warner
(シルヴィア・タウンゼンド・ウォーナー)
Translated by shigeyuki

 


ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~

2012年09月05日 | 読書録

 

「ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~」  三上延著
メディアワークス文庫 アスキー・メディアワークス刊

を読む。
 
 鎌倉にあるという設定のビブリア古書堂。そのシリーズの第三弾。取り上げられる作品は、SFファンならニヤリとするであろう、ヤングの「たんぽぽ娘」など。今作では、次巻以降で主人公の栞子の最大のライバル(あるいは乗り越えなければならない壁)となるであろう、実の母親の存在がはっきりと浮かび上がってきている。古書をめぐる薀蓄などはそれほどないので、そうした面を期待して読むと肩透かしを食らうかもしれないが、本をめぐる物語というだけでも、本好きのぼくには楽しめた。
 ところで、一作目にも出てきたアンナ・カヴァンの「ジュリアとバズーカ」(サンリオSF文庫)だが、この三作目にもタイトルがでてきた。カヴァンは「氷」が再刊され、近く「アサイラム・ピース」が出るという予定もあるらしいが、どうせならこのシリーズの人気にあやかって、「ジュリアとバズーカ」も再刊してくれないだろうかと思う。カヴァンは、それだけ持っていない(読むだけなら、図書館で借りて読んだ)のだが、今でさえ古書値がとんでもないことになっているし、この作品のせいでさらに値が釣り上がりそうなので。ただ、サンリオ文庫のあのカバーも捨てがたくて、もし出ても値崩れした(希望的観測)サンリオ文庫版を入手しようとするかもしれないけれども。



「青の炎」 貴志祐介著
角川文庫 角川書店刊

 を読む。
 一人の頭の良い男子高校生が、家族を守るために一人の男を完全犯罪によって殺害することを企み、その一時的な成功がさらなる殺人を引き起こすという物語。視点は常に殺人を行う高校生にあり、謎解きのミステリーではなく、その自らの正義を過信する傲慢さによる破滅という物語になっている。最後まで読み終えたとき、「もしあそこでこうだったら」と、いくつもの「引き返せたかもしれない地点」のことを考えてしまう。登場人物たちは、誰もが「起こるかもしれない最悪の事態」にそれぞれが想像の中で怯え、それがこの物語の着地点を生み出してしまうのだ。
 奇しくも、これも舞台が鎌倉から湘南にかけて。



 ところで、国書刊行会が三十周年ということで、記念復刊を行った。「悪の誘惑」や「放浪者メルモス」といった作品が復刊され、待ち望んでいた人も多いかもしれない。特に「悪の誘惑」は、ぼくがこれまで読んだ本の中でも印象に残る本の上位にある作品だし、入手もこれまでは相当に困難だったので、気になる方は、この機会を逃すのはもったいないと思う。
 それはいいのだが、今回の復刊でも(過去の復刊でもそうだった)思ったのは、せっかく新装版を出すのだから、組版を変えて欲しかったということだ。特に「メルモス」なんて、ちゃんともっと読みやすいように組み直したら、本は三分のニ以下の厚さで済むはず。無駄に場所をとるし、段替えのときの一字下げもないままで、読みにくいこと甚だしい。幻想文学体系は、あの装丁があったからそれでも許せたけれども、今回はちょっとそれでは納得できない。そう思った人は多いんじゃないかと思う。


猫のゆりかご・・・序文(6)

2012年09月03日 | 猫のゆりかご

 「それからというもの、彼女はぼくと一緒に住むようになった。おのずから、そのことについてはかなり色々と言われた――大使館員はゴシップが大好きなのでね。そして海軍武官夫人は大騒ぎを起こし、彼女を取り戻そうとした。だが、ハルに骨に届くくらい深く引っ掻かれた上に、コーヒーサービスを壊された挙句、夫人は何をやっても無駄だと悟り、譲歩したよ。
 「それまで不幸せだったぼくの人生が、ようやく好転し、はちきれんばかりの喜びと楽しみで満たされたんだ。ぼくは馬鹿なんでね、数週間後に熱をこじらせてしまったが、ハルが献身的にしてくれたから、闘病は楽しいものになった。彼女はぼくの胸の上に寝転んで、ぼくの唇からブランズのチキンエキス(訳注:Brand's社から出ているチキンエキス。滋養強壮に効くサプリメントのようなもの)を舐めていた。回復期の退屈な長い時間を過ごしていたある日の午後、彼女は、ひとつお話をしてあげようか、と言った。それは、『ドブレフエル山地の猫』という、スカンジナビアの民話だった。ぼくは彼女に、どこでそれを習ったのかと尋ねた。ぼくの好奇心をおもしろがって、優しくからかうように、これは仔猫ならみんなお母さんから教わる物語のひとつなのよ、と答えた。
 「彼女は純粋でクラシカルな説話の、優れた語り部だった。言葉を尽くしすぎるとはなく、一部を誇張することもなかった。まるで彼女がペローに口述筆記をさせていたかのようだった。彼女にお願いして、日々ぼくは猫についての知識の引き出しを増やしていった。そして知識が増えるにつれて、適切な言葉を選び出す彼女の表現の才に新たなる美を見出した。
  「一ヶ月が過ぎ、ぼくたちは苦悩の中に落ちた。彼女に盛りがついたのだ。彼女はひっきりなしに恋の歌を唄い、屋根も吹き飛ばさんばかりだった。彼女の操る言葉は、全てが淫らでエロティックなものに染め上げられた。彼女は不機嫌になり、見るもぶざまな姿を晒し、ぼくの持っている本を台無しにして、パジャマを破いた。食事を拒み、シーダーの木片から作った餌皿以外のあらゆる場所にそそうをした。ぼくは、それがごく自然なことであるかのように、彼女と同じような悪行をした。ぼくは彼女を外に出すことを拒み、彼女のことを、ぼくが口に出せる限りの、卑猥な名前で呼んだ。彼女を叩き、頭上で水差しをひっくり返した。びしょ濡れになって震えながら、彼女はぼくの腕の中に横たわり、真っ赤な瞳でぼくの首の血管を見つめながら、あたしを離してと懇願することと、自分の欲情に応えることのできないぼくをなじることを、交互に繰り返した。

"The Cat's Cradle-Book"  
Written by Sylvia Townsend Warner
(シルヴィア・タウンゼンド・ウォーナー)
Translated by shigeyuki


ふわふわの泉

2012年09月01日 | 読書録

「ふわふわの泉」 野尻抱介著
ファミ通文庫 エンターブレイン刊

を読む。

 星雲賞受賞作だが、長く絶版状態で、幻の一冊としてプレミアがついていたが、最近ハヤカワ文庫から復刊された。加筆などがあるのかどうかは、知らない。ぼくが読んだのは、ファミ通文庫版。面白かった。
 科学好きの女子高校生が偶然発見した、ダイヤモンドよりも硬度があって、空気よりも軽い物質「ふわふわ」がひらく未来のテクノロジーを描いた小説。立派なハードSFであると同時に、どこか「ふわふわ」としたライトノベルでもある。
 ライトノベルを、どういうわけだか「読まなければいけない」気がして、ここしばらくでかなりまとめて読んだが、ほとんどはやっぱりあまり面白いとは言えないものばかりで、半分くらいは読み通せなかった。だけどこれはハードSFの入門書として悪くないと思った。
 それにしても、ライトノベルというジャンルは、本当に不思議なジャンルだと思う。ちょっと呆れるくらい突拍子もないアイデアやテンポ感を持っている作品も多いというのに、ステレオタイプな「萌え」というものを優先しすぎるばかりに台無しにしてしまっていることも少なくない。才能があると感じることは、結構あるというのに、なんだかもったいないなあ、読みながらそんなことをよく考えてしまう。もっとも、作者にそんなことを言っても、「萌え」を描きたいからこそアイデアを振り絞っているんだと一蹴されてしまうかもしれない。だけど、このライトノベルという一見すると「ゴミの山」のようなジャンル、あるいはこのジャンルに含まれる作家の中には、何か「可能性の卵」のようなものが潜んでいそうな気がして、しかたがない。