漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 



「月は地獄だ!」
ジョン・W・キャンベル 著 矢野 徹 訳
ハヤカワ文庫SF 早川書房刊

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 「キャンベル賞」というSF賞に名前を残しており、作家としてよりも、むしろ編集者としての方が有名なキャンベルだが、これは、「遊星からの物体X」の原作である「影が行く」と並ぶ、「作家キャンベル」の代表作。1951年作。
 二年間の月での任務を終えようとしている月世界探検隊だったが、帰還用の宇宙船が着陸に失敗したことで、帰ることが不可能になる。しかし、次の船を待つにせよ、食料などの蓄えは既に底を尽きかけている。手持ちの材料と、科学的知識を総動員し、果たして、クルーたちはこの難局を乗り切ることができるだろうか……という内容。人間ドラマとしてのテンターテイメント性よりも、サイエンスの可能性に重点を置いた、バリバリのハードSF。
 現在、「オデッセイ」のタイトルで映画が公開中の作品「火星の人」は、いわばこの作品をアップデイトした上で、舞台を火星に移した作品と言っても良さそう。「火星の人」は面白い作品だったが、この「月は地獄だ!」も、そのシンプルな内容のせいだろうか、65年も前(!)に書かれたにしては、今読んでもさほど古くささを感じることなく、十分に愉しめた。


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「鹿の王」(上・下) 上橋菜穂子著 角川書店刊

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 国際アンデルセン賞を受賞したこともある、日本を代表するファンタジー作家による、2015年度本屋大賞受賞作。日本医療小説大賞、という、ちょっと特殊な賞も受賞している。
 国家と民族という問題に、黒狼熱という疫病を絡めたストーリー。ハイ・ファンタジーだが、テーマは重い。つまり、細菌兵器を使った少数民族によるテロリズムということだが、舞台が中世的なものだから、もちろんやや呪術的な迷信が信じられている。主人公は、その伝染性の病のワクチンを作ることに情熱を燃やす青年ホッサルと、その病に対する抗体を持つ、「常に死に損ない続けている男」ヴァン。皮肉なことに、既に自分を半ば死者であると考えているヴァンは、様々な民族の人々によって、それぞれの思惑から、必要とされている。タイトルの「鹿の王」というのは、ヴァンの民族によって名付けられた、鹿の群れが襲われた際に、たった一匹だけその場で踊って見せて、その襲撃者と対峙してみせる鹿のことを指す。つまり自分を犠牲にして群れを逃がす役割を持つ鹿のことだが、往々にしてそれは、かつては群れの中で力を持っていたが、現在では最盛期よりはやや力を失っている牡が担当する。物語を通じて、ヴァンはまさにそういう役割を背負わされているわけだが、彼は鹿の王を、決して英雄などではなく、なまじ力がまだ残っているせいで自らを過信し、そうせざるを得ない悲しい業を持つ生物だと言う。
 児童文学作家の小説だから、もちろん完全に大人向けの小説だというわけではない。だが、小学校の高学年以上の人なら、どの年代の人でも、面白く読めるはず。ぼくは、実はハイ・ファンタジーはそれほど得意ではないのだが、これは一気に読めた。時代設定に比してホッサルらの医学的知識が進みすぎてるような気がしないでもないが、日本のハイ・ファンタジー小説の中では、最も優れた作品のひとつではないかと思う。善悪の二元論ではない、様々な立場の正義が交差する、奥行きのあるこの作品は、ぜひ小学校の高学年の子どもたちに読んでもらいたいと思った。


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