漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

砂浜の猫

2006年07月31日 | 

 砂浜の木陰に座って、昼食を食べてたら、一匹の子猫がすぐ後ろの草叢から顔を出しました。
 持っていたのは、「わさびいなり」とたらこのおにぎりだけ。
 試しに「わさびいなり」を半分ほどやると、きれいに食べてしまいました。
 辛くないのか?
 あとで、たらこおにぎりも半分ほどやりました。 
 日曜日の僕の昼食は、子猫と分け合うことになりました。

つぶやき岩の秘密

2006年07月30日 | 三浦半島・湘南逍遥
 
 今日は三浦半島の三戸浜へ。
 日がな一日、泳いで過ごした。
 今日見た一番の大物は、ネコザメ(の子供・・・)。

 写真は、ドラマ「つぶやき岩の秘密」に出てきた、つぶやき岩の洞窟。
 この周辺には、ドラマの跡がそちこちにある。

 実は、ついこの前、念願の「つぶやき岩の秘密」を観ることが出来た。
 ツタヤは入荷してくれなかったので、観たければ買うしかないかと思っていたのだが、思いがけずふらりと入った隣駅の古いレンタルビデオショップで発見(この店には、他にもちょっと見かけないような昔の映画のビデオが大量にあった)。小躍りして、借りてきた。
 ドラマは、実はさほど期待はしていなかったのだが、思いのほかよく出来ていて、楽しめた。石川セリの歌も、よい味をだしている。現地を知っている身だから、余計に楽しめたのかもしれない。

科学の祭典

2006年07月29日 | 雑記
青少年のための科学の祭典 2006年全国大会

に出掛けました。
 会場は、北の丸公園の科学技術館。

 どういうものかというと、「身近なものを使って、科学を愉しむ」ことをコンセプトに、全国の学校などから集まったグループがそれぞれブースを出して、来場者に科学を愉しんでもらうために工夫を凝らした実験や工作を提供するものです。それほど高度な科学知識を必要とするものではないので、誰でも気軽に楽しめるものとなっています。
 出典しているブースには、中高の生徒もアシスタントとして多数参加していて、来場者には勿論、そうした理系の学生にとってもよい刺激になるのではないかと思います。
 
 ブースはたくさんあって、全て見ることは難しいのですが、今回娘が体験したのは、「ペットボトルを使ったガリレオ式望遠鏡の作成」、「線香花火の作成」、「光の三原色の実験キットの作成」、「フィルムケースと蛍光灯を使った、ピンホールカメラ実験」、「立体月齢早見盤の作成」、その他もろもろです。

 子供を中心に、かなりの混雑で、人気のあるブースはすぐに人でいっぱいになります。どうやら、ここでやったものを、そのまま学校の夏休みの自由研究として提出しようとしているようです。なかなか、ちゃっかりしています。

 帰りには、九段会館の屋上ビアガーデンで一息つきました。

ノーザンライツ

2006年07月26日 | 読書録
「ノーザンライツ」
星野道夫著 新潮文庫

読了。

 様々な人が「よい本」として挙げている一冊で、昔から名前は知っていたが、ずっと読まないで来ていた。理由は色々あるだろうが、そもそも最初にこの本のタイトルを知ったのが、僕があまり好きではない作家経由だったというのが大きい(そういうことって、ありますよね)。星野氏が神格化され過ぎていたのも、僕がこの本を手に取り辛かった理由の一つだと思う。
 だが、先日ラジオで星野氏の没後十週年ということを知り、また、そのとき番組にゲストとして出演していた石川直樹氏が、星野道夫氏のことを語っていたのを聞いて、ふと興味を持って、この本を買った。
 読了して、たった一言だけ感想を言うなら、「よい本だ」ということに尽きる。眼差しは優しく、文章はとても美しい。
 この本の中で語られているのは、単なる自然賛歌ではない。
 この本と同じように、自分のアイデンティテイを求める若者たちのバイブルとなった本は幾つも存在している。例えば藤原新也の「印度放浪」、沢木耕太郎の「深夜特急」、海外ではケルアックの「路上」など。無数にある。けれども、この本はそれらとはまた違う。上手く言えないのだが、ビートニクやヒッピームーブメントを巻き起こしたそれらの本とは、殆ど対極にあるような気がする。

お知らせ

2006年07月25日 | 雑記
 アクセスありがとうございます。
 
 実は、これまで僕が利用していたフリーメールが、今月いっぱいでサービス停止ということで、メールアドレスを変更せざるを得なくなりました。
 これまでの
 
 shigeyuki★j-wave.net

から、

 shigekujira★mail.goo.ne.jp

 に、とりあえず変更します。
(スパム防止のため、@を★に変えて載せています。メールを送る際には、★を@に変えて、送ってください)

 これはウェッブメールなので、もしかしたら、また変更もあるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。

shigeyuki

鳳明館 森川別館

2006年07月23日 | 記憶の扉


 関西出身の僕の、中学校の時の修学旅行先は東京だった。皇居だとか国会だとか東京タワーだとか、そんな場所をぐるりと巡った。だが、不思議な疲れを覚えただけで、実際、それほど印象に残らない旅行だった。関西は、東京に比べれば確かに街としては小さいかもしれないが、そうはいっても一応、日本で有数の都会。都会から都会へ出ても、実際に暮らすというのでもなければ、さほどの印象に残るはずもない。旅行は、旅館からバスでどんどん移動に次ぐ移動といったものだった。僕はバスの中で友達のにきびを潰して遊んでいた。
 それはそうとして、その時僕らが泊まった旅館のことが、じつはずっと何となく気になっていた。確か、本郷にある「なんとか別館」とかいう古い旅館だったということは覚えていたのだが、はっきりとした名前は思い出せない。ともかく、東京という大都会に来たというのに、宿泊先はものすごく古くて雰囲気のある旅館で、建物の中がやたらと複雑だった。
 あれはどこだったのだろう。時々思い出して、気にはなっていたのだが、それまでで、ずっと捜さず二十年近く東京で暮らしていた。
 それを、今朝思い出して、ネットで調べてみた。調べてみると、すぐに分かった。「鳳明館」という旅館の「森川別館」という別館のようだ。どうせ海にゆく天気でもないし、ちょっと捜しに行ってみることにした。
 上がその写真。東大のすぐ近くにある。
 記憶にあるよりずっと古びていて(二十数年経っているのだから、なおさらだろう)、小さく感じた。でも、間違いない、ここだ。懐かしいが、感無量とか、そんなものは特にない。だが、この雰囲気は、今こそもう一度泊まってみたい気もする。ついでに、本館のほうにも足を伸ばした。「台町別館」というのも本館のすぐ前にあって、そこには「フランス柔道会」と「イタリア柔道会」の御一行様が、同時に宿泊しているようだった。この前のサッカーのことで、館内戦争になっていなければいいのだけれど。
 ところで、「森川別館」の前には、驚くべき建物がある。


 「本郷館」という、明治38年に建てられたアパートだ。木造三階建てで、現役という、すごいアパート。様々な文人を見守ってきたのだろう。
 ただし、内部は見学禁止。おっかない管理人さんが、写真を撮ろうとするだけで、注意しに来たりします。


オリヴァー・ツイスト

2006年07月22日 | 映画
 先日、ポランスキー監督の「オリヴァー・ツイスト」をDVDで観た。面白かったけれども、これは映画として優れているというよりも、きっと、原作がよく出来ているのだろうと思った。
 実は、はディケンズの小説は、「クリスマス・キャロル」以外には読んだ事がない。小説のお手本のような作家だという印象で、読んでみるとよいのだろうと思うのだが、なかなか手を伸ばせないままだ。そのうちに何かを読んでみたいと思う。
 しかし、毎日毎日雨が続く。今年はまだ二回しか海で泳いでいない。しかも、その二回とも、海の透明度は最悪で、スキンダイビングを愉しむどころではなかった。こう毎日雨が続くと、例えばバラードの「沈んだ世界」とか、しりあがり寿の「方舟」とかを思い出す。そろそろ「からっ」とした夏空を見たい。

七枚綴りの絵/五枚目の絵/金鱗の人魚・最終回

2006年07月21日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
私は力強くそう言ったが、それは精一杯の虚勢だった。何せ、私自身が不安になり始めていたのだから。だが、それを表に出すわけには行かない。こういう時こそ、踏ん張り時だ。私はそう自分に言い聞かせ、自分の分の飯を口に運んだ。やがて陽が山の向こうに落ち、辺りに藍色の宵がやって来た。……それから数日が過ぎた。ゆっくりだが、着実に間合いを詰めた我々が、沼の東端に辿り着くまでには、もう幾日もかからないだろう。丸太の浮島に掴まって、東の方を見詰めながら、私は茫然としていた。ここまで来てしまっては、私の虚勢も覇気を失ってしまう。そのことを認めざるをえなかった。ここ数日の二人の様子は、目に見えて不機嫌だった。口数も減り、気がつくと、時々二人が私を憎々しげに睨んでいることがある。私はその視線には気が付かない振りをしたり、ふと「何だ」と言ってみたりする。しかし分かっていた。もう猶予はほとんどない。せっせと手を動かしながら、私は考えた。今日か、明日か。いずれにせよ、何か手を打たなければいけないだろう。まだ全てが無駄骨だったと決まったわけではないが、どちらに転んでも、手を打っておいて損はない。ここまでくれば、もし一人で捜さなければならなくなったとしても、知れている。二人が手を組む前に、手を打つべきだろう。何としても、先手をだ。そこまで考えた時、自分はこのことに全てを賭け、注ぎ込んでいるのだから、失敗したならもうどうにもならないのだと気が付いて可笑しくなったが、そうは言ってもやはり自分が雇った二人にどうにかされるのは悔しく、受け入れられなかった。数奇な運命だかなんだか知らないが、最後の最後までそんなものに支配されてたまるものかと思った。それで、心が決まった。私は水中銃を構えながら、沼の中ほど目指して泳いだ。そして、大男が浮き上がってくるのを待ち、水面に頭が現れた瞬間を狙って、引き金を引いた。シャフトは真っ直ぐに大男のこめかみを貫いた。男は奇妙な声を上げて、すぐに絶命した。残るのは小男のみだ。私が大男を殺した事は、あと数秒もすれば分かるだろう。私は急いで岸に向かって泳いだ。小男も水中銃を持っているから、気をつけなければならなかった。小男はすぐに浮かび上がってきて、全てを悟ったが、その時には私は既に小男の水中銃の射程距離の圏外にいた。今度は小男の方が慌てる番だった。反対の岸に慌てて向かおうとして泳いでいた。逃がしてしまうのは明らかにまずいわけだったが、私にはもう、そのときには彼をどうしようという気持ちもなくなっていた。いずれにせよ、これで終りなのだ。金鱗の人魚に託した希望も、潰えてしまったのだ。そう思った。水漬しのじくじくとした草叢にしゃがみ込み、私はずっと動けずに、向こうに見えている広葉樹の黒々とした影を眺めていた。樹々の濡れたような影の上に、熟れたオレンジの皮のような空が見える。その色彩は、次第に赤さを増して、辺りを包み込もうとしていた。私は立ち上がった。失ったものは、失ってしまったままで、還ってくることはない。容易く生まれた無責任な希望は、実態を持たないままに消えてしまう。だから金鱗の人魚など、そもそも存在するはずもない。それは、人の心が生み出す、蜃気楼のようなものなのだ。そう思うことで、私はどこか救われる気がした。余りにも力を落としていたから、それ以上悪い気分にはなりようもなかった。いずれにしても、金もない上に、人も一人殺した私には、救いもない。私はゆっくりと歩き出した。でも、何処へ向かおう?答えは何処にもなかった。向かう場所など、いまさらどこにもなかったからだ。その時、ふと水の音を聞いて私は振り返った。樹々の黒い影の向こうに、広い沼が赤く見える。全てが一体に溶けて行くような景色。だが次の瞬間、私が見たのは、その沼の上に、赤い光の中でさえ鮮やかな金鱗の輝きが翻り、束の間揺れて、また水の中に消える光景だった。

七枚綴りの絵/五枚目の絵/金鱗の人魚・2

2006年07月19日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
おお、それなら間違いねえな。この話を持ちかけたとき、二人は揃って、感心したようにそう言ったのだ。だからこそ、只に近い賃金で、こうして働く事に同意してくれた。沼をさらいながら捕らえる鮒の、美味いとは言えない食事にも納得してくれているのだ。だからこそ、なんとしても人魚を捕らえなければならない。それは二人の労力に報いるためというより、私の身のためである。これでもし全てが無駄な作業であったとなれば、二人の怒りの矛先が私に向くのは確実であるからだ。私は抱えている水中銃を確かめた。確かめながら、いや、間違いなどあるはずは無いと自分に言い聞かせた。ただ、それにしても不安なのは、これだけ沼をさらっていても、三人とも一度たりとも人魚が跳ねるところを見たことはないし、それどころか気配さえ感じたことがないことだ。我々は既に、沼を半ば以上捜して来ているのだ。二人はさすがに、いくらか疑心暗鬼になりかかっている。用心深いから今まで生き延びてきたのだと説き伏せ、何とか納得させてはいるが、この調子が続くなら、いつ爆発しないとも限らない。用心はしておくに越した事はないだろうと私は心にとめた。その矢先、私に続いて浮かび上がってきた小男が、池の向こう端から私を見つけ、怒鳴った。幾ら捜しても見つからねえな。本当にこの沼に人魚なんているのか?私は怒鳴り返した。当たり前だ。この目で見たんだ。この両方の目で、しっかりとな。疑うのか?嘘を言って何の得になる?これが失敗したら、すっからかんの無一文になってしまうんだぞ。嘘なんか言うわけがないだろう!小男は答えた。分かった、分かった、そりゃそうだなあ。何の得にもならんもんなあ。でもなあ、俺はもっと早くに見つかると思ってたんだよ。私は答えた。私だってそう思っていたよ。こんなに苦労するなんて考えてなかった。でもまあ、それだけの奴だって言う事だろうな。なんといっても、これまで一度も捕らえられたことはないんだから。私は絡まってくる水草を引き抜いて、投げながら叫んだ。全く、こいつらのせいで作業がはかどらなくて困る。水草は、緑色の水面をしなるように打った。そこから、波紋が広がる。私のいらだちを見ることで、ひとまず小男は黙った。私は空を見上げた。陽が傾き、辺りはそろそろ翳り始めている。時間はまだ宵には遠いが、この沼は場所が場所だけに、暗くなるのが早い。今日はこれまでにしようと私は言った。そして水底の重石をしっかりと固定し、網の破損を確かめた後、陸地に引き上げ、テントに戻った。テントに戻って一服し、それから飯を炊いて、鮒を焼いた。また鮒かよ、と大男が呟いた。いい加減に飽きたな。臭くて不味いしな。それを聞いて、私は言った。飯が食えるだけでもいいだろう。それに、そのうち人魚を首尾よく捕まえることが出来たら、毎日がご馳走で飽きるほどだ。そうなったら、きっとこんな臭い飯も懐かしくなるってもんだろ。そうありたいもんだな。小男が言った。まあ、だが、俺は飯は何でもいいや。上等な食いもんは食べ慣れてないしな。それよりもっと欲しいもんは、いくらもあるぜ。小男は笑った。大男も、それに合わせて笑った。まあ、そのためには人魚を捕まえるのが先決って訳だ。私は言った。人魚を捕まえるのは一人じゃ無理だし、二人でも無理だ。三人は必要だ。私は二人の顔を代わる代わる見た。まあ、力を合わせて頑張ろうぜ。何と言っても、この方法は、絶対に間違いないんだからな。

七枚綴りの絵/五枚目の絵/金鱗の人魚・1

2006年07月18日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 金の鱗を持つ人魚を捕らえれば、どれほどの富を手に入れることが出来るか知れない。不老不死の妙薬として名高い人魚の肉を手に入れるためなら、懐を叩いても惜しくないという人は多いだろう。それが金鱗の人魚となれば、さらに値が乗るのは自明だ。それにその肉だけではない。金鱗の人魚のその鱗は、一枚一枚がどんな宝石よりも美しく、また、その丈夫さはどんな金属にも勝ると聞いている。聞くところによると、それはかつて西方にあって、今は海中に没した島の中だけで知られていた、不思議な金属にも似ているという。だから、金鱗の人魚は、失われたその島からやってきた生き物だと言う人もいるらしい。沼に浮かべた、丸太を組んで作った浮島に掴まり、息を整えながら、私はそんなことを考えていた。そして少し緑めいた色彩の水面をあらためて見渡した。周囲三キロメートルほどの、瓢箪型をした沼である。沼には、湖面に向かって、鬱蒼とした樹々が覆い被さり、陰気で神秘的な雰囲気を醸している。この沼のどこかにいるはずなのだ。金鱗の人魚が。これまでに、何人もの人がその跳ねる姿を見たと聞くし、実際に私も、ほんの一瞬ではあるが、そのシルエットだけは見た。だから間違いないはずだ。そう自分に言い聞かせながら、私はその時のことを反芻した。半年前のあの日、噂はやはりただの噂だったのだと、すっかり諦めて立ち去ろうとした時のことだ。気配を感じてふと振り返った時、夕日を背にして、シルエットで、金色にちらりと光る人魚が大きく水面から跳ねるのを見た。ほんの一瞬だが、あれは間違いない。諦めてすごすごと立ち去ろうとする私をあざ笑うかのようだった。あの時の人魚の翻る姿と、そのざらついた鈍い金色の色彩はどうしても忘れ難い。魔物の哄笑のように、私の脳裏に焼きついて、離れない。人魚は果てしなく不死に近い存在だと聞く。あれから随分経つが、まだ人魚が捕らえられたという話も聞かないから、きっとまだこの沼のどこかにいるはずなのだ。どこかにいて、きっと私を遣り過ごそうとしているに違いない。そう思うと、どこか悔しいような気がしてきて、何としても捕らえずには済ませないという気持ちが押さえられない。人魚を手に入れたい。いや、本心を言えば、富を手に入れたい、溢れるほどの富に浸かってみたいのだ。これまで、貧しいばかりにどれほどの悔しい思いをしてきたか、分からないほどだ。幸せな子供時代なんて夢物語のようだった。そこから這い上がるほどの才覚もなく、かつてようやく手に入れた家庭も、子供も、貧しさが全て奪い去ってしまった。その悔しさ全てが、一匹の人魚を手に入れることで一息に消滅してしまうかもしれない。そう思うと、体の中から、希望のようなものが沸き起こってくるような気がしてくる。私は命綱を確かめて、また浮島から離れた。そして、肩から襷に掛けた水中銃をしっかりと抱え、沼の中に体を沈めた。水の中の透明度は低く、視界は一メートルか、せいぜい二メートルほどしかない。普通に考えるなら、偶然の助けでもない限り、これでは人魚を水中で探すことなど不可能に近い。それならいっそ網でも投げ入れては、とも思うが、沼には一面に沈水植物が生い茂っていて、とてもじゃないが網を投げ入れることなど出来なかった。とはいえ、決して小さな沼ではないから、一人で出鱈目に捜していても見つかるというものものでもないのも確かだ。三月ほど前までは、それでも運を頼りにひとりで頑張っていたが、とても不可能だと観念した。それで、人を二人、雇った。信用できるかどうか、それはわからないが、ともかく目先に大きな儲け話がぶら下がっているのだから、当面は頼ることができるだろう。私は彼らと組んで、三人で沼の端から順に、沼をさらって行くつもりだった。考え方としては単純だ。まず沼の最東端の両岸に杭を打ち、そこに巨大な網の端をそれぞれ掛ける。網の幅はこの沼の一番長い部分に合わせてあるし、その長さも、前もって確かめてあるこの沼の深さを悠に超えるくらいはある。網の目は、目的が人魚だけだから相当荒いが、余計な重量や水の抵抗を少なくするという意味でも、費用という面でも、そうするしかなかった。そうだ、これでも財産をはたいたのだ!我々はこの網を、少しづつ東から西へ移動させながら、人魚を東の端へ追い込んで行く。単純な作戦とはいえ、確実なのではないか?とはいえ、この沼は水草が多いから、それは一筋縄ではゆかない。水草を掻き分けたり、網が切れたところを繕ったりと、三人が順に水中で作業しながら、細心の注意を払って、少しづつ網を先へ進めてゆくしかないのだ。うんざりするほど根気の要る作業だが、確実な作戦だと思えば、それも全く気にならないというものだ。私は水底に辿り着くと、網の底にくくりつけた重石を抱え、少しづつ前に進み、また水底にしっかりと下ろした。そして再び水面に浮かび上がり、今度は別の場所の重石を抱え、また前に進めた。一度の潜水で一つの石を運ぶことの出来る距離は、せいぜい一メートルほど。もちろん石は一つではないから、全体を一メートル進めるためには、三人という人数がいても、何度も潜る必要がある。さらに、少し進むと今度は陸の杭を移動させなければならない。実際、効率がよいとは言えない作業だ。だが、私には他に手は思いつかなかったし、例え効率が悪いにしても、これ以上確実な方法はないように思えた。私が話を持ちかけた二人にしても、その点では異論はないようだった。

シド・バレット

2006年07月12日 | 音楽のはなし
 シド・バレットが亡くなったという訃報が届きました。
 僕はプログレが苦手なので、それほどシド・バレットのことは詳しくないのですが、昔から、僕の周りにいたミュージシャンには絶大な人気がありました。アルバムも持っていますが、いつ聞いても、彼の音楽はそのどこか狂った感じが、人を居心地の悪い気持ちにさせます。でもその辺りが確かに魅力ではありました。