漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 

愛国  


 「共謀罪」の新設がとりあえず見送られたということ。 
 
 最近、気のせいか「愛国」が煽られている気がする。
 教育基本法の改正案がそうだし、今のベストセラーの「国家の品格」もそうだろう。胡散臭いこと、この上もない。
 だいたい、国が「愛国」を叫ぶときには、碌な事がない。日本は、国民性のせいか、特にそうだ。明治から第二次大戦に至る流れを思わせる。よく言われることだが、日本人は、蟻に似たところがある。個人の力よりも、集団の力が強い。そして、蟻は時として、象をも倒す。
 外国に行く機会が増えると、自分が日本人であることを否応なく自覚する。そして「自分が日本人である」ということからしか、次に進めないことが分かる。だから日本を大事に思う気持ちはあるし、サッカーで日本が勝つと嬉しいし、自分が日本人であることにアイデンティティを感じる部分もあるのだが、だからといって、日本人がことさら優れた民族であるとも思わない。よい部分もあるし、悪い部分もある。その程度にしか思っていない。
 
 こういう話は、あちらこちらでせっせとやっているだろうし、だから僕としてはここで論議を進めるつもりはないのだが、僕は少なくとも娘に「愛国」を教えるつもりはない。日本には、外国には無い素晴らしい文化があるが、外国にもやはり、日本にはない素晴らしい文化がある。そのように、当たり前のことを教えたい。

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 子供の頃、悪いことをすると、よく蔵に閉じ込められた。
 大抵は、夜だった。
 蔵は、母屋から細い路地を抜けた庭にあった。灯りのない庭には、納屋が二つと蔵が一つ面していた。
 納屋には扉もなく、農具などが収納されていた。蔵は中で二つに分かれていて、その片方には、みかんの収穫の時などには、一面にみかんが敷き詰められた。残りの片方には、古い箪笥などが、雑然と収納されていた。
 夜、母親に叱られ、それでも大人しく寝ないでいると、抱きかかえられて、蔵に連れて行かれた。泣き叫び、梁にしがみついたが、所詮幼い子供の力だ。否応なく運ばれた。細い路地には、細い溝があり、饐えた匂いがしていた。虫の声もしたし、土の香りもした。それから、勿論月の光があった。運ばれていた時は、必死に抵抗していたのだが、今思い出すと、そうしたことがいちいち思い出せる。
 蔵に放り込まれ、必死で出ようとする体をまた奥に戻され、鍵を掛けられた。蔵の中は、その瞬間から別の世界に変わった。蔵の中には、何か恐ろしいものがいる気配がした。ごめんなさい、ごめんなさい、もうしませんと叫んでも、なかなか扉を開けてはくれない。服はパジャマで、足は素足。足の裏に、砂の乾いた感触がする。蔵のなかは、玉葱のような匂いがしていた。
 大抵は、蔵に閉じ込められていたのは、五分から十分くらいのものだっただろう。だが、叫びつかれて片隅に蹲っていると、それが何時間にも感じたものだった。最後には、ようやく出してもらえるのだが、母の背に負われて家に戻ると、まず最初にすることは、玄関先で足を濡れたタオルで拭くことだった。
 時々思い出す。
 しばらく蔵に閉じ込められていてようやく開放された時、暗闇に慣れた目には、庭が、月の光で青白く見えていた。その光景のことを。
 夜の色彩を、僕は、あの頃に覚え始めたのかもしれない。

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 「不運な女」
 リチャード・ブローティガン著


を読んだ。図書館から借りてきた本。

 これは一体何なのだろう。とても感傷的で、寂しい本。内容は、殆どない。ちょっと呟いて、あとはもごもごと口篭もってしまう。タイトルにもなっている「不運な女」は、登場するのだが、その不運について語られることがない。語るのも面倒になっている作者の口から、束の間語られ、うやむやになってゆく。文体は、かつての村上春樹を思わせる。かつての村上春樹はブローティガンを思わせたのだが、ここでは逆転しているように感じる。
 この作品が日の目を見るまで、最後の作品だとされていた「ハンバーガー殺人事件」(酷い邦題だ)は、白日の下で戸惑っているような作品だったが、まだこちらに留まっていた。だが、「不運な女」は、致命的なほど崩壊していて、もはや塵に還るしかない記念碑のようだ。息絶える前の、痙攣するパルスのようだ。
 本は、斜め読みに近い読み方をした。その崩壊の速度に、歩調を合わせることが出来なかったからだ。
 この作品は、ブローティガンの砕けた破片であるように思った。好きにはなれない。だが、こういう作品があったことは、頭の隅に残るだろう。

 

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 前回、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)について書いた。
 それで、ふと思い出して、本棚から一冊の漫画を取り出して、再読した。

『坊っちゃん』の時代
原作/関川夏央 漫画/谷口ジロー


がその本。

 この本の中に、ラフカディオ・ハーンが少し出てくる。とても寂しげなハーンの姿で、印象的だ。

 この本を初めて読んだのは、今からもう20年近く前。高校の時、友人が貸してくれた。稲垣足穂などを知った頃で、明治から昭和初期に至る、「ハイカラ」という言葉の似合う時代に惹かれていた。この漫画も、そうした流れて読んだ。
 だが、それから時間が経って、今この作品を読むときに感じるのは、明治という日本が急速に西洋化していった時代の「歪み」だ。そしてその次に、この時代に生まれた歪みは、今に至るまで、歪んだままだと考える。作品の最後の方で、『坊っちゃん』を執筆しながら漱石が呟く「所詮、『坊っちゃん』は勝てんのだ。時代というものに敗北するのだ」「それでも、坊っちゃんは勝てんのだ」という言葉は重い。
 
 この漫画は、全部で五部に分かれている。第一部の主人公が漱石、第二部が鷗外、第三部が啄木、第四部が秋水で、最後にまた漱石に戻る。だが、僕が読んだ事のあるのは、その最初の作品のみ。今回再読して、いろいろと感じるところがあったので、残りも読んでみようと思う。

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 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品は、ずっと読まないで来てしまっていたということを、以前に少し書いた。改めて読んでみて、その面白さに、これまで読まずに来てしまったことが惜しかったと。
 その後、ハーンのことは、改めて読んでみようと思いつづけている。手元には、講談社学術文庫版の「日本の心」と「明治日本の面影」がある。本棚に、なぜかあったものだ。まだ読んでいないが、面白そうだ。
 
 小泉八雲は、1850年、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。本名はパトリック・ラフカディオ・ハーンという。両親は結婚してダブリンに住むようになったが、まもなく父が単身で他国に赴任したため、一人で故郷を離れた地で幼い息子を育てることになった母は、寂しさのために心を病み、幼いパトリックを大叔母に預け、ギリシャに帰ってしまう。その後は、フランス、アメリカなど、各地を点々とする運命に弄ばれて、最後には日本へ。そして一生を終えた。詳しい経歴は、ウィキペディアの小泉八雲の項目を。

 写真は、新宿区大久保にある、小泉八雲記念公園。
 街中に、ぽつりとある、ちいさな公園だ。
 あまり考えずに撮った写真なので、よくわからなくて、申し訳ないが、ギリシャ風の庭園を意識して作られているようだ。だが、残念ながら、庭園というには余りにも安っぽい雰囲気が漂っている。
 この公園がある場所は、コリアタウンとも言えるような場所。街にはハングル文字が日本語よりも目立ち、公園にいる人々の間には韓国語が飛び交う。
 生涯、異国の地を漂流する運命にあったハーンの、終の住処がこのあたりにあった。
 ハーンの生涯を思い、今のこの地を見渡すと、あまりにも相応しいような気がする。

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 今日、いつも聞いているJ-WAVEの番組BOOM TOWNに、宇宙飛行士の野口聡一さんがゲストで出ていました。
 短い時間でしたが、興味深い話をいろいろと聞けて、楽しかった。
 例えば、宇宙でお酒は飲めるのか、という質問に
 「例えば車を運転する時にお酒を飲んではいけないでしょう。宇宙ではいつ緊急の事態になって、活動しなければいけなくなるかわからないので、”おおっぴらには”飲めないことになっています」
 とか、
 宇宙に匂いはあるのですか、という質問に、
 「宇宙は真空なので、匂いは無いはずなんですが、船外活動をして帰ってくると、皆が『独特の匂いがする』と言います。温度差が大きいので、そのあたりに秘密があるのかもしれません」
 とか、
 宇宙に行く時に、目覚まし代わりに使われていた曲が、サッチモの「素晴らしき世界」だったとか
 たとえばそんな話を、いろいろと。

 僕の妻は、野口さんのような方を見ると、「宇宙飛行士は怖くないのだろうか」と言う。僕はそれに、「多分、多少は怖い事は怖いのだろうけれど、それ以前に、彼/彼女らは、宇宙に行きたくてその仕事を選んだのだから、怖さよりも行きたいという気持ちが勝るんだろう」と答える。多分間違っていないのだろうけれど、実際のところ、どのように考えているのだろう。もし自分がその立場だったら?僕はきっと行くだろうと思う。

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 比較的最近の、気になった宇宙の話を二つ。

★ 巨大な二重らせん星雲 銀河系中心近くで発見
 【ワシントン14日共同】2本のひもが緩く絡み合ったような「二重らせん」状の星雲が、地球を含む銀河系の中心近くで見つかった。米カリフォルニア大ロサンゼルス校などのチームが米航空宇宙局(NASA)の赤外線宇宙望遠鏡で観測し、15日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
 星雲には渦巻きやもやもやした塊のような形状が多く、今回のような二重らせんの発見は極めて珍しいという。
 星雲は、観測された部分だけで約80光年の長さがあり、銀河系の中心にある巨大ブラックホールから、約300光年しか離れていなかった。地球は中心から2万5000光年余りの距離にある。


 3月16日の共同通信のニュース。
 二重らせんの形をした星雲が宇宙にあるなんて、「宇宙は誰かの体の中」という、昔からあるSFのアイデアのようで、面白いですね。ちなみに、画像はこちらに。

次。

★ 欧州南天天文台(ESO)は、海王星並みの質量しかない三つの惑星が回っている惑星系を太陽系外で発見したと、18日付の英科学誌ネイチャーに発表した。最も外側の惑星には生物が生息できる環境が整っている可能性があるという。 惑星は地球から41光年離れ、太陽よりわずかに質量が少ないHD69830と呼ばれる恒星の周りを回っている。ヨーロッパの研究者チームが南米・チリにあるESOの高性能望遠鏡を使い、2年以上観測を続けて発見した。 三つは、いずれも地球の10~18倍の質量と見積もられた。最も外側の惑星は岩と氷ででき、質量の大きいガスで包まれていると見られ、生物がいる条件である液体の水が存在する可能性があるという。 ESOは「地球型惑星だとはいえない。質量が大きすぎる」と慎重な姿勢を見せているが、「今回の発見が新たな可能性を切り開くことになるだろう」としている。 太陽系外の惑星は数多く見つかっているが、多くは質量が地球の300倍以上ある木星並みに大きく、主にガスでできていると見られている。しかし、近年の
観測設備の高度化によって質量が小さい系外惑星が見つかるようになり、生命が存在する可能性がある地球型惑星の発見への期待が高まっている。


 長い間、太陽系外の惑星系は、太陽系の姿が惑星の自然な並び方だという思い込みのせいで見つからなかったが、近年、ふとしたきっかけでその思い込みが間違いだと分かり、そうしたらぞろぞろと見つかるようになったと聞いた。この発見も、その延長線上にある。 最近カール・セーガンの「コンタクト」を観た話を書いたのだが、こうなると、ますます宇宙に生命体が見つかる時が近づいているような気がして、楽しみになる。今回見つかった惑星には、なんと、水が液体の状態で存在する可能性さえあるというのだから。しかも、地球から41光年しか離れていない(それでも、十分遠いけれど)。というわけで、ニュースの紹介でした。

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 今日は天気が良かったので、京急で三浦へ。
 三戸浜から「つぶやき岩」のある海岸へ向かう。
 「つぶやき岩」は、以前shuさんに教えてもらったドラマ「つぶやき岩の秘密」の舞台となった場所。ただし、僕はまだドラマは見れていない。
 まだ泳ぐには早い時期で、全体に人が少なかったが、「つぶやき岩海岸」には真夏でも殆ど人はいないので、ほぼ貸切り状態。
 だらだらしていたので、写真も殆ど撮っていない。数枚は撮ったのだけれど、使えそうもないものばかり。アメフラシで遊んでいる写真とか、そんなのばかり。なので、写真はなし。以前に撮ったものなら結構あるのだけれど。遊びに出ると、いつも、つい写真を撮るのを忘れてしまう。
 「つぶやき岩の秘密」には、洞窟が出てくるようだけれど、その洞窟に、青い色の鳥が巣を作っているようで、盛んに出入りしていました。

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 最近、70年代の「ちょっと微妙なもの」に、妙に惹かれて困る。
 先日書いた天知茂の江戸川乱歩ものも、70年代に作られたものとそれ以降のものではまるで印象が違い、僕が面白いと思うのは70年代に作られたもの。
 別に、僕の中で70年代リバイバルが起こっているというわけでもないのだろうとは思うのだが、よくわからない。

 それで、この前、ツタヤの半額セールで、新入荷の棚に「妖怪人間ベム」のDVDが並んでいるのを見つけて、懐かしさから、つい借りてみた。
 これが、面白い。
 考えてみれば、当時、僕はこのアニメが怖くて、オープニングがものすごく印象に残っているのだけれど、殆どみていなかった。だから、新鮮だった。
 まだ二巻目に差し掛かったところだけれど(全部で6巻のようだ)、名作と呼ばれる海外の怪談からかなりネタを拝借しているようだ。例えばレファニュとか。それだけに、なかなか良く出来ていると思う。子供の頃怖かったのも頷ける。

 そう、調べてみると、今現在、新作が作られて、放映されているようだ。
 これは見れないけれど、興味がある。DVDになることがあったら、見てみたい。

 
 

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 なんだか、寂しい話になりました。この話は、もう止しましょう。
 
 今、私が泊まっているのは、坂道の途中にあって、見晴らしのよいゲストハウスです。長期で滞在するには、ゲストハウスを週決めで借りる方が安くあがるのです。ビザの関係で、定期的に出国しなければいけないのですが、大家さんと仲がよいので、出国中もずっと部屋は空けておいてくれます。だから、今ではもう、この部屋がすっかり私の家のように感じています。いえ、そういう言い方をするなら、この島がもう私の町のように感じています。どこに美味しいパンが売っているのかも知っていますし、どこに行けば一番午後の風が心地よいのかも知っています。
 暖かい午前中には、私は私は港まで散歩します。そして、漁師のおじさんと話をしながら、海の中を時々覗き込むことが日課です。たったそれだけのことが、私にはとても大切に感じるのです。
 
 随分長い手紙になってしまいました。ここまでにしましょう。もう筆を置きます。そしてこの手紙を封筒に入れ、港まで行きます。今日は少し遅くなったから、港にはもう誰もいないかもしれません。それでもかまいません。海を覗いて、それから郵便局へ寄って、この手紙を投函します。
 それではまたお便りします。体には気をつけてください。
 
************

 私は手紙を丁寧に三つに折りたたんで、封筒に滑り込ませた。そして、オリーブの葉を一枚、そっと折れないように気をつけながら、その中に入れた。封をしようかどうか少し迷ったが、結局はしないまま、その表に丁寧に宛先と宛名を書いた。書いてしまうと、私はその手紙をテーブルの上に放り出して、ぼんやりとアパートの前の通りを見ていた。時間は朝の九時過ぎだった。もう早いとはいえない時間だ。太陽はちくちくとした新鮮さで、辺りを照らし出していた。向こうの家の、窓に飾られている花がとても鮮やかに見えた。

 「私は一通の手紙を受け取った。その書き出しは、こうだ。『お久しぶりです。突然の手紙で驚いたでしょうか?それとも怒っているでしょうか……』」
 最初、私はそのように始めるつもりだった。今、目の前にある手紙。その手紙を差し出した恋人を追って、一人で旅に出た。そしてここまでやってきた。そのように始めるつもりだった。語り手は私ではなく、私を追う恋人である。だがそれらは全て偽りで、やがて追うものが追われるものとなる、そのような文学的なレトリックを考えていた。
 しかし、こうしてこの場所で手紙を手にしていると、もうそんな文学的なレトリックはどうでも良くなっている自分に気付く。レトリックは必要ない。目の前にある手紙は、私自身が書いたもので、一度も投函されたことはない。私が私のために書いた手紙であり、誰に送るつもりのものでもない。
 私は既に癒されているのかと思った。今は朝で、心地よい風と明るい光がが窓の外にある。それが私の望んでいる全てではないにせよ、一部である事には違いない。それならば、私は正しい道を歩み、いとも容易く答えに辿り着いたのかもしれない。物語はここで始まり、次の瞬間には閉じられる。それが私の物語なのかもしれない。
 けれども、これが物語りの結末でないことは、私には分かる。物語が閉じられるためには、時間が必要だ。その、欠く事の出来ない時間が、私の上にはまだ十分に流れてはいない。
 私はまた封筒を手にした。そして中から、先ほどの手紙を取り出し、広げて、その一番最後に、「アルファ」と署名した。それは勿論本当の名前ではない。だが、それは私が私を示す言葉として選んだ、私の名前だ。
 署名を終えると、私はまた手紙を封筒に入れ、今度はしっかりと封をした。それから封筒を小さなポーチの中に滑り込ませた。
 やがて吹く風が私の体を包み、光が私の体を通り抜けるだろう。ティアラの街角で、私は言葉を集める。色彩を眺める。そうした時間が重なり、満ちたとき、私は次の場所に向かうだろう。
 私は私にそう語りかける。
 それから立ち上がり、扉を開いて、外に出た。
 遥か眼下には真っ青な海が横たわっている。私は白く細い道を通って、港に向かって歩き始めた。


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ネットを始めた当初から、ずっとお世話になっている「月の雫でお茶を」のれいこさんから、バトンを頂きました。絵描き印象バトンということなので、いい機会かもしれないと思い、ちょっと答えてみたいと思います。


■回してくれた方の絵の印象

女性にしか描けない、少女の世界

■周りから自分のイラストにもたれる(と思われる)印象5つ述べてください

1.青い
2.まりの・るうにいみたい
3.パステル?(本当はアクリルです)
4.静か
5.幻想的

でしょうか?

■自分の好きな絵柄5つ述べてください

1.青い絵
2.この世の彼方にあるような絵
3.「出現」を感じさせる絵 
4.手触りのある絵
5.水の気配がある絵

■では反対に苦手な絵柄

最近のアニメみたいな絵は苦手です。区別がつかない。

■自分が描きたい、描けるようになりたいと思う理想の絵柄、スタイル

成り行きまかせなので、特にありません。ただ、こんな絵が描けたらと思う画家は、谷内六郎とアンドリュー・ワイエスとエドワード・ホッパー。絵柄はばらばらだし、僕の絵とは随分違うけれど。

■自分のイラストを好いてくれる人に叫んでください

小さな声で呟きます。一言でも感想をいただけると、嬉しいです。

■そんな大好きな人にバトンタッチ15名(絵の印象つき)

これは、ごめんなさい。15人は無理です。

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 立ち寄った古書店の百円均一の棚で、ポプラ社文庫という子供向け新書の一冊、「吸血鬼の一族」を見つけて、購入。これはトルストイやゴーゴリなど、ロシアの怪奇短編を集めたものだが、その中に、フレデリック・マリヤットの「白い狼」が収録されていた。この本を購入したのは、そのせいである。
 フレデリック・マリアットは、「マリアット船長」の名前で、イギリス海洋小説の祖の一人として名が残っている。日本では、この短編が幾つかのアンソロジーに収録されているが、その他では岩波文庫から「ピーター・シムプル」という代表長編が邦訳、出版されている。ただし、僕は未読。
 この短編は、「幽霊船」(1839年)という長編の中の挿話の一つだという。それだけが独立して読まれているわけだ。甘さがまるでなく、この文庫の読者層である子供向きとはいえない作品だとは思うが、面白い短編。元の長編を読みたいとも思うが、これは一度も邦訳されたことはない(著作権は切れているので、こちらで英語版なら読めます)。以前手に入れた「牧神」という雑誌の「海洋冒険小説」特集号で、富山太佳夫氏の寄稿にその紹介があり、ひねりはないものの「最も伝説に近い幽霊船小説」とされているから、興味深い。これだけ有名な作品なら、一度くらい邦訳されていてもよさそうなものなのだが。
 ただし、この「幽霊船」は、彼の作品の中ではむしろ異色で、本来は先ほどの「ピーター・シムプル」などのような、海軍体験をもとにした「帆船もの」が主流だとか。ちなみに、マリヤットは、「ホーンブロアー」や「ボライソー」などのモデルだという話もあるらしい。

追記。
 「The Borderland」の「ナイトランドと<幻視された未来>」に、カミーユ・フラマリオンの項目を追加しました。
 

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小品  




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