漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 



 
  3.アトレウス
 
 
 遠くで自動車の音が聞こえた気がした。何かが不機嫌に唸っているような音だった。次いで、クラクションの音がしたように思った。ツァーヴェは身構え、耳を澄ました。すると暫くしてもう一度、低いクラクションの音がした。もう間違いなかった。ツァーヴェは慌てて踵を返した。そして家の中に向かって、アトレウスが来たみたいだと叫び、そのまま母の返事も待たずに森の中に向かって駆けて行った。
 樹々の合間を縫って数百メートルほど走ると、森の中を走る細い道路に出る。罅割れた、走りにくそうな道路である。その道路の脇に、一台の古い四輪駆動車が停まっていた。息を切らせて駆け寄ると、ひょいと車の後ろからアトレウスの顔が覗いた。
 アトレウスはツァーヴェを認めると言った。「おお、ツァーヴェ、来たな。手伝ってくれよ」
 「うん」ツァーヴェは言った。そして車の後ろに回りこんだ。
 「今日は結構荷物が多いんだ」とアトレウスは言った。「もうすぐ雪になりそうだからな。万が一のことを考えて、少し多めに色々と持ってきたんだ。ほら、これが全部そうだ」
 アトレウスは車の中に積んでいる荷物をツァーヴェに見せた。「どうだ、結構あるだろう。二人で運ぼう」
 ツァーヴェは頷いた。アトレウスは微笑み、中から荷物を出しては、「これが肉で、これが塩で」などといちいち確認しながら、手際よく分けていった。そして最後に、「本当はこれはあまり運びたくないんだが」と呟きながら、ウォトカの瓶を数本、荷物の隣に並べた。
 「さあ、これで全部だ」とアトレウスは言った。それから車に鍵をかけて、ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。
 「吸うか?」アトレウスは言った。ツァーヴェは首を振った。アトレウスは笑った。「そのうち、煙草の味が分かるようになるだろう。だが、火には気をつけろよ。森の中では特にな。さもないと、森を燃やすことになる。一度燃えた森は、簡単には元には戻らないんだ。二度と元の森には戻らないことだってある。森に生きるつもりなら、それを心に留めておくんだ」
 ツァーヴェは黙っていた。森に生きるという意味が実感として沸かなかった。物心がついてから、ツァーヴェは森以外の場所での生活を知らない。森で生きているのは結果としてであり、自ら選んだものではない。ツァーヴェにしてみれば、一度アトレウスに連れて行ってもらったことのある町の方がずっと魅力的に感じた。だが、それを口に出しては言わなかった。それを口にしてしまえば、今はここにはいない父や、それからそのせいで悲しみの中にある母を裏切るような事になりそうな気がしていたからだ。
 「ところで、ツァーヴェ、お母さんはどうしてる?」
 「うん。元気だよ」ツァーヴェは言った。「毎日、畑の世話をしているよ。でも、今日はお酒を飲んでいたよ。寒いんだって」
 「そうか」アトレウスは頷き、大きく煙を吐き出した。そして煙草を足元に投げ、丁寧にブーツで火を揉み消し、完全に火が消えている事を確認した。
 「さあ、行こう」とアトレウスは言った。そして、荷物の中からツァーヴェの運ぶ分を分けて言った。「どうだ、これだけ運べるか?」
 「平気」ツァーヴェは言った。そして荷物を受け取ると、歩き始めた。アトレウスはその姿を暫く見ていたが、やがて微笑んで、残りの荷物を担いで歩き始めた。

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 ガイドは町の若者で、名前をアトレウスと言った。彫りの深い、整った顔をした青年で、がっしりとした体格と優しい瞳を持っていた。まだ二十五歳だったが、生活の基盤の一部をタイガでのクロテンなどの狩猟に頼っており、この辺りの地理には精通していて、ガイドにはうってつけだった。アトレウスの狩りの腕前は、トゥーリには見事なものに思えたが、彼に言わせると、自分はまだまだヘタクソだということだった。アトレウスは言った。昔の人たちは、俺の使っている銃とは比べ物にならないほど原始的な猟銃を使っていたが、ほとんど百発百中だったらしい。玉も火薬も貴重だから、ぎりぎりまで追い詰めて、確信を持って止めをさしたそうだ。それでもどうしても難しい場合は、必ず周りに沢山樹がある場所で発砲したんだと。もし外しても、後で樹にめり込んだ玉を回収できるようにね。
 アトレウスは、饒舌ではなかったが、信頼できる若者だった。酒を飲みすぎることもないし、嘘もつかない。トゥーリはこの若者が気に入って、ガイドを頼んだのだった。彼の先導で、トゥーリは小屋を構える場所を探して密林を歩きながら、タイガで生活するための心構えのようなものを学んだ。そうして得た知識は、トゥーリにとっては実際、財産といってよかった。
 秋から冬にかけて二人はタイガを歩き、ようやくトゥーリが納得した場所に首を捻ったのはアトレウスだった。彼にしてみれば、どうしてこんな危険な場所に小屋を構える必要があるのか、理解できなかった。何と言っても、切り立った崖の側なのだ。眺めの良さ以外に魅力はなく、リスクは少なくない。もっと住みやすいアラース、つまりタイガに開いた平原なら、沢山あるのだ。だが、トゥーリは満足げにその土地を眺め、譲らなかった。トゥーリは言った。リスクは、どこに住んでも無くなるわけじゃない。ここなら町からの距離も比較的近いし、それにこの眺望は、何物にも替えがたい。
 「まあ、別荘としてなら、それほど悪くはないかもしれないですね」アトレウスは崖の近くまで、恐る恐る歩きながら言った。「俺には、正直ちょっと落ち着かなくなりそうな場所ですが」
 「人それぞれだ」トゥーリは言った。「近いうちに、小屋を建てたいと思う。手配して欲しいんだが」
 「わかりました」アトレウスは言った。「知り合いの大工に頼んでおきますよ。いい仕事をしてくれる筈です」

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水面  



水面近くを群れて泳ぐ小魚たち。

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対極  




「対極 ─デーモンの幻想─」 アルフレート・クービン著
野村太郎訳 法政大学出版局刊

 を読了。

 積読崩し。ずっと以前に、途中まで読んで、放って置いた本。

 アルフレート・クービンは、後のシュールレアリスムやドイツ表現主義に大きな影響を与えた《青騎士派》の代表的な画家として有名。そのクービンによる唯一の小説がこの「対極」(裏面というタイトルの邦訳もあり)だが、今ではむしろこの小説の方が彼の絵よりも有名なくらいだ。アンチユートピアものだが、例えばハクスレーの「素晴らしき新世界」やオーウェルの「1984」のようなものとは全く違っていて、寧ろサドの「ソドム120日」や、その系譜に繋がるミルボーの「責苦の庭」のような世紀末文学に近い気がする。地下の穴から駱駝が顔を出す辺り、カゾットの「悪魔の恋」の影響も顕著だ。そういえば、この小説の結びの有名な一文「造物主は半陰陽だ」というのも、それを裏付けている気がする。要するに、退廃的なカタストロフのある小説なのである。
 ちょっと思ったのは、マーヴィン・ピークのダークファンタジー「ゴーメンガースト」三部作は、もしかしたらこの作品の影響を受けているのかもしれないということ。ひらめきに近い、ただの思いつきなのだけれど。

 写真は、唐十郎の紅テント。先日、時々特に用事のない休日に本を読みにゆく公園に来ていた。演目は「行商人ネモ」ということ。ネモ船長が主役のようだ。ちょっと興味があったけれど、観なかった。

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 クルーヴでは、町の中ほどにあるアパートに居を定めた。部屋は三階建てアパートの二階にあって、間取りは居間が二部屋とキッチン、それに風呂とトイレという平均的なものだった。賃料は一ヶ月で六千ペイカ。千ペイカが大体四十ドルほどに相当するから、ドルで言えば大体二百四十ドルほどということになる。二人の給与を合わせた額が大体二万ペイカだったから、まずは無理のない額といえた。だがトゥーリらは数ヶ月でそのアパートを引き払い、さらに賃料の安い部屋に移った。町外れにあって、多少陰気な古い建物だったが、そこでも特に生活に支障はなさそうだと判断したからだった。賃料は四千ペイカ。彼らはそうして生活費を切り詰めながら、せっせと貯蓄に励んだ。週末に過ごす別荘を手に入れるためである。
 その頃、トゥーリと同じように考えて、校外に小屋を持つ人たちが増えてきていた。小屋を持って、週末には農業や狩猟をやる。そうして収穫した農作物や獲物を食べたり売ったりして、生計の足しにするのである。大抵の人たちは町からそれほど離れていない場所に小屋を構えようとした。それは当然のことで、平日は町で生活しなければならないのだから、別荘は近いほうがいいわけだ。だが、トゥーリは違っていた。彼はできるだけ森の中に踏み入った場所に小屋を構えたいと考えていた。タイガの惠みを十分に享受できる、森の奥にである。森に密着した生活を送ることがトゥーリの理想とするものであったし、そうした信念は何年経っても朽ちなかった。トゥーリは言った。俺には時々、社会というものは実体のないものの上に礎を求めて作り上げられているもののような気がする。確かなものではないのに、誰もが確かなものだと信じているだけだ。一生をかけて少しづつ蓄えた金も、インフレーションの吹雪が通り過ぎた後にはただの端金になってしまう。自動車さえ買えたはずの金が、わずかばかりの肉を買うだけで消えてしまうのだ。かつてなら十分にやって行けたはずの額であった年金は、もはや老人たちの生命を保証さえしない。我々はそんな現実を目の当たりにしている。これは正しいことなのだろうか?正しいはずはあるまい。きっと我々はどこかで間違ってしまったのだ。だが、森はどこまでも豊かだ。森は、我々が必要とするものを全て与えてくれるのだ。我々が立脚すべきは、幻の礎ではなく、静謐で豊かな、永遠のタイガの森なのだ。
 少しづつ調子が変わることはあったが、トゥーリはその信念を何度もオリガに語って聞かせた。彼がそうした話をするのは、大抵は眠る前、酒をちびちびと舐めつつ、ツァーヴェの安らかな寝顔をちらちらと見ながらであった。オリガは彼の言葉に適当に相槌を打ちながら、片付けものをしたり、繕いものをしたりしていた。実際のところ、トゥーリの確信に満ちた言葉は、オリガを安心させるどころか不安にさせた。だが、彼女は何も言わなかった。彼女には、どうしたらよいのか分からなかったのだ。ただ、流れて行く月日の先が幸せであればいいと願っていた。
 一年が過ぎ、二年が過ぎた。つましい生活の中で、彼らは着実に蓄えを増やしていた。そうして二年と半年が過ぎた時、トゥーリはいよいよ別荘を手に入れる時期だと判断した。それで、ガイドを雇い、週末を使って町から遠出して、タイガの中に入った。彼の理想とする土地を探すためだった。そうした遠出を何度か重ねて、トゥーリはようやく彼の理想とするイメージに最も近い場所を見つけ出す事が出来た。そこは町から東へ数十キロほど行った所で、高い崖の上にぽっかりと開けた、見晴らしのよい場所だった。

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浜諸磯にて。
三浦半島の水中は、だいたいどこもこんな感じ。



泳ぎ去っていったアカエイ。
ネコザメの子供もいたけど、速くて撮影できなかった。

ウェイトなしのスキンダイビングでは、すぐに浮いてしまって、長く水中に留まっていられないのが弱点。
でも、ウェイトなんて持ち運びたくないしなあ。
どうしようかなあ。

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 「ディフェンス」 ウラジーミル・ナボコフ著 
 若島正訳 河出書房新社刊

 読了。

 チェスをテーマにした作品。
 主人公を「チェックメイト」することをテーマにした作品と言ってもいいだろう。ナボコフの作品としては、比較的読みやすい。

 偶然だが、つい最近娘にせがまれて、チェスを教えてあげた。それで、時々指している。とはいえ、僕はチェスが上手い訳ではない。何とか今の所はまだ辛うじて勝つことができるが、だんだん本気でやらないと勝てなくなってきたので、そのうち勝てなくなりそうだ。

 ナボコフは、僕にとって厄介である。
 ナボコフの小説に対する姿勢が好きで、だから明らかに特別な作家の一人なのだが、この「ディフェンス」が、実は初めて読み通せたナボコフの長編なのだ。
 彼の代名詞とも言える作品「ロリータ」は、何度も挑戦しては、さっさと挫折している。その他の長編についても、ちょっと読んではやめたものばかりだ。それならなぜ、ナボコフを好きと言えるのか。
 実は、彼の長編「ベンドシニスター」は、僕が文章を綴っていて壁に当たるとつい手にして、冒頭とか最後とか、ちょっと開いたページとかを、少し読む本なのである。これまで、どれだけこの本の冒頭の芳香の世話になったか知れない。だが、断片的には読んでいるものの、ちゃんと読み通したことはないという、不思議な本なのである。そんな本は、他にはない。それでもいいような気がしてしまうのも、不思議なものである。「ベンドシニスター」は、僕の持っているのはサンリオ文庫版だが、みすず書房から数年前に改訳版も出ている。まだ在庫があると思うが、ナボコフの小説は割とすぐに絶版になり、その後古書価がうなぎのぼりで数倍の価格になるというパターンが多いから、気になるようなら、在庫のあるうちに入手したほうがよさそうだ。

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梅雨とは思えないほど爽やかな休日。
浜諸磯へ向かう。



穏やかで、心地よい一日。
三時間ほど泳ぐ。
海月が帯のようになって泳いでいる場所があった。
写真では、少しだけど、もの凄い数。
沖に出るために、潜って水中を進み、遣り過ごす。
中を突っ切って行くのは、ちょっと勇気がいる。

水の中でいるのは、愉しい時間。
こうしてPCに向かっていても、まだ少し揺れているようだ。

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 「そうね」オルガは言った。実際、彼らの蓄えはもう底を尽きかけていた。この数ヶ月というもの、まともに給与がもらえたことがなかったからだ。彼らには先行きが見えていなかったが、それは彼らだけの問題ではなかった。インフレーションとそれに続く経済の混乱の中で、この国の多くの人々が同じ不安の中にいた。このような状態になったのは、多くの理由があるだろう。だが、誰を恨んだところで問題が解決するわけでもない。その前にともかくやらなければならないのは、飢えて死なないための工夫であった。街での生活しか経験していないオルガにとって、トゥーリの考えていることは多分に不安であったが、かといって他に妙案があるというわけでもなかった。オルガは思った。とりあえずは三人でクルーヴに向かうしかない。そこで夫と二人で働けば、生活に困るということはないだろう。それに、彼の言う森での生活は、もしかしたら一時の思いつきに過ぎないかもしれない。クルーヴの町で安定した生活を築くことができれば、忘れてしまうかもしれないわ。
 夫の性格を熟知しているオルガは、そんなに簡単にはトゥーリが口に出した事を曲げるはずはないということは分かってはいたが、それでも完全に森に生活の基盤を移す前に、実際のところ子供の教育の問題もあるし、彼の考えが変わる可能性は十分にあると思ったのだ。
 そうしてトゥーリたちはビスクを離れ、クルーヴに移った。冬の厳しい寒さが幻であったかのような、狂ったように蒸し暑い盛夏のことだった。

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 昨日から、娘が修学旅行。
 それで、今日は夫婦で久々にちょっとジャズを聞きに行き、さっき帰宅。
 ジャズというより、ラテンでしたね。

 ところで、昨夜

「デルス・ウザーラ」 黒澤明監督 1975年作品

を観ました。

 ぺんぺんさんに教えていただいた作品で、近くの古いレンタルビデオ店を覗くと、DVDはなかったものの、ビデオがあったので、早速借りてきて、観た。古くからあるビデオ屋は、本当に便利。

 映画はとても面白く、寝る前だし、途中まで観て残りは明日とか考えていたのだけれど、結局最後まで観てしまった。素晴らしい作品でしたね。主役のデルス・ウザーラ役がはまり役。
 実は、僕が黒澤映画を観るのは、これが始めてなんですね。黒澤デビューが「デルス・ウザーラ」というのは、なかなか渋いんじゃないかと思うのですが、悪くなかった選択だと思っています。
 ぺんぺんさん、よい映画を教えてくれてありがとう。

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 「当面は、教師をして糊口をしのぐことにしよう」とトゥーリは妻に言った。トゥーリはテーブルを前にして、座っていた。夜が深かった。ランプの灯りが、トゥーリの影を壁に焼き付けていた。オルガは、トゥーリの方は振り向かず、三歳になったばかりのツァーヴェの寝顔を見詰めていた。トゥーリは続けた。「だが、いつかはタイガと密着した生活をしたいと思っているんだ。今のこの国は、どこか実態のないもののように思えてならない。俺は研究のために長くタイガに滞在したが、本当に生きるために必要なものは、すべてここにあるじゃないかと思った。長く過ごせば過ごすほど、つくづくそう感じた」
 オルガは黙って聞いていた。彼女の白い顔が、薄暗い部屋の中に浮かび上がって見えた。トゥーリはオルガの向こうの壁を見詰めた。煤けたような、灰色の壁。彼はそのまま部屋の中を見渡した。狭い、蜂の巣のような部屋だと思った。どこかから、騒がしい音が聞こえた。アパートの上の方の階で、また夫婦喧嘩でもやっているのだろう。
 「もちろん俺は科学者だ」とトゥーリは言った。「だから全ての文化や文明を否定するつもりはないんだ。ただ、自分のやっていること、それにこの国の、いや世界の進んでいる方向に、このところ違和感を感じているだけだ。そして、その違和感を、俺はこのままでは処理できそうもない。俺が進むべき道はどこなのか。俺は長い間考えていた。そして、ようやく出した結論がそれだ」
 「森の中で生活するつもりだと、あなたは言うのね?」オルガが言った。「まるで隠者のように」
 「そうだ」とトゥーリは言った。「そこに戻って、やってみたい」
 「でも、ツァーヴェはまだ幼いわ。もし病気にでもなったら……」
 「すぐに森の中で生活するわけではないさ。それに、いきなり全く人里離れた場所に住まいを構えるつもりもない。徐々に進めるつもりだよ。安心していい」
 オルガは黙っていた。そして、眠っているツァーヴェの髪を撫でていた。その様子から、不安でいる妻の様子を感じ取ったトゥーリは、続けた。
 「森の中には、獣たちもいるし、木の実や果物もある。それを狩ったり採ったりして売れば、収入にもなる。畑を作って、芋を栽培することもできる。食べることには困らないはずだ。だいたい、そうやって生活している人たちも沢山いるんだ、心配ない」
 「でも、私たちには経験がないわ」
 「それはそうかもしれないが、すぐにそうした生活を始めるわけじゃない。徐々に習うさ」トゥーリは言った。「少なくとも、貰えるかどうかわからない給与を待ちつづけている生活よりは、飢えて死ぬ確立は低いんじゃないか」

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 2.トゥーリ
 
 ツァーヴェの父は、名をトゥーリと言った。小都会であるミスクの街で教師をしていた両親の間に生まれ、この国ではまあ裕福といっていい生活の中で高い教育を受けた。大学では流体力学を学び、そのまま助教授となった。やがて大学の学生だった女性と知り合い、順調に交際を重ねて結婚した。それがツァーヴェの母であるオルガだった。そのまま行けば何の問題もない人生を送れたのかもしれなかった。
 だが転機がやってきた。国家の主導による、ひとつの巨大なプロジェクトが持ち上がったのだ。科学の振興によって国力の強化を図るというのがその趣旨であった。多くの優秀な科学者が、有史以来ほとんど手付かずの、それだけに大きな可能性を秘めた広大な原野を切り開いて建設された新しい街、ビスクに召集された。トゥーリもそうして集められた科学者の一人だった。いや、集まった中の一人というべきか。というのは、その召集は決して強制的なものではなく、任意によるものだったからだ。まだ若いトゥーリは、その希望に満ちた題目に共感した。そして、給料は安いが安定した大学での地位を棄て、クルーヴに向かうことにしたのだ。トゥーリは、流体力学を応用して、永久凍土を剥ぎ取る研究をしたいと考えていた。
 しかしそのプロジェクトは、掛け声だけは壮大な理念のもとで実施されたが、多分に非現実的であった。研究の大半は、手っ取り早く経済的な利益を産むことはできない。そのことについては、計画が持ち上がった当初から多くの学者たちによって指摘されていたことであったが、無知から来る楽観性によって無視された。当時は次から次へと新しい技術が開発されていたから、そうした意見はただの杞憂だと政府は笑い飛ばしていたのだ。プロジェクトは、当初は大きな期待もかけられ、人々の熱狂も後押しして街は瞬く間に大きくなった。実際、幾らかの成果も無かったわけではなかった。だが、実用には程遠いものが大半を占め、中には全く見当外れのものも多かった。やがて政府にも、それが何の目先の利益ももたらさないということが分かってきた。もともと豊かとはいえない国の財政の中では、プロジェクトに投資される予算が削られるのはすぐだった。それが本来の科学の進歩の姿であり、この少ない予算では給与を払うことが精一杯で、まともな研究など何も出来ないと科学者たちは主張したが、無駄だった。そもそも、そのプロジェクトそのものが思いつきのようなものだったのだ。予算が削られると、工業的な方面からの出資を期待して、小手先でもいいからとりあえず何らかの成果を出そうとやっきになった。その結果、基礎科学にまで予算が廻らなくなったが、それは悪循環で、研究はますます停滞した。当初は、科学者達は自分達の給与よりも研究を優先しようと頑張ったが、それも自ずと限界があった。気がつくと、街には仕事にあぶれた、行き場のない科学者が溢れていた。
 ツァーヴェの父もその行き場のない科学者の中の一人だった。彼の研究は、上手くゆかなかった。研究所は慢性的な財政難で、給料も満足に払われなくなった。所員の中には、半年も給与が払われていないものもいた。妻と三歳の息子を抱えたトゥーリは、いよいよ仕事に見切りをつけざるを得ないと結論した。それで、次の仕事を探すことにしたのだが、その時彼の頭の中に、研究のために何度も訪れた広大なタイガの森が思い浮かんだ。それは広大な啓示のように、彼の頭の中をみるみるうちに占めていった。トゥーリが闘おうとしていた永久凍土の上に根を下ろし、どこまでも深く広がっているタイガの森。彼は思った。俺の遥か先祖は森を越えてやってきた。豊かな森があったから、我々は生きて行くことが出来るのだ。これまで俺はその森と闘おうとしていたが、それは過ちだったのかもしれない。俺がこれからしなければならないことは、森へ帰ることではないだろうか。
 知人のつてをあたり、運良くトゥーリは、ビスクから数百キロ東にある小さな町クルーヴの中等学校に教職を見つけることができた。給与は三人がやっと食べて行けるだけのものだったが、それでもそのままビスクに留まるつもりはなかったし、仕事があるだけでも幸運というべきだった。それにクルーヴという町は広大なタイガの森の中にあって、いまだ森との結びつきが強いと聞いていたから、彼が抱き始めていた「森へ帰る」という思想とも一致していた。

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 朝から怪しい天気。娘の水泳の進級試験があったので、出かけようとしたところ、突然の大雨。叩きつけるよう。

 買い物をしながら、図書館に寄って、本を返却し、また借りる。図書館には、リサイクル資料というコーナーがあって、古い雑誌や書籍を貰える。たまたま「南極の現場から」という本と「ゆき」という絵本があって、貰ってきた。

 夕方、借りてきた本の中から

「冬の少年」 エマニュエル・カレール著 田中千春訳 
河出書房新社刊

 を読む。
 フランスの小説で、フェミナ賞を受賞し、「ニコラ」というタイトルで映画化もされたらしい。少年の夢想と、残酷な現実の交差する物語。透明感のある、フランスの現代小説らしい語り口。あっというまに読了。だけど、内容は薄いし、あまり好きじゃない。

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 「月の雪原」の前回分をちょっと改稿した。
 この機会に、少し。


 本来は、作者が出てきて自作についていろいろと語るのも無粋なのかもしれないが、この「月の雪原」に関してだけは、ちょっとだけ言いたいことがある。時々見かける、著者による序文のようなものとして、軽く読み流してくれればと思う。

 この小説の着想は、今から二十一年ほど前に遡る。まだ高校生の頃である。修学旅行で生まれて初めてスキーをしたのだが、その列車の中から外の雪山の風景を見たとき、この話のラストシーンがフラッシュバックのように脳裏に浮かんだ。その後、自分の部屋の中でもう一つの核となるシーンが浮かび、一つの形となった。それから二十年以上が経過しているのだが、この物語の構想は、驚くほどその形を変えずに脳裏に留まりつづけている。この物語は、僕にとっては一つの天啓のようなものなのである。
 長い間、僕はこの話を自分のライフワークの一つとして考えていて、何度か手をつけようと試みたのだが、成功したことは一度も無い。それほど思い入れの強い着想だから、気負ってしまい、どうしても書けなくなってしまうのだ。
 物語を着想して、時間が経つうちに、この作品を同一のテーマを扱う三部作の二作目とするという構想が浮かんだこともあったが、今ではそのアイデアは棄ててしまった。実はその第一作は以前書いてみたことがあるのだが、ちょうど当時読んでいた(あの異様な伝染力のある)村上春樹氏の影響の強い文体になってしまって、どうしようもなくなって破棄した。内容も、つまらないものだった。第三部は、当初の構想から随分形を変えて、実は今平行して書いている「ティアラの街角から」になった。この中には、当初予定していた三部作の第一部をいくらか取り込む予定であるが、「月の雪原」との関連性はない。
 今ここで「月の雪原」に再度挑戦するのは、この作品が僕にとって乗り越えなければならない作品だと、最近感じるからである。実は、この作品から僕の絵の一部は派生している。この作品の着想がなければ、描かなかった絵が沢山ある。そういう意味でも、この作品の着想は僕にとって重要な意味を持っている。だからこそこれを終えてしまわなければ次には進めそうにない。この作品は呪縛のようなものだ。そう思うようになったのだ。
 今回に限らず、常に以前の分に手を入れながら進むことになるだろうが、もうこれ以降はいちいち手を入れたということは報告しない。上手く最後まで書けるかどうかは分からない。長く間が空くかもしれないし、途中までは発表して、後は完成まで誰にも見せないかもしれない。だけど、今回は不恰好でもなんとか最後まで書き切りたいと思っている。このままでは、書かないまま一生を終わってしまいそうで、それはちょっと悔しいからだ。

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 「父、帰る」  アンドレイ・ズビャギンツェフ監督
 ロシア映画 2003年公開作品

 を観る。

 ロシアの自然が映っている映画を見ようと、何となくDVDの棚をみていて借りてきたのだが、これは本当にいい映画で、忘れ難くなりそう。殆ど説明される部分がないから、一見難解だと思う人もいるかもしれないが、実は全くそんなことはないと思う。僕には登場人物の一人一人の心の動きまでまざまざと感じられたし、それを丹念に写し取って行く監督の力量には感心した。
 この映画に出てくる「父」というのは、たぶんスパイか、それに順ずるような仕事をしていて、任務の目くらましのために子供を湖に連れて行くという方法をとっているのだろう。だが、久々に出会った息子たちは、余りにも男として欠けている部分が多く、自分の不在という罪に半ば愕然としたに違いない。それで、任務を遂行しながら、次にはいつ会えるかわからないから、同時に父親としてすべき教育をまとめてしようとしたのだろう。それが悲劇になったのは、唐突なようだが、自然なことのようにも思える。僕はこれに似た経験をしているから、とてもよく理解できる。
 ハリウッド趣味とは対極にある映画。お勧めできる。

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