「野川」 長野まゆみ著 河出書房新社刊
を読む。
長野まゆみ氏の小説を一冊ちゃんと読むのは、何と、実はこれが初めて。長野まゆみの名前は、それこそデビューの時から知っていたし、周りにも彼女の作品が好きだという人が多かったのだから、当然読む機会ならいくらでもあったのに、自分でも不思議なくらいだ。
長野まゆみ氏が「少年アリス」でデビューした時のことは、よく覚えている。雑誌「文藝」の新人賞を取り、同誌に一挙掲載されたのだが、その雑誌をぼくは、今はなき神戸元町の「海文堂」で手にとったのだった。どうしてこんなにはっきり覚えているのか、自分でも不思議なくらいだし、その後長野まゆみ氏が、稲垣足穂の影響のもとで、神戸を舞台にした「天体会議」という作品を書いたことを思えば、出来すぎなくらいのエピソードのようだが、実際にそうなのだ。ただし、その雑誌をぼくは買わなかった。当時、同じ河出書房新社から文庫版の稲垣足穂選集が出始めていて、それを仲のよかった本好きの同級生に教えたところ、彼のほうがさらに稲垣足穂にはまってしまった。その友人が、長野まゆみ氏の「少年アリス」が掲載された「文藝」を買っていた。それで、さらに記憶が補強されているのかもしれない。確か、友人に文藝は借りたはずなのだが、さらりと斜め読みしただけで、読みきったという記憶がない。その後も、何度か彼女の作品を色々な人から勧められたりはしたけれども、どうしても読みきれなかった。何というか、読み進められないのだ。稲垣足穂だの、武井武雄だの、神戸市だの、好きなものは相当重なるのに、なぜか読めない。それで、きっとぼくとは相性の悪い作家なのだと思うようになってしまった。
ところが、この「野川」という作品は、苦もなく読み進めることができた。これまで手にしてきた長野まゆみ作品とはかなり作風が違うという印象で、それがもちろん読みやすく感じた大きな理由なのだろうが、もしかしたらそれ以上に、舞台が「野川の周辺」であるという点が大きかったのかもしれない。
現在ぼくは、野川まで自転車で五分ほどのところに住んでいる。この作品の舞台にほど近い場所である。野川までそれほど遠くない場所に住んでいるのは、偶然ではなくて、実は今の住処を決めるときに、引越し先の条件として、野川まで近いというのがあったのだ。ぼくは、野川の近くに住みたかった。何度か自転車で通ううちに、すっかり好きになってしまったのだ。それで小金井に住むことにしたわけである。
それにしても、神戸と野川。ぼくは神戸で育ち、野川の側に住みたいと思い、移り住んでいる。長野まゆみ氏は、小金井に育ち、神戸を舞台にした小説を書いている。似ているところは、特に思いつかないのに、考えてみれば不思議な偶然の繋がりである。
この「野川」という小説は、とくにこれといった出来事がおきるわけではない作品だが、国分寺崖線、つまり「はけ」の下に広がる武蔵野の光景を映し取っていて、印象に残る。ちなみに、主人公の通う学校が小金井二中、東京G大は東京外語大、S山は浅間山(「あさまやま」ではなくて「せんげんやま」と呼ぶ)なのだろう。これからの季節は、武蔵野公園のちかくの野川沿いに、しだれ桜が咲き誇るので(一見の価値ありです)、聖地巡りがてら歩くのも楽しいかもしれない。
ちなみに、この作品は、高校の課題図書になったらしい。