漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

野川

2014年03月30日 | 読書録

「野川」 長野まゆみ著 河出書房新社刊

を読む。

 長野まゆみ氏の小説を一冊ちゃんと読むのは、何と、実はこれが初めて。長野まゆみの名前は、それこそデビューの時から知っていたし、周りにも彼女の作品が好きだという人が多かったのだから、当然読む機会ならいくらでもあったのに、自分でも不思議なくらいだ。
 長野まゆみ氏が「少年アリス」でデビューした時のことは、よく覚えている。雑誌「文藝」の新人賞を取り、同誌に一挙掲載されたのだが、その雑誌をぼくは、今はなき神戸元町の「海文堂」で手にとったのだった。どうしてこんなにはっきり覚えているのか、自分でも不思議なくらいだし、その後長野まゆみ氏が、稲垣足穂の影響のもとで、神戸を舞台にした「天体会議」という作品を書いたことを思えば、出来すぎなくらいのエピソードのようだが、実際にそうなのだ。ただし、その雑誌をぼくは買わなかった。当時、同じ河出書房新社から文庫版の稲垣足穂選集が出始めていて、それを仲のよかった本好きの同級生に教えたところ、彼のほうがさらに稲垣足穂にはまってしまった。その友人が、長野まゆみ氏の「少年アリス」が掲載された「文藝」を買っていた。それで、さらに記憶が補強されているのかもしれない。確か、友人に文藝は借りたはずなのだが、さらりと斜め読みしただけで、読みきったという記憶がない。その後も、何度か彼女の作品を色々な人から勧められたりはしたけれども、どうしても読みきれなかった。何というか、読み進められないのだ。稲垣足穂だの、武井武雄だの、神戸市だの、好きなものは相当重なるのに、なぜか読めない。それで、きっとぼくとは相性の悪い作家なのだと思うようになってしまった。
 ところが、この「野川」という作品は、苦もなく読み進めることができた。これまで手にしてきた長野まゆみ作品とはかなり作風が違うという印象で、それがもちろん読みやすく感じた大きな理由なのだろうが、もしかしたらそれ以上に、舞台が「野川の周辺」であるという点が大きかったのかもしれない。
 現在ぼくは、野川まで自転車で五分ほどのところに住んでいる。この作品の舞台にほど近い場所である。野川までそれほど遠くない場所に住んでいるのは、偶然ではなくて、実は今の住処を決めるときに、引越し先の条件として、野川まで近いというのがあったのだ。ぼくは、野川の近くに住みたかった。何度か自転車で通ううちに、すっかり好きになってしまったのだ。それで小金井に住むことにしたわけである。
 それにしても、神戸と野川。ぼくは神戸で育ち、野川の側に住みたいと思い、移り住んでいる。長野まゆみ氏は、小金井に育ち、神戸を舞台にした小説を書いている。似ているところは、特に思いつかないのに、考えてみれば不思議な偶然の繋がりである。
 この「野川」という小説は、とくにこれといった出来事がおきるわけではない作品だが、国分寺崖線、つまり「はけ」の下に広がる武蔵野の光景を映し取っていて、印象に残る。ちなみに、主人公の通う学校が小金井二中、東京G大は東京外語大、S山は浅間山(「あさまやま」ではなくて「せんげんやま」と呼ぶ)なのだろう。これからの季節は、武蔵野公園のちかくの野川沿いに、しだれ桜が咲き誇るので(一見の価値ありです)、聖地巡りがてら歩くのも楽しいかもしれない。
 ちなみに、この作品は、高校の課題図書になったらしい。

ひとめあなたに…

2014年03月19日 | 読書録
「ひとめあなたに…」 新井素子著
角川文庫 角川書店刊

を読む。

 「いまさら新井素子でも……」と思いながら、図書館でふと手に取って、借りてきて、読んだ。ところがこれが、古さをあまり感じさせない、なかなか良い小説だった。この小説を書いた時、新井素子は若干二十歳。才能を感じさせる。
 新井素子というと、現役高校生(高校二年!)という若さでSF雑誌「奇想天外」の新人賞でデビューした「美少女SF作家」ということで、70年代の終わり頃から80年代半ば頃には随分ともてはやされていたし、僕も中学生の頃に、コバルト文庫から出ていたデビュー作の「あたしの中の…」や「星へ行く船」、それに講談社文庫から出ていた、高野文子の表紙イラストが印象的な「グリーンレクイエム」などを読んだ。僕が新井素子作品を初めて読んだ頃には、もう似たような文体を使う作家も出てきていたので、その特徴ある文体には意外と違和感がなかったけれども、エヴァーグリーンな作品世界を面白いと思ったことは覚えている。けれどもその後は、僕の興味が海外の幻想文学に移っていったことなどもあって、全く読んでいなかった。当然この作品も、カニバリズムを扱っているということで、一部で話題になっていたことは知っていたが、完全にスルーしていた。
 そうして三十年ほどぶりに読んだ新井素子作品が、意外にもそれほど古さを感じさせないということには随分と驚いたが、それはおそらく、新井素子の作品が、実はSFというよりも、広義の幻想小説であるせいなのだろうと思った。この小説も、「宇宙魚顛末記」という別の作品の中で滅んでしまったもうひとつの地球という世界を舞台にしながら、そこで語られているのは、精神を病んださまざまな女性たちの姿で、普通のSFであれば中心にすえられるべきテーマであるはずの「世界の破滅」そのものは単なる背景に追いやられてしまっている。等身大の話し言葉で語られる一人称の新井素子の作品には、常にそうした、圧倒的な現実に対する超個人的なアプローチという切り口がある。こうした感覚は、セカイ系と呼ばれる作品群に繋がるものだし、初期の村上春樹作品にも見られるものだ。ライトノベルの先駆者としては、新井素子が最重要人物の一人であることは疑いがないし、これからもっと再評価が進むのではないかという気がする。



卒業

2014年03月12日 | 近景から遠景へ

 昨日、3月11日は、娘の高校の卒業式だった。
 気温は低く、寒かったけれども、よく晴れた日で、旅立ちにはまずまずの一日だった。
 娘が高校に入学したのは、東日本大震災からまだひと月も経たない時のことだった。入学式が、高校の体育館が地震のせいで点検の必要があり、使用できず、やむを得ず別の会場を借りて行ったのだ。考えてみれば、娘の生まれたのは阪神・淡路大震災のあった(そして地下鉄サリン事件のあった)年だった。1995年が、一つの大きな歴史のターニングポイントだったと考える人は多い。今、こうやって当たり前のように利用しているインターネットが、ウィンドウズ95とともに、急速に広まったのも同じ年だ。だから、節目節目が、大きな転換期に当たる宿命を持った生まれ年なのかもしれない。
 そう、卒業式が奇しくも大震災からちょうど三年という日だった。あれから三年。震災の直後に皆が望んでいたはずの未来は、どうなっただろう。いつの間にか曖昧になって、少なくとも表面的には、震災前とさほど変わらない日々の中に消えてしまった気がする。だが、本当にそうだろうか。むしろ、水面下で蠢く、不穏な音が聞こえては来ないだろうか。卒業式で、歴史のターニングポイントの先頭に立って進む娘や、同級生たちの背中を見つめながら、ふとそんな心配が頭をよぎったりした。そしてその音が、ただの空耳であればいいと思った。
 娘の高校の卒業式を、中学の卒業式の時とはまったく違う気持ちで見ていた。ここから先は、大人の領域に入ってゆかなければならない。濃密な、小さな世界には別れを告げて。子育ても、ここで一つの節目を迎えたのだろう。まだ、さほど実感はないけれども。僕は自分の卒業式のことを思い出して、感無量な気分になった。娘もいつか、この日のことを懐かしく思うのだろう。
 2014年3月11日。快晴。娘にとっても、二度と戻ってこない濃密な日々が、一つ終わった。

転居

2014年03月05日 | 雑記
 先月の終わり頃に転居して、もうすぐ二週間になる。さすがに、なんだかバタバタとしていて、ブログにまで手が回らない状態だったが、まだまだやることは多いとはいえ、ようやく少し落ち着いてきた。
 最寄り駅は、武蔵小金井。数年前までは本当に素朴な駅舎だったのだが、今では高架のモダンな駅舎に変わり、駅前も、南口を中心に随分と様変わりしている。駅の列車の発車音が「さくらさくら」というのは、なんだかどうしても正月っぽい気がしてしまって、内心止めて欲しいなあとは思うけれども、そのうち慣れるのだろう。
 3月に入っても、まだ随分と寒い。早く春の声が聞きたいものだ。