漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

吾妻ひでお原画展

2013年11月23日 | 漫画のはなし

 木曜日の仕事帰り、池袋の西武リブロで開催されている「吾妻ひでお原画展」を覗いた。
 先着100名に配布されるというポストカードはもうなかったけれど、展示が充実していたので、嬉しかった。
 デビューの頃から、最近出た「アル中病棟」に至るまでの代表作が網羅されていた。
 漫画で見ると、何気なく読んでしまうような可愛い絵なのだが、いざ実物の原画を目にすると、その繊細さに感心する。
 決してごちゃごちゃと書き込んでいるわけではないのだが、線の一本一本がとても綺麗。ほとんどホワイトの修正もない。「アル中病棟」の中で、「完璧主義者は身を滅ぼす」と念仏のように唱えていたのが印象的だったが、なるほど、この美しい原稿を見ると、その言葉も頷ける。本当に丁寧で、手が抜けない人なのだ。
 刊行当時、「綺麗な本だな」と思っていた双葉社のハードカバーの選集、「Hideo Collection」のカバー原画がすべて展示されていたが、実際に実物を目にすると、その時の印象を上回るほどの、思わず欲しくなってしまうほど美しい絵で、ため息が出た。実際は背景と少女の絵が別になっていたということも、今回初めて知った。なるほど、それでカバーを外した本の本体には、モノクロの背景だけの絵が描かれていたのだ。
 漫画作品では、「不条理日記」や「陽射し」などのような、ある時期の吾妻ひでおを代表するような名作もあったが、それ以上に印象に残ったのは、最近作の「地を這う魚」の原画。すごいとは思っていたが、実物を目にすると、唖然とさえする。何という情報量なのだろう。還暦を迎え、さらに進化しようとする意志には圧倒される。還暦を過ぎて、「うまくなりたいから絵を習いに行ってる」なんていう一時代を築いた漫画家が、他にいるだろうか。「いやいや、吾妻さん、もう充分上手いですよ」と言うのは簡単だ。だが、吾妻ひでおは、それではまだ満足できないのだ。すごいことではないか?
 吾妻ひでおは、最初「ふたりと5人」でエッチ漫画家として注目を集め、次に「不条理日記」でSFマンガのニューウェーブとして大きく注目を集めた。そしてさらに、「失踪日記」によって、一般の人たちからも認知され、最大の注目を集めるに至った。一人の漫画家が、三度も大きなピークを迎え(しかもその波がどんどんと大きくなっている)、なおかつ絵が進化しているという例は、手塚治虫を除いて、他には知らない。大抵は、漫画家のピークは一回か二回。その後は年とともに絵は荒くなり、イメージも固定されてしまうものなのだというのに。
 漫画やイラスト以外にも、東京精神科病院協会主催の「心のアート展」に出品されたスケッチ作品(ちゃんとリアルな少女の裸婦像のデッサン。なのだが、なぜか背景にカツオノエボシと古代魚が描かれている)二点や、「アル中病棟」に登場する、拾い物で作ったオブジェが多数、展示されていた。
 展覧会の最後に物販のコーナーがあり、カタログがないかと思って探したけれど、それはなかった。代わりに、複製原画やTシャツなどが販売されていた。複製原画は、一枚が十五万円ほどもするのに、結構売れているようで、驚いた。Tシャツは、タバコオバケやのた魚などがあり、買おうかとも思ったが、一枚四千円ほどとやや高かったし、それに買っても着るわけがないので、やめておいた。


砂漠の惑星

2013年11月16日 | 読書録

「砂漠の惑星」 スタニスワフ・レム著  飯田規和訳
ハヤカワ文庫SF 早川書房刊

を読む。

 レムの作品は、それほどたくさん読んでいるわけではない。「ソラリスの陽のもとに」「捜査」「枯草熱」 くらいじゃないかと思う(持ってるだけで読んでないのが、数冊あるが)。けれども、いつもレムの作品を読んだ時に感じたのは、「なんとも言えない無力感」だったような気がするし、一つの文明が行き着いた終末の姿を描いたこの作品にしても、それは変わらない。
 「いったい僕たちに何ができるというのだろう。僕たちが、いったい何をわかっているというのだろう。僕たちは、主観というものから逃れて、相対的な視点に立つことなど出来るのだろうか」
 これまでに読んだレムの作品からは、そんな声を何度も聞いた気がする。もちろん、この小説からも。ラストで、「無敵号」という名前を頂く、人類の粋を集めた宇宙船が、どうだとばかりにそそり立っている姿の、その虚しさが心に残る。
 

深き森は悪魔のにおい

2013年11月07日 | 読書録

「深き森は悪魔のにおい」 キリル・ボンフィリオリ著 藤真沙訳
サンリオSF文庫 サンリオ刊

 を読む。
 
 舞台はフランス沖合に浮かぶ、ノルマンディー諸島のジャージー島。そこでは裕福な移住者たちが、悠々自適な暮らしをしている。ある時、その平和な島に、連続レイプ事件が起こる。最初に被害にあったのが、主人公であるチャーリーの友人二人の妻君。話によると、犯人はゴムのマスクを被り、ヤギのような嫌な臭いがして、腹には剣の絵が描かれてあったという。それは島に伝わる伝説のけもの男を思わせる特徴だった。チャーリーたちはその犯人を捕らえようとするのだが……というストーリー。
 「どうしてこんな本を出したの?」って聞きたくなるような珍品をたくさん出しているサンリオSF文庫。中にはひどいのもあるけど、これはそうした珍品の中では、悪くない一冊だった。翻訳は聞いたことのない訳者だが、癖がないので、ちょっと変わった小説の割には読みやすい。
 ただし、これっぽっちもSFではない。じゃあ何だと言われれば、ドタバタ小説、あるいは現代文学だろうとしかいいようがない。女性蔑視な語りに眉をしかめる人も多いとは思うが、黒いユーモアを前面に出した語り口は、(時々スベってる気もする気もするけれど)もしかしたら、SF作家とされることも多いカート・ヴォネガットが比較的近いのかもしれない。あるいは、ウィリアム・コッツウィンクルとか。ただし、文学性という点では、ヴォネガットよりは幾分落ちる。この本がサンリオSF文庫に収録された理由は、著者のボンフィリオリがイギリスのSF雑誌「SFインパルス」の編集長だったことがあるという点が大きいのだろうから、いかにもサンリオらしいチョイスではある。
 一応、ミステリー的な要素はあるのだが、解決編で明らかになる犯人は、「まあ、そんなもんだろう」という感じで、謎解きは自体は、ついでみたいなものと思った方がいいかもしれない。それよりも、何だか切ない余韻のようなものに浸る方が正解のような気がした。

Coney Island Baby 2

2013年11月05日 | 消え行くもの
 二日ほど前に、ルー・リードの「Coney Island baby」の試訳を載せてみたけれど、アップした後でもう一度見てみて、もしかしたらこう訳した方が本当かもしれないとも思ったので、載せてみることにします。
 パーソナルなことを歌ったものだし、ルーの声が強いこともあって、今までそうは思いつかなかったけれど、語り手がドラッグクイーンであると考えてみた、こっちの方が何となくしっくりくるような。

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Coney Island baby

Lou Reed

ねえ、あなた、あたしがまだ少年で、ハイスクールに通っていた頃
一人のコーチのために、アメリカン・フットボールをやりたかったのよ
あんたが信じてくれるかどうかは、わからないけど
先輩たちはみんな、口を揃えて
あの野郎は陰険だしイカれてやがると言ってたけど、わかるかしら
あたしはそのコーチのためにアメフトをやりたかったのよ
お前はラインバッカーにしてはチビだし、痩せすぎだろって、皆には言われたわ
だからあたしは、ライトエンドをやってるんだって言い返した
コーチのためにアメフトをやりたかったから
あなたはいつか知ったのね
真っ当(ストレート)でいなければ虐げられるってことを
そうして死に向かうんだってことを
あたしが知っていた誰よりも完璧に真っ当(ストレート)な男は
いつでもあたしを公平に扱ってくれたわ
だからコーチのためにアメリカン・フットボールをやらなくちゃいけなかった
そのコーチがいたから、アメフトをやりたかったのよ

たった一人の孤独な時間
真夜中頃に
あなたは自分の魂が
売り渡されようとしていることに気付くのよ

そうしてあなたは考え始める
自分がやってきた、すべてのことについて
そして憎み始めるの
ありとあらゆることを

だけど、丘の上に住んでいたプリンセスのことを思い出して
あなたがおかしいと分かっていても
それでもやっぱりあなたのことを愛した、彼女のことを
そう今こそ、彼女は光り輝く道を開いてくれるのかもしれないわ
そして、その――

――愛の輝きが、愛の栄光が
愛の持つ力が、まさに道を示してくれるのかもしれない

つまらない友人たちはみんな
あなたを罵って、去ってしまった
彼らがあなたの背中に向って語りかける、あのさ
お前の甘っちょろさは直しようがねえな
あなたは身体を震わせ、また考え始める
自分がやってきたあらゆること、そのすべてについて
それが誰だったのかとか、どんなことだったのかとか
さまざまな場面で起こった、あらゆることすべてについて

ああ、だけど思い出して、この街が普通じゃない場所だってことを
サーカスか、あるいは下水道のような場所だってことを
そしてちゃんと思い出して、いろんな人がいて、みんなそれぞれに個性を持っているんだってことを
そして、その――

――愛の輝きが、愛の栄光が
愛の不滅の力が、道を示してくれるかもしれないわ
そう、でも今なら
愛の輝きが、愛の栄光が
愛の不滅の力が、道を照らしてくれるかもしれないわ
愛の輝きが、栄光に満ちた愛が
不滅の愛が、愛の栄光が
愛の不滅の力が、ああ、そうよ、今こそ、愛の輝きが
愛の力が、愛の至福が
光り輝く愛が、そうだ、素晴らしき愛が、今
愛の至高の光が、今あたしを祝福し
栄光に満ちた愛の輝きが、あなたに取るべき道を指し示すのよ
おお、愛しきコニー・アイランド・ベイビー、今こそ
(今のあたしは、コニー・アイランド・ベイビーの一人よ)
あたしはこの歌をルーとレイチェルに送りたい
それから、すべての若者たちと 第192パブリック・スクールのみんなに
コニー・アイランド・ベイビー
ねえ、あたしはあなたのためにすべてを捧げると誓うわ

    (訳:shigeyuki)

妻という名の魔女たち

2013年11月04日 | 読書録

「妻という名の魔女たち」 フリッツ・ライバー著 大瀧啓裕訳
サンリオSF文庫 サンリオ刊

を読む。

 妻がこっそりと行なっていた魔術のおかげで今の地位を築いた大学教授が、妻がそうしたことを行なっていたことに気付き、やめさせたところ、次々と問題が起こり始める……というような物語。
 ちょっと聞くと、それなりに面白そうな気がするのだが、これが全く面白くない。何より、どういうわけだか非常に読みにくい。もとの作品がつまらないのか、訳文が合っていないのか、多分その両方だとは思うけれども、コメディと言ってもいいほどの軽い内容に対して、文章が必要以上にもったいぶっていてまどろっこしいと感じた。大瀧啓裕氏の訳文はやや独特で、多分ファンは多いのだろうけれど、ぼくは昔からあまり得意ではなく、なんでこの人の訳したものはこんなに読みにくいのだろうといつも思っていたので、それもつまらなかった原因の一つではあるに違いない(誤訳云々とかいう話ではなく、単に好みの問題。別に悪い翻訳家だとまでは思わないし、好きな人は好きだと思う。とはいえ、ラブクラフトの「文学における超自然の恐怖 」の翻訳を読んだ時には、その中で引用されている、既に定着しているさまざまな古典的作品の邦題や著者名を全く無視して、自分なりの邦題等を採用していたことに唖然としたけれど。あれは読者に不親切だし、明らかにやりすぎだと思う)。
 読み始めて数ページで読む気をなくしたものの、ここでやめてしまっては、長年に渡って山のように積読になっているサンリオ文庫の読破がまったく進まないので、なんとか駆け足で読みきったが、もともとが軽く書き飛ばされたチープなパルプフィクションという感じが物語が進むにつれさらに強まり、最後まで面白さを感じることはなかった。もっとも、この作品が賞味期間切れであることは、この訳本が最初に発行された78年当時でさえ、あとがきの中で訳者自らが認めている。だから、2003年になって、創元推理文庫から突如再刊されたのが不思議なくらいである。なにせ、あらゆる女性は実は魔女である、という設定だけで、世の中の読者を半分失っているのだし(笑)、再刊したところで売れるとはとても思えないからだ。

Coney Island Baby

2013年11月03日 | 消え行くもの

Coney Island Baby

Lou Reed


なあ、おれはハイスクールに通っていた頃
一人のコーチのためにアメリカン・フットボールをやりたかったんだ
あんたが信じてくれるかどうかは知らないがね
先輩たちはみんな口を揃えて
あの野郎は陰険だしイカレてやがると言っていたが、わかるだろ
おれはそのコーチがいたからアメフトをやりたかったんだ
皆に言われたね、おまえはラインバッカーにしてはチビだし、痩せすぎだろって
だからおれはライトエンドをやってるんだって言い返した
コーチのためにアメフトをやりたかったからな
お前はある時、知ったんだな
真っ当(ストレート)でいなければ虐げられるということを
そうして死に向かうんだってことを
おれが知っていた、誰よりも完璧に真っ当(ストレート)な男は
いつでもおれをちゃんと公平に扱ってくれた
だからコーチのためにアメリカン・フットボールをやらなければならなかった
そのコーチがいたからアメフトをやりたかったんだ

たった一人の孤独な時間
真夜中頃に
お前は自分の魂が
売り渡されようとしていることに気付くんだ

そしてお前は考え始める
自分がやってきたすべてのことについて
そして憎しみを募らせ始める
ありとあらゆることに対して

だが丘の上に住んでいたプリンセスのことを思い出すんだ
お前がおかしいと分かっていても
それでもなお、お前のことを愛した彼女のことを
まさに今こそ、彼女は光り輝く道を開いてくれるのかもしれない
そして、その――

――愛の輝きが、愛の栄光が
愛の力が、まさに道を示してくれるのかもしれない

つまらない友人たちはみんな
お前を罵って、どこかへ行ってしまった
彼らはお前の背中に向って語りかける、あのさ
てめぇはどうしたって悪魔にゃなりきれねえのさ
お前は身体を震わせ、また考え始める
自分がやってきたあらゆること、すべてについて
それが誰だったのかとか、それがどんなことだったのかとか
様々な局面でやってきた、あらゆることすべてについて

ああ、だが思い出すんだ、この街が奇妙な場所だってことを
サーカスか、あるいは下水道のようなものだということを
そしてしっかりと思い出すんだ、様々な人々がいて、それぞれに個性を持っているのだということを
そして、その――

――愛の輝きが、愛の栄光が
愛の不滅の力が、道を示してくれるかもしれない
そうさ、だが今なら
愛の輝きが、愛の栄光が
愛の不滅の力が、道を照らしてくれるかもしれない
愛の輝きが、栄光に満ちた愛が
不滅の愛が、愛の栄光が
愛の不滅の力が、ああ、そうだ、今こそ、愛の輝きが
愛の力が、愛の至福が
光り輝く愛が、そうだ、素晴らしき愛が、今
愛の至高の光が、今おれを祝福し
栄光に満ちた愛の輝きが、お前に道を指し示すのさ
おお、愛しきコニー・アイランド・ベイビー、今こそ
(今のおれは、コニー・アイランド・ベイビーの一人さ)
おれはこの歌をルーとレイチェルに送りたい
それから、すべての若者たちと 第192パブリック・スクールのみんなに
コニー・アイランド・ベイビー
なあ、おれは君のためにすべてを捧げると誓うよ

          (訳:shigeyuki)