(2・《最後の閣砦(ラスト・リダウト)》つづき)
それでは「未来」の話を続けよう。だがその前にもう一つだけ言っておくべきことがある――そうして私が若さを失った姿で目覚め、この「現在」にいるのだと気がついた瞬間に、愛の渇きが時を越えて「未来」の私に届いたということだ。それは単なる夢の記憶ではなく、痛みを伴った「現実」としてであり、それで私は自分が「失ったもの」について、突然知ることとなったのだ。そしてこの時から先、私は自分の人生が磨り減ってしまったかのように感じ、その声に耳を澄ますようになった。
やがて、(新たな肉体を得た未来の)私は、その新たな人生においても愛しきミルダスへの激しい渇望を感じ、彼女の存在が自分とともにあることを知っているが故に、私と同じように生まれ変わっているかもしれないと思った。それで既に言ったように、私は渇望を覚えつつ、耳を澄ましていたのだ。
随分と横道に逸れたが、記憶を手に入れたことによって、決して知りえないはずの太陽の輝きやこの時代の明るさといった、これまではもっと漠然とした曖昧な想像の賜物でしかなかったものが、はっきりとした形を取って知覚されたということに驚かされた。だからこうして知識を手に入れた今となっては、アエスワープスは真実を知らなかったのだと私には思えたのだった。
この時から暫くの間に私が知ったこと、考えたこと、感じたことの全てが想像を絶していた。そして時間が経つにつれ、いにしえの日々で失った女性――かつて確かに存在した光溢れる夢のような日々に私のために歌を歌ってくれた女性――への思慕が、狂おしいほどに増幅して行った。そして未来の私はしみじみと、忘却の淵に沈んだ古えの素晴らしい世界に思いを馳せたのだった。
やがて私は霧がかった夢の記憶の疼きから自分を取り戻し、今一度巨大な銃眼を通じて、《ナイトランド》の想像を絶する奇妙な光景を眺めた。そこに広がるぞっとするような神秘の光景を眺めて、退屈を感じるような人間はかつて一人もいなかったに違いない。だからこそ老いも若きも、物心がついてから死を迎えるその時まで、我ら人類を匿ってくれる最後の砦から《ナイトランド》の漆黒の世界を眺めて来たのだ。
《赤い窪》(レッド・ピット)の右手には《赤い火の谷》(ベール・オブ・レッド・ファイア)と呼ばれる長く曲がりくねった火道が横たわっており、その向こう側には《ナイトランド》の漆黒の闇が不気味に何マイルにも渡って続いていた。そしてその闇の中には《青い火の原》(プレイン・オブ・ブルー・ファイア)が横たわり、冷たい光を放っていた。
そして《未知の領域》(アンノウン・ランド)の境界線上には低い火山が幾つも連なって火を噴いており、そのさらに彼方の闇の中には《黒の丘陵》(ブラック・ヒルズ)が、永遠に揺らぎも瞬きもしない《七光》(セブン・ライツ)を輝かせていた。その辺りになると、この巨大な望遠鏡でさえはっきとは伺えない。さらに言えば、このピラミッドから冒険の旅に出て、何らかの情報を持ち帰った者もいない。ここで言い添えておくが、《閣砦中央図書室》(グレート・ライブラリー・オブ・ザ・リダウト)の奥深くには、生命ばかりか魂までもを賭して《ナイトランド》の恐るべき領域へ冒険に出かけた人々の歴史が、彼らの持ち帰った様々な発見と共に所蔵されているのだ。
もちろんこうしたことは何もかもが語るには余りにも奇妙で驚異に満ちたことだから、私にこの仕事が完遂できるのだろうかと思うと、ほとんど絶望的な気分になる。語らなければならないことは山のようにあるが、目の前に広がる光景や身の回りのこと、それにその時代の人々が持っている一般的な知識について明確に語って聞かせるには、手持ちの言葉が余りにも乏しいのだ。
これからありのままに語ろうとしている物事の大きさ、現実感、そして恐怖について、私がそれを真実であると知っているように、読者に伝えることが出来るだろうか。私たちにしてみれば、自分たちの人生の記録の僅かな期間にさえ語るに足る偉大な歴史があるに違いないというのに、そうした年月の中で少しでもはっきりと細部まで知っていることなど、ほんの数千といったところだ。だが私は、この人生の僅かな期間の中で、人生の満ち足りた日々について、そして巨大なピラミッドの内と外との日々について、これを読む人々にはっきりと示し、真実を語らなければならない。しかも偉大な《閣砦》(リダウト)の数奇な歴史は数千年どころではない。数百万年にも及ぶのだ。ああ、あの時代の人々が遥か昔に思いを馳せ、地球の幼年期を想像したとしても、太陽は世界の夜空の鈍く暗い球体でしかないかもしれない。しかし太陽は完全に姿を消して、神話の中にしか存在しない存在になってしまっているのだから、半信半疑にならざるを得ないし、正気の人間や分別を重んじる人にとっては、信じ難いことだろう。
そして私は……いったいどうやって読者にこうしたことを完全に分かってもらえばよいのだろう?とても不可能には違いない。だが私は自分の辿ってきた道について語らなければならない。これほどの驚異を目の前にして口を噤んでいるのは、胸が痞えるような気がする。だから私は難しくても力を尽くして自分の過去と未来について語り、魂を落ち着けたいのだ。ああ、遠い未来の若者、つまり私だが、ずっと幼い頃、「あの」時代の乳母にあやされながら、未来のお伽噺の中に出てくる、今ではピラミッドの上空に広がっている闇の中をかつては横切っていたという、既に神話と化した太陽の、荒唐無稽な子守唄を唄って聞かせて貰っていたという記憶もあるのだ。
そうしたことは、遥か未来の若者である私の目を通して見た未来の光景である。
それでは物語に戻ろう。私の右手、つまりは北の方角の遥か彼方に、《沈黙の家》(ザ・ハウス・オブ・サイレンス)が、小高い丘の上に建っていた。その《家》の内部は溢れんばかりの光で満ちていたが、全く音というものがなかった。それは太古の昔から変わることがない。いつでも安定した光があり、クスリとも音がしない――例え遠距離マイクロフォンのようなものを使おうとも、音を拾うことは出来ないだろう。そしてこの恐ろしい《家》は、この領域で最も危険な場所と考えられていた。
そして《沈黙の家》(ザ・ハウス・オブ・サイレンス)に沿って、《無言のやつらの歩む道》(ロード・ウェアー・サイレント・ワンズ・ウォーク)が湾曲しながら伸びていた。この《道》については、《未知の領域》(アンノウン・ランド)の向こうから現れ、常に緑色に発光する霧が立ち込めている《亜人の土地》(プレイス・オブ・ザ・アブ=ヒューマン)にまで伸びているということ以外には、何も知られていない。ただ一つ分かっていることは、巨大ピラミッドに付随したあらゆる作業の中でも、それだけは健全な人間の労苦によって、遠い昔に作り出されたものであるということである。そしてこの点においてだけでも、千冊、あるいはそれ以上の本が書かれてきた。もっとも、こうしたことが大抵そうであるように、答えなどは出ていない。
《無言のやつらの歩む道》に沿ってゆくなら、他の恐ろしいものにも全て触れることになる……ここにある図書室には、それらのことについて特化したものがいくつもあるくらいだ。そして十億冊以上にも及ぶ書物が、時とともに塵と化して忘れ去られていった。
ふと思いついた私は、間もなく《閣砦》の第一千階層を横断する中央移動帯に乗った。この道は《ナイトランド》の原野から六マイルと三十ファザム上方にあって、全長が一マイルかそれ以上ある。数分後、私は南東の壁に到着し、巨大な銃眼を通して正面の《銀火の三穴》(スリー・シルバーファイア・ホールズ)を眺めたが、その輝きは南東の遥か彼方の《うたた寝するもの》(シング・ザット・ノッズ)のずっと手前にあった。その南、しかしよりこの場所の近くには、《南東の監視者》(サウス=ウェスト・ウォッチャー)――南東を監視するもの――の巨体が聳えていた。そして蹲る怪物の左右には、松明が燃えていた。どちらの松明も、監視者からは半マイルほどは離れているようだった。だがその光は、決して眠ることのない怪物の、前に張り出した頭を照らし出すには十分だった。
それでは「未来」の話を続けよう。だがその前にもう一つだけ言っておくべきことがある――そうして私が若さを失った姿で目覚め、この「現在」にいるのだと気がついた瞬間に、愛の渇きが時を越えて「未来」の私に届いたということだ。それは単なる夢の記憶ではなく、痛みを伴った「現実」としてであり、それで私は自分が「失ったもの」について、突然知ることとなったのだ。そしてこの時から先、私は自分の人生が磨り減ってしまったかのように感じ、その声に耳を澄ますようになった。
やがて、(新たな肉体を得た未来の)私は、その新たな人生においても愛しきミルダスへの激しい渇望を感じ、彼女の存在が自分とともにあることを知っているが故に、私と同じように生まれ変わっているかもしれないと思った。それで既に言ったように、私は渇望を覚えつつ、耳を澄ましていたのだ。
随分と横道に逸れたが、記憶を手に入れたことによって、決して知りえないはずの太陽の輝きやこの時代の明るさといった、これまではもっと漠然とした曖昧な想像の賜物でしかなかったものが、はっきりとした形を取って知覚されたということに驚かされた。だからこうして知識を手に入れた今となっては、アエスワープスは真実を知らなかったのだと私には思えたのだった。
この時から暫くの間に私が知ったこと、考えたこと、感じたことの全てが想像を絶していた。そして時間が経つにつれ、いにしえの日々で失った女性――かつて確かに存在した光溢れる夢のような日々に私のために歌を歌ってくれた女性――への思慕が、狂おしいほどに増幅して行った。そして未来の私はしみじみと、忘却の淵に沈んだ古えの素晴らしい世界に思いを馳せたのだった。
やがて私は霧がかった夢の記憶の疼きから自分を取り戻し、今一度巨大な銃眼を通じて、《ナイトランド》の想像を絶する奇妙な光景を眺めた。そこに広がるぞっとするような神秘の光景を眺めて、退屈を感じるような人間はかつて一人もいなかったに違いない。だからこそ老いも若きも、物心がついてから死を迎えるその時まで、我ら人類を匿ってくれる最後の砦から《ナイトランド》の漆黒の世界を眺めて来たのだ。
《赤い窪》(レッド・ピット)の右手には《赤い火の谷》(ベール・オブ・レッド・ファイア)と呼ばれる長く曲がりくねった火道が横たわっており、その向こう側には《ナイトランド》の漆黒の闇が不気味に何マイルにも渡って続いていた。そしてその闇の中には《青い火の原》(プレイン・オブ・ブルー・ファイア)が横たわり、冷たい光を放っていた。
そして《未知の領域》(アンノウン・ランド)の境界線上には低い火山が幾つも連なって火を噴いており、そのさらに彼方の闇の中には《黒の丘陵》(ブラック・ヒルズ)が、永遠に揺らぎも瞬きもしない《七光》(セブン・ライツ)を輝かせていた。その辺りになると、この巨大な望遠鏡でさえはっきとは伺えない。さらに言えば、このピラミッドから冒険の旅に出て、何らかの情報を持ち帰った者もいない。ここで言い添えておくが、《閣砦中央図書室》(グレート・ライブラリー・オブ・ザ・リダウト)の奥深くには、生命ばかりか魂までもを賭して《ナイトランド》の恐るべき領域へ冒険に出かけた人々の歴史が、彼らの持ち帰った様々な発見と共に所蔵されているのだ。
もちろんこうしたことは何もかもが語るには余りにも奇妙で驚異に満ちたことだから、私にこの仕事が完遂できるのだろうかと思うと、ほとんど絶望的な気分になる。語らなければならないことは山のようにあるが、目の前に広がる光景や身の回りのこと、それにその時代の人々が持っている一般的な知識について明確に語って聞かせるには、手持ちの言葉が余りにも乏しいのだ。
これからありのままに語ろうとしている物事の大きさ、現実感、そして恐怖について、私がそれを真実であると知っているように、読者に伝えることが出来るだろうか。私たちにしてみれば、自分たちの人生の記録の僅かな期間にさえ語るに足る偉大な歴史があるに違いないというのに、そうした年月の中で少しでもはっきりと細部まで知っていることなど、ほんの数千といったところだ。だが私は、この人生の僅かな期間の中で、人生の満ち足りた日々について、そして巨大なピラミッドの内と外との日々について、これを読む人々にはっきりと示し、真実を語らなければならない。しかも偉大な《閣砦》(リダウト)の数奇な歴史は数千年どころではない。数百万年にも及ぶのだ。ああ、あの時代の人々が遥か昔に思いを馳せ、地球の幼年期を想像したとしても、太陽は世界の夜空の鈍く暗い球体でしかないかもしれない。しかし太陽は完全に姿を消して、神話の中にしか存在しない存在になってしまっているのだから、半信半疑にならざるを得ないし、正気の人間や分別を重んじる人にとっては、信じ難いことだろう。
そして私は……いったいどうやって読者にこうしたことを完全に分かってもらえばよいのだろう?とても不可能には違いない。だが私は自分の辿ってきた道について語らなければならない。これほどの驚異を目の前にして口を噤んでいるのは、胸が痞えるような気がする。だから私は難しくても力を尽くして自分の過去と未来について語り、魂を落ち着けたいのだ。ああ、遠い未来の若者、つまり私だが、ずっと幼い頃、「あの」時代の乳母にあやされながら、未来のお伽噺の中に出てくる、今ではピラミッドの上空に広がっている闇の中をかつては横切っていたという、既に神話と化した太陽の、荒唐無稽な子守唄を唄って聞かせて貰っていたという記憶もあるのだ。
そうしたことは、遥か未来の若者である私の目を通して見た未来の光景である。
それでは物語に戻ろう。私の右手、つまりは北の方角の遥か彼方に、《沈黙の家》(ザ・ハウス・オブ・サイレンス)が、小高い丘の上に建っていた。その《家》の内部は溢れんばかりの光で満ちていたが、全く音というものがなかった。それは太古の昔から変わることがない。いつでも安定した光があり、クスリとも音がしない――例え遠距離マイクロフォンのようなものを使おうとも、音を拾うことは出来ないだろう。そしてこの恐ろしい《家》は、この領域で最も危険な場所と考えられていた。
そして《沈黙の家》(ザ・ハウス・オブ・サイレンス)に沿って、《無言のやつらの歩む道》(ロード・ウェアー・サイレント・ワンズ・ウォーク)が湾曲しながら伸びていた。この《道》については、《未知の領域》(アンノウン・ランド)の向こうから現れ、常に緑色に発光する霧が立ち込めている《亜人の土地》(プレイス・オブ・ザ・アブ=ヒューマン)にまで伸びているということ以外には、何も知られていない。ただ一つ分かっていることは、巨大ピラミッドに付随したあらゆる作業の中でも、それだけは健全な人間の労苦によって、遠い昔に作り出されたものであるということである。そしてこの点においてだけでも、千冊、あるいはそれ以上の本が書かれてきた。もっとも、こうしたことが大抵そうであるように、答えなどは出ていない。
《無言のやつらの歩む道》に沿ってゆくなら、他の恐ろしいものにも全て触れることになる……ここにある図書室には、それらのことについて特化したものがいくつもあるくらいだ。そして十億冊以上にも及ぶ書物が、時とともに塵と化して忘れ去られていった。
ふと思いついた私は、間もなく《閣砦》の第一千階層を横断する中央移動帯に乗った。この道は《ナイトランド》の原野から六マイルと三十ファザム上方にあって、全長が一マイルかそれ以上ある。数分後、私は南東の壁に到着し、巨大な銃眼を通して正面の《銀火の三穴》(スリー・シルバーファイア・ホールズ)を眺めたが、その輝きは南東の遥か彼方の《うたた寝するもの》(シング・ザット・ノッズ)のずっと手前にあった。その南、しかしよりこの場所の近くには、《南東の監視者》(サウス=ウェスト・ウォッチャー)――南東を監視するもの――の巨体が聳えていた。そして蹲る怪物の左右には、松明が燃えていた。どちらの松明も、監視者からは半マイルほどは離れているようだった。だがその光は、決して眠ることのない怪物の、前に張り出した頭を照らし出すには十分だった。
"The Night Land"
Written by William Hope Hodgson
(ウィリアム・ホープ・ホジスン)
Transrated by shigeyuki