漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




 一昨日、高田馬場のツタヤを覗くと、コミックスのレンタルが始まっていた。いわゆる、新たなタイプの貸本。特に何を読みたいというわけでもなかったが、キャンペーンということでレンタル代が50円だったから、最近よく書店でポップを見かける

「聖☆おにいさん」 中村光著

の二巻を借りた。ちょっとどんなマンガなのか、興味があったのだ。二巻を借りたというのは、この一冊しか残っていなかったから。でも、まあいいかと。
 よくもまあこんなに馬鹿馬鹿しい(笑)マンガを思いつくなあと。基本的に仏陀とキリストの掛け合い漫才で、それぞれの説話からとった楽屋オチの連続。なかなか面白いマンガだった。

 今日は吉祥寺がゴールデンウィークのお祭り。
 駅前をサンバ隊がパレードしていた。
 サンバは嫌いじゃないが、だからといって何でもサンバを呼べばいいってもんじゃないと思うんだけど、どうだろう。それに、日本人の女性にあの衣装は余り似合わないとも思う。どういうわけだか、妙に淫靡な感じがして。

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 “ボレアル号”の探検隊に先行する十年間に、二十七以上の探検隊が旅立ったが、いずれも失敗に終わっていた。
 この新たな熱狂の火種は、シカゴのチャールズ・P・スティックニーという、酔狂で名高い、比類なき大富豪が遺した遺言状にあった。彼は“ボレアル号”が計画に着手するちょうど十年前に死んだのだが、一億七千五百万ドルを、その国籍に関わらず、最初に北極点に到着した人間に与えると遺言したのだった。
 実際には、このような言葉で言い表していた――『最初に到着したその人に』。このような曖昧な言葉で人物を指定したため、ヨーロッパにおいてもアメリカにおいても、その遺言の真意は、どうあれ最初に到着した探検隊の“隊長”を意味するのかどうかという点について、すぐに長きに渡る熱い議論を生むこととなった。だが最終的には、法律学の最高識者によって、いかなる場合でも、実際に文書に残された言葉を遵守すべきだとされた。ならばそれは個人を指すわけで、立場が探検隊の中でどのようなものであろうと、北緯90度を最初に踏みしめたならば、その人が幸運を手にする人間となるというわけである。
 いずれにせよ、世間には騒乱が巻き起こり、既に述べたように、あからさまな熱狂がやってきた。そして“ボレアル号”の際にはそれが格別で、日々の進捗状況が細部に至るまで新聞に書き立てられたから、誰もが船の権威のような口を利くようになり、やがては人々の賭けの対象になったり、希望になったり、冗談の種になったり、さらには嘲りの対象にさえなった。しかし今のところ、それはおそらく成功するだろうというのが大勢の見方だった。それでマッケイは、幾分驚いたような、そして幾分世をすねたような態度で、聴衆に訴えかけた。
 真に王者の心を持つ人間なら、何と言っても、あえて時代に反旗を翻すだけの気概を持つべきだ!一人の正しい人間が、四百万の誤った道を行こうとしている人々に対して、君たちは間違っている、全て過ちだ!そう言うとしよう。すると人々は彼のことを、『洗礼者ヨハネの生まれ変わりだ』と呼ぶに違いない。だが、疑いなく彼はその種の人間なのだ。私は思う。彼はボレアル号のことを、ヨーロッパのどんな国の君主も、余程の恥知らずでなければ、嬉々として乗船しようとしたりはしないはずだと言って糾弾するに違いない。
 三度目の日曜日の夜の抗議集会の時、ぼくはケンジントン教会にいて、彼の言葉を聞いた。何と荒々しい演説だっただろう!彼はまるで、何かが憑依した人間であるかのようだった。
 人々は、マッケイが早口の呟きから衝撃的に鳴り響くクライマックスに至るまで、抑揚をつけたあらゆる声調を使いながら神託にも似た言葉を語る姿に、完全に魔法をかけられたかのようになって座っていた。そして彼らは、最後の秘境のことなど嘲笑う気分になりつつあった。
 要約すれば、彼の語っていたことはこのようなことだった。そこにはまず疑いなくある種の破滅、さもなくば宿命が存在するが、それは地球の極点が人類と深い関わりがあるからだ。人類が極点への挑戦を続けてきたにも関わらず、失敗し続けているというのは、十分に、いや、十分すぎるほど、このことを証明している。この失敗の連続はレッスン――つまり一種の警告であり、この競争は危険を軽視しているのだ。
 北極点は(と彼は言った)余りに遠いというわけではないし、そこに辿り着くための困難というのは、広大な氷の大地を延々と行かなければならないということではない。人間の叡智は、その千倍も難しいことを数限りなく成し遂げてきた。ところが、半ダース以上ものよく練られた計画が十九世紀に、さらには三十一の計画が二十世紀になってから実行されたが、辿り着いた人間はいまだ誰一人としていない。人は常に阻まれてきた。時には見せかけのチャンスによって、時には何者かの“手”によって。ここには教訓が――警告が存在する。見事な――本当に見事な――エデンの園の知恵の樹のようなものが(と彼は表現した)、極点には存在するのだ。地球のあらゆる地点が人類には開かれ、提供されているが――“そこ”だけは永遠にベールに包まれ、『禁じられている』のだ。それは父が息子の頭の上に手を置き、『ここは駄目だ、坊主。他のところならどこでもかまわないが――ここだけは駄目だ』と言うのと同じなのだ。

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Within the ten years preceding the Boreal expedition, no less than twenty-seven expeditions had set out, and failed.
The secret of this new rage lay in the last will and testament of Mr. Charles P. Stickney of Chicago, that king of faddists, supposed to be the richest individual who ever lived: he, just ten years before the Boreal undertaking, had died, bequeathing 175 million dollars to the man, of whatever nationality, who first reached the Pole.
Such was the actual wording of the will--'the man who first reached': and from this loose method of designating the person intended had immediately burst forth a prolonged heat of controversy in Europe and America as to whether or no the testator meant the Chief of the first expedition which reached: but it was finally decided, on the highest legal authority, that, in any case, the actual wording of the document held good: and that it was the individual, whatever his station in the expedition, whose foot first reached the 90th degree of north latitude, who would have title to the fortune.
At all events, the public ferment had risen, as I say, to a pitch of positive fever; and as to the Boreal in particular, the daily progress of her preparations was minutely discussed in the newspapers, everyone was an authority on her fitting, and she was in every mouth a bet, a hope, a jest, or a sneer: for now, at last, it was felt that success was probable. So this Mackay had an acutely interested audience, if a somewhat startled, and a somewhat cynical, one.
A truly lion-hearted man this must have been, after all, to dare proclaim a point-of-view so at variance with the spirit of his age! One against four hundred millions, they bent one way, he the opposite, saying that they were wrong, all wrong! People used to call him 'John the Baptist Redivivus': and without doubt he did suggest something of that sort. I suppose that at the time when he had the face to denounce the Boreal there was not a sovereign on any throne in Europe who, but for shame, would have been glad of a subordinate post on board.
On the third Sunday night of his denunciation I was there in that Kensington chapel, and I heard him. And the wild talk he talked! He seemed like a man delirious with inspiration.
The people sat quite spell-bound, while Mackay's prophesying voice ranged up and down through all the modulations of thunder, from the hurrying mutter to the reverberant shock and climax: and those who came to scoff remained to wonder.
Put simply, what he said was this: That there was undoubtedly some sort of Fate, or Doom, connected with the Poles of the earth in reference to the human race: that man's continued failure, in spite of continual efforts, to reach them, abundantly and super-abundantly proved this; and that this failure constituted a lesson--and a warning--which the race disregarded at its peril.
The North Pole, he said, was not so very far away, and the difficulties in the way of reaching it were not, on the face of them, so very great: human ingenuity had achieved a thousand things a thousand times more difficult; yet in spite of over half-a-dozen well-planned efforts in the nineteenth century, and thirty-one in the twentieth, man had never reached: always he had been baulked, baulked, by some seeming chance--some restraining Hand: and herein lay the lesson--herein the warning. Wonderfully--really wonderfully--like the Tree of Knowledge in Eden, he said, was that Pole: all the rest of earth lying open and offered to man--but That persistently veiled and 'forbidden.' It was as when a father lays a hand upon his son, with: 'Not here, my child; wheresoever you will--but not here.'

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Transrated by shigeyuki




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「最後にして最初の人類」 オラフ・ステープルドン著 浜口稔訳
国書刊行会刊

 読了。
 
 二十億年にも及ぶ、人間の未来誌。伝説的なSF作品だが、ようやく読んだ。
 これまで読まずに来てしまっていたのは、相当読みにくそうだったからという、怠惰な理由である。それに、実はそれほど期待もしていなかった。大体の内容は知っていたからである。
 確かに読みにくいことは読みにくい。翻訳も大変だっただろうなあと思う。タイトルからして、上手い訳が浮かびにくいのだから。でも、訳文が丁寧だったせいもあるだろうけれど、考えていたほどでもなかったし、やっぱり読んでよかった。確かにこれはとんでもない奇作である。全体にちょっとバランスが悪いというあたりからも、異様な情熱を感じる。「幻想文学大系」なんかに入っていても、全く違和感がないと思う。
 こうした、大きすぎる時空を扱う小説の系譜は、大好きである。
 さて、次はいよいよ「スターメイカー」に挑戦しなければ。
 これも、実はまだ読んでなかったのである。
 

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 (以降が、“Ⅲ”と書かれたノートの内容である)
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 紫の雲
 

 そうだ、記憶は今では薄れつつある、いや、むしろ損なわれたというべきか。例えば“ボレアル号”が出船する直前に、北極点へ到着しようという試みが邪悪であると説法していた牧師の名前は、一体何と言っただろう?忘却の淵の中だ!だが、四年前には、自分の名前と同じくらい馴染みのある名前だったのだ。
 航海の前に起こった出来事は、今では記憶の中でいささか靄懸って思える。ぼくはこのコーンウォールの別荘のロッジア(柱廊)に座り、一体何が起こったのかについて、ある種の理由を書き留めているのだが――神は、それを読んだ人間が誰もいなかった時から、その理由を知っていた――そもそもの始まりとなった牧師の名前を、思い出せないのだ。
 彼はエアーシアから来たスコットランド人で、背が高くて痩せていて、黄褐色の髪の色をしていたが、確かにちょっと奇妙な男だった。くしゃくしゃの髪のままで、粗末な着物を着て、片方の肩からは格子縞の織物を垂らしながら、ロンドンの街を歩いていたものだった。一度、私は彼をホルボーンで見かけたが、彼は険しい顔でぶつぶつと何か呟きながら、やや大股で歩いていた。彼はロンドンにやって来るとすぐに教会を開いたが(フェター・レーンだったと思う)、その小さな礼拝堂は次第に人で一杯になるようになった。数年後、彼は巨大な教会をケンジントンに建てて移り住んだが、アメリカやオーストラリアからやってきた人々も含む様々な人々が、明らかに説教壇の上の預言者と神託に熱狂するような年齢ではなかったにも関わらず、彼の語る説法に耳を傾けた。だが、この集まった人々は疑いなく、心の中に眠っていた激しくも暗い衝動を呼び起こされたのだ。彼の眼差しは鬼気迫り、力強かった。彼の囁く声は、まるで雪球のように聴衆の中を転がり、砕けたが、ぼくはそこに遥か彼方の北極で叢氷が音を立てている音を感じ取った。彼の身振りは、まるで原始時代の野人のように、無骨でもたついていたというのに。
 そうだ、この男は――彼の名前は何と言っただろう?マッキントッシュ?マッケイ?私は思う――そうだ、それだ!マッケイ!マッケイは、“ボレアル号”が北極を目指すという新しい試みに対して、腹を立てているように思えた。それで、いよいよ準備が終わろうという頃、三週続けて日曜日に、ケンジントンにはそれに対する反対の嵐が吹き荒れた。
 北極点に一番乗りする日付はいつか、ということに関する世界的な関心は、ほとんど“熱狂”としか表現できないものだったが、それを異様な興奮であるとか、いささか行き過ぎだとか、そういった言葉で表現されることは殆どなかった。というのも、人類というものには抽象的なものに対する関心があり、未だに知られていない場所について単純に知識として知りたいという欲望を常に持っているものだが、ここに来て、突然そこに新たなる関心事――つまり、“お金”という具体的な関心事が加わったことによって、がぜん熱狂が加速したのだ。
 新たに加わった熱狂は、もともと古くからあった熱狂を様変わりさせ、そこから健康的な要素を駆逐してしまった。そして今では富の邪神マモンが、その声を轟かせていた。


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(Here begins the note-book marked 'III.')
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THE PURPLE CLOUD

Well, the memory seems to be getting rather impaired now, rather weak. What, for instance, was the name of that parson who preached, just before the Boreal set out, about the wickedness of any further attempt to reach the North Pole? I have forgotten! Yet four years ago it was familiar to me as my own name.
Things which took place before the voyage seem to be getting a little cloudy in the memory now. I have sat here, in the loggia of this Cornish villa, to write down some sort of account of what has happened--God knows why, since no eye can ever read it--and at the very beginning I cannot remember the parson's name.
He was a strange sort of man surely, a Scotchman from Ayrshire, big and gaunt, with tawny hair. He used to go about London streets in shough and rough-spun clothes, a plaid flung from one shoulder. Once I saw him in Holborn with his rather wild stalk, frowning and muttering to himself. He had no sooner come to London, and opened chapel (I think in Fetter Lane), than the little room began to be crowded; and when, some years afterwards, he moved to a big establishment in Kensington, all sorts of men, even from America and Australia, flocked to hear the thunderstorms that he talked, though certainly it was not an age apt to fly into enthusiasms over that species of pulpit prophets and prophecies. But this particular man undoubtedly did wake the strong dark feelings that sleep in the heart; his eyes were very singular and powerful; his voice from a whisper ran gathering, like snow-balls, and crashed, as I have heard the pack-ice in commotion far yonder in the North; while his gestures were as uncouth and gawky as some wild man's of the primitive ages.
Well, this man--what was his name?--Macintosh? Mackay? I think--yes, that was it! Mackay. Mackay saw fit to take offence at the new attempt to reach the Pole in the Boreal; and for three Sundays, when the preparations were nearing completion, stormed against it at Kensington.
The excitement of the world with regard to the North Pole had at this date reached a pitch which can only be described as fevered, though that word hardly expresses the strange ecstasy and unrest which prevailed: for the abstract interest which mankind, in mere desire for knowledge, had always felt in this unknown region, was now, suddenly, a thousand and a thousand times intensified by a new, concrete interest--a tremendous money interest.
And the new zeal had ceased to be healthy in its tone as the old zeal was: for now the fierce demon Mammon was making his voice heard in this matter.

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Transrated by shigeyuki




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 天気の良い日曜日。夫婦で横浜へ向かう。
 横浜のみなとみらい地区は、これまで見たこともないほどの賑わい。
 いつも、それなりに人はいるのだが、こんなに人がいるのは初めて。
 どうしてなんだろう、と思ったが、やがてその理由が分かった。
 横浜開港150周年記念の目玉である、「ラ・マシン」のイベントがあるのだ。
 午後二時過ぎ、赤レンガ倉庫で二匹(?)の巨大な機械蜘蛛が動いている姿を目撃。圧倒される。まさにスチーム・パンクの世界そのままである。蜘蛛は、長い腕を複雑に動かしながら、やはりゴンドラに乗った楽団を率いて、日本大通りへと移動していった。
 今日横浜にやってきたのは、全くの偶然だったから、このフランスのアート集団によるパフォーマンスを見ることが出来たのはとても幸運だった。仕組み自体は、たしかにちょっと大掛かりな山車なのかもしれないが、このインパクトは凄い。本物の蜘蛛は大嫌いだが、これは素晴らしかった。「You tube」辺りにも、結構映像が上がっているんじゃないだろうか。
 夜にもこのイベントの続きがあったようだが、ちょっと早く帰らなければならなかったので、そこまで見ることが出来ず残念だったが、心地よい日でもあったし、満足な一日だった。
 

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 しかしこの最後の方向への旅は、はっきりとした限界地点が存在するように思えた。確かなことであるとは言い切れないから、そう思われると言うだけに留めるが、その根拠は、私の努力に関わらず、彼女は決してこの方向へは遠くまで出かけなかったという事実があったからである。三、四千“マイル”は、“上へ”の距離を表わす時に彼女の口からごく普通に出る言葉だったが、“内部へ”の距離に関しては、決して六三を越えることはなかった。通常は、彼女は二十か、二五と言った。つまり未来に関して言えば、深海のダイバーに似ていて、より深く潜ろうとしても強い水圧に阻まれることが分かると、それほど深くない、抵抗のない場所に留まり、それ以上努力することを止めるようなのだ。
 これ以上続けられないのが辛い。とはいえ、私はこの女性について君に多くのことを語った。十五年の間、断続的に、私は薄暗いベッドの傍らに座り、彼女の朦朧とした呟きを聴いてきたのだ!最終的に、私の熟練した耳は彼女の微かな溜息の意味さえ汲み取れるほどになった。私は『ローマ帝国衰亡史』を最初から終りまで聞かされた。彼女のレポートのいくつかは、ほとんど取り上げる価値もない無意味なものだ。だがその他のものは興味深く、戦慄を感じざるを得ない。そうだ友よ、私はマリー・ウィルソンの青ざめた唇から生み出される驚くべき言葉を耳にした。時には、私が思いつくままに選んだ事象や場面について、何度も繰り返してもらうことが出来ることもあった。だが大抵は、彼女の魂は自由気儘に羽ばたき、私を途方に暮れさせた。彼女は抵抗した――従わなかったのだ。そうでなければ、私は君にノートブックをたった四冊だけではなく、二十冊でも四十冊でも、送ることが出来たのだが。五年目に差し掛かった頃だろうか、彼女の言葉をさっと書き留めておくのにいいのではないかと、私は速記を覚えた。
 “Ⅰ”という番号が振られているノートブック(原注:1)は七年目のもので、最も興味がそそられるものだと思われる。その過程は、他の三つと同じく、このようなものだ。ある午後のこと、私は“リーディングしている”最中に、彼女が呟きの中に抑揚をつけるのを耳にした。そのことに私は興味を持った。私は彼女に、今何処に居るのか、と訊いた。彼女は答えた。「ワタシタチヲ、四十五マイル内部に。ワタシタチヲ読む。そして他は書く」このことから、私は彼女が十五年から三十年の間の未来にいると結論したが、それはまだこれまでに一度も語られていないことであった。その後数週間をかけて、私はなんとか彼女を同じ主題に留まらせ、ついには、かなり満足の行く仕事を成し遂げることが出来たと思う。君もきっと興味を持つと思うから、このノートを読んで欲しいと思う。
 だが、マリー・ウィルソンは今はもういない。むしろ、F.R.C.P.のA.L.ブラウンについて少し考えるべきなんだろうな!――気管に呼吸管をつけ、枕の下に永遠を敷いている……」(ブラウン博士の手紙は続くが、ここには関係がないことである)
 (筆者が付け加えることがあるとしたら、ブラウン博士の予測は、彼自身の症例によって、正確であったと証明された。彼は上記の手紙を書いた二日後にこの世を去ったからだ。筆者がここに速記から起こした本には“Ⅲ”という番号が振られていた。私はここに余計なコメントは加えず、単に読者に対して、ここに描かれていることは一冊の本、あるいは書き留められた文書から起こしたものであるとだけ告げようと思うが、そうすることの理由は、内容が(ウィルソン婦人の語るところによると)未来の出来事であるからで、過去に負けず劣らず――そう、過去がそうであるようにだ――実質的に現在に存在している我々には伺いようがないからである。私がやったことと言えば、ただタイトルを付けたり、不自然だと思うところを、利便性や体裁を考えて適当にパラグラフに分けたり、そういったことだけである)

 (原注1: これは『最後の奇跡』のタイトルのもとに出版しようと考えている。“Ⅱ”は『海の支配者』というタイトルになるだろう。いま読者の目の前にある本は“Ⅲ”である。“Ⅳ”に関しては、まだ作業を終えていないが、今の所、出版に値するとは考えていない)

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To her excursions in this last direction, however, there seemed to exist certain fixed limits: I say seemed, for I cannot be sure, and only mean that, in spite of my efforts, she never, in fact, went far in this direction. Three, four thousand "miles" were common figures on her lips in describing her distance "above"; but her distance "within" never got beyond sixty-three. Usually, she would say twenty, twenty-five. She appeared, in relation to the future, to resemble a diver in the deep sea, who, the deeper he strives, finds a more resistant pressure, till, at no great depth, resistance becomes prohibition, and he can no further strive.
'I am afraid I can't go on: though I had a good deal to tell you about this lady. During fifteen years, off and on, I sat listening by her dim bed-side to her murmuring trances! At last my expert ear could detect the sense of her faintest sigh. I heard the "Decline and Fall" from beginning to end. Some of her reports were the most frivolous nonsense: over others I have hung in a horror of interest. Certainly, my friend, I have heard some amazing words proceed from those wan lips of Mary Wilson. Sometimes I could hitch her repeatedly to any scene or subject that I chose by the mere exercise of my will; at others, the flighty waywardness of her spirit eluded and baffled me: she resisted--she disobeyed: otherwise I might have sent you, not four note-books, but twenty, or forty. About the fifth year it struck me that it would be well to jot down her more connected utterances, since I knew shorthand.
The note-book marked "I.," [1] which seems to me the most curious, belongs to the seventh year. Its history, like those of the other three, is this: I heard her one afternoon murmuring in the intonation used when reading; the matter interested me; I asked her where she was. She replied: "Us are forty-five miles within: us read, and another writes"; from which I concluded that she was some fifteen to thirty years in the future, perusing an as yet unpublished work. After that, during some weeks, I managed to keep her to the same subject, and finally, I fancy, won pretty well the whole work. I believe you would find it striking, and hope you will be able to read my notes.
'But no more of Mary Wilson now. Rather let us think a little of A.L. Browne, F.R.C.P.!--with a breathing-tube in his trachea, and Eternity under his pillow...' [Dr. Browne's letter then continues on a subject of no interest here.]
[The present writer may add that Dr. Browne's prognosis of his own case proved correct, for he passed away two days after writing the above. My transcription of the shorthand book marked 'III.' I now proceed to give without comment, merely reminding the reader that the words form the substance of a book or document to be written, or to be motived (according to Miss Wilson) in that Future, which, no less than the Past, substantively exists in the Present--though, like the Past, we see it not. I need only add that the title, division into paragraphs, &c., have been arbitrarily contrived by myself for the sake of form and convenience.]

[Footnote 1: This I intend to publish under the title of 'The Last Miracle; 'II.' will bear that of 'The Lord of the Sea'; the present book is marked 'III.' The perusal of 'IV.' I have yet finished, but so far do not consider it suitable for publication.]

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
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「ドロレス・クレイボーン」 スティーブン・キング著 矢野浩三郎訳
文春文庫 文藝春秋刊

読了。

 キングの作品の中では比較的短い長編。知名度も低い方だと思う作品で、実は僕は知らなかったのだけれど、人に薦めていただいて読んだ。だがこれは素晴らしい小説で、ホラー作家らしくはっとするような怖いシーンもあるにはあるけれど、ガラクタで組み立てられた文学作品というべき。隠れた名作と言っていいと思う。
 内容的には、殺人の容疑をかけられた一人の老女が、自分の半生を語るというもの。「ライ麦畑」などと同じで、最初から最後まで、今どうして自分がこうなっているのかという、モノローグで綴られている。もともとキングは憑依体質の作家だとは思うが、この作品ではそれが極限まで磨かれているように思える。

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 館長は冗談のつもりで言ったのだろうが、その一言で僕の将来は決まってしまった。この図書館の遥か底の方に、殆ど手付かずの宝の山がある。そう思うだけで震えてくるほどだった。
 それからというもの、僕は熱心に勉強に励み、同じくらい熱心に図書館にも通い続けた。そして二十五歳で学校を出た後、僕は希望通り中央図書館に職を得た。もともとそれほど人気のある職でもなかったし、僕は学校での成績も良い上に図書館の人たちへの覚えも良かったから、入り込むことは容易かった。だが、もちろんすぐに最下層の書庫に出入りが許されたわけではない。そのためには、二年間に渡る正規の研修が必要となる。幸運だったのは、単に勤続年数を重ねることによってしかその資格を得ることができないという訳ではなかったことだった。つまり最下層の書物に関しては、貴重な資料でもあるし、また書物の状態も非常に微妙であるから、その取り扱いに関して十分な知識が必要であるという点が重要なのであって、決して一部の人以外には秘密にされているという事情ではなかったのだ。したがって、司書たちの言葉によると「塵」ということになるが、最下層の書物を扱いたいという望みがあるなら、しかるべき研修を十分に受けた後であれば、年齢に関係なく書庫に出入り出来るようになるという訳だ。僕は働き始めてすぐにその資格を得るために研修を願い出たが、実際のところ、図書館で働いているからといって必ずしも必要な資格というわけでもなかったから、全員がその研修を受けるわけではない。実際のところ、資格を持っているからといって、好んで最下層の書庫に入りたがる司書など殆ど皆無といって良かった。その理由は、書庫に足を踏み入れて見ればすぐに分かる。
 普通の人間ならば、そこに一歩足を踏み入れた瞬間に、何ともいえない無力感に襲われるだろう。室内は乾燥しているし、空気清浄機も作動しているにも関わらず、どこか黴臭いような臭いがする。実際に書物が黴に侵されているという訳ではないのだろうが、どういう訳だか鼻腔に感じるのだ。だが何よりも圧倒されるのは、その書物――その紙の山が書物と言っていいのならだが――の、無尽蔵ともいえる数である。何フロアーにも及ぶ広大な書庫なのに、それでも書物の置き場所に困っているようで、床の上に積み上げられている紙の山があちらこちらにある。見渡せば見渡すほど、いったいどこから手をつけてよいのか分からなくなるのだ。それでもそうした紙の山に近づき、恐る恐る手を伸ばすと、驚いたことに大半の本は思いのほか状態がよく、手の中で崩れてゆくということも、全くないという訳ではないが、意外なほど少ない。この点については、館長が説明をしてくれたが、何でも昔の本というのはかなり高度な技術によって作られたものであるということで、半永久的に本としての体裁を保つといえるものも多いと言うのだ。だが、そうした技術は長い年月の間に次第に失われていってしまった。そして今となっては、こうした本が一体どういう技術で作られたものなのか、わからないというのだ。
 「最近の本は、みんなそれほど長い年月は持たないね。百年持つ書物も少ないかもしれん。ところが、古い本は驚くほど丈夫だ。どういう訳だか、古ければ古いほど丈夫だとさえ言えるかもしれん。おそらくは、そうして今でも十分に書物としての体裁を保っている本は、材質からして違うんだろうねえ」と館長は言った。「この『瑪瑙市』では手に入らん材料を使っているというのは確かだ。だがそれが何なのか、全くわからんし、加工や印刷の技術も分からん。どこかで知識が失われてしまったんだ。ここにあるのは、人が作った“本”であるとはいえ、今となっては謎の物体でもある訳だよ」
 「それじゃあ、とても大切なものなんですね」
 「そうだねえ。まあ、そうだ。だが、そうじゃないとも言えるだろうなあ。確かにここにある膨大な数の本は、我々人類の歴史の証人のようなものだ。だが、これらの本が最後に手に取られ、読まれたのは、一体どのくらい前のことだろう。誰にも手に取られないということは、誰にも必要とされていないということだ。ここにある本は確かに丈夫で、長く持つが、それでも永遠に形を留めておける訳じゃない。殆どの本は、失われたということさえ気付かれずに、そのまま失われて行くだろう。朽ちて塵になってゆくだろう。だが、それが損失であると考える人間がいなければ、それは損失にさえ成りようがない」
 僕は少し考えた。脳裏に、何処とも知れぬ薄暗い場所で夥しい数の書物が朽ちて砂になってゆく映像が浮かんだ。それは静かな幻だった。開かれることなく火中に消えた箱の中にどんなものが入っていたとしても、知ることがなければ、それは損失ではない。確かにそれは一つの真実だ。だが、本当にそれでいいのだろうか。いや、それを惜しいと考える人間が一人でもいる限り、やはりそれは損失であるはずだ、と僕は思った。
 「僕はここにある本を読みたいからこうして司書になりました」と僕は言った。「失われてしまったら、僕にはやっぱり損失です。酷い損失です。何とか、救うことは出来ないのでしょうか」
 「そうか」と館長は笑った。「実はわたしも惜しいんだよ。だから、何とかしたいと思っているし、色々と試みてもいるんだ。今のところは、さほど成果も出てはおらんがねえ。だが、君とは仲良くなれそうだ。そうだろう?」
 「ええ、もちろん」僕は答えた。
 「やっぱりだ。わたしは最初から分かっていたんだ。初めて君がこの図書館に来た日からね。もちろん君は、これからわたしの仕事を手伝ってくれるだろうね?」
 僕に異論のあるはずはなかった。
 その日を境に、僕は『瑪瑙市』の中央図書館の一部となったのだと思う。
 あるいは、この《ミッドナイトランド》という暮れ行く時間の、語り部である《観察者》の一人に。

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「真夜中の檻」 平井呈一著
創元推理文庫 東京創元社刊

を読む。

 「吸血鬼ドラキュラ」の翻訳などで知られる平井呈一が書いた短篇二編とエッセイなどが収められた一冊。短篇は、どちらもなかなか面白いが、どこかで読んだことがある気がするのも事実。特に表題作は、平井呈一が心酔していたアーサー・マッケンの影響が濃厚。エッセイも、あちらこちらから集めてきたという感じで、翻訳書に親しんできた人にとっては、それほど新味があるというわけでもない。
 けれども、この一冊はとても素敵な一冊。この本を作った人々全ての想いが凝縮されているように感じるのは、きっと考えすぎではないと思う。特に、平井呈一を師と仰ぐ荒俣宏の序文などは、感動さえ覚える。この本は、平井呈一の著書というよりも、彼を尊敬し、愛してきた怪奇小説ファンの、花束のようなものだろう。

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'She was well-to-do, and lived alone in old Wooding Manor-house, five miles from Ash Thomas. As you know, I was "beginning" in these parts at the time, and soon took up my residence at the manor. She insisted that I should devote myself to her alone; and that one patient constituted the most lucrative practice which I ever had.
'Well, I quickly found that, in the state of trance, Miss Wilson possessed very remarkable powers: remarkable, I mean, not, of course, because peculiar to herself in kind, but because they were so constant, reliable, exact, and far-reaching, in degree. The veriest fledgling in psychical science will now sit and discourse finically to you about the reporting powers of the mind in its trance state--just as though it was something quite new! This simple fact, I assure you, which the Psychical Research Society, only after endless investigation, admits to be scientific, has been perfectly well known to every old crone since the Middle Ages, and, I assume, long previously. What an unnecessary air of discovery! The certainty that someone in trance in Manchester can tell you what is going on in London, or in Pekin, was not, of course, left to the acumen of an office in Fleet Street; and the society, in establishing the fact beyond doubt for the general public, has not gone one step toward explaining it. They have, in fact, revealed nothing that many of us did not, with absolute assurance, know before.
'But talking of poor Miss Wilson, I say that her powers were remarkable, because, though not exceptional in genre, they were so special in quantity,--so "constant," and "far-reaching." I believe it to be a fact that, in general, the powers of trance manifest themselves more particularly with regard to space, as distinct from time: the spirit roams in the present--it travels over a plain--it does not usually attract the interest of observers by great ascents, or by great descents. I fancy that is so. But Miss Wilson's gift was special to this extent, that she travelled in every direction, and easily in all but one, north and south, up and down, in the past, the present, and the future.
This I discovered, not at once, but gradually. She would emit a stream of sounds in the trance state--I can hardly call it speech, so murmurous, yet guttural, was the utterance, mixed with puffy breath-sounds at the languid lips. This state was accompanied by an intense contraction of the pupils, absence of the knee-jerk, considerable rigor, and a rapt and arrant expression. I got into the habit of sitting long hours at her bed-side, quite fascinated by her, trying to catch the import of that opiate and visionary language which came puffing and fluttering in deliberate monotone from her lips. Gradually, in the course of months, my ear learned to detect the words; "the veil was rent" for me also; and I was able to follow somewhat the course of her musing and wandering spirit.
At the end of six months I heard her one day repeat some words which were familiar to me. They were these: "Such were the arts by which the Romans extended their conquests, and attained the palm of victory; and the concurring testimony of different authors enables us to describe them with precision..." I was startled: they are part of Gibbon's "Decline and Fall," which I easily guessed that she had never read.
I said in a stern voice: "Where are you?"
She replied, "Us are in a room, eight hundred and eleven miles above. A man is writing. Us are reading."
I may tell you two things: first, that in trance she never spoke of herself as "I," nor even as "we," but, for some unknown reason, in the objective way, as "us": "us are," she would say--"us will," "us went"; though, of course, she was an educated lady, and I don't think ever lived in the West of England, where they say "us" in that way; secondly, when wandering in the past, she always represented herself as being "above" (the earth?), and higher the further back in time she went; in describing present events she appears to have felt herself on (the earth); while, as regards the future, she invariably declared that "us" were so many miles "within" (the earth).

****************


 彼女は裕福な身の上で、アッシュ・トーマスから五マイルほど離れた古いウッディング領主邸に一人で住んでいた。君も知っての通り、この辺りで仕事を始めるに当たって、私はすぐに荘園の中に居所を定めた。彼女が自分の治療だけに集中して欲しいと望んだせいだった。一人の患者を担当することで、私はこれまでにないほどの破格の報酬を得ることが出来たのだ。
 すぐに私は、ウィルソン婦人がトランス状態になった時、注目すべき力に支配されることに気付いた。注目すべき、というのは、もちろん彼女の性質が奇矯だという意味ではなく、その状態がとても安定しており、正確で、緻密で、もっと広範囲に渡った意味合いにおいてである。創生期の心霊科学に、今まさにトランス状態の精神の力についての詳細な論文が付け加えられることになった……まさに全くの新発見である!この単純な事実は、君に言っておくが、心霊現象研究協会による審査に何度もかけられて初めて科学として承認され、中世(私はそれより遥か以前からだと思っているが)以来のしわくちゃ婆さんたちにも十分に良く知られるようになるのだ。何と意味のない手続きだろう!マンチェスターでトランス状態になった誰かが君に、ロンドンで、あるいは北京で、起こりつつあることを語ることが出来たとしても、それは勿論、フリート街(訳注:英国の新聞界を指す)のオフィスにいる人間の鋭い洞察力とは違うものなのだ。協会は一般社会の凝り固まった常識に基づいているから、一歩踏み込むことが出来ないのである。実際、協会は、多くの人々が以前から絶対の確証を持っていなかったようなことについては、何も明らかにしようとはしないのだ。
 しかし、哀れなウィルソン婦人について言えば、私は彼女の力が『注目に値する』と思うし、なぜなら、それがこの『分野』において例外的なものであるとは言えないにせよ、特別なクオリティを持っているからだ――そう、『安定性』があり、『広範囲』なのだ。この事実を受け、“一般的に”トランスの力は、時間的にではなく空間的に、より特別な彼ら自身を出現させるのだと、私は考えている。魂は現在ある世界を彷徨い――それは平原を越えた旅である――“通常は”遥か上空に上ったり、深く潜ったりして観察することには興味を持たない。私はそう考えている。だが、ウィルソン婦人の才能はこの点で特別であり、彼女はあらゆる方向に―ー北でも南でも、上昇も下降も、それから過去、現在、そして未来さえも――容易く望むままに旅することが出来たのである。
 私がこのことを知ったのは、一度にではなく、次第にであった。彼女はトランス状態の時に音を発した――それを『話した』というのは難しく、半開きになった唇から漏れるのは、呟きのような、あるいは喉音のような声で、間欠的に息音が混じった。こうした状態の時には著しい瞳孔の収縮が見られ、膝蓋腱反射がなく、かなり硬直した状態で、うっとりとしたような、何とも言えない表情をしていた。私は彼女のベッド脇に長い時間座ることを習慣にしていたが、彼女には全く魅了され、彼女の唇から漏れる、淡々とした中に吐息と慄きの混じった、妄言のような非現実的な言語を捕らえようと努力した。数ヶ月経つうちに、次第に私の耳は彼女の言葉を捕らえられるように訓練されていった。私にとっても、「ベールは剥がされた」のだ。そして私は彼女の沈思や、彷徨う魂について、ある程度は理解できるようになったのだ。
 そして六ヶ月が過ぎる頃、私は彼女がある日私にも馴染みのある言葉を発するのを耳にした。それはこのようなものだ。「そうしてローマ人は、征服をくり返し、勝利を手に入れることによって、技術を手に入れた。そしてそれは様々な著者たちによって証明され、確認されてきたから、私たちは細部に至るまで彼らについて描写することができるのだ……」私は驚いた。それはギボンの『ローマ帝国衰亡史』の一節であり、彼女がそれを読んだ事がないということは、私には容易く推し量ることができた。
 私は険しい声で言った「それをどこで?」
 彼女は答えた。「ワタシタチヲ八一一マイル上にある部屋の一室にいる。一人の男が書いている。ワタシタチヲ読んでいる」
 君に二つほど言っておくべきだろう。一つ目は、トランス状態の時、彼女は決して自分のことを“私(I)”とは呼ばず、かといって“私たち(we)”と呼ぶわけでもなく、どういうわけだかわからないが、目的格の“私たちを(us)”を使った。「ワタシタチヲ存在する」とか、彼女の言い方では――「ワタシタチヲするだろう」とか「ワタシタチヲ行く」とか。もちろん彼女はちゃんと教育を受けた淑女だし、「私たちを(us)」を、このように使う人たちが住んでいる場所がイギリス西部にあるとも思えない。二つ目は、過去を彷徨っている時、彼女はいつでも自分が(地球の)“上に(above)”いると表現し、そしてより過去に彼女が向かうにつれ、その高度が増すのだった。現在の出来事を表現するときには、自分が(地球に)“乗っている(on)”と感じるらしい。そして未来に関しては、彼女はいつでも“私たちを”何マイルも(地球の)“内部に(within)”いると表現した。

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Transrated by shigeyuki




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 今日は休みだったので、ちょっと調べものをしに、国会図書館へ。
 用事はすぐに終わったので、ついでにある漫画家の、昔の作品が載っている古い雑誌をいくつか出してもらう。小学校の高学年から中学校の最初にかけて、僕はその漫画家の作品を集めまくったのだ。著作リストを手に入れて、一つ一つチェックしながら。その中には、単行本に収録されないままになっている作品も膨大な量があり、子供だった僕には、それらの大半は集めることができなかった。それで、リストの作品名を見ながら垂涎の溜息をつき、想像をたくましくしたものだった。あの頃もし東京にいて、国会図書館に出入りできたとしたら、片っ端からコピーしてもらっただろう。今ここでコピーをして、あの頃の自分に持っていってやりたいと思ったが、今ではもうそんなに興味もないし、さっと読んで返却してしまった。
 図書館は早めにきりあげて、千鳥が淵を散歩しつつ、外で昼食。桜はさすがにもう終りだが、それでも清々しい。お堀の中には、花びらが沢山散っていた。

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'I am under a little morphia at present, propped up in a nice little state of languor, and as I am able to write without much effort, I will tell you in the old Pitman's something about her. Her name was Miss Mary Wilson; she was about thirty when I met her, forty-five when she died, and I knew her intimately all those fifteen years. Do you know anything about the philosophy of the hypnotic trance? Well, that was the relation between us--hypnotist and subject. She had been under another man before my time, but no one was ever so successful with her as I. She suffered from tic douloureux of the fifth nerve. She had had most of her teeth drawn before I saw her, and an attempt had been made to wrench out the nerve on the left side by the external scission. But it made no difference: all the clocks in hell tick-tacked in that poor woman's jaw, and it was the mercy of Providence that ever she came across me. My organisation was found to have almost complete, and quite easy, control over hers, and with a few passes I could expel her Legion.
'Well, you never saw anyone so singular in personal appearance as my friend, Miss Wilson. Medicine-man as I am, I could never behold her suddenly without a sensation of shock: she suggested so inevitably what we call "the other world," one detecting about her some odour of the worm, with the feeling that here was rather ghost than woman. And yet I can hardly convey to you the why of this, except by dry details as to the contours of her lofty brow, meagre lips, pointed chin, and ashen cheeks. She was tall and deplorably emaciated, her whole skeleton, except the thigh-bones, being quite visible. Her eyes were of the bluish hue of cigarette smoke, and had in them the strangest, feeble, unearthly gaze; while at thirty-five her paltry wisp of hair was quite white.

****************


 今のところ私はモルヒネのおかげでやや落ち着いており、多少の気力があるから、さほどの努力もなくこうして手紙を書くことが出来ている。君には、老ピットマンが彼女について書いたものからいくつか話しておこうと思う。彼女の名前はマリー・ウィルソンと言う。私が彼女に会った時は三十歳くらいだったが、四十五歳の時に彼女は死んだ。つまり十五年ほどの間、私は彼女と親密であったわけだ。君は催眠療法の考え方について何か知っているだろうか?そう、それには我々――催眠術師と被験者の間の、相性というものがあるのだ。彼女は私の治療を受ける前にも他の医者の下で同じ治療を受けたことがあるが、私との間で得られたような成功を手にした医者はいなかった。彼女は第5脳神経の疼痛性チックに悩まされていた。私が担当する以前に、彼女の歯は殆どが引き抜かれてしまっていたが、それは外から切り開いて、左側の神経を捻じ切った結果だった。だがそんなことでは何も変わるはずもない。彼女の顎では、地獄の時計がチクタクと時を刻んでいたのだ。彼女が私のもとに辿り着いたのは神の慈悲だった。私のところには大抵のものが揃っており、いとも簡単に彼女を制御することが出来たし、軍隊式の遣り方から彼女を開放することも出来た。
 君は私の友人の中に、ウィルソン婦人のように独特の風采を持った人を見たことがないだろう。私のような医者にとって、知的興奮を持たずに彼女のような人を見ることは難しい。彼女は不可避的に、我々がいわゆる『別世界』と呼ぶ世界を私に提示したが、その周りには苦悩の香気が漂い、まるでそこにいるのは女性というよりは幽霊であるかのような印象を受けた。なぜそんな風に感じたのかを君に伝えることは難しい。彼女が広い額を持っていたとか、細い唇をしていたとか、尖った顎をしていたとか、あるいは青白い頬をしていたとか、そうした外観について並べ立てることは出来る。彼女は背が高く、ガリガリに窶れていて、大腿骨を除けば、身体全体の骨の形が手に取るように分かるほどだった。彼女の瞳はタバコの紫煙のような青さで、最も奇妙なことは、それが弱々しいのに、この世のものとは思えないような光を放っているということだった。それから、彼女はまだ三十五歳だというのに、数少なくなった髪の毛の束は、完全に真っ白になっていた。

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
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 ブログがただの日記と読書録になってしまうのもどうかと思うので、ちょっと翻訳などをやってみようかと。別ブログでも大長編の翻訳を試みているので、ちょっと手を広げすぎかもしれないんですが(笑)。作品は、20世紀初頭のSF作家、M・P・シールの「パープル・クラウド」。名のみ高くてまだ翻訳のない、変わった終末テーマのSF作品です。J・G・バラードの大先輩という感じかな。長編なので、他に書くこともなくて気が向いたときに、という気の長い連載になります。実は、英語力は余りないので、気がついたことがあれば教えていただければ嬉しいです。

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THE PURPLE CLOUD


by M.P. Shiel


INTRODUCTION

About three months ago--that is to say, toward the end of May of this year of 1900--the writer whose name appears on the title-page received as noteworthy a letter, and packet of papers, as it has been his lot to examine. They came from a very good friend of mine, whose name there is no reason that I should now conceal--Dr. Arthur Lister Browne, M.A. (Oxon.), F.R.C.P. It happened that for two years I had been spending most of my time in France, and as Browne had a Norfolk practice, I had not seen him during my visits to London. Moreover, though our friendship was of the most intimate kind, we were both atrocious correspondents: so that only two notes passed between us during those years.
Till, last May, there reached me the letter--and the packet--to which I refer. The packet consisted of four note-books, quite crowded throughout with those giddy shapes of Pitman's shorthand, whose ensemble so resembles startled swarms hovering in flighty poses on the wing. They were scribbled in pencil, with little distinction between thick and thin strokes, few vowels: so that their slow deciphering, I can assure the reader, has been no holiday. The letter also was pencilled in shorthand; and this letter, together with the second of the note-books which I have deciphered (it was marked 'III.'), I now publish.
[I must say, however, that in some five instances there will occur sentences rather crutched by my own guess-work; and in two instances the characters were so impossibly mystical, that I had to abandon the passage with a head-ache. But all this will be found immaterial to the general narrative.]
The following is Browne's letter:

'DEAR OLD SHIEL,--I have just been lying thinking of you, and wishing that you were here to give one a last squeeze of the hand before I--"go": for, by all appearance, "going" I am. Four days ago, I began to feel a soreness in the throat, and passing by old Johnson's surgery at Selbridge, went in and asked him to have a look at me. He muttered something about membranous laryngitis which made me smile, but by the time I reached home I was hoarse, and not smiling: before night I had dyspnoca and laryngeal stridor. I at once telegraphed to London for Morgan, and, between him and Johnson, they have been opening my trachea, and burning my inside with chromic acid and the galvanic cautery. The difficulty as to breathing has subsided, and it is wonderful how little I suffer: but I am much too old a hand not to know what's what: the bronchi are involved--too far involved--and as a matter of absolute fact, there isn't any hope. Morgan is still, I believe, fondly dwelling upon the possibility of adding me to his successful-tracheotomy statistics, but prognosis was always my strong point, and I say No. The very small consolation of my death will be the beating of a specialist in his own line. So we shall see.
'I have been arranging some of my affairs this morning, and remembered these notebooks. I intended letting you have them months ago, but my habit of putting things off, and the fact that the lady was alive from whom I took down the words, prevented me. Now she is dead, and as a literary man, and a student of life, you should be interested, if you can manage to read them. You may even find them valuable.


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紫の雲 


M.P.シール著


shigeyuki 訳


 
序文
 

 三ヶ月ほど前――つまりは、1900年の三月の終り頃のこと――この本の表紙に署名のある著者は、注目すべき手紙と、何度も読み返したとおぼしき文書の束を受け取った。それは私の極めて親しい友人からのものだったが、名前を伏せておく必要もないだろう。アーサー・リスター・ブラウン博士は、オックスフォードの修士の称号を持つ、F.R.C.P. (訳注:Fellow of the Royal College of Physicians/ 王立内科医協会特別会員)である。たまたまこの二年間は、私は殆どの時間をフランスで過ごしており、それに対してブラウンはノーフォーク州で仕事をしていて、ロンドンを訪れた際にも彼に会う機会はないままだった。その上、私たちの絆はとても固かったから、互いに手紙の遣り取りさえほとんどすることもなかった。その二年間で私たちが手紙の遣り取りをしたのは、たった二度だけに過ぎなかったのだ。
 けれども、この三月にその一通の手紙と、それから私が引用する小包が届いた。その小包は四冊のノートブックから成っていて、中には大空を飛んでいた鳥の群れが驚いて右往左往している様子にも似たピットマンの速記(訳注:Pitman's shorthand/ ピットマンとは表音速記術を発明した英国人)の、眩暈のしそうな文字がぎっしりと並んでいた。それは鉛筆による殴り書きで、文字の抑揚に欠け、母音も少なかった。それゆえ判読には時間がかかり、私は読者に提供できる形にするために、休日を返上したのだった。手紙もやはり鉛筆で速記されていたが、この手紙は二番目のノートブック(それにはⅢと記されていた)を起こしたものと一緒に、これから私が世に出すつもりである。
 (しかしながら、この五つほどの文書は、私の判断によって取捨選択したということは言っておかなければならない。この中の二つの文書に書かれていることは、ありえないほど神話的であり、頭痛と共に投げてしまわなければならなかった。だが、どちらも一般的な物語としては、取るに足りないものであった)
 以下がブラウンの手紙である――
 
 「親愛なるシール――私は横になったまま君のことを考えていた。君がここにいてくれて、最後に一度ぐっと手を握りしめて欲しいと思っていた――私が「行く」前に。そう、あらゆる意味で私は「行こう」としているのだ。四日前、私は喉に痛みを感じてセルブリッジのジョンソン外科を訪れ、彼に見てもらった。彼は膜様喉頭炎とかなんとか呟いて私を安心させようとしたが、家に帰り着くまでには喉の痛みが酷くなり、笑ってもいられなくなってしまった。そして夜になる前には、私は呼吸困難と喉頭性喘鳴を併発した。私はすぐにロンドンのモーガンに電報を打った。そして彼はジョンソンと二人で私の気管の切開を行い、クロム酸と電気焼灼機でその内側を焼いた。呼吸を落ち着けることは難しいことだったが、喜ばしいことに私は殆ど苦しまずに済んだ。だが私は熟練した医者であり、事の重大さが分かっていた。気管支というもの複雑で――余りにも複雑で――実際のところ、望みなんて全くないのだ。モーガンはそれでも、ひたすら私を彼の気管切開術の成功例として付け加えたいと考えているようだ。だが予測は私の得意とするところであり、それは無理だと言わせてもらおう。死ぬに当たってちっぽけな慰めがあるとしたら、自分の専門家としての予測が的を得るということだろう。そう、我々はそれを知るべきだ。
 今朝、私は身辺の整理をしていて、これらのノートのことを思い出した。本当は何ヶ月も前に君に渡すつもりだったのだが、自分の怠惰な性格と、それにここに記した女性が存命であったという事実が、ついついここまで引き伸ばしてしまったのだ。だが彼女は今はもうこの世にはいないことだし、文学者であり、また人生の探求者でもある君ならきっと、何とかこれを読み解いて、興味を持ってくれることだろうと思う。君ならこのノートの価値が分かるはずだ。

"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Transrated by shigeyuki




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 桜の写真は、難しいですね。
 「綺麗だね」となんとなく撮っていると、なんだかつまらない写真ばかりになってしまう。
 本当は目に焼き付けるものなんでしょうね。

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 いまにも満開になりそうな桜だが、だらだらとその時を引き延ばしている。それでもそろそろだろう。こういうのは、いっせいにバッと咲いてくれた方が清々しいのだが、まあ長く楽しめると考えるべきなのだろうね。

 最近は、ネットからダウンロードした英語の本をちまちま読んでいるのだが、何せ進まない。英語は余り得意ではないので、仕方ないのだが、おかげさまで読書量は激減している。読書量が多ければいいってものでもないのだけれど。今読んでいるのは、 M. P. Shielの「The Purple Cloud」。文章が難しいので定評のある作家だということだが、必要以上にクドくない分、読むだけなら現在別ブログで翻訳に挑戦しているホジスンの「ナイトランド」ほどではない気もする。

 つい最近知ったのだが、2000年に発売されたPCゲームソフト「アリス・イン・ナイトメア」の続編が製作されるらしい。僕は殆どゲームというものはやらないのだけれど、唯一これだけは、なんと家族ぐるみで(妻も娘も大好きなのだ)、ずっといまだに時々プレイしているゲーム。四段階の難度も全部やったし、最初から持っている武器の「ナイフ」のみでの完全クリアというのもやったし、チートを使った改造もやった。どうかしてるんじゃないかというくらい、遊び倒しているという感じ。ちょっとゴスでグロなんですけどね、綺麗だし、中毒性がある。新作は、Xbox、PS3、PCと、プラットホームが三つあるということ以外、詳細はまだ未定のようだが、発売が楽しみ。

 写真は東京商船大学にある、旧天体観測所(第一観測台)。この前の築地散歩の途中で立ち寄った。何か催しがあるということで、ゆっくりと見学は出来なかったけれども。
 お世話になっているブログ、「天文古玩」の玉青さんの記事に、かなり詳しいことが載っているので、興味のある方はどうぞ。

 以上、つれづれの取り留めない記事でした。

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