漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

シャルル・バルバラ『赤い橋の殺人』

2020年03月05日 | 読書録

シャルル・バルバラ『赤い橋の殺人』(亀谷乃風訳/光文社古典新訳文庫)読了。

 『蝶を飼う男』が非常に面白かったので、こちらの中編(とはいっても日本では十分に長編と言える長さだが)を読んでみた。
 主に語り手となるマックスはしがないバイオリン奏者。彼が同情と恋心を抱いているティエール夫人は、かつては裕福だった証券仲買人の妻だった。ところが、あるときその夫がセーヌ川から死体で引き上げられ、彼には財産というものがほとんどないことが分かり、残された夫人とその母は困窮の生活へと転落し、マックスの口利きで得意のピアノを演奏することでなんとかしのいでいた。
 そんなとき、マックスは旧友のクレマンに出会う。無神論者で貧窮にあえぐボエーム(放浪芸術家)だった彼は、いつの間にかマックスの知人でもあるロザリと結婚をし、安定した生活を送るようになっていた。しかしロザリは病に伏せがちで、その子供は里子に出されている。やがてクレマンは社交界でも名を知られる人物になってゆくが、それと比例するように、妻のロザリの容体は悪化してゆく。あるとき、その社交界でとある殺人事件の話題が出る。偶然がそうみせかけただけの、実際には存在しなかった殺人の話であるが、その話を聞いた途端、クレマン夫婦は不思議なほどの動揺を見せる……。

 序盤はなんだかよく分からず、これはあまりおもしろくないかもなと思いながら読み進めたのだが、物語は次第に緊迫し、文学性を持ち始め、最後にははっきりとしたゴシック性まで帯びて幻想文学の様相さえ持つようになる。
 追い詰められてゆくクレマンの独白を中心に、非常に面白かったが、この作品は解説を読むとさらに面白みが増す。解説の中で、バルバラ再発見の立役者となった訳者さんは、この作品の中にある当時まだ存在しなかった様々な小道具を作中に登場させていることをあげて、この作品の隠れたSF性を指摘し、さらにはエミール・ガボリオー『ルルージュ事件』に先行する、フランス探偵小説の先駆けであるとしている。バルバラはボードレールの友人であり、ポーを彼に紹介したのが実はバルバラであったという説まであるらしいので、つまりSFとミステリーの共通の祖としてよく名前を挙げられるポーの正統な後継者であると言えるのかもしれない。
 そればかりではなく、真偽はわからないが、この作品がドフトエフスキー『罪と罰』に与えた影響の可能性まで指摘している。ぼくは『罪と罰』は読んでないので、このあたりはよく分からないけれども。
 子供のくだりなんかは、非常にゾッとするものがあった。

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