漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 



 今日で三月も終り。
 明日からは新年度。
 桜が咲き誇っているが、風が強い。
 帰り道で見上げた空には、鋭い三日月がかかっていた。

 Televisionのアルバム、「Marquee Moon」を聴きながら、これを書いている。
 これまでに、このアルバムはいったい何度くらい聴いただろう。

 この三月で、ブログを始めて一年。自分でこっそり、今月は毎日更新すると決めた。ちょっとした祭り気分。でも、それほど盛り上がっているわけでもなく、多少温度が高い程度。でも、そういう時が、実は一番意地になっている。途中何度か、ちょっとズルしたけれど(笑)、今日の書き込みで無事達成。内容のない書き込みだけれど、ビールを飲んで、二周目の「Marquee Moon」を聴きながら、ほっとしている。今、「Friction」が流れている。やっぱりかっこいいなあとか思いながら、ギターのフレーズを口笛で吹いたりしている。気楽な三日月夜。

 

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「新しい太陽の書①:拷問者の影」
ジーン・ウルフ著
ハヤカワ文庫SF刊

読了。
鮮やかな小説。

面白く、稀に見る作品だということは分かるが、一読しただけではとても分かった事にならないという事も間違いない。最終巻まで読んだら、最初に戻って、きちんと細部を拾いながら読むのが正しい読み方なのだろう。というわけで、感想はとりあえず保留。

・・・

「ウロボロスの波動」
林譲治著
ハヤカワ文庫JA刊

読了?
うーん。

連作短編集。でも、終りの2作は、読み飛ばしてしまった。
超小型のブラックホールからエネルギーを取り出すための、人工降着円盤というアイデアはよく、ハードSFとしての気配りも素晴らしいのはわかるのだが、小説としては、どうも入ってゆけない。「語り」と「アイデア」のバランスが悪いように思えて仕方なかった。登場人物の名前や会話が余りに余りで、勿体無いように思った。漫画で書かれた学術書のよう。


 ところで、上のイラストは、意味がありませんので、気にしないでくださいね。昔の落書きが、本の間から出てきただけなので(笑)。

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 都電面影橋駅と桜。
 神田川にかかる桜が綺麗です。



 こちらは、早稲田の喫茶「らんぶる」。
 seedsbookさんのブログで話題になっていたので。
 現在は営業していません。

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 訃報が出ていますね。

 ポーランドのSF作家であり、現代文学界においても重要な作家、「スタニスワフ・レム」さんが亡くなったとのことです。84歳でした。

 レム氏といえば、言うまでもなく「ソラリスの陽の下に」の原作者として有名。その哲学的な作品群は、精緻に切り出された宝石のようでした。ご冥福をお祈りします。

 僕が読んだ事のあるレム氏の作品は、「ソラリス」、「捜査」、「天の声」、「枯草熱」の四つだけ。熱心な読者とはいえないかもしれないが、どれも印象的な作品ばかりだった。最近、国書刊行会から選集が刊行されているし、ファーストコンタクトテーマの「ソラリス」の重要性を、最近改めて感じていたところだったので、きちんと読んでみようかなと思っていた矢先だった。


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 今日、ようやく「積読」書架から、

 「新しい太陽の書1:拷問者の影」
 ジーン・ウルフ著

 を引っ張り出して、読み始めた。
 去年の秋に、全四巻が揃ってリクエスト復刊されたもの。ここぞとばかりに揃えたが、今まで睨んでいた。まだ読み始めて100ページほどだが、これは期待に違わないということを確信している。

 ジーン・ウルフは、最近国書刊行会から「ケルベロス第五の首」と「デス博士・その他の島」が相次いで刊行され、話題を集めている。その流れでおそらくは復刊されたのだろう。ただし、「新しい太陽の書」は、復刊分ももう手に入りにくくなってきているようだ。

 僕が初めてウルフの作品を読んだのは、「SFマガジン」(1986年2月号)に掲載された「浜辺のキャビン」という作品だった。僕は「SFマガジン」を定期購読しているわけではないのだが、その頃、一年ばかり「SFマガジン」を買っていた。で、ネビュラ賞の短編部門を受賞したということで、訳出されていたのだった。
 僕は怠け者なので、雑誌を端から端まで読むというタイプではない。しかし、その作品は、タイトルからして引っかかった。で、読み始めた。ところが、これがとても印象的な作品だった。
 雑誌は実家に置いたまま僕は東京に出てきたのだが、数年経っても、ふとその短編のことを思い出すことがあった。だが、作者が思い出せない。少し調べて、それがジーン・ウルフという人の作品であることはすぐに分かったのだが、いざ彼の作品を探そうとしても、邦訳単行本はヒロイック・ファンタジー(実際は、多少違うのだが)の「新しい太陽の書」のシリーズしかないことが分かった。しかも、それは既に絶版になっている。
 そういうわけで、僕にとって長い間ジーン・ウルフという作家は「幻の作家」だった。これから、「新しい太陽の書四部作」を皮切りに、読んで行くつもりである。



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 今日は夕方、井の頭公園を妻とふたりで散策。
 桜は三分咲きくらいか。人も、多分一番多い時から比べれば、そのくらい。

 公園の池に、つがいの鴨がいた。
 一羽は普通の鴨。でも、もう一羽は、よく見るけれど、まるで木彫り細工のような水鳥。鴨ではないはず。でも、その二羽は、とても仲良く泳いでいた。つがいに、多分間違いないはず。

 写真は、そのつがいの鴨ではない。つがいの方は、上手く撮影できていなかった。で、この写真をアップした。この写真は、先ほど紹介したつがいになりたがっている、一羽の鴨もどきと、二羽の鴨。二羽の鴨のほうが、多分オス。鴨もどき(本当は何ていう鳥なんだろう)は、つれない。先ほどの幸せそうなつがいには、なれるだろうか?

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「ブラザーズ・グリム」
テリー・ギリアム監督

を観た。
面白かったが、期待のほうが大きかったかもしれない。

様々な童話のエピソードを、あちらこちらに暗喩のように散りばめて、不思議な世界が作り出されている作品。よく出来ているし、楽しめた。でも、こうした作品なら、以前に見た「スリーピーホロウ」のほうが面白かったかも。

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 「幻想と怪奇・・・おれの夢の女」
 仁賀克雄編
 ハヤカワ文庫NV

 を読んだ。
 怪奇・幻想小説のアンソロジーとしては、古典とも言える一冊の、新装版。

 最近はずっとSFを読んでいるので、ちょっと息抜きに怪奇小説のアンソロジーを読んでみようと思った。
 このアンソロジーは、評価の定まった古典ばかりを集めたものではないので、「またこの小説を読まされたよ」ということにはならないのがいいが、収録されている作品の中では、やはり有名な作家の作品のほうが、どうしてもよく出来ているのは仕方ないのだろうか。
 この中で、もっとも後味に余韻を感じたのは、チャールズ・ボーモントの「子守唄」だった。最近、新装版で幻の「一角獣・多角獣」(シオドア・スタージョン著)を再びラインナップに加えた「異色作家短編集(早川書房)」という叢書の中の一冊「夜の旅・その他の旅」の著者である。読んでないけど。
 こういう種類の後味の悪さは、例えばサキやビアスの良く出来た作品のように、忘れ難い。
 

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風花  




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上野動物園のミーアキャット。立ってます。



本当は猫じゃないんですけどね(笑)。
いい顔してます。

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 昨日ラジオでJ-WAVEを聴いていたら、今日は上野動物園の開園記念日で、入場が無料だと言っていた。彼岸の墓参りに出かける用事もあったので、ついでにそういうことならと、動物園にも行くことにした。動物園なんて、久々。
 さすがに人出が多い。
 写真は、ハシビロコウという鳥らしい。作り物の鳥ではない。フラミンゴの柵にいた。
 ものすごい眼力。

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 テリー・ギリアム監督の
 「12モンキーズ」
 を観た。
 映像的には、監督にしては多少大人しかったが、とても面白かった。

 実は「ブラザーズ・グリム」を観たいと思ったのである。
 だが、レンタルDVDは全て貸し出し中ということで、仕方なく、テリー・ギリアム作品の中でまだ観ていなかった「12モンキーズ」を観る事にしたのだ。

 奇しくも、この前みた「サマー・タイムマシン・ブルース」と同じく、タイムトラベルもの。過去を変えることが出来ないという前提も同じ。ただ、「サマー・・・」と違って、シリアスな映画。
 内容的には、脚本が「ブレードランナー」の脚本家と同じというだけあって、ディック的だ。とりわけ、ブルース・ウィルス扮するジェームズ・コールが、実は捨て駒にされていたというあたり、「暗闇のスキャナー」に近いように思った。
 そういえば、「暗闇のスキャナー」、映画化するんでしたね。



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「アインシュタイン交点」
サミュエル・R・ディレーニ著
ハヤカワ文庫SF

を読んだ・・・のかな?

 1968年のネビュラ賞に輝いた作品。ネビュラ賞受賞作品としては、最後に残された未訳作品だった。「クラッシュ」や「重力の虹」などのように、名前だけが有名になって、ずっと伝説的作品のような扱いになっていたのだが、1996年になって、ようやく邦訳された。待ちに待ったという人が多かったのではないかと思う。それまで邦訳されなかった理由は、ただ一つ、訳者の伊藤典夫氏が、どうして満足のゆく訳ができないまま、それでも好きな作品だけに投げ出せず、抱え込んでいたからだとか。

 で、実際に読んでみたのだが・・・あまり面白くなかった。
 ちょっと寝かせすぎたのかなというのが、正直な感想。70年代に邦訳が出ているべきでしたね、この本は。
 古臭いという意味ではない。そういう意味では、今でも十分に読めるだけの世界観のある小説だ。ただ、もうこの中で使われている手法が今では珍しくもなんともない上、この本が「ビートニクとゲイカルチャーの影響を強く受けた奇作」というような評価が出来てしまうあたり、やはり残念ながらこうした前衛的な手法を使った作品の弱点が出てしまう。余り面白くなかったという感想も、主にこの物語を語る手法のせいである。
 この小説の最大の楽しみである、表層の物語の後ろで展開している幾つもの神話の再話を読み解くのは、マニアには愉しいのだろうが、それぞれの深み自体が実はそれほどないような気がするので、余り熱心にする気になれない。神話の再話なら、もっと上手く出来ている小説が幾つもあるように思う。読み解く上で興味深い読み方は、「黒人SF作家によるゲイ文学」としての読み方くらいかもしれない。ニューウェーヴ期の記念碑的作品として、読んでおいて損はない小説だが、今となってはそれだけかもしれないとも思う。
 最後に、一つだけ。
 邦訳書の、原マスミさんのカバー絵は、この本にぴったりですね。
 本を読み終わって、カバーをみて、つくづくそう思いました。他には考えられないくらい。このカバーは、世界一この本に合っているのではないでしょうか?

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 風の強い日、色とりどりの細くて軽い紐が空を舞うのを見た。飛びながら、柔らかく絡まりあい、また離れ、それは虹のように見えたり、神経の繊維のように見えたりした。私はその紐を目で追いながら、片道だけの切符を持って、列車に乗り込もうとしていた。
 紐は太くなったり細くなったり、長くなったり短くなったりした。そして、強い風にはためいて、太陽の光に柔らかく輝いたり、鋭く輝いたりした。時々、跳ねるように飛んできた木の葉や鳥の羽が羽に触れた。そして、微かに痺れるように震えた。
 それはいつの事だろうと私は思った。列車に乗り込みながら。今目の前に見ている。その光景が遠いようだった。いつの事だろう。それは今ではなく、一回り昔の今なのかもしれないと思った。
 紐はしなやかで、けして切れる事はない。常にしなやかに絡まりながら、虹のように鮮やかに、針葉樹の少し上を舞う。やがて花びらが舞う頃には、その紐は鮮やかな色彩に、素敵なアクセントを加えるだろう。
 列車が動き出す。列車の音に、風の音が同調して、鳴った。


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