漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・17

2007年02月28日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 そうしてどれだけの距離を歩いただろう。耐え難い空腹を覚え、道の真中に座って一つ目の弁当を広げた時、ふと、太陽が少し傾いてきていることに気が付いた。これまで固定されていた時間が、再び音を立てて廻り始めたような、そんな気がした。私は辺りを見渡した。確かに少しづつ、見えている景色の色彩が変わってきていた。足元の影が、少し細長く伸びていた。空の色彩も穏やかさを増し、その下を雲が形を変えて流れていた。全てがとても美しく見えた。それで、しばらくは世界の動いてゆくさまに心を奪われて茫然としていた。しかし、このことが指し示している現実に気が付くと、我に還った。太陽が動いているということは、やがては夜がやってくるということだった。当然分かっていたはずのことだったが、いざこの広い場所でその現実に直面すると、不安にならずにはいられなかった。このままでは、このどこへ続くとも知れない道のただ中で、野宿をすることとなるのは避けられないだろう。野宿する事自体に躊躇いはないが、この平原の夜がいったどういうものなのか分からないというのは、嫌なものだった。もしかしたら、夜中には気温が恐ろしく下がるかもしれないし、昼間には姿を見せない獰猛な動物だって、いないとは限らない。できれば野宿は避けたいというのは、素直な気持ちだった。けれども、どうにもならない。できることはといえば、ただ先を急ぐ事くらいだった。運がよければ、あの銀色の塔に辿り着く事も、もしかしたら不可能ではないかもしれない。そう思って、歩き続けた。
 風が吹くと、草原が波のようにうねった。風に乗って、濡れた青い草の香りがした。柔らかい音が、遠くから聞こえ、次第に近くなり、また遠ざかっていった。陽射しが、時々雲に遮られ、また現れた。そうしたことが、何度も繰り返されるうちに、辺りは次第に赤みを帯びはじめた。黄昏時が近付いていた。銀色の塔は、まだ遥か彼方に見えた。辿り着くことなど、もはや不可能だということが、明白になった。それでも私は出切る限り歩こうと思った。太陽が、西の地平近くで、真っ赤に膨れ上がっていた。その巨大な様は、腐りかけた果実を思わせた。むせ返るような芳香が、辺りに漂っている気がした。一面の草原は、黄金色に燃え上がって見えた。漂う雲が、細く長く解けて、空に架かる橋のように見えた。だが、それはどこまでも細くなって、やがて千切れてしまった。私は歩きながらその様子を見ていたが、雲が千切れた途端、辺りは休息に暗くなった。太陽が沈んだのだ。それでも暫くは残照で辺りがまだ見渡せたが、やがてそれも覚束なくなり、ついには、私は道の真中に座り込んでしまった。全く何も見えなかった。自分の足元も見えなかった。それで、先に足を踏み出すことも出来なくなってしまったのだ。
 そうして長い時間、私は漆黒の夜の平原のただ中で、じっと息を凝らして蹲っていた。揺れる草の音が聞こえた。風の音が聞こえた。その中に、自分の呼吸の音が、規則正しく聞こえていた。聞こえるのは、ただそれだけだった。
 だがやがて、少しづつだが、辺りの風景が見えるようになった。瞳は、ほんの微かな光さえ、慣れれば捉えることができるのだと知った。こんな星さえない漆黒の中でも、微かにだが、辺りを見ることができるのだ。
 数時間が過ぎた時、空に変化が現れた。東の方が、ほんの少しだけ、明るくなった。最初は、夜明けが近付いているのかと思った。けれども、夜明けには速すぎるだろうとも思った。そう思っているうちに、空は次第に明るさを増した。その明るさは、夜明けの明るさではなかった。東の空が、群青に色づいた。その群青の色彩は、外側から次第に透明な藍色に変わり、やがて、微かに桃色めいた色彩が現れた。それは、巨大に膨れ上がった、桃色の月だった。

ひとりっ子

2007年02月23日 | 読書録
 「ひとりっ子」 グレッグ・イーガン著 ハヤカワ文庫SF

 を読む。
 
 「読了」と言いたいところだが、バリバリのハードSFなので、ちょっと難しくて、理解が中途半端な作品もあるのが残念(「ルミナス」とか)。
 表題作の「ひとりっ子」は、ロボットもの。「鉄腕アトム」や「AI」の系列。ただしそこはイーガンで、頭脳部に量子コンピュータを使用するというアイデアを導入している。しかも、その「クァスプ」と呼ばれる量子コンピュータを搭載した娘は「多世界に分岐しない」。つまりこの作品のタイトルは、主人公たちにとっての「ひとりっ子」であるという意味と、全ての並行宇宙の中で唯一の存在であるという意味と、両方を持っているわけだ。
 ちなみに、この作品に出てくるロボット娘「ヘレン」は、一つ前の短編「オラクル」にも登場する。この作品の主人公の一人は、名前を変えてはいるが、「ナルニア国物語」の著者であるC.S.ルイス。パラレルワールドに、決して分岐しない唯一の娘「ヘレン」が、時間を遡ってやってくるという物語なのですね。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・16

2007年02月22日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 陽射しが、とても眩しい。
 その中に、意識が白くなってゆく。

 記憶が、混濁する。

 逃げ水を追っている。
 逃げ水をくぐり抜け、その先へ向かうために。
 昼下がりの、微睡んでいるような街角で。
 道路は、どこも真っ白なコンクリートで出来ている。
 建ち並ぶ家は、どれも強いコントラストで縁取られ、その窓の奥は濡れたように見える。
 家の影が、白いコンクリートの道に細長く伸びている。
 それが、とても黒い。
 そこに、逃げ水がある。
 私は逃げ水から少し離れて、その中を覗き込む。
 その中には、空があり、瑞々しい色彩がある。
 私は、光と影の強いコントラストの街角から逃れようと、逃げ水を追う。
 けれども、逃げ水は逃げ続ける。跳ねるように、逃げて行く。
 誰の姿もない、昼下がりの街角で。

 記憶が、透明になる。

 平原の、藤色の道を歩き続ける。
 乾いた、さらさらとした砂の道だった。時々、石が転がっている。私は石を蹴飛ばし、さらに歩く。
 振り返っても、もうどこにも列車の姿は見えなかった。一面、果ての見えない、柔らかい草の揺れる草原が広がっているだけだ。風は、優しく吹いて、それはとても心地よい。だが、先は全く見えない。銀色の塔も、幾ら歩いても、一向に近くなった気がしない。
 歩きながら、時々、苺のような香が鼻腔に触れた。けれども、どう見渡しても苺など見えない。道から外れて、草原に踏み入ろうかとも思うが、その草の余りの密さに、底が知れない気がして、どうしてもそんな気にはなれなかった。だから、ただひたすら藤色の道を歩いた。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・15

2007年02月21日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 到着を告げるアナウンスもなく、だからここがどこだかは、分からなかった。窓の外を見ても、朽ちたコンクリートの、日ざらしのプラットホームらしきものがあるだけで、他には何もない。慣性が働いていないという状態は久々で、最初は少し身体が変な感じがしたが、すぐにその穏やかさが心地よくなった。そのまま座っているというわけにもゆかず、私は足元のスーツケースを手にして立ち上がり、乗降口へ向かった。降りる前に自動販売機で弁当を三つと飲み物を数本、買った。窓から見た限りでは、一面に何もない場所だったから、水と食料はあったほうがいいと思ったのだ。だが、保存食でもない弁当など、殆ど気休めにしかならないには違いなかった。
 タラップを降りて、年月に晒されて崩れかけたコンクリートの、小さなプラットホームに立った。プラットホームの周りは草に覆われていた。草は、柔らかく揺れていた。
 どこからも音はしなかった。一面に青い空と、白い雲と、緑の草原があるだけだった。私は今まで自分を運んできてくれた列車を見た。列車は錆びて、塗装も剥げていた。私は列車の前から後ろまで、ずっと見て歩いたが、運転席にも客車にも、誰の姿もなかった。どことなく藤色に見える車内には、生命の気配さえなく、そもそもこの列車がいつからここにあるのか、分からなくなるほど古びて見えた。
 私は列車の前に廻ってみた。レールは確かにそこにあったが、辿ってみると、少し先で地面に飲み込まれ、消えていた。
 私は空を見上げた。陽射しが、眩しかった。それに、暑い。私は上着を脱いで手に持った。
 何か音が聞こえればいいのに、と思った。人の声でなくとも、せめて虫の声や水の音が。しかし、辺りには何の音もなかった。時々頬を撫でるように吹く風も、一面の草原を揺らしはするが、音を立てはしない。世界中が、微睡んでいるかのようだった。
 私は歩き始めた。遥か彼方に見える、銀色の塔に向かって。
 他に、目標物など、何も無かったし、それに、たった一つの道が、そこにあったからだ。
 草原を切り裂くように伸びる、細い一本の道。地平の先まで、どこまでも伸びている。そしてその先には、銀色の塔の先端が、微かに見える。おそらく、この道はあの塔にまで伸びているのだろう。
 誰かが切り開いたに違いなかった。ならば、この先にはきっと誰かがいるはずだった。
 それに、と私は思った。あの銀色の塔こそが、もしかしたら日輪の城郭なのかもしれない。

モーリス・ユトリロ

2007年02月20日 | 記憶の扉

 先日、seedsbookさんのところにコメントした時、ふとユトリロの名前を出した。それで、ちょっとユトリロについて書きたくなった。結局、何を書きたいのか分からなくなるかも知れないけれども。

 モーリス・ユトリロは、海外よりも、多分、日本人に馴染みの深い画家だと思う。フランス人で、モンマルトルの何気ない街角を、白い色彩で描いた画家として、知られている。
 僕が初めてユトリロの絵を見たのは、小学校の時、美術の教科書で、「コタン小路」を描いたものだった。僕はこの絵に、どういうわけかとても強い印象を受けた。何でもない絵には違いないのだが、惹かれた。それで、小さな絵だったが、切り抜いて、大事に持っていた。

 それからもユトリロの絵はずっと、何となく気にはなっていたのだが、だんだんと絵の趣味も変わり、特に追うということは無かった。だから、ユトリロという人物がどういう人物なのか、全く知らなかった。ただ、何となく勝手に、こんな風に思っていた。ずっと年老いた老人が、消え行く命を見つめながら、懐かしむように自分の街を描いているのだと。
 
 それが全く僕の勘違いだと知ったのは、ほんの数年前のことだ。
 ユトリロの最良の作品群である「白の時代」の絵──ユトリロの絵は、この頃に描かれたものしか、殆ど価値がないと言っていい──は、アルコール中毒治療のために絵筆を執るようになった、二十歳台の後半の僅かの時期に描かれたものだった。

 ユトリロは、母シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれた。父は誰だか分からず、生まれて間もなく祖母に預けられた。母は、ルノワールやロートレックなどのモデルとなるほどの人気者だったようだが、身勝手で奔放だった。もっとも母を欲する幼年期に、ユトリロは両親の愛情も知らずに育った。だが、奔放で人生を謳歌する母は、ユトリロにとっては聖母のようにも見えたらしい。だからなおさら、時々姿を見せる母の愛情を、ユトリロは希求し続けたのだろう。

 ここまでなら、よくある話と言えなくもないだろう。だが、酷いのはここからである。
 ユトリロの祖母は、愛情に飢えて精神不安定になるユトリロに手を焼いて、まだ幼児のうちから、スープにぶどう酒を混ぜて与えるようになる。勿論、子供だから、手もなく酔いつぶれて眠ってしまう。ユトリロは15歳でもう立派なアル中だったらしいが、これでは当然だろう。
 その後、治療のために入院した先で、絵を描く事を勧められ、いやいやながら絵筆を執るようになった。これが、その先で、さらに悲劇を呼ぶ事になるとは思わなかっただろう。
 絵を描く事を、母は喜んだ。ユトリロはそれを励みに絵を描くようになったのだが、やがて絵が売れるようになると、その絵の代金がさらなる酒の代金に変わった。さらに、その頃、信頼していた唯一の親友が、よりにもよって自分の母と恋に落ち、結婚してしまったのだ。ユトリロは荒れて、この頃、警察の世話になることも多かったという。だが、ユトリロが孤独になればなるほど、絵は静謐さを増していった。絵を描いているあいだは、何とかアルコールを断っていることもできるし、やりきれない気持ちも紛らすことができたせいなのだろう。そうした絵は、街の人々に人気が出て、高く売れるようになった。
 すると、母と元親友は、ユトリロを鉄格子のついた部屋に監禁し、絵葉書を見ながら絵を描くことを強要し始めた。絵が売れるからだ。ユトリロはもはや逆らう気力も無く、淡々と絵を量産し始めた。そして、ユトリロの絵は、完全に死んでしまった。もはや、看板絵と変わらない絵を、ユトリロは、大量に描いた。

 と、まだ悲劇は続くのだが、ユトリロの絵とは、そういう絵だ。
 以前、展覧会で見たとき、「白の時代」の絵の素晴らしさと、その後の絵のギャップに、あまりに驚いた。そして、その場でユトリロの生涯を知り、一人の人間が壊れて行く姿を見たような気がした。

 ユトリロは、同時期のモディリアーニに比べられることも多いが、あくまで一アーティストとしての誇りを持っていたモディリアーニとユトリロとでは、比べるのは難しい気がする。ユトリロの才能は、酷い環境(とんでもない母親もいたものだ)のせいで無理矢理引き出されてしまったものだ。そして、無理矢理摘み取られてしまった。
 今、googleで検索すると、ユトリロの絵を廉価で!というような宣伝のあるサイトが大量にヒットする。今に至っても、ユトリロは消費され続けている。
 ユトリロのような才能を見るとき、これをどう考えるべきなのか、分からなくなる。これはアーティストなのだろうか。それとも、ただの犠牲者なのだろうか?

黒蜥蜴と虹男

2007年02月18日 | 映画
 急に昔の変わった日本映画を見たくなって、昨日(土曜日)の帰りに、ビデオを二本、借りました。

 一本は、美輪明宏主演の「黒蜥蜴」
 この有名な作品、まだ観ていなかったんですよね。
 美輪明宏オンステージといった感じ。役にハマッてましたね。あと、ちょっとだけ出てくる三島由紀夫が、何か、凄かった(笑)。まあ、登場人物が、皆かなり美男美女揃いでした。とってもナルシスティックな映画でしたね。

 もう一本は、角田喜久雄原作の映画化作品、「虹男」。1949年作品。
 全然聞いたこともない映画だったんですが、パートカラーという、部分的にカラーが使われている変わった映画ということで、パッケージからは、どこか「カリガリ博士」を思わせるものもあったし、面白そうだと思い、借りてみました。
 ですが、内容的には二時間ドラマのようなもので、音楽など、それなりに愉しく観れましたが、期待していたカラーシーンというのは、メスカリンの幻覚シーンだったのですが、ただ七色の色をつけたフィルムがほんの少しだけ映し出されるといったもの。モノクロの中に、いきなりカラーが出てきたら驚くでしょうが、それは当時のことで、現在のこちらとしては、多少拍子抜けではありました。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・14

2007年02月16日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 ─その恐ろしさは、底が知れません。
 ─私と一緒でも?
 私は強く言った。
 ─列車が停車したら、降りましょう。そして、二人で生活を築きましょう。「日輪の城」の城主がいくら力を持っていても、私はあなたを守る自信がある。私の生きてきた道も、並みの道ではなかったのですから。私にはもう、あなた無しの人生は考えられない。私の全ての力と知恵にかけて、あなたを不幸にはしません。
 とても嬉しいわ、と彼女は言った。あなた、きっとわたしを守ってくださいね。
 

 ゆっくりと廻りながら解けて行く日輪の城郭から、一面に石彫りの円花飾りを施した巨大なバルコニーが離れ、静かに解体してゆく。円花は細い絹糸のような紐状のものに分解し、それから互いの結びつきが弱まり、形を失って行く。そして、太陽の光の中に溶けてしまう。このような光景を、かつて見たことがあるような気がする。けれど、それは多分、幻だろう。未来の記憶などありはしない。記憶は、自分を偽るのだ。

 眠り、それから目覚めた。前のシートには彼女の姿はなかった。誰かがいたという気配まで、完全に消滅していた。私は立ち上がった。車両の中には、誰の姿もなかった。ただ、菜の花のような香りが、窓の外から漂っているだけだった。私は目の前のシートに手を当てた。暖かさはなかった。シートの感触以外に、何一つ感じる事はできなかった。私は足元を見た。スーツケースはきちんとそこにあった。私はケースの中を改めたが、何一つ失ったものはなかった。
 私はシートに腰をおろして、しばらくぼんやりと車内を見ていた。車内が、心なしか、古びたように見えた。それは、現実にそれだけの時間が経ったのか、それとも、寂しさを感じている自分の目にただそう映るだけなのか、判然とはしなかった。
 列車はいつ停車したのだろうと思った。それとも、彼女は走っている列車の窓から飛び出したのか。
 あるいは、と私は思った。全てはただの夢、偽りの記憶だったのか。
 それからは、私はぽっかりと空いてしまったシートを見つめながら、ただ一人の生活を、列車の中で繰り返した。私は既に何のために旅をしているのか、分からなくなり始めていた。見つめるたびに、車内は次第に古くくすんで行くような気がした。一度失い始めた色彩は、もう元には戻らないのかとも思った。だが、それはただ自分が淋しいだけなのだと、私は思った。
 それからの数日間で、私は何度、窓から飛び出してしまおうかと考えたか知れなかった。しかし、最初の空虚さが落ち着くと、彼女にもう一度会うためには、デュモルチの「日輪の城」へ行くことが、最も可能性のある方法だということに気付き、その衝動を押し止めた。私はただこのまま旅を続け、デュモルチで下車するべきなのだ。他に取るべき道など、どこにあろう?
 列車はそれから七日間、走りつづけた。その間、列車はますますくすみ、古びていった。五日目には、もうそれが気のせいではないということが、明らかになった。列車の音にも、時々、軋むような嫌な金属音が混じり始めた。
 七日目、窓の外に微かな変化が現れた。遥か遠くに、銀色に光る塔が見えはじめたのだった。
 列車は、その日の十二時─午前か午後かは分からなくなっていた─ちょうどに、息絶えるように停車した。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・13

2007年02月15日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 私は時々思い浮かべた。このまま列車がどこにも停車せず、この中が私たちの世界全てになり、やがて二人の間に子供が生まれ、成長してゆく様を。そして、私たちが年老い、死んで行く様を。
 あるとき、私は彼女にそのことを、ふと思いついたつまらない空想なのだがと断った上で、話した。すると彼女は、そんなことはありえないわと、きっぱりと言い切った。
 ─わたしは、城にもどらなければなりません。それに、あなたも、デュモルチの城主から呼ばれているのでしょう?
 ─それは、確かに。しかし、この列車がどこかへ向かっているような気が、だんだんと、しなくなってきたのです。
 ─もうそれほど遠くはありません。イネスも、デュモルチも。
 ─ですが、いつぞやあなたは、私の旅がとても長くなるだろうとおっしゃいましたね。
 ─ええ。ですが、列車の旅は、もうそれほど長くはないはずです。
 ─そうですか。それは残念です。
 ─どうしてかしら?
 あなたとずっと一緒にいたいからです。私は言った。当然でしょう。私はあなたを攫って、ずっと連れてゆきたい。あなたも同じ気持ちなのではありませんか?
 ─それは、不可能です。
 ─どうして?あなたは私のことを、嫌いなのですか?
 ─いいえ、そうではないわ。
 彼女は言った。そして、こう付け加えた。
 ─あなたが向かっている、デュモルチの「日輪の城」の城主。それが私の主人なのです。
 ─まさか! 
 ─彼は、とても恐ろしい人です。
 彼女は呟いた。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・12

2007年02月14日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 しかし、と私は言いながら、窓の外を見た。この列車がそんな速さで進んでいるようには、とても思えない。その説明は、素直には受け入れられない。
 時空は、伸縮するのです。彼女は言った。この列車は、少し歪んだ時空の中を、走っているのです。
 
 列車に乗って、目的地までの移動をしていたつもりだった。だがそれが何時の間にか旅になり、ついには生活になっていた。太陽は常に中空にぽっかりと白く輝いていたから、私たちは、空腹になったら食事をして、眠くなったら眠った。食事は、車内にある自動販売機で賄った。十種類ほどある弁当のメニューを、私たちは順番に食べていった。ローテーションも、数度目にもなると飽き飽きしてくるが、他に選択肢はなかった。食事をできるだけでも有難いと思うべきなのかもしれなかった。
 列車は変わらない風景の中を、単調に走り続けていた。停車する気配もなかった。ただ、時間だけが淡々と消費されていった。一日という尺度は、私の腕時計によってのみ、刻まれていた。
 私たちは目が醒めると顔を洗い、食事をした。それから洗濯をしたり、車内で軽い運動をしたりした。そして、私の腕時計が夜を指し示すと、私たちはシャワーを浴び、そして眠った。
 やがて、当然のように、私たちはどちらともなく互いを求め、結ばれるようになった。時計こそ夜を指し示しているものの、明るく心地よい車内のヴェルヴェットのシートの上で、私たちは愛を確かめ合い、蜘蛛のようにもつれあった。私たちの背中の上を、いつでもうっとりとする花の香りが通り過ぎていった。だが、彼女の、七色の指輪をした指が私の背中を這う、その冷たさだけは、いつでも私をはっとさせたのだった。

逃亡日記

2007年02月12日 | 漫画のはなし
 昨日今日と、とても天気のよい連休だったのだが、娘のインフルエンザがやっと治ったばかりで、まだ出かけることができなかったため、一人で遠出するのはさすがに後ろめたく、西荻窪にちょっと散歩に出かけて古書店でジャック・ロンドンの「南海物語」を買ったり、僕がやっているもう一つのブログ「Sigsand manuscript」のデザインをちょっといじったり、記事を書いたり、図書館へ行ったり、本を読んだり、久々に絵具を引っ張り出して絵を描いたり、そして失敗したり、そんなことをだらだらとやっていた。
 
 ところで、今日、買うかどうか迷っていた

「逃亡日記」 吾妻ひでお著 日本文芸社刊 

 を、妻が買った(笑)。
 失踪日記三部作の完結編ということですが、前の二作とも、その辺に置いてたら、妻と小学校5年生の娘が、代わる代わる熟読しているんですよね。それも、気がつくと、しょっちゅう見てます。こんなの娘に読ませていいのかなあと思いつつ、僕も放っているんですけど。なんか面白いみたいです。

 この「逃亡日記」は、さらりと読み通したけれど、本人が言うほど酷い本でもないです(本人は、「この本は買わなくていいです。漫画の部分だけ、立ち読みしてください」と言っています)。
 便乗本といえば、まあそうなんですけれど、ずっと漫画界の極北にいた人ならではのリアルな話がいろいろと読めて、面白かった。立ち読みでも何でも、「読んで損をした」とは感じないと思います。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・11

2007年02月09日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)
 言葉も出ない私を見て、彼女は少し笑い、あれだけ長い時間眠っていれば当然ですわと言った。それから彼女は、傍らの小さな包みを手にした。
 ─これは、さっき停車した時に、買ったものです。よろしければ、召し上がりませんか?
 包みの中身は、大量のサンドウィッチだった。サンドウィッチは、驚くほどカラフルに見えた。
 ─恐れ入ります。
 私は恐縮しながら、手を伸ばした。
 その時ふと、彼女の指に収まっている指輪に眼がいった。それで、指が一瞬、止まってしまった。彼女の指で輝いている指輪の石は、七色に輝く円盤だった。
 ─どうしました?
 ─いえ。
 サンドウィッチを手にしながら、私は言った。
 ─眠っている時、私は夢を見ていました。
 ─どのような夢かしら?
 大した夢ではありません、と私は言った。これまでに体験したこと、これまでに読んだ本、そうした虚実の記憶が、出鱈目に再構成された夢です。
 ─夢というものは、そういうものですからね。
 彼女の言葉に、私は頷いた。全く、夢というものはそういうものですね、と私は言った。そして、サンドウィッチを頬張った。

 列車は、いつまで経っても、どこにも辿り着かなかった。果ての見えない、明るい平原の中を横切るばかりだった。そう、天候も時間も、全く変化がないように見えた。いつまで経っても太陽は、午後の早い時間にあるべき位置に留まり、晴れわたった空には雲ひとつ現れない。時計を見ると、時間は確かに過ぎているのだが、風景はまるで書割のように、そのままであり続けた。そのようにして、私たちは何日も、旅を続けた。列車の中で食事をし、シャワー車でシャワーを浴び、シートで眠った。ついには、洗濯をして、車内に干したりもした。永遠に引き伸ばされた午後。その中に私たちはいた。
 いくらなんでもこれは変ではないでしょうかと、あるときついに私は彼女に言った。時間は確かに過ぎているのに、太陽は全く動かない。これはまるで詐欺のようではありませんか?
 この列車は、太陽を追いかけて進んでいるのです、と彼女は言った。だから、太陽は変わらないままなのです。この列車に乗っている限り、決して夜が訪れることはないのです。

七枚綴りの絵/最後の絵/日輪の城郭・10

2007年02月07日 | 汀の画帳 (散文的文体演習)

 記憶が偽る。あるいは、作られた架空の記憶が、実際の記憶として組み込まれる。どちらにしても、現実ではない記憶だ。だが、一度それを実際にあったこととして認識してしまったなら、自分にはもう区別はつかない。記憶というものは、とても危いものだ。それは脳に蓄えられた情報にすぎない。しかもその情報は不安定で、取り出されるたびに、ほんの少しづつ、変化しているのではないかと思う。ならば、実際のところ、現実も夢も、それほどの違いはないのではないか?

 麝香のような香りを辿って、目が醒めた。暖かい陽射しが、眩しかった。
 ─目が醒めたのですね?
 鈴のような声がした。私は目を開いた。最初に見えたのは、明るいグリーンの、ヴェルヴェットのシートだった。すぐに私は、自分が列車で旅をしていることを思い出した。それから、私は視線を巡らせた。目の前のシートに、白い服を着た、美しい女性が座っていた。私はシートに手をついて、座りな直しながら、言った。
 ─失礼しました。眠っていたようです。
 ─そのようですね。随分良く眠っていました。
 私は頭を掻いた。そして、どのくらい眠っていたのでしょう、と訊いた。
 ─さあ、一時間でしょうか、一週間でしょうか、それとも一年ほどでしょうか?ええ、教えません。でも、随分長い時間でしたわ。
 彼女はそう言って、微笑んだ。私は首をすくめた。そして、さりげなく、足元のトランクを踵で確かめた。トランクは、ちゃんとそこにあった。
 私は窓の外を見た。風景は、相変わらずどこまでも広い平原を走っていた。平原以外に、何も見るものはなかった。私は、空腹を感じた。そういえば、もう随分長い間、食事をしていない。
 お腹が空きましたね、と私は言った。あなたは、空腹ではありませんか?
 ええ、ちょっとお腹が空きました、と彼女は言った。
 私は言った。実は、列車に乗り込む前に、サンドウィッチを買い込んでおいたのです。ちょっと待ってください。
 私はトランクを開いて、包みを取り出した。しかし、包みを開いた途端、茫然とした。包みの中にあったはずのサンドウィッチは、腐って、小さくなってしまっていた。