漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 





「詩羽のいる街」 山本弘著
角川書店刊

を読む。

 人と人を結びつけることを仕事とすることで、何年もお金を使わず(触れることさえなく)、自宅さえももたずに(いわゆるホームレスになることもなく)、生活している詩羽という女性を主人公とした連作短編。ありえない設定、と一刀両断することは簡単だけれども、それはとりあえず考えないことにして、読むのがいい。ぼくはとても面白かった。こんなことがあってもいいよな、と思えてくる。
 作中に、全体を結びつけるひとつのキーとなる架空のマンガ「戦場の魔法少女」というものが出てくるのだが、このストーリーがなかなか秀逸。高校生くらいの子供たちにぜひ薦めたい一冊だった。

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「Another」 綾辻行人著 角川書店刊

を読む。

 ミステリーの要素があるホラー。ある学校の決まったクラスには、いないはずの人間がひとり増えていて、しかもそれが誰だか誰にもわからないという、座敷わらし的な設定が物語の根底にある。筒井康隆の短編に「座敷ぼっこ」という幻想的な作品があったのを思い出した。ただし、「Another」の方はかなり凄惨な物語になっている。
 面白かったのかといえば、現代版「座敷ぼっこ」というアイデア自体はともかく、初期設定には多少無理があって、力技で書き始めているような気はした。分量が半分くらいだったらもう少しよかったかもしれないと思う。それほど幅広い展開があるわけでもないのに、この分量は長すぎるし、同じような記述が何度もあるのは、多少疲れる。前回記事の「太陽黒点」と同じように、最後まで読んでから最初に戻って読めば、また新鮮な読み方ができるというトリックが使用されているから、そこはさすがだと思ったけれど、元々がそうしたアイデア一発の本格推理の作家のようだから、大長編は向かないのかもしれない。
 聞くところによると、現在続編を執筆中とのこと。もしかしたら、これを「貞子」化させようというつもりなのだろうか。

 昨日の金環日食は、曇りかなと覚悟していたけれど、思った以上にはっきりと堪能できて、嬉しかった。

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「太陽黒点」 山田風太郎著
山田風太郎ベストセレクション
角川文庫 角川書店刊

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 山田風太郎による、現代を舞台にしたミステリーだが、最後の最後までこれがミステリーであることは、読者にはわからないようになっている。
 もちろん、こんなふうに上手くゆくはずはないと誰もが思うだろうが、この作品で最も強く打ち出されているものは、タイトルにもあるように、「太陽族」と呼ばれる若者たちが青春を謳歌する時代の中に、消え難く残りつづける底知れぬ暗い感情であり、ある意味では、ミステリの皮を被った純文学のようにも思える。

 

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「ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち」 
「ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常」
三上延著
メディアワークス文庫 メディアワークス刊

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 本屋大賞にノミネートされた作品で、一種の安楽椅子探偵ものの推理小説に、萌え要素が若干加わっているという感じの、ライトノベルと普通小説の中間くらいの作品。北村薫の「円紫」シリーズなんかと同じような感じ。あっと言う間に読めてしまう。特に設定が斬新というわけではないが、こうした作品は、本というものがが好きな人には楽しんで読めると思う。


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「アイの物語」 山本弘著
角川文庫 角川書店刊

を読む。

 「神は沈黙せず」が面白かったので、続けて同じ著者の作品を読んでみたが、これもなかなか良かった。
 一応は、人類にとってかわったアンドロイドと、残された僅かな人類を題材とした、近未来ものの長編という体裁をとってはいるが、もともと別個の短編として発表された作品をまとめたものだから、短篇集といっていいかもしれない。各作品は、「ハイペリオン」などのように、作中作の形をとっている。プロローグとエピローグ、それに各短編の間に挿入されるインターミッションと呼ばれるつなぎの話を除けば、収録されている作品は全部で7つ。どの短編も楽しく読めるが、書き下ろされた最後の二つの短編、それに最後のインターミッション8は特別良くできていた。とりわけ、介護用アンドロイドを題材とした、「詩音が来た日」は、この中でベストだろうと思う。


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「神は沈黙せず」 上下巻 山本弘著
角川文庫 角川書店刊

を読む。

 トンデモ本を紹介する「と学会」の会長でもある著者の長編SF小説。
 「神は存在するのか」という問題を扱っているが、「と学会」会長としての経験と知識がぎっしりと詰め込まれてあり、物語に説得力を与えている。
 少し前の小説(2003年)で、ごく近未来を扱っているから、主にネット環境のことなどで、今となってはもう既に外れてしまっている未来予測のようなものもあるが、読む楽しみを大きく損なうものではなく、最後まで一気に読ませる。作中に書かれているように、ハミルトンの名作「フェデッセンの宇宙」の、その進化形のような小説だが、物語の肝がそのアイデアそのものにあるわけではなく、実は細部に宿っているので、オチが分かっていても楽しめる。物語のなかに出てくることはほとんどが本当のことで、物語に説得力を与えているが、中にそっと嘘を紛れ込ませてあり、絶妙。ウェブの網目とか、あっけにとられて、笑ってしまった。


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 GW中に、久々に家族で三浦半島の「三浦・岩礁のみち」を踏破した。三浦海岸駅からバスで松輪へ向かい、そこから大浦海岸、剣崎、江奈湾を経て、毘沙門天、盗人狩に至る、海岸線に沿った道だ。全長で、十数キロほど。
 連休中でいちばん天気が良い日で、歩いていると汗ばむほど。随分と日焼けした。ちょうどスーパームーンが話題になった日でもあり、大潮だったから、途中で数カ所、「ここは行けるかな」と思った場所もあったけれども、そう思うたびに、どういうわけか向こうから猫がやってきた。海中に付き出したコンクリートの足場の上をむこうからやってきたり、細い足場を渡ってきたり、まるで「大丈夫、行けますよ」と言ってくれているようだった。何度も三浦半島には足を運んでいるけれども、このあたりでこれだけ猫を見るのは初めて。
 終点の宮川町のバス停に到着したのは四時を過ぎていたが、男三人、女二人の初老の男女のグループがいた。道が混んでいたようで、バスは三十分以上遅れていたようだが、タイミング的に、ぼくたちはちょうど良い時間にバス停に到着したようだった。バスは満員。三浦海岸駅近くでまた渋滞になり、運転手さんの「ここで下りて歩いた方が早いと思われる方は、どうぞ下りてください」とのアナウンスで、ぼくたちは下車して、夕方の三浦海岸を歩いた。先ほどのグループも一緒に下りた。ぼくは近くのファミマでカップラーメンを買い、海岸で食べたが、そのとき妻が、「さっきの人たちの中の一人、石橋蓮司に似ていなかった?」と言い出した。ということは、あの女性の一人は緑魔子ということだろうか。確かに、かなり似ていた気もする。考えれば考えるほど、そうだったんじゃないかという気がしてくる。だが、確信は持てないし、いまさら確かめるすべもない。なので、いまだに謎のままだ。

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 三日のあいだ、ぼくはサンジャクの地方長官、あるいは首長の宮殿のある、スタンブールで眠ったが、それはどちらかといえば微睡んでいたのであり、シンドバット、アリババ、老アルーンら、ぼくの元への訪問者たちが、いかに眠り、微睡んでいるかを見るために、夢うつつな瞳を片方、開いておこうとしていたのだ。なぜなら、地方長官がトルコ人たちの夜を徹した言葉なき訪問を受けた小さく豪奢な小部屋の中にいたからで、ロマンスの香り漂う長いバラのような時間、夢想の酩酊、けだるき幻想は、明け方近くになって、さらに深い、夢も見ない眠りの静けさの中に沈んでいった。そしてそこにはそっと、足を組んで座り、白昼夢に耽り、最終的には気を失って崩れ落ちてゆく客人のために、白いヤタグ(訳注:琴のような楽器)が用意され、銅の火鉢にはまだバラの香気が残っており、クッション、ラグ、掛け布、壁の上のモンスター、ハッシシ・チボークシ、水キセル、青白い麻薬性のタバコがあり、ドアの向こうの秘密の格子窓には、木と鳥が描かれていた。そしてその空気は、ぼくが燃やした芳香錠と、吸った良い香りのタバコのせいで、麻酔性を帯びて、青白かった。意識は完全に朦朧となり、言語はもつれ、左目は、微睡んでいるはずのアリ、シンドバット、老アルーンらの姿を捉えることが困難となった。そしてぼくが眠りから覚めて、正面に張り出している格子造りのバルコニーの近くの部屋の中で身体を洗うために立ち上がったとき、目の前には、陽光の中に古都ガラタが北に広がっていて、急勾配の広い通りがペラの街に向かって上っていたが、いったん厳しいダルウィーシュ(訳注:イスラムの神秘主義教団の修道者)たちが水キセルを吸っていたそれぞれのソファベッドの上に夜陰が満ちてしまうと、そこにあるのは通路としての空間ではなく、すべては、ソファベッド、たくさんの寝椅子、アーモンドの木、天にも届くざわめき、森の中の長ギセル、修道僧、数え切れない人数のポーター、トファナから馬を連れてきた馬丁、カシムからの武器商人、ガラタからの商人、そしてトファナからの砲兵らであった。そしてその家の別の側面の南端には、屋根付きの橋が、大部分が二枚の大きな目隠しの壁としてある通りを横切っており、大きな、絡まりあった野生の花の中へと続いていたが、そこはぼくが何時間もの時間を過ごしたハーレムの園だった。ここで何日も、もしかしたら何週間も、そうしていたのかもしれないが、しかしその想像上の人びととともにかつての日々の中で微睡んでいたとき、まるでどこかで笑い声が響いたかのように、何かが言った。「だがこの街は完全に死んではいない!」その声はぼくをやすらぎの深みから一瞬にして覚醒させた。そしてぼくは想った。「もし完全に死んでいないとしても、それはまもなくだろう――あっという間だ!」そして翌朝、ぼくはアーセナルにいた。

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Three nights I slept in Stamboul itself at the palace of some sanjak-bey or emir, or rather dozed, with one slumbrous eye that would open to watch my visitors Sinbad, and Ali Baba, and old Haroun, to see how they slumbered and dozed: for it was in the small luxurious chamber where the bey received those speechless all-night visits of the Turks, long rosy hours of perfumed romance, and drunkenness of the fancy, and visionary languor, sinking toward morning into the yet deeper peace of dreamless sleep; and there, still, were the white yatags for the guests to sit cross-legged on for the waking dream, and to fall upon for the final swoon, and the copper brazier still scenting of essence-of-rose, and the cushions, rugs, hangings, the monsters on the wall, the haschish-chibouques, narghiles, hookahs, and drugged pale cigarettes, and a secret-looking lattice beyond the door, painted with trees and birds; and the air narcotic and grey with the pastilles which I had burned, and the scented smokes which I had smoked; and I all drugged and mumbling, my left eye suspicious of Ali there, and Sinbad, and old Haroun, who dozed. And when I had slept, and rose to wash in a room near the overhanging latticed balcony of the façade, before me to the north lay old Galata in sunshine, and that steep large street mounting to Pera, once full at every night-fall of divans on which grave dervishes smoked narghiles, and there was no space for passage, for all was divans, lounges, almond-trees, heaven-high hum, chibouques in forests, the dervish, and the innumerable porter, the horse-hirer with his horse from Tophana, and arsenal-men from Kassim, and traders from Galata, and artillery-workmen from Tophana; and on the other side of the house, the south end, a covered bridge led across a street, which consisted mostly of two immense blind walls, into a great tangled wilderness of flowers, which was the harem-garden, where I passed some hours; and here I might have remained many days, many weeks perhaps, but that, dozing one fore-day with those fancied others, it was as if there occurred a laugh somewhere, and a thing said: 'But this city is not quite dead!' waking me from deeps of peace to startled wakefulness. And I thought to myself: 'If it be not quite dead, it will be soon―and with some suddenness!' And the next morning I was at the Arsenal.

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"The Purple Cloud"
Written by M.P. Shiel
(M.P. シール)
Translated by shigeyuki




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 先日の日曜日には、家族で横浜へ。
 家族三人で出かけるのは、久々だったが、暖かく明るい一日で、堪能できた。

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「ともだち同盟」 森田季節著
角川書店刊

を読む。

 同じ著者の「不動カリンは一切動ぜず」は、「あまり面白くない」と書いたけれども、この作品もやはり舞台が神戸市垂水区ということで、どうしても気になって、読んでみた。東京や京都ならいざしらず、垂水区なんて場所をピンポイントで舞台にする作品など、他には稲垣足穂の作品や筒井康隆のエッセイなどが、いくつかあるだけだからだ。
 そういうわけで、内容には全く期待していなかったが(失礼ですね)、けれどもこれは、結構悪くなかった。少なくとも「不動カリン」よりはずっといい。論理を超えたところにある雰囲気で話を引っ張ってゆくタイプの淡いライトノベルではあるけれども、しかも地味なアイデア一発が鍵になる物語ではあるけれど、読みながら、「村上春樹風ライトノベル」という感じがずっとしていた。特に、「ダンス・ダンス・ダンス」から「スプートニクの恋人」あたりの感じかな。村上春樹は長いあいだ読んでないし、記憶の中の印象にすぎないのだけれど、出身がやはり兵庫県の西宮であることだし、著者はきっと好きなんじゃないだろうかという気がした。
 それにしても、滝の茶屋駅とか月見山駅とか、須磨浦公園駅どまりの列車があるとか、本当にしばし懐かしい気分を味わうことができたのは、嬉しかった。室生犀星じゃないけれど、ふるさとは遠くにあると懐かしいものですね。


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