つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

精神(スピリット)

2024-08-15 | Weblog
これから(年末より)は、来年にかけて変革となっていく。
今を常識としてきた人達は、その頑なさになかなか受け入れ難い事となっている。そのため、置き去りにされ、この世に取り残される。それは、ただ苦しみの中から喜びを得るという配分の中にあり、両手にさえ余る不幸せと、片手にさえ足りる幸せとを当たり前として疑わない。次元上昇とよく言われるが、この世には、一次元二次元三次元として生きている。点と線と空間の世界に生きていて、四次元に肉体は生きられない。その狭間(迫間)は切迫であるために一瞬である。「あ-そうだったのか」と一瞬気が付いても一瞬である。木阿弥である。
三次元からは一、二次元は見えるが、次元が上になれば、下の次元からは見えても見ることはできない。
四次元になればこの世の人では無く、精神的にも浮遊、時間の経過はされない。それは生命エネルギーとなる記憶の空白の間である。だから、思い出すことはできない。一切の反応されない間となっている。なぜなら、肉体が無いためである。記憶する脳が無いためである。これが四次元、あの世である。ただ生前の記憶エネルギーの現象世界となっている。そのため、あの世を新たに記憶することが無く、生命エネルギーの空白の間となっている。生命エネルギーに死は無く、縁に由ってこの世に生じてきても、この世とあの世は瞬時の繋がりとなっている。これが{色即是空}であり{空即是色}である。輪廻の法則である。そのため、あの世を思い出す事は無い。
動物的生命エネルギーから解き放され、精神的生命エネルギーになるために、さらなる次元上昇と言われる。アセンション「愛と感謝の波動、ワンネス(すべては一つであり繋がっている感覚)」である。愛のある世界への移行は、
無償を理解することにある。自身の労力を無償として愛となる。
全てがこの労力に感謝してあれば、本物の愛が現れる。損得などどこにもない。【愛は、ただ与えてただ去るのみ】、である。金など不要。
金融支配社会は、愛を偽った。それは完璧であった。
それはいまだに信奉されているために、世の中は「でたらめな社会」となって現れている。矛盾の世界となって、方や戦争をし、方や平和の祭典を行う。矛盾を解決できないでいるのは、動物的発想から抜け出せないためである。

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