つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

自由という言葉の罪作り

2024-08-16 | Weblog
変革の兆しは、公にして日本から現れてきている。さらに年末に向けて大事が起こり、世界的にもはっきりとあらわれてくる。年度末ともなれば、亦びっくり。
世の中が変わりゆく奇跡的な時代に生きているのは、まさに驚きである。
今までを常識とした社会の変化は、世界がひっくり返るほどの変わり様を呈するが、大衆に混乱が起こらないように粛々と為されていく。だから、驚きはすれども、知らない間にという感覚で進んでいく。それは、時代の必然的変化、進化として認識される。時の流れを振り返る暦は、歴然たる証拠である。
頑なにこびりついた常識のため、犠牲者は多く排出されるが、それは、自業自得の責にあり仕方が無い。以前より諭はあるが、聴く耳を持たないためのどうしようもなさである。自由とは自らに由ると書く。他という外部からは操作することはできない。それが自由である。絶対世界のエネルギーであるために、如何なる力に於いても動かすことは無理となっている。例えて、自由を無理に侵したとすれば、その道理に由って侵したものが弾かれる。つまり、消滅となる。
そのために、どんなに知的生命エネルギーとなっても、諭はすれども直接的助けはできない。諭された者がその諭に気が付いて、自ら動かなければ変わることはない。自由とは、斯くも厳然たる存在の法則である。
軽々しく使う所に、罪が作られ罰を負う。名前負けしてしまうのである。
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