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五逆罪(害父・害母・害阿羅漢・破和合僧・出仏身血) 事
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謗法(五逆罪の背景・誹謗正法) 理
迷事の惑(罪福信) 貪・瞋・慢
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迷理の惑(仏智疑惑) 五見と疑
倶生起の迷事の惑の断について
「瞋と余の愛等とは、別と事とに迷うて生じ、諦観に違せず、故に修所断なり。」(『論』第六・二十二左)
本科段の「瞋と余の愛等とは」は何を指しているのかが問題になりますが、『述記』には「瞋及び前の二の見(薩迦耶見と辺執見)と相応するを除いての外の、余の独行の愛と慢と及び此れと相応する無明とは、別の有情或は境の事に迷って生じて、理に迷わず。四諦観に違せざるが故に修所断なり。」と説明されています。
瞋及び、倶生起の薩迦耶見と辺執見と相応する貪・慢・無明を除いての「他の」倶生起の愛・慢・無明を指す。これは、独行の愛と慢と、独行の愛と慢と相応する無明は、別の有情や認識対象という事に対して迷う迷事の惑であり、理に対して迷う迷理の惑ではない。しかし、四諦観に違背するものではなく、これらの迷事の惑も亦修所断であると説かれています。
さらに『述記』はつづけて「見道の独行の貪等は、事に迷うことありと雖も、然も諦観に違せるが故に、見所断なるを簡ぶ。」
分別起の煩悩の断は ― 見所断
倶生起の煩悩の断は ― 修所断
次科段は、縁有事無事門になります。
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