『法然上人行状絵図』に上人の「出離生死」の原点がとどめられています。それは1141年(永治二年)所領の争いで夜襲をうけ亡くなっていく父時国の遺言でした。「汝さらに会稽(かいけいー敗北の恥を晴らすこと。)耻をおもひ、敵人(あたびと)をうらむ事なかれ。これ偏に先世の宿業なり。もし遺恨をむすばゞ、そのあだ世々につきがたかるべし。しかじはやく俗をのがれ、いゑを出で、我菩提をとぶらひ、みづからが解脱を求には。といひて端坐して西にむかひ、合掌して仏を念じ眠がごとくして息絶にけり。」この出来事が上人の生涯を貫いての課題となり「ただ念仏」の道を歩まれることになるのです。法然上人は「偏依善導」といわれますように善導の『観経疏』に耳を傾けられたのですが、その中に「門八万四千に余れり。・・・縁に随う者は則ち解脱を蒙る。」(真聖p340-玄義分・序題門)ここに問題が一つありますね。どの道でもよいのかと云うことです。どの道を歩んでも解脱を蒙ることであるならば、何故に浄土の教えなのかということです。善導は「然るに衆生障り重くして、悟りを取るの者明らめ難し。」といわれ、また『観経』に苦悩は「無量億劫の極重の悪業」(真聖p100)であり、その為に苦悩を除くのではなく、苦悩を除く法を説くので有るといわれているのです。根源的な無始無終の罪といっていいのでしょうか。あくまでも自覚の話ですが。この罪業も如来に言い当てられて初めて自覚できるのですね。如来も衆生も一如来生なのですね。自覚は表は罪業の自覚であり、裏は救済の事実なのです。親鸞聖人はこの問題について善導の教えを身に受け「しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆえに。散心行じがたし、廃悪修善のゆえに。」といわれました。「たとい千年の寿を尽くすとも法眼未だかって開けず」というわけです。「余」はすなわち本願一乗海なり。」(真聖P341-化身土・本)と教えてくださいました。本願一乗海のみが「在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。」なのですね。悲引というところに「本願の嘉号をもって己が善根とするがうゆえに、信を生ずることあたわず・・・」という自己への眼差しがあるのではないでしょうか。その眼差しが悲引を引き出してくるのだと思います。唯識で言われる倶生我執の自覚です。「救われる縁もゆかりもない身」の自覚が、無根の信をいただくことになるのでしょう。
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