諸根互用について会通してきましたが、『演秘』第四末・四十右。大正905c15~906c23)には尚、詳細が述べられています。長文になりますので割愛しますが大正蔵経を参照してくださいますならば、教化ということの意味がはっきりすると思います。
― ・ ―
六識の根と境について説いていないことを明らかにします。
「然れども、六転識の所依と所縁とは、麤顕なり、極成せり、故に此には説かず。」(『論』第五・十七右)
(しかし、六転識の所依と所縁は麤顕であり、極成のことである、。そのために、此処(本頌)には説かない。)
- 極成(ごくじょう) - 一般に認められていること。
六転識の所依と所縁が麤顕であることは一般に認められていることから『唯識三十頌』には説かれていない、と理解する方がいいと思われます。
本頌の文は唯識を明らかにするとはいえ、ただ見分についてのみ説かれている、しかし見分は根に依って起こるのであり、相分は見分に依って生じる、何が故に(にもかかわらず)、本頌では、根と境について述べられていないのであろうか(根と境とを弁ぜざるや)。
この問いに対して答えているのです。
根と境は、麤顕であるから説かれていない、と。
- 麤顕(そけん) - はっきりと認識されるあり方。唯識では沈隠(ちんおん)の対としての麤顕である。阿頼耶識にある種子がはっきりと認識されえない深層的なありようを沈隠というのに対して、種子より生じた表層的な識がはっきり認識されうるありようを麤顕といいあらわしています。
六根・六境はだれにでもよくわかることなので麤顕といい、これは大・小乗共に認めている共許のことなので極成と言い表しているのです。改めて説く必要はない、と。
「論。然六轉識至故此不説 述曰。下顯不説。共依下説。且顯不共依 頌中不説。一色麁而且顯。二乃諸論皆有彼此極成。故本頌文更不別説。此即會本文無説根・境之頌。謂本頌中初能變識。唯明所縁不明所依。第二能變倶明二種。此之六識明其所依不明所縁。以麁而且顯又復極成。頌文略而不説。」(『述記』第五末・五十三左。大正43・417c)
(「述して曰く。下は説かざることを顕す。共依は下に説く。且く不共依を顕す。頌の中に説かざることは、一に色は麤にして且く顕なり。二に乃ち諸論に皆有り彼此極成なり。故に本頌の文に更に別に説かず。此れは即ち本文に根と境とを説くこと無きことを会す。謂く本頌の中に初能変の識は唯だ所縁を明して所依を明かさず。第二能変には倶に二種ながらを明かす。此の六識には其の所依を明かして、所縁をば明かさず。麤にして且く顕なり、又復極成するを以て、頌の文に略して説かず。」)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます