唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 別境 ・ 五受分別門 (5)

2010-10-14 23:07:01 | 心の構造について

 第三能変 別境 五受分別門 (5) 護法の正義

      - 論に依って証明する - 

 「論に説かく、貪愛は憂苦と相応すと云う。此の貪愛と倶なるには、必ず欲有るが故に」(論第五・三十四左)

 「述曰。対法第七・瑜伽五十九に説く。貪は憂苦と相応すと。貪は必ず前境を欲するが故に。必ず欲と倶なり。亦欲数も苦憂と倶なることを。即ち、前師に答えて、欲は憂苦と並ぶと」(述記第六本上二十八右)
 

 正信偈に貪愛・瞋憎の雲霧とあります、貪愛です。貪は必ず、前の境を欲すると云われているのです。前境を欲するが故に貪が起こると云われています 。
 欲することがなかったならば、貪は起こらないのですが、私たちは自分に一番貪愛していますね。生まれてきたと云うことは死ぬまで貪愛と付き合いをしていかなくてはならないのです。いうなれば、一生、憂いと苦悩と倶に生きていかなくてはならないわけです。しかし、此に意味があるわけです。第六意識に別境の心所である欲が相応することは、憂受と苦受と相応すると。

 『瑜伽論』巻五十九の文 ・ 『論』は取意

    T1579_.30.0627c17: 問是諸煩惱幾與樂根相應。乃至幾與捨
    T1579_.30.0627c18: 根相應。答若任運生一切煩惱。皆於三受
    T1579_.30.0627c19: 現行可得。是故通一切識身者。與一切根
    T1579_.30.0627c20: 相應。不通一切識身者。與意地一切根相
    T1579_.30.0627c21: 應。不任運生一切煩惱隨其所應諸根相
    T1579_.30.0627c22: 應。我今當説。貪於一時樂喜相應。或於一
    T1579_.30.0627c23: 時憂苦相應。或於一時與捨相應。問如何
    T1579_.30.0627c24: 等。答如有一或於樂受起會遇愛不乖離
    T1579_.30.0627c25: 愛。而現在前遂於樂受不會遇非會遇。若
    T1579_.30.0627c26: 乖離非和合。或於苦受起不會愛若乖離
    T1579_.30.0627c27: 愛。而現在前遂於苦受合會非不合會。不
    T1579_.30.0627c28: 乖離非乖離。由是因縁貪於一時憂苦相
    T1579_.30.0627c29: 應。與此相違喜樂相應。若於不苦不樂位
    T1579_.30.0628a01: 而生味著。當知此貪捨根相應。
    

 (貪は一時に於て楽・喜と相応し、或いは一時に於て憂・苦と相応し、或いは一時に於て捨と相応すと。・・・・・或いは苦受に於て不會(ふえ)の愛、若しは乖離(けり)の愛を起すに、而も現在前に遂に苦受に於て合會すれば不合會に非ず、乖離せざれば乖離に非ず。是の因縁に由りて貪は一時に於て憂苦と相応し、此れと相違するは喜楽と相応す。若し不苦不楽の位に於て味著(みじゃく)を生ずれば、當に知るべし、此の貪は捨根と相応すと。)

 味著 - あじわい貪るこころ。味著等至、味定といわれる。四静慮と下の三無色定と非想非非想定(有頂定)とにある定。

 乖離 - そむきはなれる。わかれはなれるの意。  


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